「いいですか? お嬢様」

ベアトリーチェとの婚約が決まってから、ミリアはローズに対して厳しくなった。
夫を得る淑女たるもの。
その心得を、彼女は毎日ローズに言い聞かせた。

「お嬢様はベアトリーチェ様の婚約者なのです。一年待つと仰ってくださいましたが、その間、決して他の方に心を許してはなりません」

ローズの髪を結い上げながら、ミリアは言い諭す。

「私から見て、今この国にあの方以上にお嬢様に相応しい方はいらっしゃいません。確かに体は少し小さな方ですが、心は人一倍大きい方です」

 ――それ、街でも聞きました。
 ローズはミリアの話を聞きながらそう思った。

「お嬢様。お話はちゃんと聞いてください」
「……はい」

 鏡越しに、ミリアはローズの顔を見ていた。
  付き合いの長い彼女に、ローズは心を見透かされてしまったと反省した。

「私は――お嬢様には、誰よりも幸せになっていただきたいのです。あの方は、きっとお嬢様を幸せにしてくださる。だから私は、お二人の結婚を楽しみにしています。……それに」

 いつも通りのポニーテール。
 鏡の中のローズは、国を守る凛々しい騎士だ。

「お二人とも、きっと人から祝福される相手は限られている。そう考えると、私はやはりあの方が、お嬢様に最も相応しい方だと思えてなりません」
「ミリアは、まるで私のお母様みたいね」

 ローズが騎士になったばかりの頃は、ローズとミリアはぶつかることもあったが、今はギルバートの帰還もあって、二人の関係は平穏を取り戻していた。

「……私にとってお嬢様は、世界で一番大切な人ですよ」

 ミリアはローズに微笑んだ。
 ローズはそんなミリアを見て、やはりベアトリーチェが、自分に一番相応しいい人なのかもしれないと思った。
 自分を愛してくれる家族《ひたとち》が祝福してくれる結婚。
 ローズにとってはそれが、一番大切なことに思えた。

 ベアトリーチェはローズに優しい。
 彼はローズを愛してくれる。
 愛が甘すぎて胸焼けしそうではあるけれど、そういう結婚《かんけい》もいいのかもしれないとも思う。
 幼いときに亡くなっているせいでローズに母の記憶はほとんどないが、それでも父が未だに母を想っている姿を見ると、死んでも思い続けてくれる人がいることは、ローズにはとても幸福な事のように思えた。
 おそらくベアトリーチェは、ローズたちより長く生きるだろう。
 彼ならずっと、自分のことを想って時を過ごしてくれるだろう。

『貴方の心を私にください』
 ただ彼が自分に向ける言葉を思うと、ローズはすぐには返事が出来ずにいた。
 一年より早く、彼との結婚を周りは望んでいる。そして彼も、直接は言葉にはしないけれど本当は――……。

「…………」
 そう思うと、ローズは彼の前で上手く話せなくなるのだった。
 今のローズには、自分に与えられる分だけの感情を、彼に返せる気がしなかった。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇  
 
 『赤の大陸』グラナトゥム王国の国王、『大陸の王』ロイ・グラナトゥムがクリスタロス王国にやってきたとき、人々はその光景に目を見張った。

 黒い巨大なドラゴン。
 その背に乗ってやってきたのは、王と小さな子どもだった。
 そして王を守る近衛騎士もまた、強い魔力がなければ従わないとされるドラゴンに乗ってやってきた。

 王族のみならず、騎士がドラゴンと契約できる程の能力を持つ国。
 それだけで、クリスタロス王国とは異なる国力を持つ国である証明となる。
 リカルドもドラゴンと契約しているが、その大きさはグラナトゥムの騎士のものより、少し大きいくらいだった。
 ロイ・グラナトゥムの乗るドラゴンの大きさは、レオンのレイザールとほぼ同等。
 もしそれと同等のドラゴンがこの世にいるとするならば、フィンゴットしかありえない。
 


「大きい……」
 訓練をしていたローズは、上空を遮る物体に気づいて空を見上げた。

 黒い翼が、日輪を遮っている。
 それが何体も――その光景は、かつて自分やアカリに求婚してきた王子たちのときと似ていたが、統率のとれたその動きが、彼らが全く別の存在であることを示していた。

 個としてではなく、集団として力を持つ飛行生物。
 王に従う騎士の兵。
 騎士の従える強い力を持つ生命体。

 ローズはまだ、生物との契約はしたことがなかった。
 生物との契約は、血を与えて魔力を与え続ける必要があるため、兄たちのことがありローズは契約が出来なかったのだ。

 契約獣は血を覚える。
 その血を与えてくれる主が自分に相応しくないと判断した場合、主を食べるという話もあるほどだ。故に契約は、古来より慎重に行うべきとされている。
 なかでも、『最も高貴』とされるレイザールとフィンゴットは、強い魔力だけでは従わないと言われている。

 心臓から送り出される、血液に含まれる魔力。
 その魔力量が彼らの満足なものでなければ、契約は結べない。
 そんなドラゴンが、こんなにも――……。

「壮観ですね」
「……ビーチェ様」
「ドラゴンは、私も以前契約を結びたいと思ったことはあるのですが、相性が悪いようで結局結べなかったのです。地属性の適性が偏って強いことは、空を飛ぶ生き物はあまり好まないという話もあるようで。輝石鳥とは結べたのですが……」

 ベアトリーチェは公私を分ける人間だった。
 騎士としての彼は、ローズに甘い言葉を吐く紳士ではなく、国を守る騎士の一人だ。

「おいで。セレスト」

 ベアトリーチェはそう言うと、空に向かって手を掲げた。
 すると一羽の鳥が、小さな翼を羽ばたかせて彼の指の上に降りた。

「ピィ!」
「以前手紙を届けてくれた子ですね」
「はい。私の可愛い小鳥です」

 最近彼に甘い言葉を囁かれているせいか、ベアトリーチェにそのつもりはないとわかっているのにローズはドキリとした。

『貴方は、私の可愛い小鳥です』

 今のベアトリーチェなら言いかねない。 
 そう思って、ローズは頭を振った。

 ――これでは駄目だ。私が彼を意識しすぎている。

「ローズ様は、契約なされないのですか?」
 そんなローズに、ベアトリーチェは問いかけた。

「貴方なら、この国では陛下に続いて二人目の、ドラゴンとの契約者になれる可能性が高い」
「そうですね……」
 白い鳥はピィと鳴く。

「でももし結ぶなら、この子みたいに白い子がいいですね……」
 この世界に存在する白いドラゴンはフィンゴットのみだ。
「……」
 微笑みながら自分の愛鳥に触れるローズを見ながら、ベアトリーチェは苦笑いした。



「お初にお目にかかる。リカルド・クリスタロス殿。私はロイ・グラナトゥム。『赤の大陸』グラナトゥム王国の国王です」

 赤い髪に赤い瞳。
 王になるべくして生まれた存在。
 そんな色を宿した彼は、リカルドの前に微笑んだ。
 傍に控えていたレオンとリヒトは、噂とは違わぬロイの纏う色に目を見張った。

 ローズもロイと同じように赤い瞳をしているが、この世界に赤い瞳を持つ人間はそうはいない。

 『光の巫女』の息子であり、前クリスタロス王国騎士団騎士団長ローゼンティッヒ・フォンカートは、母が王族であったため金髪に赤に近い目をしており、ローズの兄であるギルバートも赤に近い色ではあるが、完全に赤というのはこの国ではローズだけだ。

 絶対的な強者の証。
 その色を瞳に宿しながら、ロイはまるでクリスタロス王国が自国と同等の国であるかのように礼をとり、微笑みを浮かべていた。

「クリスタロス王国とグラナトゥム王国は、古い時代は親交深い国でありながら、ながらくその親交を断っておりました。だからこそ私の代から、再び強固な関係を結ばせていただきたく――今回私自ら訪れたのはそのためです」

「…………」

「一週間の滞在をお許しください。リカルド・クリスタロス殿。『水晶の王国』――美しいこの国の風景を、目に焼き付けて帰りたいのです」

 一週間にわたる大国の王の滞在。
 リカルド・クリスタロスは緊張した面持ちで頷いた。

「ロイ・グラナトゥム殿。貴方の滞在を心より歓迎しよう。貴方の案内は、我が息子レオン・クリスタロスに任せる。――レオン、失礼のないように」
「かしこまりました」

 父に名前を呼ばれたレオンは、王子らしく綺麗に頭を下げた。
 隣に立っていたリヒトは、その様子を横目に眺めていた。



「父上は兄上を跡継ぎにしたいんだろうなあ……」

 リカルドに仕事を任されなかったリヒトは、今日も謎の物体の制作に勤しんでいた。
 先日の事件で解決に役に立った、魔力を可視化するメガネの精度をあげ、期間を長く出来ないか試みたが、両立させることはやはり難しいようだった。
 魔力は粒子の集合体。 
 小さな粒子ほど消えやすく、可視化するのは難しい。

「ん〜〜! わからん!」

 リヒトは古い本を開いた。
 この世界には千年ほど前に存在していたとされる『古代魔法』についての本が現存している。
 ただ、残されているのは『どういう魔法があったか』という記述のみで、その魔法陣などは一切残っていないのだ。
 後になってわかったことだが、リヒトがローズを驚かせるために作った『紙の鳥』の魔法も、実は『古代魔法』の一つに存在したものである。
 ロイ・グラナトゥム――彼が言う『古い時代の親交』の際は、『紙の鳥』をもってやりとりがあったという記述はあるが、現物は残っていない。

 リヒトはずっと考えていた。
 失われた古代魔法。 
 もしその全てを自分が復活させることが出来れば――レオンとは異なる能力を示すことが出来れば、父に自分の力を認めてもらえるかもしれないと。

 けれどこのリヒトの考えは、かなり難しいものだった。
 古代魔法はこれまで何千何万という人間がその復元に試みながら、失敗してきたものだからだ。

 自由な発想。子供のようなユーモアさ。
 それは千年の時を経てもなお、殆ど復元することが出来なかった。

 『紙の鳥』の魔法。
 病により精神にダメージを受けた重病患者に対する記憶の修復魔法。
 瞳の色を変える魔法。
 魔法式の複製禁止魔法。

 そして研究を進める上で、リヒトはあることに気がついた。
 それは、古代魔法と呼ばれる魔法の多くは、魔力の弱い人間でも使えるよう工夫がされていた可能性だ。

 事実『紙の鳥』も、魔力によって飛行距離は変わるものの、王都の中だけであればリヒトだって扱える。
 リヒトが使えるということは、本来その有用性を認めてられれば、魔力を持たないとされる平民でさえも使える可能性があるということだ。
 一般的にあまり知られていないが、魔法は使えなくても平民も魔力自体は持っている。
 しかし魔力を溜めおくための器や回復量の少なさから、『魔法』を使える人間はごく一部になってしまっているのだ。
 リヒトが本を開いて唸っていると、突然図書室の扉が開かれて、彼は思わず振り返った。

「こちらが図書室です」
「……」

 レオンがロイを連れて図書室に入ってきた。
 目と目があう。

「何をやっているんだ。リヒト。部屋にいなさいと言われただろう」
「……」

 兄に叱られてリヒトは黙った。
 舌を向いて暗い顔をしたリヒトに、ロイは微笑んだ。

「はじめまして。リヒト・クリスタロス殿」
「はじめ……まして……」

 にこりとロイに微笑まれ、リヒトは途切れ途切れに返した。

「リヒト様は本がお好きなのですね。いつもこの場所で読書を?」

 ロイはそう言うと、リヒトが読んでいた本に触れた。
 『古代魔法』――赤に金色の装飾の施されたその本は、どの国でも同じ形で出版されている。
 研究は行われながら、ある種おとぎ話のような扱いもされているけれど。

「? リヒト様は目がお悪いのですか?」
「いえ、目は悪くはないのですが、これをかけていると目が疲れないので……」

 リヒトがかけている眼鏡も彼の発明品だ。
 リヒトの言葉にロイは少し目を大きくすると、リヒトの手をぎゅっと掴んだ。

「なんと! それは実に面白そうな研究ですね。詳しく話を聞かせていただきたい」
「……? 別に構いませんが……」

 大陸の王ロイ・グラナトゥムは、何故かリヒトに興味を示した。
 彼はリヒトのこれまでの研究の話――特に彼が復活させた『紙の鳥』の魔法の話を聞いた時は、目の色を変えた。

「『紙の鳥』の魔法を? そのような魔法を生み出されながら、何故貴方は発表されないのですか?」
「自分は魔力が弱いので……なかなか難しいんです。それにもし、不完全な魔法と評価されたとき、この国に迷惑がかかるかもしれない」 

「そんなことはありませんよ。新しい技術の進歩。その兆しが見えるなら、それを知らしめることは大切なことです。失敗を恐れていては何も出来ない。貴方には才能がある。才能があるのにそれを認められないなら、それは社会が悪いのです。貴方さえよければ、私が貴方の功績を世に広められるよう助力いたしましょう」

「――え?」
 ロイの言葉に、リヒトは思わず目を丸くした。

 ――自分に、才能……?

「我が国は、優秀な人材を育てる学問の国。貴方のような方が、才能を発揮出来ず燻っていらっしゃるのは、いわば世界の損失です」

 グラナトゥムが学問の国であることは、誰もが知るところだ。
 実在した『三人の王』。
 『赤の大陸』グラナトゥム、『蒼の大海』ディラン、『水晶の王国』クリスタロス。
 遠い昔、その王たちが集まり、広く魔法を学ぶための学校をグラナトゥムに作った。
 その彼が認めたとあれば、魔力の低いリヒトの研究であっても、認められる可能性が出てくる。
 ロイはそう言うと、リヒトの手をとった。

「聞けば貴方は第二王子だとか。もしこの国で、貴方が評価されないことをお嘆きになるなら、私の国にいらっしゃいませんか? 私は貴方を歓迎します。学院には、各国の王子や姫も通っています。貴方がこの国の王になりたいと仰るなら、他国の王族との繋がりは必要なはず。悪い話ではないはずです。そしてもし、貴方が王になられなくとも、貴方が魔法の研究を続けたいと仰るなら、貴方には我が国で是非研究を続けていただきたい」

「えっ。あ、その……」
「貴方は才能がある。それを伸ばすことは、才能を与えられた者の宿命です」
「……」

 生まれてこの方一六年。
 そんなことを言われたのは、リヒトは初めてのことだった。

「レオン殿、もう少しリヒト殿とお話がしたいのですがよろしいでしょうか? この城の案内も、よけれびリヒト殿にお任せしたい」 
「リヒトはまだ子どもです。貴方の相手は務まらないかと」

「とんでもない。リヒト殿は類まれなる才能をお持ちのようだ。クリスタロス王国は優秀な王子が二人もいて幸せですね。さあ、リヒト殿。今日は宜しくお願いします。貴方のような方と出会えただけでも、この国に来たかいがありました」

 ロイはそう言うと、リヒトに再び微笑みかけた。
 一人残されたレオンは、不安要素しかない弟の背を静かに見送った。



「……疲れた」

 ロイの案内を終えたリヒトは、その後精神的な疲労を感じて自室に戻った。

「なんなんだ? あの人」

 レオンと別れた後、リヒトはロイに質問攻めにあった。
 魔法に対する知識・理論について。
 リヒトは魔法こそ使えはしないものの知識はある。リヒトがロイの質問にすべて答えると、ロイはくすくす笑った。
 
『今の問題は、先日発表されたばかりの内容ですよ。リヒト殿はなぜご存知なのですか?』

 ご存知も何も、数年前に自分が発見したから知っているだけだ。
 魔法を使えるようになりたい。その気持ちだけで生きてきた一六年。
 けれど今も研究成果の発表を父には許されない。
 だからこそ出来損ないのレッテルは、いつまでもリヒトにつきまとう。

「――俺のことを、認めてくれた人は初めてかもしれない」

 リヒトの中に、父の顔が浮かぶ。
 『一年間』。
 父が自分に与えた時間の中で、リヒトは父の自分への評価を変えたかった。
 自分は必要な人間だと、この国に役に立つ人間だと、そう認めてもらいたかった。
 リヒトは静かに目を瞑った。
 すると、かつて父に掛けられた言葉を彼は思い出した。
 それはリヒトが決して越えられない壁を、突きつけられたような想いがした瞬間だった。 

『お前の魔法は認められない。発表することは許さない』
『何故。何故ですか……!』
『不完全な魔法。もしその魔法に何か不具合があったとき、お前は責任が取れるのか? そんなことがあれば、お前への評価も、この国の評価も、今よりも悪いものになる。可哀想だが、それがこの世界なのだ。魔力の弱い人間の作った魔法は、認められない。諦めなさい。リヒト』

 この世界の全ては魔力で決まる。
 この世界にある格差も、魔力によって生まれたものだ。
 それでも、諦めたくないと努力したのだ。
 いつか認めてくれる人が現れる。自分の努力は報われる。
 そう、信じて。

「そういえば」
 ベッドに顔を埋めていたリヒトは顔を上げて呟いた。

「明日の城下の案内、誰がすることになるんだろう……?」

 昔から、悪い予感はよく当たる。特に光属性に適性を持つ人間ほど――。

「今日は城下を見て回りたいと思うのですが、実は頼みたい方がいるのです。案内役はこちらで指名させていただいてもよろしいですか?」
「貴方がそう仰るならば……」

 大国の王のお願いに、リカルドは逆らえない。
 ロイはニコリと笑って、クリスタロス王国の二日目の案内に、現在婚約者のいる少女を指名した。

「公爵令嬢『剣神』ローズ・クロサイト嬢を」

 ベアトリーチェ・ロッドの婚約者。
 一年間の婚約期間にあるローズを。



 騎士団での訓練途中、城からの使者があり、ローズは急遽王城に召されることになった。

「……『大陸の王』がローズ様を?」

 使者が来た時ローズ以上に険しい表情をしたのは、ベアトリーチェとユーリだった。
 特にベアトリーチェは、あからさまな不快感を示した。
 馬車に乗る彼女の手のとって、ベアトリーチェは少し心配そうな表情《かお》をしてローズを見上げた。

「ローズ様。なにか困ったことがあったらすぐに教えてください」

 そして彼女が城へ向かう馬車を見送りながら、彼は弟の名を呼んだ。

「アルフレッド」
「はい。兄上」
「すいません。騎士団で、闇属性の魔法を使える人間は少ない。貴方には暫くローズ様の様子を見守ってほしいのですが、宜しいですか?」
「わかりました」

 アルフレッドは頭を下げる。ベアトリーチェは騎士団長であるユーリを見た。

「彼女は騎士の一人ですが、指輪と聖剣を守る守護者でもある。この国にとって大切な公爵令嬢でもあるのですから、守りは必要かと。――ユーリ」
「わかってる」
 ユーリは頷いた。
「国王陛下には、俺からそう伝えよう」



「はじめまして。ローズ・クロサイト公爵令嬢。お会いできて光栄です。私は、赤の大陸グラナトゥムの国王、ロイ・グラナトゥム。噂に違わぬ美しい男装の騎士なのですね。貴方の前では、どんな花も霞んで見えることでしょう」

「……はじめまして。クリスタロス王国公爵ファーガス・クロサイトの娘、ローズ・クロサイトと申します。本日はこのような格好で、大変申し訳ございません」

 騎士の格好でロイに頭を垂れたローズは、大陸の王との接見とあらばドレスニキが得るべきだったと後悔した。
 自分は確かにこの国の騎士だが、大国の王を相手にするならば、公爵令嬢としての身嗜みを整えるのが適切だったと。

「いいえ。大丈夫ですよ。こちらこそ、訓練の最中にお呼びして申し訳ございません。魔王討伐の際は貴方に助けていただいた身ですから。是非貴方に直接会って礼を言いたいと、つねづね思っていたのです」

 しかしロイは気にしていないふうで、ローズの手の甲に口付けた。

「何でも最近ご婚約されたとか?」
「ええ……」
「それでは、名乗りを上げるなら、今しかないということですね?」

 ロイはそう言って妖艶な笑みを浮かべた。ローズは、彼が何を言いたいのか察して口を噤んだ。

「…………」

「婚約期間の決闘は、本来自国のみの人間を対象とする。けれど、私はそれでも貴方が欲しい。私は王という地位にありますが、まだ妃のいない身。貴方には、是非我が国の王妃となっていただきたい。この国と強固な関係を結びたい――この国を愛する騎士であり、公爵令嬢である貴方との婚姻をもって。私は、貴方に会うためにこの国に来ました」

 彼はベアトリーチェから自分を奪うために、決闘を挑むつもりでやって来たのだと。 

 この世界の全ては魔力で決まる。
 持つ者と持たざる者。
 強い魔力を持つ者の子は、強い魔力を宿していることが多い。
 だからこそ地位を持つ者は、自分の結婚相手に魔力を望む。

 だからこそ決闘は、古くからある伝統なのだ。
 強い力を残すには、強い者同士が結ばれること望ましい。
 決闘とは、婚約者が相手に相応しい力を持つ者か示すもの。婚約者が決闘を挑んだ相手に敗北した場合、その婚約は無効となり、勝者が婚約者に選ばれる。
 強い魔力を持つ者により支えられたこの世界に、決闘に勝てない弱い人間の血は必要無い。

「ベアトリーチェ・ロッド殿。――彼よりも、私が貴方に相応しい男だと、私は貴方に証明します。彼に勝った暁には、私と共に国に来てくださいませんか?」

 男の瞳の色は赤。
 それはこの世界で、強い魔力を持つ証だ。
 ベアトリーチェは強い。この国ではきっと、一ニを争うほどに。
 しかしいくらベアトリーチェが強いと言っても、一国の王であるロイとどこまで戦えるかは、ローズにもわからなかった。

「貴方に助けられたこの命。私は、貴方への永遠の愛を誓いましょう。――ローズ様。私は、貴方が欲しい」

 ベアトリーチェとは違い、彼は「心は」とは言わなかった。
 それでもローズを見つめる赤い瞳は、今その瞬間だけは、まるで自分に愛を乞う一人の男のように、ローズの目には映るのだった。