リレーの練習は地獄のようだった。
サッカー部のエースの透が第一走者。
クラスで二番目に足の速い透が、最初に他のクラスとの差をつける。
二番目は女子の代表で一番速い雪子。
三番目が元テニス部の菜穂。
四番目がかなで。
五番目は野球部エースの陸。
アンカーが、クラスで最も足の速い咲夜だ。
かなでが作ってしまうであろう遅れを、陸と咲夜に取り戻してもらう作戦である。
迷惑なんてかけたくないのに、どう見てもかなでだけが遅い。
そして予想通り、練習が始まると明らかにかなでは足を引っ張っていた。
バトンの受け渡しは下手くそ、そして何より足が遅い。
練習が始まって一週間が経つ頃。
ついに透の堪忍袋の緒が切れた。
「成海おまえさぁ、いい加減にしろよ! 足は遅いし体力もねえしバトンは落とすし転ぶし! 何だったらできるんだよ逆に!!」
透が怒るのも無理はない。
かなでなりに一生懸命走っているが、焦ると転んでしまう。急がなきゃ、と思うとバトンを取り損ねてしまうこともある。
あまりにもかなでの足が遅いから、みんなは練習に付き合ってくれているのに、肝心のかなでが一番にへとへとになってしまう。
そのたびに練習が中断されて、何度も同じことを注意される。
慣れない運動で足はぷるぷる震えているが、それでも必死にやっている。
でも、結果に繋がっていないのだから、透からすれば怒りたくもなるだろう。
悪いのは自分だ。
そう分かっているのに、透に怒鳴られて、涙が止まらなくなってしまう。
「ご、ごめんなさい……」
「ごめんって言うのは簡単だよな」
「ちょっと透! 言い過ぎ!」
菜穂が間に入って庇ってくれるが、透は止まらない。
「だってどう見ても成海が足を引っ張ってるだろ! おまえら勝ちたくねえの!?」
「勝ちたいけど! だからってかなでを責めるのは違うでしょ!」
大粒の涙をこぼしながら、かなでは必死に謝る。
しかし、怒りに火がついた透には逆効果なようで、しゃがみ込んでいるかなでの腕をぐいと引っ張った。
「泣いて謝るくらいなら練習しろよ!」
「い、いた……!」
「何してんだよ」
透に掴まれた腕を解放してくれたのは、咲夜だった。
水分補給に行っていた陸と咲夜が戻ってきたのだ。
涙をこぼすかなでに、陸がタオルを差し出してくれる。
そのタオルに顔を埋めて泣いていると、咲夜の怒りに満ちた声が低く響いた。
「遅いから無理だってこいつは散々言ってただろ。それでもじゃんけんで決まったんだから、その分俺らがカバーすればいいだけの話だろ」
怒られていたことも、泣いてしまったことも恥ずかしい。
怒鳴られたのはこわかったけれど、透が怒った原因はかなでにある。
かなでが悪い。そんなことは分かっている。
それでも、咲夜が庇ってくれたことに、再び涙が込み上げてきてしまう。
「俺より透の方が速いから、俺も強くは言えないけどさ。俺も咲夜の言う通りだと思うよ」
陸もフォローの言葉を口にしてくれる。
ぐす、と鼻を鳴らして、おそるおそるタオルから少しだけ顔を上げる。
咲夜は透の腕を掴んだまま、見たことのないほどこわい顔で睨みつけている。
陸はかなでを背に隠すように間に入ってくれていて、表情は確認できなかった。
目の前に立つ陸のジャージの裾をきゅっと握ると、陸が少しだけ振り返り、優しく笑ってくれた。
「かなでが他の女子より三秒遅いとする」
「は?」
「おまえと陸が一秒ずつ、俺が二秒。他のやつより速く走れば解決するだろ」
咲夜の言葉に、透が息を飲んだのが分かった。
言っていることは無茶苦茶だ。
リレーの選手がみんな同じくらいの足の速さなわけもない。
単純に計算できる問題ではないのに。
「いけるよ。透は速いし、俺も頑張るし」
「一秒だぞ? 本当にいけるのかよ」
「自分のタイムを一秒縮めるんじゃなくて、他の人より一秒速く走るだけでしょ?」
簡単だよ、とでも言い出しそうな口調で、陸が軽く言ってのける。
陸に気圧されたのか、透が黙り込む。
かなでは陸のジャージの裾を握ったまま、涙目でそのやりとりを見つめていた。
「まあ、おまえが自信ないって言うなら? 俺がその分速く走ってやるよ」
「そんなこと言ってねえだろ! やればいいんだろ!」
「はいはい。じゃあ解決な。とりあえずかなでは、陸にバトンを繋ぐことだけ考えてればいいから」
分かった? と咲夜に頭をバトンではたかれる。少し痛かったけれど、庇ってもらったのが分かっているので、かなでは素直に頷いた。
心臓がとくんとくんとやけに速く鼓動している気がした。