「イライザ・エイマーズ伯爵令嬢! 今の状況はわかるな?」

 私の家の客室に入ったとたんにそう叫んだのは、私の婚約者であるウォルス・べノガ様。べノガ侯爵家の次男で、金髪碧眼が多い侯爵家ではめずらしく、ダークブラウンの髪と瞳を持っています。

 ウォルス様の少し後ろには背の高い中性的な美女が怪しい笑みを浮かべながらたたずんでいました。

 これはもうどう見ても、後ろの女性と真実の愛に目覚めたウォルス様が、私に婚約破棄をつきつけている状況でしょう。

 ああ、またなのね……。

 実は私は以前、この国の第三王子殿下の婚約者でした。第三王子殿下が私を夜会で見かけて見初めてくださり、王家からの強い希望で婚約が成立しました。

 しかし、第三王子殿下はその後、別のご令嬢と真実の愛に目覚めたとのことで、大勢の貴族がいる夜会の場で婚約破棄を宣言されてしまったのです。

 まぁ結論から言うと、私やエイマーズ伯爵家にはなんの非もなかったため、第三王子殿下の私財から契約書に従った慰謝料をいただき婚約解消となりました。

 その後、第三王子殿下は国王陛下が定めた婚約を身勝手な理由で破棄しようとしたことが問題になり、王位継承権を剥奪されたそうです。

 殿下の真実の愛のお相手ですが、殿下の一方的な片思いだったようで、このことにとても驚いていたそう。殿下からの愛の告白は、きっぱりとお断りされたそうです。真実の愛に目覚めていたのは、どうやら殿下だけだったようですね。

 そういうわけで、 第三王子殿下と私は婚約解消だったのですが、大勢の前で行われた婚約破棄宣言により「あんなに無礼なことをされるなんて、イライザ嬢にも何か問題があったのでは?」というあらぬウワサがたってしまったのです。

 私は社交界で傷物のような扱いを受けて、心無い言葉を陰でささやかれるようになりました。それまで親しかった人達から、冷たい視線を向けられる日々はとてもつらかったです。

 それでも私は社交界に出て、次の婚約者を探さなければいけません。しかし、悪いウワサのせいで、なかなか次の婚約者を見つけることができなかったのです。

 結局、お金に困っているらしい子爵令息と婚約することになりました。顔合わせのときはとても好意的だったのに、2回目に会ったときに向こうからお断りされてしまいました。そのときの彼は、とても顔色が悪かったような気がします。

 その後は、平民から男爵位を授かった少しご高齢な方や、王家御用達の商家の令息と婚約しようとしたのですが、すべて2回目で断られています。

 第三王子殿下も含めると、私はなんと今まで4回も婚約を断られてきました。このままでは、一生結婚できないかもしれません。

 悩む私に両親や義兄は「ずっと家にいればいい」といってくれました。さすがにそれは申し訳ないので、次がムリなら修道院に入ろうと私は覚悟を決めました。

 そんなときに出会ったのが、今の婚約者ウォルス様です。べノガ侯爵家の次男であるウォルス様なんて、本来なら雲の上のお方。傷物の私が婚約できる相手ではありません。

 もちろんウォルス様は次男なので、侯爵位を継ぐことはありません。ですが、もしこの婚約がうまく成立すれば、べノガ侯爵が複数持っているうちの爵位のひとつである男爵位をウォルス様に譲ってくださるとのこと。

 これなら結婚後に妻になった私も平民になることなく、男爵夫人になれるので、条件はとても良いです。

 べノガ侯爵によればウォルス様の婚約者の条件は金髪碧眼であることのみ。それ以外は何も求めないということでした。

 なるほど、私は金髪碧眼なので条件にあっています。でも、それ以外は何も求めないなんて、きっとウォルス様にも何か問題があるのですね。怖い方でなければ良いのですが……。

 父は「無理に行かなくていい」と言ってくれましたが、そういうわけにもいきません。そもそも、侯爵様からの婚約の打診を簡単に断ることはできません。

 私がウォルス様に会うためにべノガ侯爵邸を訪ねたのは、とても天気が良く気持ちが良い日でした。

 客室に案内された私に、侯爵家の執事がウォルス様は用事があって遅れていると教えてくれます。

「では、待たせていただきますね」

 ソファーに座ってお茶をいただいていたのですが、ポカポカ陽気が心地好く、私はいつしかウトウトしてしまいました。

 実は前日、緊張してほとんど眠れなかったのです。なんせ、この婚約に失敗したら私は修道院に行く決心をしています。緊張しないなんて無理でした。

「おい、大丈夫か!?」

 肩をゆすられ私は目が覚めました。

「イライザ嬢だな!?」
「は、はい」

 目の前の青年は、まるで平民のような恰好をしています。

「どうしてこんなところで寝ていた!? なぜ帰らなかった!? 帰れないほど、具合が悪いのか?」
「えっと……?」

 窓の外では、日が暮れて空がオレンジ色に染まっています。

「あの、実は――」

 正直に事情を説明すると、青年はあきれてしまいました。

「はぁ!? 天気が良くて気持ちよかったからウトウトしてしまっていただけだと!? ウソだろ、あんた本当に伯爵令嬢か?」

 青年の言葉が私の胸にグサッと刺さります。この婚約を最後と決めていたのに、初手から大失敗してしまいました。そもそも、まだ婚約者候補のウォルス様にすらお会いできていません。

「ウォルス様は戻られましたか?」

 私がそう尋ねると、青年は眉間にシワをよせました。

「俺が……ウォルスだ」
「え!?」

 ご、ご本人でしたか。ウォルス様を社交界で見たことがなかったので気がつくことができませんでした。よその家で居眠りする女なんてあり得ないですよね。5回目の婚約は今すぐにでも断られてしまいそうです。

 はぁ……やってしまったことは仕方ありません。

 修道院に入ったら若い男性と会うこともなくなるでしょうから、最後にウォルス様のお顔でも記念にしっかり見ておきましょう。

 あらあら、目つきはするどいですが、とても整ったお顔をされていますね。お体もたくましく私のタイプです。

 何より居眠りしている私を見て具合が悪いのかと心配してくださるなんて、とても優しい方です。婚約できなくて本当に残念。

 欲望塗れでウォルス様の観察を続けていると、口元が少しだけ切れて血が出ていることに気がつきました。左頬が赤く腫れているようにも見えます。

「まぁ大変!」

 私は袖に入れておいたハンカチを取り出しウォルス様の口元に当てました。メイドには「そんなところにハンカチを入れないでください」とあきれられていますが、ここに入れておくとすごく便利なのです。もちろん、驚くウォルス様。

「今、どこからハンカチを?」
「そんなことより、ここ、血が出ていますわ」
「あ、ああ、さっき親父に殴られて……」
「どうしてですか?」

 ウォルス様は苦々しい顔で視線をそらしました。

「それは、俺があんたに会わないことで、あんたをこの家から逃がそうとしたからだ」
「逃がす、ですか?」

「今の状況、わかってないのか!? あんた金髪碧眼ってだけで、素行の悪い俺と無理やり結婚させられそうになってんだぞ!? しかも、次期侯爵の兄貴と違って俺は男爵にしかなれないのに。あんた、だまされてんだよ!」

「いえ、だまされていませんわ」
「いや、だまされてるね!」
「いいえ、本当にだまされていません。私、婚約者がいなくて困っているのです」

 目を見開いたウォルス様は「え? こんなに美人なのに?」とつぶやいたあとに、あわてて自身の口を手で押さえました。

「実は私、今までに婚約を4回も断られているのです」
「4回も!? どうしてだ?」
「それは私が知りたいです」

 今までのことをウォルス様に話すと、ウォルス様は腕を組んでしばらく黙り込んでいました。

「何か裏がありそうだな」
「そうでしょうか? 私が男性に嫌われやすい性質なのかも?」
「いや、それは絶対にない」

 そう断言したウォルス様。先ほども美人と言ってくれたし、少し期待しても良いのでしょうか?

「とにかく、あんたは婚約者がいなくて困っているんだな?」
「はい、ウォルス様との婚約も断られたら、家族に迷惑をかけないように修道院に入ろうかと」
「修道院!? ダメだダメだ! だったら、俺がしばらくあんたの婚約者になってやるよ」
「本当ですか!?」

「ああ、その間にあんたに婚約者ができない理由も調べてやる。そうしたら、俺に無理やり嫁(とつ)がなくてもいいだろう?」
「別に無理やりではないのですが……」

 出会って間もないですが、ウォルス様はとても良い人そうです。でも、私が婚約を断られ続ける理由は知っておきたいです。

「ぜひお願いいたします」

 こうして私達の婚約が成立したのでした。

 その後のウォルス様は、本当に私が婚約を断られる理由を調べてくださいました。「あんたに報告することがある」とのことで、定期的にお出かけにも誘ってくれました。

 ウォルス様はただ調べたことを報告するのが目的ですが、毎回おしゃれなカフェや流行りの舞台などに誘ってくれるので、私は『まるでデートみたい』とひそかに喜んでしまっていました。

 ウォルス様との時間はとても楽しかったのですが、それは私だけだったようです。

 まさかウォルス様にまで婚約破棄を突きつけられてしまうなんて。

 いったい私の何がいけなかったのでしょうか? 

 怖い顔をしているウォルス様と、その後ろの背の高い女性を見て、私は悲しくなってしまいました。

 そんな私に義兄ルアンが駆け寄ってきます。

「イライザ!」
「ルアン兄様(にいさま)……」

 ルアン兄様は、父のあとを継ぐために、遠縁から我が家の養子に迎えられました。

 私が婚約していた第三王子殿下は、私と結婚後に国王陛下から爵位をいただき臣下にくだることが決まっていたため、伯爵家の跡継ぎがいなくなってしまったからです。

 第三王子殿下と婚約解消したあと、兄様は私に跡継ぎの座を返そうとしましたが、私は断りました。父も母も私も、ルアン兄様のことを本当の家族だと思っています。伯爵家の跡継ぎは、何があってもルアン兄様です。

 優しい兄様は、私に婚約破棄をつきつけたウォルス様をするどくにらみつけました。

「やはりあなたはイライザにふさわしくない!」

 ルアン兄様ににらまれてもウォルス様は少しも動じません。

「余裕ですね!? だが、これなら言い逃れはできないでしょう!」

 ルアンは近くにいた我が家の執事から分厚い封筒を受け取ると、中身の書類をバラまきました。私はヒラヒラとふってきた書類を1枚つかみ取ります。

 そこにはウォルス様のことが書かれていました。ウォルス様は私と婚約する前は、酒やギャンブルに溺れて、悪い仲間と遊び歩いていたそうです。

「ルアン兄様、これは?」
「イライザ、これがヤツの本性だ! 君の前では誠実なふりをしているが、それはすべてウソだったんだ!」
「あらまぁ……」

 私がチラリとウォルス様を見ると、ウォルス様はさっと視線をそらしました。そんなウォルス様を兄様は冷たくにらみつけます。

「手紙で忠告しているうちに、あなたが大人しく引けば、醜聞(しゅうぶん)をバラされずに済んだのに」
「手紙だと? ああ、あの匿名で俺宛に届いていた脅迫状の送り主はあんただったのか」

 ウォルス様はニヤリと口端を上げました。

「なるほど、あんたは今までこうやってイライザ嬢から婚約者候補を遠ざけて来たんだな?」

 ウォルス様の後ろに控えていた女性が、ウォルス様に紙束を渡しました。

「ここには、イライザ嬢の婚約者候補達が何者かに脅されていたことが書かれている。脅しの犯人はルアン卿の可能性が高かったが、どうしても証拠をつかめなくてな。自分から白状してくれて助かった」

 ルアン兄さまの顔からサァと血の気が引きます。

「これを世間にバラされたくなければ――」

 ウォルス様が私の側に来て優しく肩を抱き寄せました。私を見つめるウォルス様の瞳には熱がこもっています。

「俺とイライザ嬢の婚約を認めてくれ。俺は確かに今までまっとうに生きてこなかった。この髪色と目の色のせいで侯爵家に居場所がなかったんだ。それでやけになって街で遊び歩いて……ここに書いてあることは事実だ。だが、イライザ嬢に出会って俺は変わったんだ」
「ウォルス様……。でも、うしろの女性は?」

 過去の遊びはさておき、現在進行形の二股はさすがにお断りです。

「あれは俺の悪友で男だ」

 後ろに控えていた女性は、自分の長い髪をつかむと取り外してしまいました。あっカツラだったんですね。

「女装までして協力してやったんだ。ウォルス、あとから報酬はずめよ!」

 その声は低く、どう聞いても男性です。

 衝撃的な展開ですが、私の両親はそんなことよりルアン兄様のことを心配していました。

「ルアン、どうしてイライザの婚約の邪魔をしたんだ?」

 そうお父様に聞かれても、兄様は黙っています。

 お母さまが「ルアン……。あなた、イライザが婚約を断られて深く傷ついていたこと、知っていたでしょう? なのにどうして」と涙を浮かべます。

 兄さまはグッと手を握りしめました。

「確かにイライザが傷ついていることを私は知っていました。しかし、彼らはイライザの婚約者にふさわしくなかったのです。金づかいが荒かったり、年上すぎたり! 商家の息子なんて、愛人を三人も囲ったままイライザと婚約しようとしていたんですよ!?」

 あらまぁ、あの人たち、そんな人達だったのですね。

「でも、お兄様。私は傷物だから……」
「違う! イライザは傷物なんかじゃない! あれは第三王子がバカだっただけで、お前に非は一切ない! それなのに、どうして俺の天使、目に入れても痛くない可愛い妹イライザがこんな扱いを受けないといけないんだ!」

 あらあらお兄様ったら、お口の悪さが出てしまっていますわ。

 でも、お兄様の言葉を聞いて私はようやくわかりました。ルアン兄様は、ずっと私を守っていてくださったのですね。

 お兄様は、ウォルス様にビシッと指をさしました。

「ウォルス卿! あなただってそうだ! 侯爵家の放蕩(ほうとう)息子が改心しても、しょせん男爵位! 我が妹イライザの婿にふさわしくない!」

 それまで黙っていたウォルス様は、悪友から別の紙束を受け取り、それを兄様に手渡しました。その紙束を見た兄様はとても驚いています。

「こ、これは」
「べノガ侯爵である父の不正の証拠です。兄も深く関わっています」

 ウォルス様は、まっすぐ兄様を見つめました。

「俺がべノガ侯爵になれば、イライザ嬢は侯爵夫人です」

 ピクッと兄様が反応します。

「俺はイライザ嬢を愛しています。イライザ嬢との結婚を認めてくださるのなら、なんだってします。ルアン卿がとても優秀なことは、調べているうちに嫌というほどわかりました。だから、父の不正を世に公表するために俺を手伝っていただけませんか?」

 渋い顔をしていた兄様は、次のウォルス様の言葉で覚悟を決めたようです。

「実は、バカ王子……第三王子殿下がイライザ嬢とよりを戻そうとしています」
「はぁ!? あのバカ、今度こそ叩きつぶしてやる!」

 ルアン兄様のお顔がすごく怖いです。

「ルアン卿、俺も協力します!」

 カッと目を見開いた兄様は、ウォルス様と固い握手を交わしました。

「イライザの幸せのために!」
「イライザ嬢の幸せのために!」

 なんだかお二人で盛り上がっていますが、私はあまりついていけていません。

 私はそっとウォルス様に声をかけました。

「結局、今回のことは婚約破棄ではなかったということで良いのでしょうか?」
「ああ、俺があなたと婚約破棄するなんてありえない」

 ウォルス様のうしろで、悪友と言われていた男性がニヤニヤしています。

「コイツ、ウソでもイライザ嬢に婚約破棄だなんて言えなくて『わかるな?』と言葉を濁していたんですよ」

 そういえば、私がそう思っただけで、ウォルス様に『婚約破棄だ!』とは言われていませんね。

 ウォルス様は「イライザ。だますような真似をしてすまない。こうでもしないとあなたとの結婚を認めてもらえそうになくて……」と謝ってくださいました。

 それでも、悪友さんの言葉は止まりません。

「ウォルスは、俺たちと遊び歩いていましたが女遊びはしてません。イライザ嬢が初恋ですよ、たぶん」

 ウォルス様が真っ赤な顔で、悪友さんの頭をポカリと殴ったのは見なかったことにします。

 その後、べノガ侯爵の不正をウォルス様が暴きました。それが国を揺るがすほどの大罪だったため協力していたウォルス様のお兄様もろとも処刑されてしまいました。そのことで心を病まれたべノガ侯爵夫人は、あとを追うように儚くなられたそうです。

 ウォルス様は正式に爵位を引き継ぎ、ウォルス・べノガ侯爵になりました。

 あ、そうそう! 私とよりを戻そうとしていたらしい第三王子殿下は、隣国の次期女王との婚約が成立し隣国に旅立たれました。この婚約はとても重要なもので、万が一破棄にでもなれば第三王子殿下の命はありません。

 殿下は最後まで「嫌だ! 行きたくない! こんなの奴隷になるようなものではないか!」と叫んでいたそうですが、どうか心を改めて次期女王陛下に誠心誠意お仕えしてほしいものです。

 この件に裏でルアン兄様とウォルス様がかかわっていたことは内緒です。

 べノガ侯爵になられたウォルス様が私の手に優しくふれます。

「イライザ。ようやくあなたの義兄ルアン卿の許可が取れた。初めて出会ったときから、俺はあなたに魅かれていた。2回目に会ったときには完全に惚れていた。3回目に会ったときは、生涯を共にしたいと思っていた」

 ウォルス様は私の手の甲に口づけをしました。

「愛している。俺の妻になってほしい」

 私の答えは、もちろん「はい」です。

 私が結婚したことでルアン兄様も安心してくださったようで、家柄の釣り合う伯爵令嬢と婚約をしました。

 ルアン兄様と婚約者の女性はとても仲が良いです。だから、そんなことは決して起こらないと思いますが、もし兄様が婚約破棄されたそのときは、今度は私が兄様のお役にたとうと思います。



 おわり