昼休みを迎えると、亜美花ちゃんは一人教室を出て行った。三人でお昼を食べながら私はそれを横目で確認すると、急いで自分のお弁当を終わらせて用があるからと教室を出る。やっとチャンスがやってきたと思った。
確か亜美花ちゃんは左の方へ出て行った。他のクラスに用があったのかなとそっと覗きながら進んで行ったけれど、どのクラスにも亜美花ちゃんの姿は無かった。だとすると、あとは少し離れた所にある使われてない準備室くらいだけど……。
まさかと思いつつ念の為に準備室まで向かうと、そのまさかだった。そっと開いた扉の向こうに居たのは、窓際まで寄せられた椅子に座ってパンを齧っている亜美花ちゃんの姿だった。
「亜美花ちゃん」
「! びっ、くりしたー。え、何? なんでここに?」
「あ、ごめん急に……えっと、亜美花ちゃんと話したいと思って……」
ていうか待って。もしかして今の私って、とんでもなく気持ち悪い事してる?
目を丸くして驚いている亜美花ちゃんの反応を見た瞬間、気持ちのままにここまで来てしまった自分の行いの恐ろしさに気がついた。これじゃ完全にただのストーカーである。
どうしようと、今更悩み始めるぐだぐだの私を見てぱちぱちと大きく二回瞬きをした亜美花ちゃんが、あははっと笑い声をあげたので、次は私がびっくりして固まる番だった。
「ウケる! それでここまで一人で探しに来たの? 行動力やば!」
「うっ……気持ち悪くてごめん」
「違う違う、嬉しくて! ありがと」
そう言ってくれた亜美花ちゃんはぴかぴかの笑顔をしていて、照らす様に私の心にぽっと明かりをつけてくれた。「こっちに来なよ」と隣にもう一つ椅子を置いてくれたので私もそこに腰を下ろした。
「お昼は?」
「食べて来たよ」
「はや!」
「亜美花ちゃんが出てくの見て急いだから」
「マジか。一人でこんな所でパン齧っててごめんね」
「いや良いのっ、良いっていうか、その……」
「あははっ! 大丈夫大丈夫! 高校始まる前からこんな感じだから」
「……そっか」
そういえば三年生くらいからグレ始めたって言ってたもんな……その時からずっと一人で居るのかな。良い人なのに、絶対みんなと仲良くなれるのに、なんでそうなってしまうのかと言ったら、やっぱり——。
「亜美花ちゃんはさ、なんでそんな格好してるの?」
「そんな格好って」
「いやっ、変とか似合ってないとかそういう意味じゃなくて。うちの学校って服装に特に厳しいよね? 少しくらいスカートが短い子はたまに見るけど、金髪なんて一人も居ないから。だからびっくりしてその……」
「印象悪かった?」
「……うん」
「正直か」
そう言って明るく笑い飛ばしてくれる亜美花ちゃんの笑顔は、言ってごらんと私の背中を押してくれている様だった。だから私は自分の思っている事を、正直に亜美花ちゃんに伝えたいと思ったんだ。
「あのさ、勿体無いと思って。なんでわざわざ反感を買って、誤解を生んで一人ぼっちになっちゃう様な格好をしてるのかなって」
「誤解かぁ」
「うん。だってその時のやりたい事しか考えられない、自分の事しか見えてない子供っぽい人に見える」
「じゃあそういう人なんじゃない?」
「違うと思う。亜美花ちゃんのその格好には意味があるんだと思うの」
「……なんでそう思うの?」
じっと彼女の二つの瞳が私を見据える。まるで私を見定めているかの様に。
そんな彼女の瞳を見てほらやっぱりと安心した。
「だって亜美花ちゃんは私に寄り添ってくれたから」
そこに大事な信念があるから、触れられる覚悟を備えて私の答えを待っているんだと確信したら、やっぱり間違っていないと納得出来た。
「亜美花ちゃんは、人を否定して嫌な態度しかとれない私の中から本当の気持ちを掬ってくれた、表面だけじゃなくて人の心の奥まで見れる人。そんな人が無闇に人に迷惑を掛けたり、自分がどう見られてしまうかわかってないわけが無いから。だからきっと、亜美花ちゃんにとってそれでも貫きたい大事な意志があるんでしょ?」
「…………」
「私、亜美花ちゃんの事がもっと知りたいんだ。亜美花ちゃんの明るさと優しさを尊敬してるから。同じなのに正反対な亜美花ちゃんの事がもっと知りたいの」
「……そっか」
ぽつりと呟くように言うと、亜美香ちゃんは食べ終わったパンの袋を纏めてもう一度私の方に向き直る。目が合った瞬間、すっと背筋がのびる様な心地がした。
「この格好はさ、訴えなんだ。言葉にしても何も変わらなかったから。もう決まった事ってそう簡単に覆らないよね」
「……うん、そうだね」
ここで彼女の言う覆らなかった事というのは、きっと両親の離婚の話だと私にはすぐにわかった。
「私は弱いから一人で我慢する事なんて出来なくて、周りの人間にめちゃくちゃ訴えたの。でも私の気持ちを親に話したって、先生に話したって、友達に話したって、その場で共感する様な事を言ってくれたとしても、誰もその現実を変えてくれる人なんて居なかった。それはそう。だってそれが嫌なのは私だけなんだから」
亜美花ちゃんは尖った声色を出す事無く、淡々と過ぎ去った事の様にその話をする。でもそれは私にとってまだ最中ともいえる現実の話で、痛いほどに共感出来た。
誰にもわかって貰えないし、結局他人がなんとかしてくれる様な事では無いのだ。だから自分が対応するしかない。一人で現実を生きていくしかない、そう思って過ごしてきて今の私が出来上がった訳だ。
でも、亜美花ちゃんは違う。
「だからね、もう言葉じゃなくて行動で示そうと思ったんだ。私はここに居るぞって」
「ここに、居るぞ」
「そう。私の現実がみんなと関係なくたって、違うせいでわかって貰えなくたって、ここに私が居る事は事実だし。そんな私に気づいてくれる人にきっと出会えるって信じたかったから。そしたら今の彼氏に出会えたの」
「……それが亜美花ちゃんの金髪の理由?」
「うん。子供じみてるよね。でも、それで良いと思うの。だってまだ子供だし」
「…………」
「私はそんな私で良いと思う。その子供じみて諦めが悪い私が私らしさだと思う。誰にも変えられない私の現実みたいに、それは誰にも変えられない私だから、それをわかってくれる人に出会えたらきっと私の未来はずっと明るいんだ」
そう言って窓の外へと目を向ける亜美花ちゃん。その横顔はすっきりと晴れやかだった。
彼女は自分を信じているのだ。だから自分の未来を真っ直ぐに見据えて、その為にどうすれば良いのか、人生の答えが明確に見えている。
「だから今日、あなたに出会えた事も私の未来を照らしてくれた出来事の一つ。私を知ろうとしてくれてありがと」
澄み切った青空の様な彼女の笑顔は眩しかった。彼女は……亜美花ちゃんは、なんてすごい人なんだろう。
「……亜美花ちゃんは、自分がわかってるんだね」
「ん?」
「いや、なんでもない……」
彼女の目に映る事が急に恥ずかしくなって目を逸らした。自分は自分だとはっきりと言える亜美花ちゃん。自分はここに居ると、わかって欲しいと訴えられる亜美花ちゃん。現実に嘆いてばかりで、文句ばかりの私とは違う。
そんな彼女の前に居ると、途端に自分は子供だったのだと気付かされた。子供じみているのは私の方だ。自分の不安を誰かのせいにして発散している時点で、私はどうしようもなく子供だ。
「あのさ、まだ聞いてなかったと思って。あなたの名前は?」
「……園田華菜」
「華菜ちゃん」
向き合った亜美花ちゃんが「こっちを見て」と言うので、渋々亜美花ちゃんの方を見る。
「実はさ、見学で話した後、どうせこの後他の友達と私の悪口でも言ってるんだろうなと思ってたんだ」
「な! そんなことっ、」
「うん。そんなことなかったんだなって今は思う。ここまで来てくれて、そんなに私の事を知ろうとしてくれた人初めてだから。どうせ他の人と一緒なんだろうなって決めつけてた。ごめんね」
「……ううん。私も亜美花ちゃんの事、決めつけてたし」
というか、
「決めつけて、ずっと人のせいにしてばっかりなのは私の方。亜美花ちゃんみたいにきちんと前向きになれてない。こうやってぐずぐず人と比べて、子供じみてるのだって私の方」
「…………」
「わかって貰えないならわからせてやる、みたいな確固たる自分みたいなものも無いし、きっと今私がここから居なくなっても誰も何も困らないし、誰の印象にも残らない」
——つまり。
「私の、自分らしさって何だろう」
自分の嫌な所は見つかるけれど、良い所が一つも見つからないでいる。そうか、だからこんなに卑屈な気持ちで毎日を生きているのかもしれない。
亜美花ちゃんと私は同じ境遇を生きている。でも亜美花ちゃんと私は見た目も性格も生き方も正反対で、そんな亜美花ちゃんに憧れたけど、今日話してみてよくわかった。
私は亜美花ちゃんみたいにはなれない。
それどころか、たった一人の自分にもなれない。
「真面目だなぁ、華菜ちゃんは」
そんな時に告げられた、そのフレーズ。
……やっぱり。亜美花ちゃんもそう思うんだ。
「別に私、真面目じゃないよ……」
だから違うのだと否定したけれど、亜美花ちゃんは、「いーや違うね」と首を振る。
「根っからの真面目な人だよ。そして責任感のあるしっかり者。問題を見て見ぬ振り出来ないタイプ」
「そんなことないよ。だって私がこうなったのって親が離婚してからだし。それまでの私は何も考えないでぼんやりと生きて来たよ」
「そうなの? じゃあ気づいてなかったんだよ、本当の自分に」
「……本当の自分?」
確かに、今日この日までの私はずっと自分がどんな人間なのか前向きに考えた事がなかった。本当の自分はあのベッドの上で漫画を読んでいたどうしようもない私に違いないと思っていたから。
だから、真面目だという言葉は変わった自分に対する言葉で、自分自身を表す言葉にはどうしても思えなかったのだ。
けれどたった今ここで亜美花ちゃんは言っている。私は本当の自分に気づいてなかったのだと。
「自分の問題と真っ直ぐに向き合う事って誰にでも出来る事じゃないよ。考えて考えて、自分の中の答えが見つかるまで諦めないで立ち向かえるのも、その答えの中に正しさに基づいた信念があるのも、そんなの真面目な人が辿り着ける考え方で、私には到底無理な話だよ」
「…………」
「今の華菜ちゃんを作ったのは元々の華菜ちゃんが真面目に考えて辿り着いた結果。だから今も昔も華菜ちゃんは真面目な人なの。私とは正反対の根っこから真面目で真っ直ぐな人」
「……そう、かな」
私だから辿り着いた答えなんだよと、私の事を正反対だと表す亜美花ちゃんが言う。私も彼女の事を正反対だと感じているのでそこも同じ気持ちだったんだと感じると、余計に亜美花ちゃんの言葉が心に染み込んでいくのがわかった。
「そっか。私、真面目だったんだ」
「そうだよ。かっこいいよ、憧れる」
「それは無いでしょ……」
「あるある。華菜ちゃんみたいな人に受け入れて貰えると安心するじゃん」
「えぇ……? そうかな」
「そうだよ! そっか……本人にはわからないものなんだね」
びっくりした様子の亜美花ちゃん。うーんと少し考えると、「つまりね、」と人差し指を立たせて探偵の様に顎に当てた。
「間違ってない人に受け入れられると、自分は正しいって確信が持てるんだよ。自分よがりの間違った選択しか出来ない私にとっては特にそう。だから人を安心させられる真っ直ぐさってすごいなと思う。私には無いし、私は大体いつも間違ってるけど、華菜ちゃんみたいな人が受け入れてくれるなら大丈夫って思えるから……今日華菜ちゃんに私の事を受け入れて貰えたって感じてるんだけど、違う?」
「ううん、違くない!」
「良かった。だったら安心出来る。ほっとしたよ」
——優しい、穏やかな表情と言葉は全て私に向けられたもの。こんなうじうじした私に対して亜美花ちゃんがくれたもの。
じんと目頭が重くなって、溢れてこない様にぐっと堪えた。そんなの格好悪いから。
「……ありがとう。私も亜美花ちゃんみたいになれたらなって、もっと仲良くなりたいなって思ってる。さっき話した時より今の方がずっと」
「! うん!」
嬉しそうに笑った亜美花ちゃんがぎゅっと私の手を両手で握った。その両手は熱いくらいに温かかった。
「あのさ、私達って不思議だよね。同じなのに全然違って、だけどお互いの言ってる事全部分かり合えるんだもん。そんな相手に出会える事ってあるかな。なかなか無いよね!」
亜美花ちゃんの瞳がきらきらと光る。今この瞬間の私達は、私達だけを見つめていた。
「私、今日学校に来て良かった! 華菜ちゃんに出会えたから!」
こんなに素敵な事は無いと、亜美花ちゃんの全てが言っている。きっと後にも先にもこんなに感動出来る事は無いのだろう。こんなにも、自分の存在を感じられる瞬間はきっと。人の目に映る事はきっと。
「うん、私も。亜美花ちゃんに出会えて良かった」
心からそう思えたこの日からずっと、亜美花ちゃんは私にとって特別な存在になった。
確か亜美花ちゃんは左の方へ出て行った。他のクラスに用があったのかなとそっと覗きながら進んで行ったけれど、どのクラスにも亜美花ちゃんの姿は無かった。だとすると、あとは少し離れた所にある使われてない準備室くらいだけど……。
まさかと思いつつ念の為に準備室まで向かうと、そのまさかだった。そっと開いた扉の向こうに居たのは、窓際まで寄せられた椅子に座ってパンを齧っている亜美花ちゃんの姿だった。
「亜美花ちゃん」
「! びっ、くりしたー。え、何? なんでここに?」
「あ、ごめん急に……えっと、亜美花ちゃんと話したいと思って……」
ていうか待って。もしかして今の私って、とんでもなく気持ち悪い事してる?
目を丸くして驚いている亜美花ちゃんの反応を見た瞬間、気持ちのままにここまで来てしまった自分の行いの恐ろしさに気がついた。これじゃ完全にただのストーカーである。
どうしようと、今更悩み始めるぐだぐだの私を見てぱちぱちと大きく二回瞬きをした亜美花ちゃんが、あははっと笑い声をあげたので、次は私がびっくりして固まる番だった。
「ウケる! それでここまで一人で探しに来たの? 行動力やば!」
「うっ……気持ち悪くてごめん」
「違う違う、嬉しくて! ありがと」
そう言ってくれた亜美花ちゃんはぴかぴかの笑顔をしていて、照らす様に私の心にぽっと明かりをつけてくれた。「こっちに来なよ」と隣にもう一つ椅子を置いてくれたので私もそこに腰を下ろした。
「お昼は?」
「食べて来たよ」
「はや!」
「亜美花ちゃんが出てくの見て急いだから」
「マジか。一人でこんな所でパン齧っててごめんね」
「いや良いのっ、良いっていうか、その……」
「あははっ! 大丈夫大丈夫! 高校始まる前からこんな感じだから」
「……そっか」
そういえば三年生くらいからグレ始めたって言ってたもんな……その時からずっと一人で居るのかな。良い人なのに、絶対みんなと仲良くなれるのに、なんでそうなってしまうのかと言ったら、やっぱり——。
「亜美花ちゃんはさ、なんでそんな格好してるの?」
「そんな格好って」
「いやっ、変とか似合ってないとかそういう意味じゃなくて。うちの学校って服装に特に厳しいよね? 少しくらいスカートが短い子はたまに見るけど、金髪なんて一人も居ないから。だからびっくりしてその……」
「印象悪かった?」
「……うん」
「正直か」
そう言って明るく笑い飛ばしてくれる亜美花ちゃんの笑顔は、言ってごらんと私の背中を押してくれている様だった。だから私は自分の思っている事を、正直に亜美花ちゃんに伝えたいと思ったんだ。
「あのさ、勿体無いと思って。なんでわざわざ反感を買って、誤解を生んで一人ぼっちになっちゃう様な格好をしてるのかなって」
「誤解かぁ」
「うん。だってその時のやりたい事しか考えられない、自分の事しか見えてない子供っぽい人に見える」
「じゃあそういう人なんじゃない?」
「違うと思う。亜美花ちゃんのその格好には意味があるんだと思うの」
「……なんでそう思うの?」
じっと彼女の二つの瞳が私を見据える。まるで私を見定めているかの様に。
そんな彼女の瞳を見てほらやっぱりと安心した。
「だって亜美花ちゃんは私に寄り添ってくれたから」
そこに大事な信念があるから、触れられる覚悟を備えて私の答えを待っているんだと確信したら、やっぱり間違っていないと納得出来た。
「亜美花ちゃんは、人を否定して嫌な態度しかとれない私の中から本当の気持ちを掬ってくれた、表面だけじゃなくて人の心の奥まで見れる人。そんな人が無闇に人に迷惑を掛けたり、自分がどう見られてしまうかわかってないわけが無いから。だからきっと、亜美花ちゃんにとってそれでも貫きたい大事な意志があるんでしょ?」
「…………」
「私、亜美花ちゃんの事がもっと知りたいんだ。亜美花ちゃんの明るさと優しさを尊敬してるから。同じなのに正反対な亜美花ちゃんの事がもっと知りたいの」
「……そっか」
ぽつりと呟くように言うと、亜美香ちゃんは食べ終わったパンの袋を纏めてもう一度私の方に向き直る。目が合った瞬間、すっと背筋がのびる様な心地がした。
「この格好はさ、訴えなんだ。言葉にしても何も変わらなかったから。もう決まった事ってそう簡単に覆らないよね」
「……うん、そうだね」
ここで彼女の言う覆らなかった事というのは、きっと両親の離婚の話だと私にはすぐにわかった。
「私は弱いから一人で我慢する事なんて出来なくて、周りの人間にめちゃくちゃ訴えたの。でも私の気持ちを親に話したって、先生に話したって、友達に話したって、その場で共感する様な事を言ってくれたとしても、誰もその現実を変えてくれる人なんて居なかった。それはそう。だってそれが嫌なのは私だけなんだから」
亜美花ちゃんは尖った声色を出す事無く、淡々と過ぎ去った事の様にその話をする。でもそれは私にとってまだ最中ともいえる現実の話で、痛いほどに共感出来た。
誰にもわかって貰えないし、結局他人がなんとかしてくれる様な事では無いのだ。だから自分が対応するしかない。一人で現実を生きていくしかない、そう思って過ごしてきて今の私が出来上がった訳だ。
でも、亜美花ちゃんは違う。
「だからね、もう言葉じゃなくて行動で示そうと思ったんだ。私はここに居るぞって」
「ここに、居るぞ」
「そう。私の現実がみんなと関係なくたって、違うせいでわかって貰えなくたって、ここに私が居る事は事実だし。そんな私に気づいてくれる人にきっと出会えるって信じたかったから。そしたら今の彼氏に出会えたの」
「……それが亜美花ちゃんの金髪の理由?」
「うん。子供じみてるよね。でも、それで良いと思うの。だってまだ子供だし」
「…………」
「私はそんな私で良いと思う。その子供じみて諦めが悪い私が私らしさだと思う。誰にも変えられない私の現実みたいに、それは誰にも変えられない私だから、それをわかってくれる人に出会えたらきっと私の未来はずっと明るいんだ」
そう言って窓の外へと目を向ける亜美花ちゃん。その横顔はすっきりと晴れやかだった。
彼女は自分を信じているのだ。だから自分の未来を真っ直ぐに見据えて、その為にどうすれば良いのか、人生の答えが明確に見えている。
「だから今日、あなたに出会えた事も私の未来を照らしてくれた出来事の一つ。私を知ろうとしてくれてありがと」
澄み切った青空の様な彼女の笑顔は眩しかった。彼女は……亜美花ちゃんは、なんてすごい人なんだろう。
「……亜美花ちゃんは、自分がわかってるんだね」
「ん?」
「いや、なんでもない……」
彼女の目に映る事が急に恥ずかしくなって目を逸らした。自分は自分だとはっきりと言える亜美花ちゃん。自分はここに居ると、わかって欲しいと訴えられる亜美花ちゃん。現実に嘆いてばかりで、文句ばかりの私とは違う。
そんな彼女の前に居ると、途端に自分は子供だったのだと気付かされた。子供じみているのは私の方だ。自分の不安を誰かのせいにして発散している時点で、私はどうしようもなく子供だ。
「あのさ、まだ聞いてなかったと思って。あなたの名前は?」
「……園田華菜」
「華菜ちゃん」
向き合った亜美花ちゃんが「こっちを見て」と言うので、渋々亜美花ちゃんの方を見る。
「実はさ、見学で話した後、どうせこの後他の友達と私の悪口でも言ってるんだろうなと思ってたんだ」
「な! そんなことっ、」
「うん。そんなことなかったんだなって今は思う。ここまで来てくれて、そんなに私の事を知ろうとしてくれた人初めてだから。どうせ他の人と一緒なんだろうなって決めつけてた。ごめんね」
「……ううん。私も亜美花ちゃんの事、決めつけてたし」
というか、
「決めつけて、ずっと人のせいにしてばっかりなのは私の方。亜美花ちゃんみたいにきちんと前向きになれてない。こうやってぐずぐず人と比べて、子供じみてるのだって私の方」
「…………」
「わかって貰えないならわからせてやる、みたいな確固たる自分みたいなものも無いし、きっと今私がここから居なくなっても誰も何も困らないし、誰の印象にも残らない」
——つまり。
「私の、自分らしさって何だろう」
自分の嫌な所は見つかるけれど、良い所が一つも見つからないでいる。そうか、だからこんなに卑屈な気持ちで毎日を生きているのかもしれない。
亜美花ちゃんと私は同じ境遇を生きている。でも亜美花ちゃんと私は見た目も性格も生き方も正反対で、そんな亜美花ちゃんに憧れたけど、今日話してみてよくわかった。
私は亜美花ちゃんみたいにはなれない。
それどころか、たった一人の自分にもなれない。
「真面目だなぁ、華菜ちゃんは」
そんな時に告げられた、そのフレーズ。
……やっぱり。亜美花ちゃんもそう思うんだ。
「別に私、真面目じゃないよ……」
だから違うのだと否定したけれど、亜美花ちゃんは、「いーや違うね」と首を振る。
「根っからの真面目な人だよ。そして責任感のあるしっかり者。問題を見て見ぬ振り出来ないタイプ」
「そんなことないよ。だって私がこうなったのって親が離婚してからだし。それまでの私は何も考えないでぼんやりと生きて来たよ」
「そうなの? じゃあ気づいてなかったんだよ、本当の自分に」
「……本当の自分?」
確かに、今日この日までの私はずっと自分がどんな人間なのか前向きに考えた事がなかった。本当の自分はあのベッドの上で漫画を読んでいたどうしようもない私に違いないと思っていたから。
だから、真面目だという言葉は変わった自分に対する言葉で、自分自身を表す言葉にはどうしても思えなかったのだ。
けれどたった今ここで亜美花ちゃんは言っている。私は本当の自分に気づいてなかったのだと。
「自分の問題と真っ直ぐに向き合う事って誰にでも出来る事じゃないよ。考えて考えて、自分の中の答えが見つかるまで諦めないで立ち向かえるのも、その答えの中に正しさに基づいた信念があるのも、そんなの真面目な人が辿り着ける考え方で、私には到底無理な話だよ」
「…………」
「今の華菜ちゃんを作ったのは元々の華菜ちゃんが真面目に考えて辿り着いた結果。だから今も昔も華菜ちゃんは真面目な人なの。私とは正反対の根っこから真面目で真っ直ぐな人」
「……そう、かな」
私だから辿り着いた答えなんだよと、私の事を正反対だと表す亜美花ちゃんが言う。私も彼女の事を正反対だと感じているのでそこも同じ気持ちだったんだと感じると、余計に亜美花ちゃんの言葉が心に染み込んでいくのがわかった。
「そっか。私、真面目だったんだ」
「そうだよ。かっこいいよ、憧れる」
「それは無いでしょ……」
「あるある。華菜ちゃんみたいな人に受け入れて貰えると安心するじゃん」
「えぇ……? そうかな」
「そうだよ! そっか……本人にはわからないものなんだね」
びっくりした様子の亜美花ちゃん。うーんと少し考えると、「つまりね、」と人差し指を立たせて探偵の様に顎に当てた。
「間違ってない人に受け入れられると、自分は正しいって確信が持てるんだよ。自分よがりの間違った選択しか出来ない私にとっては特にそう。だから人を安心させられる真っ直ぐさってすごいなと思う。私には無いし、私は大体いつも間違ってるけど、華菜ちゃんみたいな人が受け入れてくれるなら大丈夫って思えるから……今日華菜ちゃんに私の事を受け入れて貰えたって感じてるんだけど、違う?」
「ううん、違くない!」
「良かった。だったら安心出来る。ほっとしたよ」
——優しい、穏やかな表情と言葉は全て私に向けられたもの。こんなうじうじした私に対して亜美花ちゃんがくれたもの。
じんと目頭が重くなって、溢れてこない様にぐっと堪えた。そんなの格好悪いから。
「……ありがとう。私も亜美花ちゃんみたいになれたらなって、もっと仲良くなりたいなって思ってる。さっき話した時より今の方がずっと」
「! うん!」
嬉しそうに笑った亜美花ちゃんがぎゅっと私の手を両手で握った。その両手は熱いくらいに温かかった。
「あのさ、私達って不思議だよね。同じなのに全然違って、だけどお互いの言ってる事全部分かり合えるんだもん。そんな相手に出会える事ってあるかな。なかなか無いよね!」
亜美花ちゃんの瞳がきらきらと光る。今この瞬間の私達は、私達だけを見つめていた。
「私、今日学校に来て良かった! 華菜ちゃんに出会えたから!」
こんなに素敵な事は無いと、亜美花ちゃんの全てが言っている。きっと後にも先にもこんなに感動出来る事は無いのだろう。こんなにも、自分の存在を感じられる瞬間はきっと。人の目に映る事はきっと。
「うん、私も。亜美花ちゃんに出会えて良かった」
心からそう思えたこの日からずっと、亜美花ちゃんは私にとって特別な存在になった。