そもそも夏休みに学校に来たのは、友人に「お前に会いたい人がいるらしい」と呼び出されたからだ。音楽室に彼女が来たときは全然喋ったこともない人に「会いたい」と思われていたことに驚きで、ひょっとして一目惚れからの告白の線があるんじゃないかと思ったりもした。
だが、それは違った。彼女は開口一番に、「今日は来てくれてありがとう! 早速だけど、取材させてくれないかな?」と言ったのだった。
取材と聞いたときは新聞部か何かかと思ったが、目立つ功績もないような僕の元へ取材に来るとしたらそれはネタを決めるセンスがないとしか言えない。
一体何を取材するのだろうと思ったが、彼女は名前も名乗らずにただ「あなたが好きな曲、弾いて」とそれだけを言った。仕方がないから自分が唯一弾ける『ラ・カンパネラ』を弾いたという次第だ。
小説の取材だとはまさか想像もしなかったし、こんなにうるさい人が小説を書くなんて思いもよらなくて、僕はしばらく呆けてしまった。
「……小説を書くの? 君が?」
「うん。私、小説読むのが大好きでね。好きが高じて、中学の頃から小説書いてるの。いつか小説家になりたいと思っててさ。普段からよく書いてて。それで君のピアノを聞いたら、どうしても書きたくなっちゃった」
彼女の瞳には、光が宿っていた。僕の目の中からは消えてしまった光。
「『ラ・カンパネラ』を題材に書く? 音楽を、言葉にするってこと?」
僕が首を傾げると、彼女も同じ向きに首を傾げて僕と目線を合わせる。
「ん? 変だって思う?」
どうだろうか。考えていると、彼女は首をまっすぐ戻して言った。
「ある人が言ってたの。芸術にはあらゆる可能性があるって。小説は絵画になり得る。音楽は小説になり得る。詩は音楽になり得る。絵画は詩になり得る。君のピアノも、例外じゃないってわけ」
「はぁ……」
音楽は小説になり得る、か。
「つまり君は、僕のラ・カンパネラを君の小説にしたいと」
「そう! そういうこと! 取材、協力してくれる?」
僕はしばし考える。僕のラ・カンパネラ。僕のでいいのだろうか。未来を諦めた僕のピアノでいいのだろうか。
「僕よりも、もっと適した人がいると思うよ」
「え? どうして」
「情熱がないから。僕はもう、音楽をなんとも思ってないんだ」
彼女は黙る。
「君は小説家を目指しているんだろ? 僕に君ほどの熱意はない。見れば分かるだろ、僕がピアノを触るのは惰性だ。本気で夢を追う人の糧になるのが申し訳ない。僕があげる水では、君の花を咲かせてあげることはできないと思うんだ。だから」
「素敵な表現」
「え?」
僕は思わず、頓狂な声をあげた。素敵?
「メモしてもいい? 『僕があげる水では』……ごめん、さっきのやつもっかい言ってくれないかな」
「君の花を咲かせてあげることは……って、なに、なんなの?」
「素敵な比喩使うなぁって思ったの、だからメモさせて!」
彼女の目は、夜空の星を捕まえたかのような輝きを秘めていた。
「あ、ごめん。さっきの話もっかい最初から聞いてもいい? 素敵な言葉を覚えるのに必死で最初の方ぜんぜん覚えてないや」
思わず呆気にとられてしまう。いい加減だし、うるさいし、熱っぽいし、やかましい。
だけどまっすぐで、なりたいものを目指してひたすら走っている。
彼女の隣にいたら僕も——情熱を、取り戻せるかもしれない。
「忘れていいよ。大したこと言ってないから」
「え?」
「分かった、取材受けるよ。その代わりひとつ、僕もいいか?」
僕はひとつ呼吸してから、言った。
「僕も、君を取材させてほしい」
「私、を……?」
彼女も予想だにしない答えを聞いた様子できょとんとしている。
「君の熱量に、狂わされた。だから、責任とってほしいんだ。君を取材して、僕も君に捧ぐラ・カンパネラを弾きたい」
「……へぇ」
しばらく黙っていたけど、彼女は不意ににこりと笑った。
「それ、すごく素敵! 二人で取材しあうの!? それってもうザ・切磋琢磨じゃん! お互いに磨きあって高めあっていく感じすごくいい! 少年漫画みたい!」
手放しに喜ぶ彼女は、やっぱりちょっとうるさい。でも、彼女のこの熱が僕を動かしたのは事実だ。
「じゃ、僕たちは相棒だな。よろしく」
「うん、よろしく! ……ところで、君、誰?」
「……はっ?」
「名前、知らないなと思って」
「はああああ!?」
僕は思わず大きな声をあげる。
「お前、名前も知らない奴に会いに来たの!? なんなの、天性のバカなの!?」
「えー!? 何それ、そっちだって私の名前知らないくせに!」
「お前が名乗らないからだろ!」
「そっちだって名乗ってないじゃん!」
僕たちはお互いに睨み合っていた。けど、なんだかおかしくなって笑ってしまった。彼女もつられたように笑う。
「はは、私たち、初対面なのにこんなにわあわあ言い合ってるの、ある意味仲良いよね」
「ケンカするほどって? バカみたいだな」
「はぁ、おかしい。私、雛見真希菜」
彼女が手を差し出した。
「僕は星宮天音」
彼女の手をとって握る。
「へえ、いい名前」
「女子っぽくて僕は気に入ってないけどね、音楽好きな父さんがつけた名前」
「いい名前だよ。よろしくね、天音」
いきなり呼び捨てかよと思ったが、僕らはそのぐらいでちょうどいいのかもしれないと思った。
「よろしく、真希菜」
だが、それは違った。彼女は開口一番に、「今日は来てくれてありがとう! 早速だけど、取材させてくれないかな?」と言ったのだった。
取材と聞いたときは新聞部か何かかと思ったが、目立つ功績もないような僕の元へ取材に来るとしたらそれはネタを決めるセンスがないとしか言えない。
一体何を取材するのだろうと思ったが、彼女は名前も名乗らずにただ「あなたが好きな曲、弾いて」とそれだけを言った。仕方がないから自分が唯一弾ける『ラ・カンパネラ』を弾いたという次第だ。
小説の取材だとはまさか想像もしなかったし、こんなにうるさい人が小説を書くなんて思いもよらなくて、僕はしばらく呆けてしまった。
「……小説を書くの? 君が?」
「うん。私、小説読むのが大好きでね。好きが高じて、中学の頃から小説書いてるの。いつか小説家になりたいと思っててさ。普段からよく書いてて。それで君のピアノを聞いたら、どうしても書きたくなっちゃった」
彼女の瞳には、光が宿っていた。僕の目の中からは消えてしまった光。
「『ラ・カンパネラ』を題材に書く? 音楽を、言葉にするってこと?」
僕が首を傾げると、彼女も同じ向きに首を傾げて僕と目線を合わせる。
「ん? 変だって思う?」
どうだろうか。考えていると、彼女は首をまっすぐ戻して言った。
「ある人が言ってたの。芸術にはあらゆる可能性があるって。小説は絵画になり得る。音楽は小説になり得る。詩は音楽になり得る。絵画は詩になり得る。君のピアノも、例外じゃないってわけ」
「はぁ……」
音楽は小説になり得る、か。
「つまり君は、僕のラ・カンパネラを君の小説にしたいと」
「そう! そういうこと! 取材、協力してくれる?」
僕はしばし考える。僕のラ・カンパネラ。僕のでいいのだろうか。未来を諦めた僕のピアノでいいのだろうか。
「僕よりも、もっと適した人がいると思うよ」
「え? どうして」
「情熱がないから。僕はもう、音楽をなんとも思ってないんだ」
彼女は黙る。
「君は小説家を目指しているんだろ? 僕に君ほどの熱意はない。見れば分かるだろ、僕がピアノを触るのは惰性だ。本気で夢を追う人の糧になるのが申し訳ない。僕があげる水では、君の花を咲かせてあげることはできないと思うんだ。だから」
「素敵な表現」
「え?」
僕は思わず、頓狂な声をあげた。素敵?
「メモしてもいい? 『僕があげる水では』……ごめん、さっきのやつもっかい言ってくれないかな」
「君の花を咲かせてあげることは……って、なに、なんなの?」
「素敵な比喩使うなぁって思ったの、だからメモさせて!」
彼女の目は、夜空の星を捕まえたかのような輝きを秘めていた。
「あ、ごめん。さっきの話もっかい最初から聞いてもいい? 素敵な言葉を覚えるのに必死で最初の方ぜんぜん覚えてないや」
思わず呆気にとられてしまう。いい加減だし、うるさいし、熱っぽいし、やかましい。
だけどまっすぐで、なりたいものを目指してひたすら走っている。
彼女の隣にいたら僕も——情熱を、取り戻せるかもしれない。
「忘れていいよ。大したこと言ってないから」
「え?」
「分かった、取材受けるよ。その代わりひとつ、僕もいいか?」
僕はひとつ呼吸してから、言った。
「僕も、君を取材させてほしい」
「私、を……?」
彼女も予想だにしない答えを聞いた様子できょとんとしている。
「君の熱量に、狂わされた。だから、責任とってほしいんだ。君を取材して、僕も君に捧ぐラ・カンパネラを弾きたい」
「……へぇ」
しばらく黙っていたけど、彼女は不意ににこりと笑った。
「それ、すごく素敵! 二人で取材しあうの!? それってもうザ・切磋琢磨じゃん! お互いに磨きあって高めあっていく感じすごくいい! 少年漫画みたい!」
手放しに喜ぶ彼女は、やっぱりちょっとうるさい。でも、彼女のこの熱が僕を動かしたのは事実だ。
「じゃ、僕たちは相棒だな。よろしく」
「うん、よろしく! ……ところで、君、誰?」
「……はっ?」
「名前、知らないなと思って」
「はああああ!?」
僕は思わず大きな声をあげる。
「お前、名前も知らない奴に会いに来たの!? なんなの、天性のバカなの!?」
「えー!? 何それ、そっちだって私の名前知らないくせに!」
「お前が名乗らないからだろ!」
「そっちだって名乗ってないじゃん!」
僕たちはお互いに睨み合っていた。けど、なんだかおかしくなって笑ってしまった。彼女もつられたように笑う。
「はは、私たち、初対面なのにこんなにわあわあ言い合ってるの、ある意味仲良いよね」
「ケンカするほどって? バカみたいだな」
「はぁ、おかしい。私、雛見真希菜」
彼女が手を差し出した。
「僕は星宮天音」
彼女の手をとって握る。
「へえ、いい名前」
「女子っぽくて僕は気に入ってないけどね、音楽好きな父さんがつけた名前」
「いい名前だよ。よろしくね、天音」
いきなり呼び捨てかよと思ったが、僕らはそのぐらいでちょうどいいのかもしれないと思った。
「よろしく、真希菜」