あの日。俺は初めて出会った奴から、目をつけられた。
【九月二十七日 金曜日 十一時】
会話すら交わしていない。
接点も、何も無い。
存在すら知らなかった奴は、いきなり自分の名も述べず俺の目の前に来てこう言ったんだ。
『そこのお前。───────僕に協力して。』
年が二つ下にも関わらず、賢そうに俺の目を貫く奴の瞳は、断る選択肢すらも打ち壊す程の脅威だったことを覚えている。
「協力しろ、って……。なんの事だよ」
警戒心を顕にしながら、俺は流れのままに連れてこられた保健室へとやってきた。
「てか、お前誰だ?」
「……。僕の名前は来栖 津。早速だけど、君に僕の手伝いをして欲しいんだ」
「はぁ?勝手に話を進めるなよ」
好き勝手に進んでゆく流れの展開に少々腹が立ち、頭をガシガシとかいた。
なんなんだこいつは。俺は、こいつを世話する程知らねぇし、喋ったこともねぇぞ。
「─────弟を助けたいんじゃないの?」
「っ……」
その一言を告げられた時、ピタリと頭を搔く手が止まった。
弟。……俺にとっては、その言葉が何よりも弱点であり、────不愉快な言葉だった。
「弟のこと、大事に思ってるんだね。」
「……。気持ち悪いこと言うな。あいつと俺は赤の他人だ」
「思い込んでるだけでしょ?」
保健室にあるオフィスの椅子にドスン、と座り、足を組み始める津。
こんな態度をとる後輩、初めてだぞ。
「兄弟、って知ってる?血の繋がった者たちの事を言うんだけど。そこに、君の私情を込める隙間なんて無いよ。」
「何が言いてぇ。お前は、俺に何をする気だ?」
「……。」
静かに津は俺を見つめた。穴が開きそうなほどただひたすらに。
「確認なんだけど。……君は、僕を手伝ってくれる?」
「生憎、マーダー見てぇに怪しいヤツの手伝い、する気はねぇよ。そもそも、お前知らねぇし。」
「へぇー……。」
そう告げて少々後悔した。
こんなずる賢そうで謎めいたやつを敵に回したのだと、一瞬で理解した。
俺に向ける津の視線が突き刺さる。
「……まぁ、そうだよね。君にも利益がないと不公平だ。」
「は?」
利益?
急に何を言い出すかと言えば交渉か?
……なんだよ、狂人として人を殺すのを手伝えってか?どんなマーダーだよ。
そんなことを思いつつ、津の内容を聞き入った。
「手伝い、って言うのもね。僕が殺されぬようにセコムとして守って欲しいんだ。君は賢く、運動神経もいいらしいじゃないか。」
「はぁ?自身の身すらも守れねぇのか?お前、いい加減に……」
「話を最後まで……───────聞いてくれる?」
「っ……」
色々と言い返したいことは山程あるのに、口は自然と閉ざされた。
「いい?僕は色々とこのゲームで専念したい立ち回りがあるんだ。それは自身の守護を捨てなければならない。そのため、君に僕を守って欲しいんだ。なんだっけか、処刑やら殺害やらとかから。」
言っていることが突発的すぎて訳分からねぇ。
さっき役職伝えられたばっかだぞ。なのにもう、自身の立ち回りを考えてんのか?
「……──────その変わり。」
その時、初めて津は微笑んだ。
「僕も君の命は保証しよう。何があっても、君優先で動いてあげるよ。」
「っ……。」
しかし、その微笑みの裏から見える、恐怖と圧力。体が少し力んでしまう。
……お互いに守り合う、か。
そんな条件、つけた所で意味あるか?自分自身で自己防衛すればいいじゃねぇか。
津も、俺を守れる暇があるのなら。
「君は、聞くところによると主張をするのが苦手らしいね。」
「……。」
俺は、何も言わなかった。ただひたすらに、腹の底を見透かしてくる津を睨みつけた。
「もし集合した時に全員から疑いの目がかけられたとしたら?君は一人で対応しきれる?」
「おいおい、ちょっと待てよ。恰も俺を信用しきったような言い草じゃねぇか。なんで俺がマーダーじゃねぇ前提で話が進んでんだ?警戒心はどこに行ったんだよ。」
「君は条件を聞いて、僕との交渉に乗るかを決めればいい話。それ以外は……知らなくていい。」
言いたいだけ言いやがって。なんだよそれ。
「……あとは他にあるのかよ。」
これ以上話を逸らそうとしたりこちらから質問をしても無駄だ。
大人しくしておこう。……とりあえず、こいつを敵に回すのは分が悪い。
「君は僕の言う通りに動けばいい。僕のコマとして傍で働いてくれない?」
微笑んだ口元から、今までは感じたことの無い異様な威圧感が迫ってくる。
俺は、静かに一筋の汗を流した。
「ッ……。」
「いい条件じゃないか────────……。
何も考えず、
僕さえ守れば生きれる。
僕はこの物語の進展に深く影響すると思うんだけど、どうかな」
「は、なんだよ。厨二病かよ」
何処からそんな自信が湧いてくるんだよ。
……さも、自分で俺の生死を操れるみたいな言い方、してくれるじゃねぇか。
……でも、いい条件ではあるのかもしれねぇな。
「……確かに周りから見たらそうなのかもしれないね。その言葉は……───────聞き飽きたよ。」
考えている時、サラリと告げられた言葉は頭に入るのに少々時間がかかった。
今の……。
……聞き飽きた、か。
俺は、考える動作を辞め、津を見た。
明らかに俺を避けるように窓から空を見つめていた。
地雷を踏んだらしい。こいつは一体……。
……まぁ、こいつもこいつで何かあったんだろう。
「……はぁ。しょうがねぇな。」
「乗ってくれる?」
「……。お前の言う通り動くだけでいいんだろ。」
俺は、自分で発した言葉を頭の中でさらに考えた。
これは……、俺が、下した……決断。
きっと────────……
その日、ゲームが始まる前から俺たちは同盟を結んだ。
互いに利用し合う関係とは言うものの仲間は仲間だ。多少は心は開かれる。
けれど、俺はそんな心のどこかで微量の不安を秘めていた。
この交渉は、悪と出るのか、善と出るのか。
───マーダーに味方してしまったのではないか。
プレイヤーとして戦力を上げれたのではないか。
二つの織り成す複雑な気持ちが、心の全てを支配したまま、ゲームの物語は刻々と過ぎていった。
何も考えず、言われるがまま行動すれば命は守られる。何も……考えなくていい。
過ぎて行く時とともに、俺は自分の愚かさを更に自覚する過程となった。
* * *
そして今。ここにいる。
曇りのせいで薄暗く、色彩を失った灰色の世界で二人きり。
「ねぇ、兄ちゃん。……兄ちゃんは一体、津と何を企んでるの?」
一番聞かれたくなかった相手が目の前にいる。
らしくもない、しょげた顔でこちらを見つめる瞳。
まるで、獣を見て怯える小動物のように揺れる瞳。
そんな弟を俺はただ静かに見つめた。
……こうやって、面と向かって見つめ合うのは何時ぶりだろうか。
何でわざわざ、俺に…………………………。
家に居ても、学校ですれ違っても。赤の他人のように突き放した。
当たり前だろ。俺とこいつは釣り合わない。
俺と一緒にいるなど、場違いにも程がある。あいつは、家族であってはいけない。
赤の他人なんだ。
「何故お前に言う必要がある。近寄るな、不愉快だ。」
そんな弟を今日も俺は突き放した。……避けた。
聞きたくもねぇ声。
『努力は無駄だよ。でも……、努力出来ることしか、取り柄ないから、おれ。』
脳裏に焼き付いて、一生俺を苦しませる声。
一丁前に笑うあのかっこ悪い笑顔。
弟の横を通って保健室を出る。
ゴロゴロと、弟の喉が鳴っているのが分かる。はは、悔しいかよ。寂しいかよ。しょげてんな。
お前はお気楽で呑気な仲間たちと一緒に何も考えず馬鹿な生活送っとけよ。
あいつと俺は、一緒に居るべき関係じゃない。
……居たくもない。
俺は、言い聞かせるようにその言葉を胸に閉まった。