「浴衣? あるわよお父さんのが。捨てないで取っといて良かったぁ」
 クラスのみんなと夏祭りに行くのに、浴衣で集まろうと決まった。別になけりゃないでいいんだけど。そんな風にさりげなく母親に切り出してみれば、思いがけず喜ばれて暁生は逆に面食らう。浴衣を入手するという第一段階はあっけなくクリアした。
「着方分かるの? 私、上手に着せてあげられないわよ」
「たぶん大丈夫。インターネットで調べる」
 浴衣と角帯、下駄を渡された暁生は、思ったより干渉してこない母にほっとした。あれこれ詮索されても返事に困るし、母親に着せてもらうのも気恥ずかしい。
 本とインターネットのおかげで、着付け方は頭に入っている。浴衣チャレンジは次の段階だ。

 思っていたのと違う。頭に入っているはずなのに、予想以上に着付けは難しい。部屋に戻ってリハーサルをしてみることにした暁生は、何度も羽織った着物に帯を巻いてはぐちゃぐちゃになってしまう状態に頭を抱えた。
 これが夏祭り当日でないことが不幸中の幸いだった。何がいけないんだろう。浴衣の中心が背中をまっすぐ通るように整えたし、上前と下前の位置も本の写真通りに決めた。帯を巻き始めると、それが崩れてしまうのだ。

 もらった浴衣のセットをもう一度見てみると……そうか、腰紐がないんだ。浴衣を着たあと、帯を巻く前に腰紐で固定していないから、ぐちゃぐちゃになるんだ。足りないものに気づけたのは良かった。着付けチャレンジに失敗して凹んでいた暁生の気持ちが少し上向く。
「お母さん、腰紐ってある?」
 はやる気持ちが、暁生を珍しく急き立てた。失敗や他人にどう思われるかを気にして目立つアクションを控えることが日常になっている暁生が、パンツ一枚でドタバタと階段を下りてくる様子に母親がびっくりしていることなんて、かまっている余裕はない。

 夏祭り当日、集まった10人のうち前田さんを含む女子生徒4人が浴衣を着ていた。男子生徒で浴衣を着てきたのは暁生だけ。前田さんは拍手をして暁生を歓迎した。
「すごい、榎波君も着てきたんだ。似合う。そうだよ、男子も着ればいいのに」
「だって浴衣なんて持ってねえもん」
「榎波、自分の? それ」
「ううん、父さんの。聞いたらあるって言うから」
「へぇ、いいな。俺も来年は着てみたい。親に聞いてみよ」
「そうだよ。もしなくても、今けっこう安く売ってるよ」

 前田さんたちが暁生の浴衣姿を褒めてくれたことで、暁生の浴衣チャレンジはもう一つクリアだ。外に出て、楽しむ。周りを見れば、少ないながらも浴衣を着ている男性がいたのも、暁生を嬉しくさせた。