「イライザ・エイマーズ伯爵令嬢! 今の状況は分かるな?」

 私が客室に入ったとたんにそう叫んだのは、婚約者であるリアム・べノガ様。べノガ公爵家の次男で、金髪ばかりの一族内ではめずらしく、髪色はダークブラウンです。

 リアム様の意思の強そうな灰色の瞳が、私をまっすぐ見つめています。

 そんなリアム様の少し後ろでは、背の高い美女が怪しい笑みを浮かべながら佇んでいました。真っ赤なストレート髪に、キリッとした目元が素敵です。

 フワフワな金髪で、青い瞳。家族に「イライザは、のんびりしているね」と言われている私とは正反対。リアム様はこういう女性がお好みだったのですね。

 これはもうどう見ても、後ろの女性と真実の愛に目覚めたリアム様が、私に婚約破棄を突きつけている状況でしょう。

 ああ、またなのね……。

 実は私は、以前、この国の第三王子であるオリバー殿下の婚約者だったのです。

 *

 それは、今から2年前。
 王宮で開催された夜会に参加したときのこと。

「ああ、なんて美しいんだ」

 うっとりしながら私の手を取った銀髪で紫色の瞳を持つ見目麗しい男性こそが、オリバー殿下です。

「イライザ。私の婚約者になれるのは君しかいない」

 その言葉を信じてしまった私は、オリバー殿下と婚約。家族もとても喜んでくれました。三か月が経ち、お互いの性格が徐々に分かってきた頃。

 一緒に参加した夜会で、殿下は異国の妖艶な姫君にまさかの一目惚れ。

「ああっ! こんなに美しい女性を見たことがない ‼ 私の婚約者は君だ!」

 私に言ったときより、力強くそう叫びました。

 唖然としている私を、オリバー殿下が振り返ります。それまで優しく見つめていてくれた殿下の瞳は、不快なものを見るようにしかめられていました。

「イライザ・エイマーズ伯爵令嬢! 私は真実の愛に目覚めた! 君とは婚約破棄だ!」

 このときの私は、あまりのことに何が起こったのか理解できず、何も言えませんでした。
 同じ会場にいた兄ヘイデンが、私を支えて家まで連れ帰ってくれなければ、私はきっとあの場で気を失って倒れてしまっていたことでしょう。

 その後、私の父であるエイマーズ伯爵は王家に猛抗議。私にはまったく非がなかったため、オリバー殿下の私財から多額の慰謝料を支払ってもらい、無事に婚約解消となりました。

 オリバー殿下はというと、国王陛下が定めた婚約を身勝手な理由で破棄しようとしたことと、他国の姫君に無礼を働いたことが大問題になり、王位継承権を剥奪されたのち、寂れた離宮に押し込められているそうです。

 ちなみに殿下が一目惚れした異国の姫君ですが、オリバー殿下は少しもタイプではなかったようで、その場できっぱりとお断りされたそうです。真実の愛に目覚めたのは、どうやら殿下だけだったようですね。

 そういうわけで、 オリバー殿下と私は婚約解消だったのですが、大勢の前で行われた婚約破棄宣言により「あんなに無礼なことをされるなんて、イライザ嬢にも何か問題があったのでは?」というあらぬウワサがたってしまったのです。

 それ以降、私は社交界で傷物扱いを受けて、心無い言葉を陰で囁かれるようになりました。それまで親しかった人達から、冷たい視線を向けられる日々はとてもつらかったです。

 それでも私は社交界に出て、次の婚約者を探さなければいけません。

 結局、お金に困っているらしい男爵令息と、二度目の婚約をすることになりました。顔合わせのときはとても好意的だったのに、次に会ったときになぜか向こうからお断りされてしまいました。そのときの彼は、とても顔色が悪かったような気がします。

 その後は、平民から男爵位を授かった少しご高齢な方や、王家御用達の商家の令息と婚約しようとしたのですが、すべて2回目に会うときに向こうから断られています。

 オリバー殿下も含めると、私はなんと今まで4回も婚約を断られてきました。このままでは、一生結婚できないかもしれません。

 悩む私に両親や兄は「ずっと家にいればいい」と言ってくれました。さすがにそれはいたたまれないので、次も断られたら修道院に入ろうと私は覚悟を決めました。

 そんなときに出会ったのが、今の婚約者リアム様です。

 べノガ公爵家の次男であるリアム様は、本来なら雲の上のお方。
 社交界がお嫌いなようでどのようなお顔か知りませんが、傷物扱いされている私が、婚約できるような相手ではありません。

 もちろんリアム様は次男なので、公爵位を継ぎません。ですが、もしこの婚約がうまく成立すれば、べノガ公爵が複数持っているうちの爵位のひとつである男爵位をリアム様に譲ってくださるとのこと。

 これなら結婚後に妻になった私も平民になることなく、男爵夫人になれるので、条件はとてもいいです。

 べノガ公爵によれば、リアム様の婚約相手の条件は『金髪であること』のみ。それ以外は何も求めないということでした。

 なるほど、私は金髪碧眼なので条件にあっています。でも、それ以外は何も求めないなんて、きっとリアム様にも何か問題があるのでしょうね。怖い方でなければいいのですが……。

 父は「無理に行かなくていい」と言ってくれましたが、そういうわけにもいきません。そもそも、公爵様からの婚約の打診を簡単に断ることはできませんから。

 私がリアム様に会うためにべノガ公爵邸を馬車で訪ねたのは、空が晴れ渡り気持ちがいい日でした。

 客室に案内された私に、公爵家の執事が「大変申し訳ありませんが、リアム様は用事があり遅れます」と教えてくれます。

「では、待たせていただきますね」

 ソファーに座ってお茶をいただいていたのですが、ポカポカ陽気が心地好く、私はいつしかウトウトしてしまいました。

 実は前日、緊張してほとんど眠れなかったのです。なんせ、この婚約に失敗したら私は修道院に行く決心をしています。緊張しないなんて無理でした。

「おい、大丈夫か!?」

 肩をゆすられ、私は目が覚めました。

「イライザ嬢だな!?」
「は、はい」

 目の前の青年は、その恰好から騎士様のようです。

「どうしてこんなところで寝ていた!? なぜ帰らなかった!? 帰れないほど、具合が悪いのか?」
「えっと……?」

 窓の外では、日が暮れて空がオレンジ色に染まっています。

「あの、実は――」

 正直に事情を説明すると、騎士様はあきれてしまいました。

「はぁ!? 天気が良くて気持ちよかったからウトウトしてしまっていただけだと!? ウソだろ、君は本当に伯爵令嬢か?」

 騎士様の言葉が私の胸にグサッと刺さります。この婚約を最後と決めていたのに、初手から大失敗してしまいました。そもそも、まだ婚約者候補のリアム様にすらお会いできていません。

「リアム様は、戻られましたか?」

 私がそう尋ねると、騎士様は眉間にシワを寄せました。

「俺が……リアムだ」
「え!?」

 ご、ご本人でしたか。よその家で居眠りする女なんてあり得ないですよね。5回目の婚約は、今すぐにでも断られてしまいそうです。

 はぁ……。やってしまったことは仕方ありません。

 修道院に入ったら若い男性と会うこともなくなるでしょうから、最後にリアム様のお顔でも記念にしっかり見ておきましょう。

 あらあら、目つきは鋭いですが、とても整ったお顔をされていますね。逞しい身体も私の好みです。

 何より居眠りしている私を見て具合が悪いのかと心配してくださるなんて、とても優しい方です。婚約できなくて本当に残念。

 欲望塗れでリアム様の観察を続けていると、口元が少しだけ切れて血が出ていることに気がつきました。左頬が赤く腫れているようにも見えます。

「まぁ、大変!」

 私は袖に入れておいたハンカチを取り出しリアム様の口元に当てました。メイドには「そんなところにハンカチを入れないでください」とあきれられていますが、ここに入れておくとすごく便利なのです。もちろん、驚くリアム様。

「今、どこからハンカチを?」
「そんなことより、血が出ていますよ」
「あ、ああ、さっき親父に殴られて……」
「殴られた!? どうしてですか?」

 リアム様は苦々しい顔で視線をそらしました。

「それは、俺が君に会わないことで、君をこの家から逃がそうとしたからだ」
「逃がす、ですか?」

「今の状況が分かっていないんだな。君は金髪というだけで、この家で爪はじきにされている俺と無理やり結婚させられそうになっているんだ。しかも、次期公爵の兄貴と違って俺は男爵にしかなれない。騙されているのが分かったかい?」

「いいえ、騙されていませんわ。私、婚約者がいなくて困っているのです」

 目を見開いたリアム様は「え? こんなに美人なのに?」と呟いたあとに、あわてて自身の口を手で押さえました。

「実は私、今までに婚約を4回も断られているのです」
「4回も!? どうして?」
「それは私が知りたいです」

 今までのことをリアム様に話すと、リアム様は腕を組んでしばらく黙り込んでいました。

「何か裏がありそうだな」
「そうでしょうか? 私が男性に嫌われやすい性質なのかも?」
「いや、それは絶対にない」

 そう断言したリアム様。先ほども美人と言ってくれたし、少し期待してもいいのでしょうか?

「とにかく、君は婚約者がいなくて困っているんだな?」
「はい、リアム様との婚約も断られたら、家族に迷惑をかけないように修道院に入ろうかと」
「修道院!? ダメだダメだ! だったら、俺がしばらく君の婚約者役をするよ」
「本当ですか!?」

「ああ、その間に君に婚約者ができない理由も調べてあげよう。そうしたら、無理やり俺に嫁(とつ)がなくてもいいだろう?」
「別に無理やりでは……」

 出会って間もないですが、リアム様はとてもいい人そうです。

「俺は、これでも王宮騎士なんだ。調査は任せてほしい」

 リアム様の提案は願ってもないことでした。

「ぜひお願いいたします」

 こうして私達の婚約が成立しました。

 その後のリアム様は、本当に私が婚約を断られる理由を調べてくださいました。「君に報告することがある」とのことで、定期的にお出かけにも誘ってくれます。

 リアム様はただ調べたことを報告するのが目的ですが、毎回おしゃれなカフェや流行りの舞台などに誘ってくれるので、私は『まるでデートみたい』とひそかに喜んでしまっていました。

 リアム様との時間はとても楽しかったのですが……。それは私だけだったようです。

 まさかリアム様にまで婚約破棄を突きつけられてしまうなんて。

 いったい私の何がいけなかったのでしょうか? 

 怖い顔をしているリアム様と、その後ろの背の高い女性を見て、私は悲しくなってしまいました。

 そんな私に兄ヘイデンが駆け寄ってきます。

「イライザ!」
「ヘイデンお兄様……」

 優しいお兄様は、私に婚約破棄をつきつけたリアム様をするどく睨みつけました。

「やっぱりだ。あなたはイライザにふさわしくない!」

 ヘイデンお兄様に、睨まれてもリアム様は少しも動じません。

「ずいぶんと余裕ですね? だが、これなら言い逃れはできないでしょう!」

 お兄様は近くにいた我が家の執事から分厚い封筒を受け取ると、中身の書類をバラまきました。私はヒラヒラとふってきた書類を1枚つかみ取ります。

 そこにはリアム様のことが書かれていました。リアム様は私と婚約する前は、酒やギャンブルに溺れて、悪い仲間と遊び歩いていたそうです。

「ヘイデンお兄様、これは?」
「イライザ、これがヤツの本性だ! 君の前では誠実なふりをしているが、それはすべてウソだったんだ!」
「あらまぁ……」

 私がチラリとリアム様を見ると、リアム様はさっと視線をそらしました。そんなリアム様をお兄様は冷たく睨みつけます。

「手紙で忠告しているうちに、あなたが大人しく引けば、醜聞(しゅうぶん)をバラされずに済んだのに」
「手紙だと? ああ、あの匿名で俺宛に届いていた脅迫状の送り主は君だったのか」

 リアム様はニヤリと口端を上げました。

「なるほど、君は今までこうやってイライザ嬢から婚約者候補を遠ざけてきたんだな?」

 リアム様の後ろに控えていた女性が、リアム様に紙束を渡しました。

「イライザ嬢の婚約者候補達が何者かに脅されていたことは調べがついている。脅しの犯人はヘイデン卿の可能性が高かったが、どうしても証拠をつかめなくてな。自分から白状してくれて助かった」

 ヘイデンお兄様の顔からサァと血の気が引きます。

「これを世間にバラされたくなければ――」

 リアム様が私の側にきて優しく肩を抱き寄せました。私を見つめるリアム様の瞳には、熱がこもっているように見えます。

「俺とイライザ嬢の婚約を認めてください。先ほど、あなたが言っていた『酒やギャンブルに溺れて悪い仲間と』というのは騎士として潜入捜査をしていたときのことです」

 お兄様は「じゃあ、うしろの女性はいったいなんなんだ!?」と声を荒げました。

 私も二股はさすがにお断りです。

「あれは騎士団の後輩で、性別は男です」

 後ろに控えていた女性は、自分の長い赤髪をつかむと取り外してしまいました。あっ、ウィッグだったんですね。

「リアム先輩、女装までして協力したんだから。あとから奢ってくださいよ!」

 その声は低く、どう聞いても男性です。

 衝撃的な展開ですが、私はお兄様のことが気になってしまいました。

「お兄様。どうして私の婚約の邪魔をしたのですか?」

 兄さまはグッと手を握りしめました。

「ごめんよ、イライザ。でも、あいつらは皆、君の婚約者にふさわしくなかったんだ。金づかいが荒かったり、年上すぎたり! 商家の息子なんて、愛人を三人も囲ったままイライザと婚約しようとしていたんだ!」

 あらまぁ、あの人たち、そんな人達だったのですね。

「でも、お兄様。私は傷物だから……」
「違う! イライザは傷物なんかじゃない! あれは第三王子がバカだっただけで、お前に非は一切ない! それなのに、どうして俺の天使、目に入れても痛くない可愛い妹イライザがこんな扱いを受けないといけないんだ!」
「お兄様……」

 ヘイデンお兄様は、ずっと私を守っていてくださったのですね。

 お兄様は、リアム様にビシッと指をさしました。

「リアム卿! あなただってそうだ! 結婚後に爵位をもらえるからと言っても、しょせんは男爵位! 私の妹イライザの婿にふさわしくない!」

 それまで黙っていたリアム様は、騎士から別の紙束を受け取り、それをお兄様に手渡しました。その紙束を見たお兄様はとても驚いています。

「こ、これは」
「べノガ公爵である父の不正の証拠です。兄も深く関わっています」

 リアム様は、まっすぐお兄様を見つめました。

「俺がべノガ公爵になれば、イライザ嬢は公爵夫人です」

 ピクッとお兄様が反応します。

「俺はイライザ嬢を愛しています。イライザ嬢との結婚を認めてくださるのなら、なんだってします。ヘイデン卿がとても優秀なことは、調べているうちに嫌というほど分かりました。だから、父の不正を世に公表するために俺を手伝っていただけませんか?」

 それでも渋い顔をしていたお兄様は、次のリアム様の言葉で覚悟を決めたようです。

「実は、バカ王子……オリバー殿下がイライザ嬢とよりを戻そうとしています」
「はぁ!? あのバカ、今度こそ叩きつぶしてやる!」

 ヘイデンお兄様のお顔がすごく怖いです。

「ヘイデン卿。もちろん俺も協力します!」

 カッと目を見開いたお兄様は、リアム様と固い握手を交わしました。

「イライザの幸せのために!」
「イライザ嬢の幸せのために!」

 なんだかお二人で盛り上がっていますが、私はあまりついていけていません。

 私はそっとリアム様に声をかけました。

「結局、今回のことは婚約破棄ではなかったということでいいのでしょうか?」
「ああ、俺があなたと婚約破棄するなんてありえない」

 リアム様のうしろで、後輩さんがニヤニヤしています。

「先輩は、ウソでもイライザ嬢に婚約破棄だなんて言えなくて『分かるな?』と言葉を濁していたんですよ」

 そういえば、私がそう思っただけで、リアム様に『婚約破棄だ!』とは言われていませんね。

 リアム様は「イライザ。騙すような真似をしてすまない。こうでもしないと君との結婚をヘイデン卿に認めてもらえそうになくて……」と謝ってくださいました。

 それでも、後輩さんの暴露は止まりません。

「先輩は、潜入捜査のとき確かに遊ぶふりをしていましたが女遊びはしていません。イライザ嬢が初恋ですよ、たぶん」

 リアム様が真っ赤な顔で、後輩さんの頭をポカリと殴ったのは見なかったことにします。

 その後、べノガ公爵の不正をリアム様が暴きました。それが国を揺るがすほどの大罪だったため協力していた嫡男もろとも処刑されてしまいました。そのことで心を病まれたべノガ公爵夫人は、あとを追うように儚くなられたそうです。

 リアム様は正式に爵位を引き継ぎ、リアム・べノガ公爵になりました。

 あ、そうそう! 私とよりを戻そうとしていたらしいオリバー殿下は、隣国の次期女王との婚約が成立し隣国に旅立たれました。この婚約はとても重要なもので、万が一破棄にでもなればオリバー殿下の命はありません。

 殿下は最後まで「嫌だ! 行きたくない! こんなの女王の奴隷になるようなものではないか!」と叫んでいたそうですが、どうか心を改めて次期女王陛下に誠心誠意お仕えしてほしいものです。

 この件に、裏でヘイデンお兄様とリアム様がかかわっていたことは内緒です。

 べノガ公爵になられたリアム様が私の手に優しく触れます。

「イライザ。初めて出会ったときから、俺はあなたに魅かれていた。2回目に会ったときには完全に惚れていた。3回目に会ったときは、生涯を共にしたいと思っていた」

 リアム様は私の手の甲に口づけをしました。

「愛している。俺の妻になってほしい」

 私の答えは、もちろん「はい」です。

 私が結婚したことでヘイデンお兄様も安心してくださったようで、家柄の釣り合う伯爵令嬢と婚約しました。

 ヘイデン兄様と婚約者の女性はとても仲がいいです。だから、そんなことは決して起こらないと思いますが、もしお兄様が婚約破棄されたそのときは、今度は私がお兄様のお役にたとうと思います。



 おわり