夏祭りに誘われてから数日が経った土曜日。

【今駅に着いたよ~】
【これからありさと2人でそっちに行きまーす】

 作られたばかりのグループチャットに目を通し、時間を確認する。

 13時15分。駅からショッピングモールまで歩いて10分くらいだから、5分前には着くかな。

【了解! ケータイショップ近くのベンチで待ってます】

 返信してスマホを膝の上に置き、その場でぐーっと伸びをする。

 夏休み目前の休日。

 いつもなら店であくせく働いているのだけど、今日はお休みをもらい、浴衣を買いにショッピングモールにやってきた。

【オッケー♪ 私達ワンピース着てるから、もし見つけたら手振ってくれると助かりますっ!】
【ちなみに私はピンクのパーカーワンピで、ありさはベージュのお嬢様ワンピでーす!】

 新しい通知をタップしてグループチャットを開く。

 徐々に人が増えてくる休日の午後にはとてもありがたい情報。場所は伝えてるけど、すぐ見つけられるように私も知らせておこう。

「皆吉……さん?」

 文字を打っていたその時、後ろから恐る恐る名前を呼ばれた。

「良かったぁ。人違いだったらどうしようかと思った。髪下ろしてると雰囲気違うね! 可愛い!」
「いやそんな。千葉さんこそ、ポニーテール、すごく似合ってるよ」

 謙遜しつつ、こっそりと全身をなめるように見る。

 パステルブルーの無地Tシャツに、白のデニムショートパンツ。

 一方私は、白のTシャツとミモレ丈の黒いキャミワンピース。

 お互いアクセサリーを付けているわけでもなければ、凝った髪型をしているわけでもないのに、彼女のほうが何倍もオシャレに見える。

「やだほんと? ありがとう! まだありさ達来てないみたいだし、2人でお話ししましょ!」
「う、うんっ」

 頬を緩ませた彼女が隣にストンと腰かけた。

 夏っぽい色合いだから。服の色と小物の色が同じだから。

 というのもあるかもだけど……1番の理由は、この綺麗な顔とスタイルだろうなぁ。

 内心羨みながら会話していると、ゆまと山谷さんがやってきた。全員揃ったところで早速浴衣売り場へ。

「可愛い〜! こんなにたくさんあったら迷っちゃう」
「だよね〜! あっ、この色可愛い〜」

 はしゃぐゆまと山谷さんの後に続き、あちこちに陳列された浴衣を見て回る。

 赤や黄色、ピンクといった明るめの色や、黒や紺などの落ち着いた色。

 もはや全色展開してるんじゃないかと思うほど、とにかく種類が豊富。

 確かにこれは迷うな。一応候補は絞ってきたけど、全部見てたら目移りしちゃいそう。

「ねぇありさ、どっちがいいと思う?」
「わぁ、こりゃまた随分濃い色。んー、紫かな。でもちょっと大人っぽすぎない?」
「やっぱり? もう少し薄い色のほうがいいかなぁ」
「そうだね。ゆまの雰囲気だとこっちのほうが良さそう」

 反対側の売り場から相談する声が聞こえてきた。

 両手に浴衣を持ち、全身鏡とにらめっこするゆま。その隣には、腕に何着も浴衣をかけたままアドバイスする山谷さん。

 事前に候補を決めていた2人も、どうやら難航しているらしい。

 視線を手元に戻す。

 この数日間、悩みに悩んだ結果、初心者でも挑戦しやすい定番の紺色にした。

 しかし、色に気を取られすぎて、柄のことをすっかり忘れていた。

 幾何学模様、お花、ストライプ。

 この中だと花柄が定番だけど、こっちも種類が多すぎて、どれがいいのかさっぱりわからない。

 当たり障りのないもの選ぶ?
 直感でピンときたもの選ぶ?

 でも似合ってなかったら周りから浮きそうだしな……。

「皆吉さんっ」
「うわぁっ!」

 全身鏡の前で比べていると、千葉さんが横からにゅっと顔を出してきた。

「ビックリした……」
「あははっ、ごめんごめん。ものすごい真剣な顔してたから気になって来ちゃった。紺色にするの?」
「う、うんっ。初めてだから定番のものがいいかなって」

 そう答えた後、手に提げられているかごに視線を落とす。

 黒地に白百合柄の浴衣と、黄色い帯にひまわりの髪飾り。

 モデル体型かつ、華やかオーラのある美人でないと着こなせないハイレベルな組み合わせだ……。

「千葉さんは、黒?」
「うん! 好みドンピシャのやつがあってね。見つけた瞬間、ソッコーでかごに入れちゃった!」

 満足げに口角を上げる千葉さん。

 オシャレさんは即断即決な人が多いのかな。でも山谷さんとゆまの場合もあるから、事前にイメージを固めていたのかもしれない。

「すごいね。私まだ色しか決まってないよ」
「柄で悩んでるかんじ?」
「うん。大きさとか色とか、どれが自分に合うのかわからなくて」
「わかる〜。私も昔決めきれなくて1週間悩んでたなぁ。良かったら選ぶの手伝おうか?」

 思わず浴衣を落としそうになった。

「いいの……? 他のお店とか、見なくて平気?」
「大丈夫。暇っちゃ暇だけど、私だけ先に回るのもなんかあれだし」
「だ、だよね。でも、迷惑じゃ……」
「やだぁなんでよ! 私から言い出したのにそんなわけないじゃん! もしかして嫌だった?」
「いやっ、全然っ!」

 耳を疑って尋ね返したけれど、聞き間違えではなかったようだ。

 教室の隅からひそかに眺めていた、憧れのマドンナ。

 こうやって会話してることでさえ奇跡なのに、相談に乗ってくれるって……。

「じゃあ、お言葉に甘えて……お願いします」
「任せて! 一緒にとびっきり可愛いの選ぼ!」

 今年の運を全て使い果たしてしまった気がした。





 20分後、一足先に会計を終えた私達は、売り場から少し離れたソファーに座った。

「千葉さん、ありがとう」

 隣に腰かけた彼女に深々と頭を下げる。

 千葉さんの熱心で親身なアドバイスのおかげで、無事今日中に買うことができた。

 選んだのは、紺色に桜柄の浴衣と深い赤の帯、下駄の3点セット。柄は小さめだが、全体に散りばめられていて、控えめながらも上品な印象。

 髪飾りも柄に合わせて桜モチーフのものにした。

「千葉さんがいなかったら一生決められなかったと思う。本当にありがとう」
「ふはっ、一生って大げさな! 私はただ似合いそうなのをオススメしただけだよ〜」

 いやいや〜と手を振りつつも、口元が緩んでいる。

 待ち時間は世間話がほとんどだったけど、買い物中は自分自身の話をしてくれた。

 大のイベント好きで、学校行事は毎年張り切っているとか、褒め言葉にめっぽう弱く、毎回デレデレしちゃうとか。

 数日前までは別世界の人だと思っていた。

 けど今日、年相応な一面を見ることができて、ほんの少しだけ、距離が縮まったような気がした。

 また機会があったら今度は山谷さんも交えて話せたらいいな。

 願望を抱いていると、千葉さんのスマホがブーッブーッと振動した。

「皆吉さん! 見て見て! お祭りの情報、更新されたって!」

 興奮気味に肩を叩かれ、画面を覗く。

 送信者は手島くん。内容は、【今年は例年より多く花火が打ち上げられる】とのこと。

「5000発も上がるんだ。40回目だから豪華にしたのかな」
「かもね! 今年はカップルがたくさん生まれそう」
「カップル?」
「うん! 数が増える分、恋花火が上がるのも増えそうじゃない?」
「恋、花火……?」

 聞き慣れない単語に首を傾げる。

「あ、知らない? ハート型の花火で、好きな人と一緒に観ると両想いになれるんだって」
「けっこう有名なの?」
「だと思う。私の親も、これをきっかけに付き合い始めたって言ってたから。まぁ、当時はハートじゃなくてピンク色の花火だったみたいだけど」

 初耳の私にもわかりやすい丁寧な説明。

 親世代が知っているなら、少なくとも20年以上前から存在していたってことか。お祭りには毎年参加してるのに全然知らなかった。

「なんかロマンティックだね。前はどんなかんじだったの?」
「それがねー、まだ観たことないからわからないんだ。友達が言うには去年は3発上がったんだって」
「そんなに少ないんだ」
「うん。毎年観てるんだけど、全然見つけられなくてさ。今年こそは絶対見つけたい!」

 以前教室で見た時以上に、瞳がメラメラ燃えている。

 確かに観に行ったからといって、全部目視できるのは難しいか。花火が小さかったり場所が悪いと建物で遮られちゃうし。

「……ん? 毎年ってことは、好きな人がいるの?」

 情報を整理していたらふと気づき、尋ねてみた。

「えっ、と、それは……」

 動揺し始めた彼女の顔がみるみる赤くなっていく。どうりでテンションが高かったわけだ。

「……いるよ」
「へぇ〜。どんな人? 何歳?」
「15。同い年なの」
「そうなんだ。同級生とか?」
「……うん」

 先ほどとは打って変わった静かな返事。まるで借りてきた猫のよう。

 クールビューティな千葉さんも、こんな乙女チックな顔するんだ……。

「あぁー! これ以上はダメ! ギブ! 皆吉さんは?」
「えっ、私?」

 尋ね返されて目をパチクリさせる。

「……一応。気になってる人はいるかな」
「おおっ。いくつ?」
「同い年。私も同級生なんだ」

 頭に浮かんだ人物に思いを馳せる。

 出席番号も近く、進級したては毎回同じ班で、3年生の時は隣の席でもあった。

 けど、特別仲が良かったわけではなく、会話はグループワークの時だけ。自分から話しかけたことはほとんどなかった。一対一で話したのは調理実習の時だったかな。

 当時から無気力全開で、時折極端な発言をしてはみんなを驚かせていたけれど、媚びたり過度にへりくだることはなくて。告白されていた時も、曖昧な態度や答えで濁さず、自分の気持ちをハッキリ伝えていた。

 穏やかで、誠実で、堂々としていて。

 見目麗しい容姿に心奪われたのも嘘じゃないけど、外見以上に中身に惚れたというか。単に好きというより、尊敬や憧れが混じっているかんじ、かな。

「同い年の王子様に片想い中の黒髪コンビ……いいですねぇ、ゆまさん」
「ええ。青春満喫してますねぇ」

 すると、突然背後で声が聞こえ、揃って肩を揺らした。

「うわぁ! ビックリしたぁ」
「ちょっと! 終わったんなら声かけてよ!」
「ごめんごめん。だってるみが面白そうな話始めたからさ♪」
「そうそう。邪魔したら悪いなと思って待ってた♪」

 ソファーの背もたれに肘をつく電車組。

 語尾に音符が付くくらいご機嫌口調で、悪びれた様子が一切ない。

「いやぁ、まさかるみがあんなキュートな顔するとは。キュンキュンしちゃったよ〜♡」
「笑万、もし良かったら続き聞かせて?」

 にやついた口元、キラキラな瞳。
 嫌な予感がしたが、時すでに遅し。

 解散するまでの数時間、怒涛の質問攻撃を受けたのだった。





 バスで帰宅しながら、グループチャットに送られてきた写真を眺める。

 高校生になって初の友達と憧れのマドンナとの外出。最初は緊張したけれど、フレンドリーに接してくれたおかげで、一気に不安が吹き飛んでいった。

 すごく楽しかったなぁ……。冗談抜きで、今も夢なんじゃないかと思っている。なんて言ったら、また大げさって笑われちゃうかな。

 スワイプしていると、以前保存した夏祭りのポスターが表示された。

 恋花火、か。初めて聞いた時、すごくロマンティックだなと思った。

 だけど……正直、この手の迷信は全く信じてない。

 ずっと同じ花火ならまだしも、途中で変わっているし。来場者数を増やすために創り出したとしか思えない。

 でも、千葉さんの両親みたいにきっかけ作りにはピッタリ。

 有名らしいから既に知ってるかもだけど、一応話してみようかな。

 余韻に浸っていたら、あっという間に最寄りのバス停に到着した。荷物をまとめて急いで降りる。

「あれ? 皆吉?」

 すると、近くを歩いていた茶髪の男の子に声をかけられた。

「やっぱり! めちゃくちゃ久しぶりじゃね⁉ 小学生ぶりだよな?」
「う、うん……」

 確信するやいなや、瞳を輝かせて駆け寄ってきた。じゃらじゃらとアクセサリーの擦れる音が鼓膜に響いて、バッグを持つ手に力が入る。

「にしても全然変わってねーなぁ。全身真っ黒って。暑苦しそ〜」
「……平井くんこそ。相変わらず、派手、だね」
「そうかー? お前が地味なだけだろー」

 途切れ途切れに返答した私に、容赦ない言葉を浴びせる彼。

 ……本当、変わらないね。平気で人を見下すところも、無神経に物を言うところも。全部、あの頃のまま。

 少しは大人になったのかなって一瞬期待したけれど、変わったのは背丈と声の低さだけだった。

「ってかやけに大荷物だな。何買ったの?」

 黙り込んでいたら買い物袋を乱暴に奪われた。

「浴衣……? 祭りにでも行くの?」
「っ……そう、だけど」

 ドクンドクンと心臓が不吉な音を立て始める。

 やめて、返して、触らないで。

 心の中で決死の叫びを上げ、手を伸ばす。

 しかし、彼から「ふはっ」と笑い声が漏れた瞬間、なけなしの勇気はいとも簡単に消えてしまった。

「おいおい嘘だろ? お前が? こんな可愛い浴衣を? どういう風の吹き回しだよ〜! 若作りにでも目覚めた?」

 嘲る声、悪意しかない言葉。言動1つ1つがグサグサと心に突き刺さる。

『なぁ、皆吉の家って、お店やってる?』
『ええっ⁉ 毎年あんなババくせぇ服着て接客してんの⁉』

 それが引き金になったのか、封印していた記憶がよみがえってしまった。

 こんな時、お兄ちゃんがいたら……。

 脳裏に眉尻を吊り上げる兄の顔がよぎったが、頭を横に振って消し去る。

 思い出して、出発前日に約束したことを。

 お兄ちゃんが傍にいなくても頑張るって。1人で立ち向かっていくって。

 もうあの頃の弱い私とは違う。

 帰ってきた時、笑顔で迎えられるように。──強くなるって、決めたんだ。

「それかなに、彼氏でもできたとか?」
「返してよ……っ!」

 強引に奪い返し、その場から走り去る。

 うるさいうるさいうるさい。
 なにが地味だ。なにが暑苦しそうだ。
 誰のせいでこうなったと……っ。

 湧き上がってくる張り裂けそうな心の叫び。

 溢れ出てしまわないように強く唇を噛みしめた。