目標をみつけてからの日々は、この力から逃げていた大学生の頃よりもずっと充実していて、幸せで暖かい日々だった。誰かの幸せのために、この力を使う。それは、なんて素敵なのだろうか。
 余命一ヶ月を切ってから、ようやく生きた心地がしてくる、なんて不思議だ。私のこの力の研究をしている人にも協力をしてもらった。
 尾立湊先生といって、四十歳なのに実年齢よりも若く見えるイケメンの先生だ。きっと病院内でもモテモテなんだろうな、と思っている。顔が良い上に性格も良くて、患者の話にしっかりと耳を傾けてくれる。こんなに素敵な人なのに、独身だというのが驚きだ。
雪を見たい、雪に触れたい、と思っている人がいるところはないか、と聞いてみた。そうすると尾立先生は、必死に調べてくれた。なかなか、そんな特殊な環境にいる人は見つからなくて苦労をした。生きる理由を見つけたはいいが、簡単ではなかった。すぐに実行できるはずもなくて、結局私がこの力を人の幸せのために使えたのは、最初の目の見えない男の子と命尽きる残り二週間となった時に、出会えた男の子の二人だけとなってしまった。でも、それでもよかった。この力を見て笑顔になってくれた人がいた、その証拠がひとつでもあるのなら、それが私の生きた証だ。
 その人の元へと向かう前に私は、たった一年だったけれど私に、普通の人としての幸せを与えてくれた彼氏にお礼を言って、本当のことを話して別れた。彼氏はよくわからない、という顔をしていたけれど怒ったり馬鹿にしてきたりはしなかった。ただ一言、頑張ってと言ってくれた。その言葉が嬉しくて、私はありがとうと言って、最後に彼氏とキスをした。
 大学時代に、初めて出来た友達にもすべてを話した。友達は、ぼろぼろと涙をこぼしてくれた。私を想って、涙を流してくれる人なんて今までいただろうか。四年間、ずっと私と一緒にいてくれた友達。優しくて、暖かくて、傍にいると安心する子。本当にありがとう。
 そして最後に、私が普通の人として過ごしてきた愛おしい街にさようならを伝えた。それから、もう一つ行かなくてはいけないところがあった。もうこの部屋には二度と戻らないだろう。私は最期の時を生まれ育ったこの街ではない、遠い、遠い街で過ごすと決めた。そこに、私の力を必要としている人がいる。それなら行かない理由がない。この街に良い思い出はあまりない。だけど、少し寂しい気持ちはある。今までたくさん大変な思いをしてきたであろう両親に、感謝を込めてありがとうを伝えた。両親はたくさん泣いてくれて最後にぎゅう、と身体を抱きしめてくれて笑って見送ってくれた。今まで、ずっと素直に言葉を伝えられずにいたけれど、最後にちゃんと笑いあえてよかった、と思いながら両親と生まれ育ったこの街に、手を振って電車に乗り込んだ。
 
 そうしてたどり着いたのは、海の上にぽつん、と浮かんでいる小さな、小さな島だった。ここまで来るのに、いったいどのくらい時間がかかったのだろうか。街を出た時は明るかったのに、もうすっかり暗くなってしまっていた。船から降りて、その地に足を踏み入れた。島を歩き始めたが、何もない道が広がっているだけで、本当にこんな場所にこの力を必要としてくれている人がいるのだろうか、と不安になった。だけど、尾立先生は確かにこの島だと言っていた。
「暑いなぁ……」
 私は少し立ち止まり、額から出る汗をぬぐった。それから渡されたメモをもう一度見直した。確かに島の名前は、ここであっている。他に何か言っていただろうか。
『その島に行けばわかる』としか言われなかったなぁ、と思い出してため息をついた。
「お嬢さん、ため息ついてどうしたんだい?」
急に声をかけられ、私の肩はびくっと揺れた。振り向けばそこには、優しそうな雰囲気のおばあさんが立っていた。
「人を探しているのですが、どこに行けばいいのかわからなくて……」
「あぁ、もしかしてお嬢さんが雪くんの願いを叶えに来てくれた人かい?」
「あ、はい、たぶんそうです。花城香苗といいます」
「香苗ちゃん、よろしくお願いしますねぇ」
「こちらこそよろしくお願い致します」
 そんなありきたりな言葉だけでは、本当は足りないのだ。だって、ここが私の最期の場所になるのだから。この島に住む人たちにとっては、いい迷惑だろう。せめて私がこの島に来てくれてよかった、と思ってもらえるような存在になってからいなくなりたい。この島に私という存在を刻み込んで、愛してもらえたら幸せだ。
「それで、そのゆきさんという方はどちらにいらっしゃるのですか?」
「あぁ、あそこに白い建物があるだろう。あそこにいるよ。あの建物の最上階、そこが雪くんの住んでいる場所だよ」
 おばあさんが指差したところには、この島には似つかわしくない白い大きなコンクリートの建物があった。先ほどいたところからも見えただろうに、海にしか目がいっていなくて気がつかなかった。あそこに、私を必要としてくれている人がいる。そう思うと、早く会いたくて仕方がなかった。おばあさんにお礼を言い、少し早歩きで建物へと向かった。
目的地に着くと【夢待合室】と書かれた看板が目に入った。この建物の詳細は、聞かされていなかった。病院でも老人ホームのような施設でもなさそうだ。よくわからないまま、建物の中へと入った。
「すみません、今日からこちらでお世話になります花城香苗といいます。こちらに来れば、わかると言われたのですが……」
カウンターにいた人にそう声をかけた。
「花城さんですね、遠いところまでどうもありがとうございます。どうぞこちらへ」
 すらっとした背の高い女性に招かれ、私は【会議室】と書かれた部屋へと入った。少し待っていてくださいと言われて、ようやく腰を落ち着かせることができた。少し経つと先ほどの女性が、冷たいお茶を持って入ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「さっそく本題に入りたいと思うのですが、よろしいでしょうか」
「はい」
「私は、この施設で事務員をしております加賀谷といいます。花城さんのここでの生活を手伝っていくものですので、よく一緒に行動させてもらうと思います。よろしくお願い致します」
「こちらこそよろしくお願い致します」
なんだか自分が大層な人間になったような感覚に陥ってしまう。こんな丁寧な対応をされるのは、初めてで落ち着かない。
「まず、はじめにこちらの施設についてご説明致します。こちらは看板にも書いてあったとおり【夢待合室】という名前の施設です。病院ではないです。しかし、ここで暮らしている人は、皆どこかに【傷】を負った普通の人と同じ暮らしはできないものが、暮らしています。普通の人に、危害を加えられないように傷を負った者たちを守るところなのです。ここでなら彼らは、彼ららしく生きることができて、好きなように過ごせます。いつか彼らの【夢】が叶ってくれたらいい、それを手助けする、夢を待っている場所、だから【夢待合室】と呼んでいます」
 私はそれを聞いてなんて素敵なのだろう、と思った。そんな素敵なところがあったのなら私もここで暮らしたかった、なんて思った。だけど、それはもう叶わない。私は、ここで暮らす私を必用としてくれている人の願いを叶えてあげるために来たのだ。
「夢待合室の規則や島の地図などは、先ほどお渡ししたファイルの中に入っているので、後でご確認してください。では花城さんが、一緒に住む人がいるところへご案内しますね」
 着いてきてください、と加賀谷さんは言い立ち上がった。その後を私は、不安を抱きながら着いていく。目的地へとたどり着くまでの廊下には、綺麗な絵画や日本国内や世界各国の色んな街の写真が、たくさん飾られていた。オブジェのような物も置いてあった。
「綺麗、ですね」
「ありがとうございます。ここに住む人たちは皆この島から出られない者ばかりなのでせめて写真や絵画、オブジェで、色んな物に触れてもらいたいと思って集め始めたのですよ」
 何てことのないように加賀谷さんは言うけれど、この小さな島から出られない、というのはどれほど寂しく、辛いことなのだろうか。想像ができなかった。私だって普通の人ではないけれど、それなりに自由に普通に暮らせていたと思う。どうして私だけこんな辛い想いをしなくてはいけないのか、とずっと思っていたけれど私よりも辛い想いをしている人は、きっとこの島にたくさんいるのだ。
「こちらです」
 加賀谷さんが立ち止まったそこは夢待合室の最上階で一番端っこ、窓の外を見れば美しい海が広がっていた。トントンと軽くノックをする。それからバタバタと騒がしい音がして、勢いよくドアが開いた。

「はいは~い!」
 そう元気よく返事をして出てきたのは、同じ年くらいで、にこにこの笑顔を浮かべた男の子だった。
「おはようございます、雪さん。花城さんを連れてきました」
「おっはよう、かがやん! その人が花城さん? めっちゃ美人!」
 想像していたよりも何十倍もテンションが高い男の子に私は、すぐに言葉が出てこなかった。
「初めまして! 僕は月花雪って言うんだ。雪って呼んでね! 年は十九歳。好きなものは雪、好きな季節は冬で嫌いなものは熱いものかな。よろしくね!」
「は、初めまして。花城香苗といいます。好きなように呼んでくれてかまいません。二十四歳です」
「僕より年上じゃん! 堅苦しい話し方やめよ!」
 私は雪さんの対応に困り、ちらっと後ろで待機をしていた加賀谷さんを見た。
「後は、お好きなようにしてください。私は、深く口出しは致しませんので。それでは、失礼致しますね」
「かがやん、ありがとーまたね!」
「あ、ありがとうございました……」
 ドアが閉まり部屋には、二人だけとなってしまった。さて、どうしようか。先生から雪さんの詳細については聞かされていなかったけれど、簡単な資料や最初に出会ったおばあさんの口ぶり、加賀谷さんの丁寧な対応で勝手に雪さんという人は高貴な人なのかもしれない、と思っていたのだ。だけど、実際会ってみれば、元気が良い自分より年下の男の子だった。こんな元気な男の子がこの施設から、この島から出られない特殊な人だというのか。私は信じられなかった。
「かなちゃん、信じられないって顔してるね」
「か、かなちゃん?」
「好きなように呼んでいいって言ってから。僕、堅苦しいの嫌いなんだ。これから一緒に暮らすんだから仲良くしていこ!」
 そうだ。私は、これから最期の命尽きる瞬間まで、この人と一緒に過ごすのだ。最期の時をここで。それなら仲良く、楽しく、明るく過ごしたほうが絶対に良い。そうして最期に『あぁ、楽しい人生だったな』と思って、この世を去りたい。
「わかった。じゃあ、私も堅苦しくならないようにするね! 雪くん、これからよろしくね」
「うん、よろしく!」

 私たちは、握手を交わして笑いあった。雪くんの部屋は、広くて私にも一部屋与えられていた。キッチンやお風呂、トイレなどもしっかりとあった。寮みたいな感じなのかと思っていたけれど、一戸建てみたいで驚いた。
「何でもあるでしょー聞いたかもしれないけどここで暮らしている人たちは、ここから出られない事情があるから、色々と配慮してくれてるみたいだよ。おかげで全然飽きないし便利だよ。あ、キッチンあるからご飯作って欲しいな!」
「私、料理そんなにうまくないよ」
「それでもいいから!」
 かつて、誰かのために料理を振舞ったことなんてあっただろうか。自分のために作るのだってほとんどなかったのに。だけど、雪くんが望むなら。
「いいよ。じゃあ、準備するから待ってて」
「僕も手伝うよ!」
 そう言って雪くんはエプロンを取り出して、料理本なども持ってきて二人で何を作るか考えた。その時間はなんだかとても楽しくて、普通の人になれたような気がした。こんな風に誰かと一緒に料理を作るなんて、今までなかったから不思議で暖かかった。どうやら雪くんは、普段から料理をするみたいで野菜を切ったりするのが、私よりも上手くて悔しかった。雪くんには、途中で手伝うのをやめてもらった。後は全部私一人でやって絶対においしいって言わせてやりたい、という思いが強まったのだ。料理をしながら雪くんについて考えていた。この数十分でずいぶんと打ち解けあえたと思う。まるで昔からの友人のように。それは雪くんがとても人懐っこくて、接しやすいから。こんなに素敵な人がここから出られない、なんて悔しい。
「できたよー」
「わー! 良い匂い。さ、早く食べよう食べよう!」
 雪くんはコップやお箸を用意してくれて、その机に私は手料理を並べていった。メインディッシュは肉じゃが、それからほうれん草のおひたしにお豆腐のお味噌汁。こんなにしっかりとした料理を作ったのは、二十四年間生きてきて初めてかもしれない。
 椅子に座って手を合わせて、いただきます、と挨拶をした。そんな普通のことが私にはとても尊いもののように思えた。この瞬間も後二週間しか迎えられないのだ。
「料理、どれもすっごくおいしいよ!」
「ありがとう。初めてこんなにしっかりとした料理作ったけど、誰かのために作るのって楽しいね」
「うん。誰かのために何かをするって、とっても素敵だよね」
 それは簡単なようでいて、とても難しいこと。普通の人だってなかなか上手く出来ないのに特殊な私たちがそうしたい、と思うのは間違いなのかもしれない。だけど、目の前にいる雪くんは私を必用としてくれて、ここに呼んでくれた。
「ねぇ、雪くん。雪くんはどうして私を呼んでくれたの? 雪くんはどうしてここから出られないの?」
たくさん作ったはずの料理があっという間になくなった頃、気になっていたことを聞いた。雪くんといると普通の人になれたような気になれるから、本当は聞きたくなかった。だけど私は、聞かなくてはいけないのだ。それが、ここに来た理由なのだから。
「うん、ちゃんと順を追って話すね。その前にお茶を淹れよう!」
 雪くんも話したくないのかな、と感じた。私だって自分が普通の人ではないことを誰かに話したい、と思わない。雪くんがまだ私の力を必用としてくれる瞬間ではない、というのならその時まで何も話してくれなくてもかまわない、とも思う。だけど、それではいけない気がした。それから、雪くんがお茶を淹れてくれて数分の沈黙後ぽつ、ぽつ、と話し始めてくれた。
「僕はね……」
 そうして語られた言葉は、信じられないものばかりだった。雪くんがこの夢待相室から出られない理由、それは外の空気にあたると寿命が縮んでいってしまうから……雪くんは生まれも育ちもこの島なのに、この島の空気は雪くんの身体を悪くする。一歩も外に出られないのだと言った。夏の暑さ、潮風、海の匂い、すべてが駄目なのだという。この島ではない別の場所へ行こうにも、結局一度はこの島を歩かなくてはいけない。だから、出ることは不可能なのだ、と。
「自己紹介の時にも言ったけど、だから僕は熱いものが嫌いなんだ。皆は、ここから見える海が綺麗だというけど、僕には綺麗だなんて思えない。とっても怖いものに思えるんだ……」
なんて、残酷なのだろうか。ぎゅうと心臓が苦しくなった。
「でも、夏が終われば……」
「終わらないよ」
「え?」
「終わらないんだ。この島は永遠に夏なんだよ。ありえないって思うかもしれないけどこの島に春秋冬はこない。ずっと、ずっと暑いままなんだよ」
 ずっと、夏の島。
「だから、夏島なのね……」
「そう。いつから、どうしてそうなったのか誰がそんな名前をつけたのかは知らないけれど、僕が生まれて物心ついた時にはもうそうだった」
 雪くんは、じっと窓の外をにらみつけていた。雪くんの特異体質が生まれたのは、私とは違って生まれてからすぐだったという。病院から出ると、すぐに雪くんの額から変な汗が出ていたのだという。雪くんのお母さんは、怖くなってすぐに病院へと引き返した。それから先生に診てもらってもただの風邪だという判断しか出来なくて、ひとまず病院に預けることとなったそうだ。だけど、その先生はやはり、ただの風邪にしてはおかしい、と思い色んな文献をあたってみた。そうしたら【特異体質】という単語が引っかかったのだという。
「この国に生まれながらにして人とは違う異質な体質を持った稀な人を研究して、相談に乗ってくれている人がいる、と調べたらわかったんだって。その人はたぶんかなちゃんも知っている人」
「尾立湊《おりゅうみなと》先生……」
「そう、尾立先生。その人がいなければ僕はもうとっくに死んでいるし、たぶんかなちゃんも死んじゃってるよね。その人に出会わなければ、僕たちは自分のこの体質について知ることはなかった」
 その通りだ。何か変だな、と思いつつも何もわからないまま同じように過ごして、命を無駄にして、そうして何もしらないまま命尽きていたのだと思う。そうならなくて良かったと心の底から思っている。
「かなちゃんを紹介してくれたのも尾立先生なんだよ」
「尾立先生、なんて言っていたの?」
「誰かのために自分の力を使いたい、自分の力を必要としている人の役に立ちたいって子がいるんだけど、その子なら雪くんの願いを叶えてくれると思うよって言ってくれたよ」
 全身が熱くなるのを感じた。そう思って数年間生きていたけれど、いざ他人の言葉でその自分の決意を聞くと、なんて大それたことを言っているのだろう、と思う。だけど、雪くんと出会って私はまだ恵まれているのだ、と思えた。この永遠に夏の島から出られない人たちがいる。それに比べて私は、自分の意思で自分のしたいことをして残りの数年を生きられている。変な力だ、とどうして自分だけがこんな力を持ってしまったのだ、と思いながらも誰かは、この力を必用としてくれている。それはとてもありがたい。雪くんのような人も、たくさんこの世界にはいる。この特異体質は必ずしも何かの役に立つ力、というわけではない、と改めて知った。
「雪くんの願いは、何?」
「僕の願いは今度教えるよ。今はただ普通にかなちゃんと残りの二週間を過ごしたいんだ。それがひとまずの僕の願い、かな」
「残りの、二週間……?」
 それは、私の命の期限だ。だけど、それについてはまだ話していなかったと思う。なのに何故、その数字が出てきたのか。
「僕の命もかなちゃんと同じ残り二週間なんだ」
私は何を言われたのか、すぐには理解が出来なかった。その後、何かを言及する前に雪くんは、今日は疲れたからもう寝よう、と言って寝る準備に入ってしまった。無理強いをするのもよくないと思い、私も寝る準備に取り掛かった。色んな情報が一気に入ってきて身体も脳も疲れきっていた。布団に入り目を瞑って、今日の出来事を思い返していた。まるで小説のような一般の人にはとても言えない、信じてもらえないであろう話。特異体質とその期限。私たちは、同じ状況にいた。疲れているはずなのに、とても眠れそうにはなかった。