嘘をついていた。小さくも重い嘘。
 私は、あなたのことを愛したことなんて一度もなかった。

「卒業だね」

「もう会えないね」

 あなたのセリフと語尾を重ねて、でも想いなどこれっぽっちも重ねずに私は、あなたへ言葉を投げつける。

「……最後に、してくれる?」

 あなたは自分の唇へ私の視線を巧みに誘導する。右手の人差し指の先に、桜色の艶やかな唇。瑞々しい、毒の花。

 私は彼女に一歩近づく。少し垂れた目尻が濡れている。美しい。あなたは美しい人。美しく、醜い人。

「じゃあ、最後に」

 呪いの足枷と首輪、最後にきっちり返させてもらう。

 自分の唇をあなたのその透明な欲望へそっと寄せ、優しく触れる。
 階段の踊り場。誰が見ているかも分からない安っぽい秘密基地。私とあなたの逢瀬の場。

 午後の日差しがあなたの髪を柔らかく撫でる。金糸の如く光る髪の、穏やかな春の陽光のような優しい香り。この香りを嗅ぐたびに私は、胸がヘンに騒いで仕方がなかった。

 あなたの唇は恥じらいながらも欲を隠さずに開いて、中から生温かい息が微かに漏れてくる。

 今この状況においてその舌は、まさに喉から出てくる手そのものだった。
 獲物を欲する手。純粋な欲望に塗れた手。

 私の唇、閉ざされた門をこじ開けて、あなたは私を侵食していく。口内のみに飽き足らず、私の体、脳、心までも己の手中に収めようと息巻いて。

「んっ」

 苦しい。思わず私はあなたの両肩をそっと突いた。あなたは不思議そうにこちらを見つめる。なぜ、私を拒絶するの? とでも言いたげな目だ。

 そろそろ。ずっと言えなかったことをあなたに。

「嫌だったの」

「……え?」

「告白された時、あの時はきっと戸惑いに押されて冷静な判断力を欠いていた。あなたから告白されるなんて思ってもみなかった。幼馴染で、なんでも打ち明けられる唯一無二の存在。そんなあなたに告白されるなんて。嫌だと思ったわけじゃない。ただ戸惑っただけ。だから思わず二つ返事で了承した。でも私は、その時のことをずっと後悔している」

 あなたが目を見開いた。きっとあなたは知らない。私があなたの存在を苦痛だと思っていたこと、そんなことは知らない。私は今まで、それを隠すことに必死でいたのだから。

「あなたは私の心を知っても変わらず友達でいてくれた唯一の人。でも私は、結局友達を全て失ってしまった。あなたは友達ではなくなってしまったもの。それよりも上位の存在へと成り果てた。あなたの隣にいることが苦痛なんじゃない。かわりのきかない恋愛対象として隣に立つことが、苦痛で仕方なかった」

「……なん、で。あなたは女が好きなんじゃ」

「ちがうの」

 そう。根本的な違い。私は女が好きなのではない。男として、男を好きでいたい。

「私は、男になりたい。でも愛する対象が女というわけでもない」

 あなたは両手をだらりとぶら下げた。重力の、あなたの両手を下へ下へ引っ張る姿が目に見えるようだ。

「黙っていてごめんなさい。あなたが恋人になった瞬間、打ち明けられなくなってしまった。それからこうしてこの場で二人の愛を確かめる時間が私の心臓を握りつぶさんとしているような、そんな日々を送るようになった。あなたの唇が私に触れるたび、そのたびに私は耐えがたい苦痛を味わってきた。私が好きなのは女じゃない、私は友達としてあなたの隣にいたいという想いを打ち明けられずにいた」

 今日、この晴れの日にあなたへ告げようと思ったのは、嘘をついたまま背を向けることが嫌だったからだ。ちゃんと、「あなたの恋人でいることが嫌だった」と告げるために、私からあなたをここへと呼び出した。

「……そ、んな、そう、だったんだ」

 彼女の目に光が見えない。彼女は目を合わせてくれない。心が離れていく。一層近づく前のあの尊く美しい距離よりもっと、離れていく。

「本気だったの。私、あなたとのこと本気だった。せめて卒業までの間、告白の時にあんなふうに言ったこと後悔するほど、私、あなたのこと愛してた」

 愛。愛などという悲しい言葉をそんな風に使わないでほしい。
 愛なんて、ただの呪いに過ぎなかったじゃない。

「あなたを苦しめる愛なら、とっくに捨てていたのに……!」

 彼女はその場に崩れ落ち、双眸から想いをとめどなく溢れさせた。

 私たちの青春は全て虚構だった。手を繋いで帰ったあの日も、唇を重ねたあの日も、熱い抱擁を交わしたあの日も、全て虚構だった。

 悲しい? 私はそうでもないの。
 自分の心を斬り裂くような痛みから解放されると思うと、そうでもないのよ?

 それなのに私はなぜ、崩れ落ちるあなたを見て涙を流してしまったのだろう。その意味に理由など見つけられないまま、カバンを背負い直して昇降口に向かうべく、階段をゆっくりと降りて行く。