小さいおじさん、という話を聞いたことはあるだろうか。まことしやかに囁かれるそれは、一種の都市伝説でもある。
拡大解釈で「女は皆心に小さいおっさんを飼ってるんだよ!」などと言ったりもする。要するに女に夢を見るな、ということである。
それは小人なのか、妖精なのか、あるいはただの概念なのか。真偽のほどはわからない。わからないが、ひとつはっきりしていることは。
今、私の目の前には、確かに『小さいおじさん』が存在している、ということだ。
「…………すげぇよくできた幻覚」
缶ビールを片手に呟きながら、私は指でぐりぐりとそれの頭を撫でた。
確かに存在している、などと言いながら、私はそれを幻覚だと判断した。何故か。答えは簡単。私が酔っぱらっているからだ。
花の金曜日。明日は休日。終電で狭いワンルームに帰ってきた私はすぐにシャワーを浴びて、冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し、駅で買った焼き鳥を並べて晩酌とした。
一本目を一気に空けて、早々に二本目を手をかける。そこで、空にした缶の陰から黒い何かがぴょこりと出てきた。
一瞬まさかG的なものではなかろうかと身構えたが、どうにもそれは人間の形をしているようだった。しかし、いかんせんサイズが小さい。リップクリームくらいしかない。
まじまじと観察すれば、どうにも40代くらいの男性に見えた。いかにも適当に切ったような白髪混じりの短髪に、よれよれのシャツとネクタイ、くたびれたスーツ。なんだコイツ、いっちょ前にサラリーマンなのか。
奇妙な幻覚でも見ているのかと触ってみたわけだが、感触があった。酔った状態ではそれが実在の証明とはならないが、少なくとも今の私からすれば、それは確かに『いる』のだ。
「なんなんお前。どっから入り込んだの? それともウチに前から住みついてたの?」
うりうりと頭を撫でくり回しながら聞けば、それは嫌そうに私の指を叩いた。しかし返事はしない。
「なんだよー、お喋りしてくれたっていいじゃん。私の幻覚でしょ」
そう言えば、それは口をパクパクさせたあと、むっつりと機嫌悪そうに黙り込んだ。なんだ、喋れないのか。
「まーそれもそっかー。幻覚と幻聴じゃやべーもんな。この時点で既にそーとーやばいけど」
だるーん、とテーブルに体を預ける。幻覚と会話しだしたら流石に危ない人だ。
「んじゃー私の話聞いててよ。見てのとーりの一人暮らしだからさ。彼氏もいないし、だーれも私の話なんか聞いてくれないんだよね」
はは、と乾いた笑いを零す。ああ、私は会話に飢えていたのかもしれないな。おじさんは喋らないから会話じゃないけど。
「もーさー、マジでウチの会社ブラックなの。残業ばっかなの。それもこれも部長がクソなせいなんだけど、あいつコネ入社だからさー、誰も何も言えないわけ。最悪じゃね?」
おじさんは口をへの字にして聞いていた。いいじゃん付き合ってくれよ。きらきらの妖精さん相手に言う内容じゃないけど、おじさんとなら赤ちょうちんでしょ。
「おじさんもさー、サラリーマンなら分かるっしょー? あ、サラリーマンで合ってる? 小人の社会にもあんの? 会社」
聞いたところでおじさんは答えないのだが、分かっていて無意味に問いかけた。
するとおじさんは溜息をつく仕草をして、ビールの缶をべちべちと叩いた。
「え? 何、自分にも飲ませろってこと? 飲めんの?」
言いながらも、私はペットボトルの蓋を洗って、それにビールを注いだ。
「はい、これで飲める―? あ、焼き鳥もかじっていいよ」
蓋を渡すと、おじさんは器用にそれでビールを飲んでいた。なんだか無性におかしくて、私はケラケラと笑った。
「やっば、おじさんイケるクチじゃーん。ささ、もー一杯」
零さないように気をつけながらそーっとビールを注ぐと、おじさんは嬉しそうにまた蓋を傾けた。
「小人も人間も、酒が楽しみなのは同じかぁ」
むしろ酒くらいしか楽しみがない。おじさんを見ながら、私もぐっとビールを呷った。
三本目。
「働いても働いても、誰に褒められるわけでもなしにさー。給料も上がらないし、こんな狭いワンルームにしか住めないし」
ぐちぐちと零していると、おじさんがやれやれといった風情で私に近寄った。そして、テーブルに投げ出している私の腕をぺちぺちと叩いた。
「……? 何ソレ」
おじさんは私の疑問に苦笑で返した。
「もしかして、励ましてる?」
肯定するように、おじさんは再び、私の腕をぺちぺちと叩いた。
なんだソレ。
「…………」
じわぁ、と何かが胸に広がる。何だろう、この。猫の手でつつかれたような、ハムスターの足で踏まれたような、犬の鼻に押しやられたような。
「え~~~~、なんなん」
ゴン、とテーブルに額をつける。
おじさんのクセに。なんか、妙に癒された。おじさんのクセに。
何となくふわふわした気分のまま、私はテーブルで寝落ちした。
***
「んー……あ、やべ、寝落ちた……」
額が痛い。変な体勢だったので首も肩も痛い。
「すげぇ変な夢見たわ……疲れてんなー私……」
すぐにでもベッドに移動して寝直したかったが、出しっぱなしにしていた焼き鳥だけでも冷蔵庫にしまわねば。
そう思って焼き鳥にラップをかけようとしたところ。
「……ん?」
奇妙な違和感に、焼き鳥を一本持ちあげた。
「んんんんん?」
よく見ると、焼き鳥の端っこに、小さな歯型があった。虫でもかじったんだろうか。まさかネズミとは思いたくないが。それにしては、なんだか歯形が、こう。
「……いやー、まさかな」
私はかじられた肉だけを串から外して、残りを冷蔵庫にしまった。
さて、寝直すか。
拡大解釈で「女は皆心に小さいおっさんを飼ってるんだよ!」などと言ったりもする。要するに女に夢を見るな、ということである。
それは小人なのか、妖精なのか、あるいはただの概念なのか。真偽のほどはわからない。わからないが、ひとつはっきりしていることは。
今、私の目の前には、確かに『小さいおじさん』が存在している、ということだ。
「…………すげぇよくできた幻覚」
缶ビールを片手に呟きながら、私は指でぐりぐりとそれの頭を撫でた。
確かに存在している、などと言いながら、私はそれを幻覚だと判断した。何故か。答えは簡単。私が酔っぱらっているからだ。
花の金曜日。明日は休日。終電で狭いワンルームに帰ってきた私はすぐにシャワーを浴びて、冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し、駅で買った焼き鳥を並べて晩酌とした。
一本目を一気に空けて、早々に二本目を手をかける。そこで、空にした缶の陰から黒い何かがぴょこりと出てきた。
一瞬まさかG的なものではなかろうかと身構えたが、どうにもそれは人間の形をしているようだった。しかし、いかんせんサイズが小さい。リップクリームくらいしかない。
まじまじと観察すれば、どうにも40代くらいの男性に見えた。いかにも適当に切ったような白髪混じりの短髪に、よれよれのシャツとネクタイ、くたびれたスーツ。なんだコイツ、いっちょ前にサラリーマンなのか。
奇妙な幻覚でも見ているのかと触ってみたわけだが、感触があった。酔った状態ではそれが実在の証明とはならないが、少なくとも今の私からすれば、それは確かに『いる』のだ。
「なんなんお前。どっから入り込んだの? それともウチに前から住みついてたの?」
うりうりと頭を撫でくり回しながら聞けば、それは嫌そうに私の指を叩いた。しかし返事はしない。
「なんだよー、お喋りしてくれたっていいじゃん。私の幻覚でしょ」
そう言えば、それは口をパクパクさせたあと、むっつりと機嫌悪そうに黙り込んだ。なんだ、喋れないのか。
「まーそれもそっかー。幻覚と幻聴じゃやべーもんな。この時点で既にそーとーやばいけど」
だるーん、とテーブルに体を預ける。幻覚と会話しだしたら流石に危ない人だ。
「んじゃー私の話聞いててよ。見てのとーりの一人暮らしだからさ。彼氏もいないし、だーれも私の話なんか聞いてくれないんだよね」
はは、と乾いた笑いを零す。ああ、私は会話に飢えていたのかもしれないな。おじさんは喋らないから会話じゃないけど。
「もーさー、マジでウチの会社ブラックなの。残業ばっかなの。それもこれも部長がクソなせいなんだけど、あいつコネ入社だからさー、誰も何も言えないわけ。最悪じゃね?」
おじさんは口をへの字にして聞いていた。いいじゃん付き合ってくれよ。きらきらの妖精さん相手に言う内容じゃないけど、おじさんとなら赤ちょうちんでしょ。
「おじさんもさー、サラリーマンなら分かるっしょー? あ、サラリーマンで合ってる? 小人の社会にもあんの? 会社」
聞いたところでおじさんは答えないのだが、分かっていて無意味に問いかけた。
するとおじさんは溜息をつく仕草をして、ビールの缶をべちべちと叩いた。
「え? 何、自分にも飲ませろってこと? 飲めんの?」
言いながらも、私はペットボトルの蓋を洗って、それにビールを注いだ。
「はい、これで飲める―? あ、焼き鳥もかじっていいよ」
蓋を渡すと、おじさんは器用にそれでビールを飲んでいた。なんだか無性におかしくて、私はケラケラと笑った。
「やっば、おじさんイケるクチじゃーん。ささ、もー一杯」
零さないように気をつけながらそーっとビールを注ぐと、おじさんは嬉しそうにまた蓋を傾けた。
「小人も人間も、酒が楽しみなのは同じかぁ」
むしろ酒くらいしか楽しみがない。おじさんを見ながら、私もぐっとビールを呷った。
三本目。
「働いても働いても、誰に褒められるわけでもなしにさー。給料も上がらないし、こんな狭いワンルームにしか住めないし」
ぐちぐちと零していると、おじさんがやれやれといった風情で私に近寄った。そして、テーブルに投げ出している私の腕をぺちぺちと叩いた。
「……? 何ソレ」
おじさんは私の疑問に苦笑で返した。
「もしかして、励ましてる?」
肯定するように、おじさんは再び、私の腕をぺちぺちと叩いた。
なんだソレ。
「…………」
じわぁ、と何かが胸に広がる。何だろう、この。猫の手でつつかれたような、ハムスターの足で踏まれたような、犬の鼻に押しやられたような。
「え~~~~、なんなん」
ゴン、とテーブルに額をつける。
おじさんのクセに。なんか、妙に癒された。おじさんのクセに。
何となくふわふわした気分のまま、私はテーブルで寝落ちした。
***
「んー……あ、やべ、寝落ちた……」
額が痛い。変な体勢だったので首も肩も痛い。
「すげぇ変な夢見たわ……疲れてんなー私……」
すぐにでもベッドに移動して寝直したかったが、出しっぱなしにしていた焼き鳥だけでも冷蔵庫にしまわねば。
そう思って焼き鳥にラップをかけようとしたところ。
「……ん?」
奇妙な違和感に、焼き鳥を一本持ちあげた。
「んんんんん?」
よく見ると、焼き鳥の端っこに、小さな歯型があった。虫でもかじったんだろうか。まさかネズミとは思いたくないが。それにしては、なんだか歯形が、こう。
「……いやー、まさかな」
私はかじられた肉だけを串から外して、残りを冷蔵庫にしまった。
さて、寝直すか。