次の日の朝、雪くんは普通におはよう、と挨拶をして朝食の準備に取り掛かっていたけれど、私はとても普通になんて出来なかった。昨日と同じように朝食を食べ終わって、お茶を飲みながらじっと雪くんの顔を見つめ、切り出した。
「雪くん、昨日最後に言っていた私と同じ命の期限が残り二週間ってどういうことなの?」
「やっぱ、教えなきゃダメだよね」
「教えて欲しいな」
 雪くんは、分かったと頷いてゆっくりと言葉を紡いだ。
「……僕はね、生まれた時に一度外の空気に触れてしまったって言ったでしょ。その時点で僕はもう二十歳までは、生きられないって言われたんだって。僕は今、十九歳。二週間後は僕の二十歳の誕生日なんだよ」
 どくん、どくん、と心臓が高鳴る。
「でもね、こうして中にいれば体調がおかしくはならないから本当に突然ぱったり命が尽きるらしいよ。それを知ったのは、二十歳の誕生日の一ヶ月前だった。何も思わなかったけど僕はただ一つ、どうしても触れたくて、見てみたいものがあったんだ。そして、かなちゃんが来た。そうしたらもうわかるよね?」
「雪……?」
「そう。生まれてからずっとこの夢待合室で生きてきて、永遠に夏の島から出られない僕は【雪】というものを知らない。テレビの中とかなら見たことはあるけど……。だから最期は、冷たい雪の降る空間で命を尽きたいなって思ってさ。だから、かなちゃんの力は今すぐ必要ってわけではないんだ」
 そう言って、私を見つめてくる雪くんの瞳は綺麗だった。
「かなちゃんの命の期限についても聞いてた。だから思ったんだよ。お互い特異体質を持っていて、二週間の命、最期くらい何も考えないでやりたいこと、好きなこと、やってみたかったこと、それを二人で出来たらいいなって。だから二週間前に呼んだんだ。ごめんね、僕の我侭につき合わせて」
「謝る必要なんて何もないよ。良い案だと思う。二週間、毎日お互いの夢を叶えていこう! そうしたらきっとあぁ、生まれてきて良かったなって、思えるはずだから。楽しく過ごそう!」
 最期の日まで、しんみりと過ごすなんて嫌だった。特異体質なんて、命の期限なんて忘れられるくらい楽しく笑顔で過ごしたい。そうして胸を張って私は生きたんだ、と思いたい。後悔を残したくはなかった。残り二週間、という時をかけがえのない時間にしたい。それを雪くんが与えてくれた。もし、雪くんが私を呼んでくれなければ、最期の時にだけ呼んでいたら、残り二週間をどう過ごしていたのだろうか。想像がつかなかった。
「ありがとう。それでね、こういうのがあったら便利かなって思って作っておいたんだ」
 そう言って雪くんが取り出してきたものは、一枚のカレンダーだった。だけどそのカレンダーは今月の最期二週間しか、描かれていないものだった。
「それは……?」
「このカレンダーの枠に最期の日までのお互いのやりたいこと、したいことを書いていくんだよ。そうしたら今日は何をするかってよくわかるでしょう?」
 楽しそうに雪くんは笑う。
 その笑顔は、自分たちが死へと向かっているとはまったく思えない笑顔だった。だから、私も笑った。負けないくらいの笑顔で。それはとっても素敵だね、と。そうして私たちは、交互に枠に願い事を書いていった。

*十三日前
香苗:手料理をまた食べて欲しい 
雪:手を握って一緒に寝て欲しい

「それじゃあ、最期の日まで毎日料理作ってよ! もちろん僕も手伝うけどさ! そうしたらかなちゃんの願いは、最期の日までずっと叶うでしょ?」
「飽きたりしない……?」
「飽きるなんてないよ。それに、もし僕が普通の人だったのなら、今もきっとお母さんの料理を食べているはずなんだから。それが飽きるってないでしょう? 僕、かなちゃんの料理昨日初めて食べたけど大好きになっちゃったから。二週間しか食べられないってのが残念で仕方ないくらいだよ」
 雪くんの言葉はもっともだった。私だって、大学生になるまでずっと、母親の料理を食べて生きてきた。その味に飽きる、なんて思ったことは一度もない。それが普通で日常だったのだから。だけど雪くんには、その普通の日常がなかった。それなら私が最期の日まで日常を与えよう。
「ありがとう。そうしたら私は、毎日雪くんの手を握って寝てあげるね。私も一人で眠るのは寂しいから」
小さい時、雪くんは怖い夢を見て眠れなかった日も、誰かに傍にいて欲しいと思った夜も、そこに手を握って一緒に寝てくれる人は、いなかったのだろう。一人で泣いて、我慢して。
「二人で一緒に眠ったら良い夢が見られそうだよ」
「私もそう思うよ」
 それから昨日と同じように私たちは、一緒にキッチンに立って料理を作り始めた。今日は、リクエストを聞いてみた。そうしたら、ふわふわのオムライスが食べたい、と言われた。これはいきなり難易度が高いぞ、と焦った。ふわふわのオムライス、なんてあまり食べた記憶がない。だけど、街を歩いていた時よく目にした。そうして、ふと思い出したのだ。ずっと前、初めて元彼と一緒に食べに行った店で頼んだのは、ふわふわのオムライスだったなぁ、と。元彼との大切な思い出ではないのか、と思われるかもしれないけれど目まぐるしく過ぎていく人生の中で、ちゃんと覚えていられる思い出は限られている。普通の人と同じように生きていれば元彼と初めて行ったお店で食べた物は、きっとずっと一生忘れられないものになっていたのだろうけれど。私の記憶のほとんどは、この特異体質と命の期限で埋め尽くされてしまっているのだから仕方がない。   
 だけど今、思い出してくれて助かったなと感謝した。あの時の味と見た目をなんとか思い出して、真似て作ってみた。雪くんには、ご飯を炒めるのをやってもらった。そうして出来上がったふわふわのオムライスを綺麗にお皿に盛り付けたら、お店の物ののように見えた。
「わー! おいしそう!」
 きらきらとした瞳で雪くんは、オムライスを見つめた。ダイニングにお皿を持っていっていただきます。何気ないこの日常のあいさつが私は好きだ。いただきます、ごちそうさま、おはよう、おやすみ、そんななんでもない当たり前の言葉が、すごく特別なようなものに思えて。その言葉を言う瞬間に、とても幸せを感じていた。
「すっごくふわふわだよ! おいしい! 前にテレビで見てずっと食べてみたかったんだー」
「ありがとう……」
 私も口に運んでみた。確かにそれはおいしくて、ちょっと懐かしい味がして泣きそうになってしまった。寝る準備を済ませたら私たちは、一緒の布団に入って手を繋いだ。雪くんも私も小さいと言える身体ではないから、少し大きめのベッドとはいえ狭かった。だけど嫌な感じはしない。とても暖かくて、安心するぬくもり。
「かなちゃんあったかい」
「雪くんもあったかいよ」
「ずっと、ずっと、こうして一緒に寝てくれる人がいたらなって思っていたんだ」
 普通に生きている人だって寂しくて、辛くて、一人の夜が嫌だと思う日はあるだろう。そんな中、雪くんは自分の特異体質と戦いながら、日々を過ごしてきっと毎日辛かったに違いない。普段は明るいから、周りは気がつかないかもしれないけれど。それなら私がこれからは気がついてあげよう。お願いをされなくても、いつだってこうして手を繋げるように。
「本当にありがとう」
「ううん。私の方こそありがとう、ね」
きっと今夜は、良い夢が見られるだろう。

*十二日前
香苗:雪くんの夢を知りたい 
雪:かなちゃんの夢を知りたい

「これってもうやりたいこと、やってみたかったことと関係ないんじゃないの?」
「そうかもだけどね、これは最後には僕のやってみたかったことに繋がるんだ。これからの予定を見てみて」
 雪くんにそう言われて私は、今後のカレンダーに書かれた予定をじっと見つめた。
 互いの夢、自分がどうしたいのか、どうして欲しいのか、生まれ育った街、焦がれる街について、恋の話、残したい想い、そうして、最後は一緒に何かを作りたい、そんなことが書かれていた。
「僕さ、こんな身体だからもちろん学校なんてところには、通ったことがないし【青春】って言葉もよく知らない。だからこれから最後の日まで、一緒に学校生活を送っているような、そんな雰囲気になれたらいいなって。友達同士が話す会話のような、願いを書いてみたんだ。後、一緒に何かを作りたいって言うのも文化祭って言うんでしょ。そういうのやってみたかったから……」
 あぁ、そうか。雪くんは、本当に何も知らないのか、と思い知らされた。学校になんて良い思い出はあまりないけれど、それでも、学校に通えていたというのは幸せなことだったのだ。友達も少ないけどいたし、彼氏だって出来た。だけど、同じようで違う境遇の雪くんは、ずっとここにいたのだ。
「二人で青春、しよう! 私も雪くんにつられて願い書いちゃったし書いたからには実行させないとね。それで、私たちの想いたくさんの人に知ってもらおう」
「うん。ありがとう、かなちゃん」
そう言って笑った雪くんの笑顔はとても、暖かくて後二週間もしないうちにこの笑顔が消えてしまう、というのが信じられなかった。

*十一日前
香苗:小説家になりたかった 
雪:アイドルになりたかった

 次の日、私たちは自分の夢を打ち明けた。一日明けたのには理由があった。お互い今まで自分の夢について誰かに打ち明ける、なんてしたことがなかったから整理が必要だったのだ。自分の夢と向き合ってみて思った。もし、こんな体質を持たなかったら今頃私は何をしていたのだろう、と。私の夢は私の力で誰かを喜ばせることだけだと思っていた。だけど、もう一つあったなと思い出したのだ。忘れていたわけではない。忘れようと頑張っていたけれど、やはり忘れられなかったようだ。
「かなちゃん小説書けるの⁉」
「そんな大したこと書けないけどたまに書いてたよ」
「わー読んでみたいな」
「そしたら私も雪くんの歌聞いてみたい」
 そこで、はっと気がついたのだ。私の文章と雪くんの歌。昨日、言っていた文化祭みたいなことがしたいという言葉。
「ねぇ、もしよかったら合作してみない?」
「合作?」
「そう。私が歌詞を考えるからそれを歌って欲しい。それで録音しておくの。雪くんの声をこの世界に残しておきたい」
「いいね! そしたら僕からもお願いをしたいんだけどいいかな?」
「何?」
「その歌に合う小説を書いて欲しい。かなちゃんが書いた小説が映画とかドラマとかになった時の主題歌をアイドルになった僕が歌っているっていう設定! どうかな?」
「とても素敵だと思う!」
 私たちは、そんな夢物語を語った。そんな夢は叶わないってわかっている。たとえ、もし私が書いた小説が映像化され、その時の主題歌を雪くんが歌ってくれたとしてもそれをこの目で見ることは絶対に出来ない。すべてが本当に夢。だけど少しの間くらい、そんな大きな夢を見たっていいではないか。あと数日の命なのだ。私たちは、さっそくその日の夜からどういう話にしようか、歌にしようか、と話し合いを始めた。

*十日前
香苗:自分たちのような人がいることを知って欲しい 
雪:自分が生きた証を残したい

 私たちが、もっとも願っていること。この世の中に、いったいどれくらい私たちのような人について知ってくれて、理解してくれている人がいるのだろうか。私たちみたいな人は誰かに生きていていいよ、と言ってもらえないと生きてはいけないのだ。
少しでも否定されてしまえばあぁ、やはり自分はおかしいのだ。生きていても意味がないのだ、と思ってしまう。だけど、どうせ普通の人間と違って死が、いつくるのか早い段階で決まってしまっている運命。その短い生涯を楽しく、精一杯生きたいではないか。
そのためには、他人からの肯定の言葉が必要なのだ。
「私は、自分たちを主人公にしたお話を書こうかな」
「僕も同じ」
「決まりだね」
「うん!」
 私たちは、さっそく作業に取り掛かった。まずは作詞から。それを踏まえてお話を書き始めたほうが、やりやすいと思ったのだ。しかし、今まで書いてみたいなとは思っていたけど、実際に書き始めるのは今回が初めてでなかなか難しい。だけど、二人でアイディアを出し合って進めていくのは本当に楽しい。途中で休憩を挟みながら今日は、なんとなくの構成をまとめるところまではできた。

 そうして、また一日が終わってしまった。刻一刻と最期の日は近づいてきている……