小学校6年の時、地元の職業を体験してみようという校外授業で、機織りに触れる機会があった。暁生の住んでいる街は、織物の産地だったところだ。産業としては廃れてしまっているけれど、技術や伝統を若い人にも伝えたいという活動の一環で、地域の小学生は必ず体験することになっていた。
 地元で織物店を営んでいた人に教わりながら10センチ四方のコースターを作るというものだったけれど、自分で織った布の手触りはとても良くて、機織りの作業もとても面白かったことを思い出す。
他の地域では織物産業が盛んなところもたくさんあると中学で学んでからは、図書館に行っては各地の織物の特徴を調べたりもした。その過程で、着物の存在を知った。

 自分も着てみたいと暁生は思った。言ってみれば布をまとっているだけなのに、洋服にはないかっこ良さがある。暁生の目に、着物は昔のものというより、逆に今だからこそかっこ良く映った。けれど、自分の思うかっこ良さは、他人とは違っているかもしれない。
意識してテレビ番組を見てみれば、着物を普段から着ている人はいるみたいだった。歌舞伎役者、将棋の棋士。暁生より少し年上くらいの人が、着物を着てテレビ番組に出演しているのを見た。
 とはいえ、暁生みたいな中学生が普段から着物を着るなんてことはないに決まっている。暁生の消極的な性格は、着物を着てみたいと思うことをためらわせた。

 中学3年の時に自分だけのスマホを持つことが叶って、まず暁生が起動したのはデフォルトでインストールされていたウェブブラウザ。着物の種類や着付け方を調べるのにはもってこいだ。
 街の図書館では知り合いと鉢合わせする可能性大だから、好きなだけ検索するなら、やっぱりインターネットだと暁生は思う。だれに何を思われることもないインターネットの世界は楽しい。
 けれど、自分ひとりで調べるには限界があった。浴衣と着物の違いすら知らなかった暁生には、身頃とか(おくみ)とか言われてもなんのことやら分からない。生地や産地の違い、ルールもたくさんある。そもそも着物を一枚も持っていないから、何をどう手に入れたらいいのか分からない。夢の叶え方にまでインターネットは届かなかった。

 高校生になっても暁生の性格はそう簡単に変わるものでもなく、積極的に友達の輪に入るということはできなかったのだけれど、座席の前後のクラスメイトが話しかけてくれたおかげで、どうにか友達と呼べる数人と仲良くなることができた。
 彼らに誘われてインストールしたSNSアプリで一応自分のアカウントを作ってみてはあった。何を呟いていいか分からなくてそのままにしてあったアプリ。

 暁生ははっとした。どうして思いつかなかったんだろう。もしかしたらこの中に自分の求めているものがあるかもしれない。