その日の夜、加賀谷から尾立に久しぶりに連絡が入った。それは、とても、悲しい知らせだった。
「そんなに悲しまないであげてください。二人とも穏やかな表情で眠っていましたよ。明日になればまた起きてくれるのではないかって、思うくらい穏やかな……」
「そういう加賀谷先生だって泣いているじゃないですか……っ」
「泣かずにはいられませんよ。愛おしい子たちでしたから。早く会いに来てあげてください。先生に見せたいものもありますので」
その言葉を聞きながら、尾立は家を出ていた。
 久しぶりに降り立った夏島は、とても暑かった。だけど、仄かに雪の香りがした。それはきっと彼女の力の残り。誰かのために自分の力を使いたい、と願っていた彼女は、ようやくその夢を叶えられたのだ。良かった、と心の底から思った。
 尾立は、初めて二人が過ごした部屋を訪れた。加賀谷は、二人が過ごしていた頃のままにしていると言っていた。
「そこのベッドで二人は、最期を共に迎えていました。雪くんの上に倒れこむようにして香苗さんが横たわっていて、仲良く手を握って眠っていました」
「……二人を生かせなかったのは悔しいが、穏やかな表情で逝ってくれたのなら良かった。少し、救われたよ」
 尾立の夢は、二人のような特異体質を持って生まれてしまった人でも、命に関わらないような方法を見つけること。大学生の頃から研究を進めてきている。後、もう少しなのだ。
「そこの机を見ていただけますか」
 加賀谷にそう言われて、ベッドから目を移した。そこには、尾立と加賀谷宛ての手紙、一枚のCD、分厚い茶封筒、何枚かの封筒が置かれていた。その上に、そっと置かれたメッセージカード。
『ここに置いてあるものを私たちが死んだ後、届けるべき場所へと届けてください。お世話になりました。お願いします』
 それは香苗の文字だった。
「尾立先生、二人の想いをどうかこの先伝えていってあげてください」
 普段は冷静沈着な加賀谷が、涙をぼろぼろと零しながらそう言った。尾立はそっと茶封筒を開いた。そこに入っていたのは、三十枚くらいの原稿用紙に書かれた小説だった。メッセージカードの文字と同じ。香苗が書いたものだった。CDを手に取ってみると裏にタイトルと名前が書かれていた。

『君と僕の小さな命が尽きるその日まで 歌・月花雪 作詞・花城香苗』

 それは、香苗の書いた小説のタイトルと同じだった。
「二人が残してくれた軌跡だ。帰ってしっかり伝えていくよ」
「ありがとう、ございます……っ」
 それから、東京に戻った尾立は香苗の生まれ育った街に行き、香苗の大切な人たちに会っていった。みんな涙を零してありがとう、と微笑んでくれた。
 この世界にはきっと、まだまだ二人のような特異体質を持ち悩み、悲しみ、迷って生きている人たちがたくさんいるだろう。加賀谷が作ってくれた夢待合室に行けば、安心して過ごすことができる。だけど普通の人と同じように働いて、恋をして子どもを生んで、育てて、そんな幸せを夢みたっていいではないか。堂々と道を歩いて、何かを諦めるなんてないように。大切な人を、時間を失わなくてもいいように。そんな世界にできたのなら……。
「ありがとう、雪、香苗、私は二人がいなくなってしまったこの世界で、君たちの想いを伝えながら、この先もずっと生きていくよ。どうか、空の上では穏やかに暮らしてくれ。そしていつか生まれ変わったらまた二人に出会いたい……」
空を見ながら尾立はそう願った。
 生まれてきたことを後悔しながら、歩いている男がいた。今晩死んでしまおうか。そんなことを思うくらい追いつめられていた。とぼとぼと歩く男の耳に、ふと美しい歌声が響いてきた。アカペラの歌声だった。夢を見ることを忘れた少年が、自分の願いを叶えてくれる人と出会い、その人と手を取り合って生きて行こう、と歌っている。アカペラの美しい声が刺さる。そしてほぼ同時に、ふと目に入った看板に貼ってある一冊の本の宣伝のポスター。

【あるがままあなたの人生を生きて! 諦めないで! あなたを必要としてくれている人は必ずいるから】

 その言葉と歌声に、自然ともう少し生きてみようかな、と男は久しぶりに空を見上げた。

 見上げた空は、眩しいくらい青かった。

                                                          了