シャルロッテは「怪力令嬢」の異名でよく知られたが、彼女の顔が割れていないことがせめてもの救いだった。

 「怪力令嬢」の顔がバレてしまえば後ろ指を刺されてしまうだろう、そうなれば普通の生活をすることさえままならない。
 シャルロッテは普段の生活のある程度の自由のために、社交界という貴族令嬢の特権を捨てて生きてきた。
 
 その努力の甲斐あって今では「シャルロッテ・シルト」と名乗らなければ、怪力令嬢だとバレることは無くなった。
 こうして街を歩けているのも、シャルロッテの長年の日陰生活の賜物というわけである。

 だからここで「はいそうです」などと口にすれば、シャルロッテが社交界を捨てて正体を隠してきた全ての苦労が無駄になる。
 シャルロッテはその問いの正答に悩んで口を噤んだ。そこで間髪入れずに答えたのはスワードだった。

「人違いだ。それと口の利き方には気をつけるといい、長生きしたければ」

 スワードはまたシャルロッテの前に出ると注文の花束を持ってきた店員と対峙した。
 店員はスワードの影に立つシャルロッテを一瞥し、それから花開くような愛らしい笑顔でスワードに微笑んだ。

「あはっ 怖い顔しないで?はい、あたしから騎士様に薔薇をプレゼント! 意味は…分かりますよね?」

 店員は上目遣いでスワードの応えを待っている。シャルロッテは気がつけばスワードの背の裾を、手の節が白く浮くほどギュッと握り締めていた。
 そうしていると再びあの尖った謎の感情が昂るのを感じ、同時に強い胸焼けがシャルロッテを襲った。

 無理、限界、早く帰りたい。シャルロッテの中のシャルロッテが茹だると、スワードが瞬時に振り返ってシャルロッテを軽々横抱きした。

「でっでん…!!」
「行くぞ姫、長居は無用だ」

 シャルロッテは眼前の甘い笑顔と優しい香りを視覚と嗅覚でずいと感知し、脳内で大爆発が起こった。そうなるともうシャルロッテは何も出来ず、大人しく子猫になってスワードに抱かれるばかりだった。スワードは店の出口に颯爽と向かった。


「ああ、意味と言ったか」

 そして最後に立ち止まって答えた。

「戯言はそこらの石塊に言え」


 スワードは振り返りざまに店員を一瞥すると、シャルロッテを抱いたまま馬車へ向かって消えて行った。
 残された店員は遠のく2人を眺め、スワードを思わせる青い薔薇を撫でて呟いた。


「なーんだ。婚約破棄されたわりに静かだと思ったら…他の男いたんじゃん」


 剪定鋏を持った店員は青薔薇の棘を1つ1つ丹念に切り落としていく。そうして丸裸になった茎を根元から剪定した。


「こっちの男も獲っちゃおーっと」


 花屋の店員は冷たい青薔薇に熱くキスをし、不気味にほくそ笑むのだった。