ハッピーバッドエンド


 (夏音)は一人、図書室で本を読んでいた。
 計六人しかいない大きな校舎は、雨の音だけが響き渡っている。
 色々な事件、青春が過ぎてから数日。私たちの行動範囲は徐々に自由になっていった。
 一人一人が各自で行動したり、待機場所からよく離れたり。
 自由になってきて危険は増えたものの、意外と悪いものではなかった。
 潜んでいるマーダーも意外と殺してこないもので、危機感も薄れていく気配を感じた。
 ……けれど、まだ終わってはいない。
 必ずしも死人は出るんだ。その結末だけは、みんな静かに胸の中に閉まっていた。
「なーにしてるの。」
 突然、図書室の扉からひょこ、っと顔を出す人物が視界の端に現れる。
「恵舞ちゃん。」
 顔を出した恵舞ちゃんを見ると、私は静かに本をパタリと閉じた。
 恵舞ちゃんは、こちらへ歩み寄ってくる。
「本読んでたんだ。」
「へー。夏音ちゃんって本好きなの?」
「うん、小さい頃から。」
 私はページを閉じた本を、胸へ抱き寄せた。
 本は私にとって宝物。本がないと、私は生きていけないの。
「そうなんだ。図書委員だしね。本が好きとかも、図書委員になった理由なの?」
「まぁ、そうだね」
 あはは、とたわいもない会話を交わす私達。
 そんな中、恵舞ちゃんは私の読んでいた本に目を向けた。
 その瞬間、恵舞ちゃんの目が大きく開かれる。
 いきなりどうしたのだろう。
「え、ちょっと夏音ちゃん。それって【ハッピーバッドエンド】じゃん。なんて言う本読んでるのー!」
 そう言いながら、恵舞ちゃんは隣の席に座った。
 見せて、と言って恵舞ちゃんはその本に手を伸ばす。
 そう。私が読んでいたのは【ハッピーバッドエンド】。
 確かに、こんな状況でこんなの読んでたら物騒なのかな。
「どこにあったの、この新刊。本当だったら、私が持ってるはずなのに」
 えー、と私が渡した本を天井に掲げて見上げる恵舞ちゃん。
「ここの図書室にあったよ。……やっぱり、少し変だよね。"ここ"と"私たちの学校"は何か違うんだよね。」
「そうなの!!」
 本を机に置いて恵舞ちゃんは私に食いついてきた。
 
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 恵舞ちゃんや私たちのように、違和感に気づきはじめている人はそんなに少なくないのかもしれない。
 私たちしか存在しないこの学校(空間)は、到底現実の世界とは思えなかった。
 まぁ、現実の世界じゃなかったら、何処なんだ、っていう疑問が出てくるけど。
 窓の外を眺めたって、街並みは対して変わらない。けれど、人の気配が全くしない。
 そんな空間に、最初の方は薄気味悪さも感じたものだ。
「それにしても。……【ハッピーバッドエンド】とか、どうしてこんなもの作られたんだろ。迷惑極まりないよ。」
「っ……。」
「私たちだって、こんな殺し合いをしたい訳じゃないのに。

 ……いつも通り学校に行って。

       いつも通り退屈な授業を受ける。

     放課後に寄り道して帰って。

          当たり前のように寝て起きて。

       また繰り返し学校に行く。

 そんな平凡な暮らしのままでよかったのに。」
「っ……。確かに、ご最もだけど。恵舞ちゃん。」
 私は、少し吹き出してしまった。
 だって……、
「そんなロボットみたいな生活・・・。流石に、一日一日楽しいことの一個や二個は生まれるでしょ。」
「……。」
 あはは、と笑う私の横で、恵舞ちゃんは遠くを見つめているだけだった。
 でも……、そっか……。
 
迷惑─────────……
 
 恵舞ちゃんの小さな呟きは、私の頭の中で渦を巻いた。
 迷惑、か……。
 私はその場から立ち上がり、背後にあった窓に体重を乗せて雲行きの怪しい空を見上げた。
 久しぶりに降った雨によって風が冷やされて、少し肌寒い。
 そんな私を不思議がって、恵舞ちゃんは私を目で追う。
「……─────そんなに、迷惑なんかじゃないのかもしれないよ。」
 その瞬間、背後で恵舞ちゃんがピクリと反応した。
 意識もせず無意識で口が動いた。こんなことを言えば、頭がおかしいと思われるかもしれない。
 ……でも、私の口は止まらなかった。
「確かに、やり方はおかしかったのかもしれない。わざわざ未解決事件を起こして、私たちに争わせるなんて、やり方は狂ってたかもしれない。……でも、【ハッピーバッドエンド】がなければ、私たちはこうして巡り会うことは無かった。」
 危機的な状況のはずなのに呑気な言葉が口からポロポロ溢れ出す。
「恵舞ちゃんとだって、ただの図書委員と生徒、っていう関係で、ただの同級生のままだった。……こうして、話すこともなかった。」
「……。"夏音"は、このゲームに参加させられて恨みを持たないの?」
「……持たない、って言ったら嘘になる。……けど、私はこうしてみんなと巡り合えるきっかけをくれたことには感謝してるかな。なんだか……、」

本当の絆、を導き出せそうな気がする。

 脆くて直ぐに切れてしまいそうだった私たちの絆。
 そもそも、絆なんて生まれてなかった。
 そんな状態から、今は大きく変わろうとしてる。
 現代、一人一人が上手く共鳴しきれなくて薄っぺらい壁を通して友達、友達と言っている。
 ……そんなの、絆じゃないんだよ。
 求めているのは、本当に強く結ばれた絆─────

「……平凡な人生のままでも良かったけど、それじゃ、私たちは何も変わらないと思うから。」
 淡々と続けた言葉は、恵舞ちゃんにしっかり飲み込まれた。
 誰が悪者なのか、よく分からない。
「……─────変わらなくていいんだよ。」
「え、」
 予想外な返答に、私の頭は一瞬にして真っ白になった。
 再度振り返り、彼女の表情を見た時には……、とても苦しそうに歪んでいた。
「どうしてそんなに、今が変わって欲しいって思うの?」
「それは……。」
 理由を探そうとしても、必要な言葉が見つからなかった。
「……。そんなあやふやな気持ちだと、後悔しちゃうよ。」
 新しい彼女を見た───────。




 ……高瀬 恵舞。
 1年生の頃から、人気な子だった。
 一年部の中で、彼女を嫌うものは居なかったと思う。
 誰にでも愛嬌を振りまいて、ニコニコしてる。
 何を言われても、何をされても、できるだけ相手を気遣った言葉選びで、群を抜いている。
 泣いているところなんか見たことなくて、彼女の弱みを知るものは、きっと誰もいない。いつも横にいる親友の子でさえ。
 みんなは、そんな彼女を嫌う節なんて見当たらないんだろう。
 ……けれど、私は怖かった。苦手だった。彼女が。
 彼女の……笑顔が。
 異様に周りとはかけ離れた精神を持つ彼女。
 弱みを想像することすら不可能な彼女の人柄。
 貼り付けられたようなお手本の笑顔。
 言わば……"人間味のないロボット"。
 そんな彼女を、私は遠目で見てるだけだった。
 ……今までは。





 そんな彼女の前にいざ立ってみると、ただ普通の高校生だった。
 同じ、未熟で恐怖を恐れる子供だった。
「っ。……あやふやなんかじゃないよ。変わりたいって思うのは、人間の本性でしょう?成長したい。私はその気持ちがあるから、変わりたいって思えてるの。」
 成長したい。
 いつも遠目で、横目で。自分とは違う人種なんだと思い込んでいた者に。
 立派でかっこいい玲於奈先輩のように。

みんなから愛される──────あなたみたいに。

 自分の気持ちを、しっかりと伝えられる人に……
「みんながみんな、そんな前を向いて認めることなんかできないよ。変化は、一瞬にして人の心を崩す。もし、成長出来て、崩れても、また立て直せる。そう出来たらいいよ。いいけど……」
「恵舞ちゃん。どうしたの?変だよ……。」
「夏音ちゃん、綺麗事ばっかり。人生がそんな……─────綺麗事ばっかりで終わるわけないじゃん。」
「恵舞ちゃん……。」
 いつもとは考えられないほどの変化に、気が動転してしまいそう。
「皆がみんな、そんな風に感謝なんてできないよ。少なくとも、私は夏音ちゃんの気持ちを理解できない。私はこんな事になるくらいなら、"出会い"なんか要らなかった。夏音ちゃんとも、話さない仲でよかった。きっかけなんて必要ない。今まで通り、平凡な学生でいたかったよ。変わりたくなかった。……変わらなくてよかった。」
 ……これは、私の自分勝手な結論だったのだろうか。
「……恵舞ちゃんは、ゲームマスターが憎い?」
「憎いよ。」
 恐る恐る聞いた質問に、即答して単語が告げられた。
「感謝なんて微塵もない。だって……、そんな綺麗事の為だけにゲームに参加させられて。もし自分が……、"強制的にマーダーにさせられた"、って考えたら感謝できる人居ないでしょ。どんなに、素敵な出会いが果たせたとしても。」
 恵舞ちゃんの言葉に隠れていた、"マーダー"という単語。
 それが何を意味するのか、私は理解できなかった。……けれど、
「恵舞ちゃん……、マーダー……なの?」
 私の視線は一瞬で疑いの目に切り替わった。
 一気に体の筋が際立つのが分かる。
 外からの冷えた風のせいじゃない。緊迫感が私を襲う。
「……なわけないじゃん。無理やりマーダーを背負わされた人がただただ可哀想だ、って言う話だよ。夏音ちゃんがそんな呑気なことを考えてる間、きっとマーダーは、孤独な時間を過ごしてる。」
 恵舞ちゃんは吐き捨てるようにそう言った。
「……そうだよね。」
 そうだ。そうだった。
 確かに、マーダーは裏切り者で人殺し。
 玲於奈先輩だって、裏切り者で狂人だった。
 ……でも、最初はこんなデスゲームに参加させられて、一緒に不安を背負った純粋な学生だったんだ。
 なのに、私たちは躊躇いもなく"裏切り者だ"と言って処刑したんだ。 ……。
「ごめんね。」
 素直に私は謝った。
 ゲームマスターさん。貴方はやっぱり……

 "間違ってるのかもしれない……。"

   貴方の進む道に正解は無い。



「……どうだった。」
「え、」
 途端に聞かれた内容に頭が追いつかない。
 どうだったって、なんのこと?
「その、【ハッピーバッドエンド】。読むの二回目なんでしょ。」
 恵舞ちゃんの右隣の机に置いてある本を見て、私はあぁ……、と口に出た。
「……確実に、私たちの物語はこの【ハッピーバッドエンド】通りの結末に進んでるよ。」
 内容なんて、わざわざ思い出そうとしなくても、しつこいほど脳裏にこびりついてくる。
 その上、【ハッピーバッドエンド】を読んだ時に浮かぶ描写が、私達の姿と重なって気味が悪かった。
 まるで、著者でもあるゲームマスターに操られているようで。
「このままじゃ、私たちは同じ結末を辿るだろうね。」
「そっか。」
 私は、反対側の窓から見える外の景色を見た。
 空しか見えない景色の遠くを眺めてた。
「私たち、救われないのかなぁ……。マーダーも含めて。」
 そんな言葉が、ポロリと口から出てきた。
 【ハッピーエンド】にならないのかな。
 ……。……いや、なる。
 なれる……!!
「そんな事、無理だ……」
「なれるよ!!」
 私は、否定する恵舞ちゃんを差し置いて、手を握った。
「どうしてそうなったのか、結末が私たちはわかってるんだよ、過程も含めて全部!!」
 光が見える。
 出口の無い暗闇に、天井から注がれた細い陽の光が見える。
 後は、その天井に目掛けて精一杯手を伸ばせばいいだけ!!
「っ……」
「この本を元に、策を練るんだよ、対策するんだよ!!」
 そしたら、マーダーはともかく、全員ゲームオーバーにはならない気がする。ならないんだ。
 私は、精一杯、今の自分がどれだけ本気なのかを伝えた。
 握っている手に力が入る。
 その手を、恵舞ちゃんはひたすらに見つめていた。
「出きっこないよ。だって、結局はゲームマスターの思い通りになるんだから、無理に決まって……っ」
 そこまで言いかけていた時、恵舞ちゃんは急に口を噤んだ。
 ハッと目を開く恵舞ちゃん。何か引っかかったのだろうか。
 数秒、世界から焦点をずらしていると、徐々に口を開いて言った。
「……やろう。できる、私たちならできる、!!」
 途端にギュ、っと手が握り返される。
「ッ……、うん!!!」
 私たちはその日から、一日一日を過ごしては、図書室に来て【ハッピーバッドエンド】を読み漁り方法を見つけた。
 どうして恵舞ちゃんが急にやる気になってくれたのかは分からないけれど、きっと私の思いが伝わったんだ。
 今現在の生存者は六人。そのうち一人はマーダーだ。

 夏音()    凪紗ちゃん
       
 竜也くん   広長先輩
        
 来栖くん  恵舞ちゃん
 
 この中でプレイヤーは計五人。
 その内、四人殺されれば私たちはゲームオーバーだ。
 できる。私たちなら……やれる!!
 根拠も無い確信は、時に強い原動力を生むことがある。
 根拠はあとから作っていけばいい。
 今できることを、精一杯取り組もう。

       * * *
 
「なぁ、津、バスケやろーぜ!」
「……はぁ。僕はそんなに暇じゃないんだけど。しかも、これ何回目?」
 ここ一週間、保健室にまでわざわざボールを持って来る竜也に毎日誘われる。
 これが最近の僕達だ。
「お前が勝ったらもう誘わねーよ」
 そう言って、はは、っと僕の胸へバスケットボールをパスしてきた。
 一際大きく見えるバスケットボールは、すんなりと僕の腕に収まった。
 ニカ、っとイタズラそうに笑う竜也を見て、はぁ、とため息を漏らす。
「こんな雨の日にそんな乗り気じゃないのわかってるだろ。……一瞬でぶっ飛ばしてやるよ。」
「おぉ、そんなこと言いながら、やる気は充分、ってわけか?!」
 そう言いながら、僕達は保健室から飛び出して、バスケットゴールのある体育館へ突っ走った。
 まるで、昔を見ているみたいだ。
 何時ぶりだろう。竜也とこうして隣に並んで、お互いにツッコミあって笑いあって、ボケあって。
 ……懐かしいな。
 そう思いながら、僕は竜也の背中を追った。