何度かの練習でようやくねじれたりはだけたりせずに着付けができるようになって、着物男子会当日は慌てずに準備することができた。

 土曜日の昼間、急に息子が着物を着て部屋から出てきたのを見た両親は、「何かあれこれやってると思ったらこれだったのか」と驚いてはいたけれど、普段からあまり自己主張もせず大人しい息子に、何か好きなものができたのは良いことだと、声援で送り出してくれた。
 隠していたことがバレてしまった気恥ずかしさはあったものの、どこか清々しい気持ちもある。

 暁生はいつもは何気なく歩いている道や駅や電車の中で、自分の目線がいつもより高くて広いのを感じた。下駄のおかげもあるけれど、帯で腰まわりが固定されることで、姿勢がいつもよりしゃんとしているからだ。何より自分が変わったな、と思うのは、他人の視線が怖くないということ。
 どう思われているかなんてそんなの、絶対珍しく思われているのに違いないから、それ以上勘ぐる必要もない。せいせいとした開き直りは気分が良い。
 隣の市にある会場へ着く頃には、着物がかなり馴染んだように感じられた。

「榎波君一番乗りだ。あらためてシバこと柴田です。お、着物着てくれてありがとう。ぴったりだし着付けも上手いね」
「今回は本当にありがとうございました。会にも誘ってもらえたおかげで、さっそく夢が叶いました」
「うちのじいちゃんもきっと喜んでるよ。あ、今日は全部で6人集まって、SNSのアカウント名で喋ります」
「分かりました」
 
 会場の柴田呉服店には、今は何もなくて座布団と座卓だけが用意されていた。真ん中に大きなパソコンがあって、オンライン参加の人はそこに顔が映るようになっている。シバさんと一通り挨拶や報告を終えたところで、暁生の他にもうひとり、会場へやって来た。ドクロの浴衣の下に、なんとパーカーを着ている。この浴衣には見覚えがある。
「あ、この浴衣SNSで見ました!」
「そうそう、よく分かりましたね。ミントと言います。よろしくお願いしまっす!」
 ミントさんは聞けば22歳のバンドマンで、暁生とは一番歳が近い。初対面の人たちと会うという緊張感がほぐれたところで、パソコンの画面にもぞくぞく人が集まってきた。

「よし、じゃあそろそろ始めましょうか。今日は参加していただきありがとうございます。着物男子会主催のシバです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまっす」
「お願いします」
「オンラインの皆さんもよろしくお願いしまーす」
「よろしくお願いしますー」
「こんにちはー」
「お願いしまーす」

 簡単に自己紹介をして、自分の好きな着物を言い合う。木綿に正絹、暁生と同じく紬の好きな人、デニム地の着物にハマっている人もいて、着物沼の広さに暁生は驚く。
 着物男子はみんな優しくて、職業や年齢関係なく着物好き同士が集まって喋る場に、暁生もいつの間にか引き込まれて、好きになったきっかけや悩んだこと、失敗談なんかを喋っていた。
「分かる、素足に下駄だと痛くなるよね」
「一晩タオル噛ませておくと、鼻緒が広がって楽だよ」
「俺、浴衣でも足袋とか五本指ソックス履いたりする」
「なるほどー」
「僕はスニーカーにしちゃいました。ちょっと視線が痛かったけど」
「気にしない気にしない」
「楽しく着るのが一番」

  前田さんに話した時もそうだったけれど、着物を楽しく着たいと思っている人は、他の人にも楽しんでほしいと思っている。その気持ちは、暁生も大事にしようと思った。