「やっぱ人気なのは定番の紺と白だよねー」
夏休みムードが漂い始めた月曜日の昼休み。
教室の隅で黙々と日誌を書いていると、前方から女子の話し声が聞こえてきた。
「ありさは何色にするの?」
「ピンク! でも赤も可愛いから迷ってる」
シャープペンを走らせたまま少しだけ視線を上げ、声の主を確認する。
サラサラの黒髪が特徴の千葉さんと、茶色のウェーブヘアが特徴の山谷さん。全1年生の中で圧倒的ビジュアルだと噂されているクラスメイトだ。
「私にはどれが似合いそう?」
「んー、キャラ的にはピンク、顔立ち的には赤かな。華があるから濃い色もいけそう」
褒め言葉を交えて答えた千葉さんが髪の毛を耳にかける。
遠くからでもわかる、透明感のある肌と長い手足。美人系の整った顔立ちなのも相まって、何気ないしぐさでも大人っぽく見える。
「やーん、華やかだなんて。私ってそんなに美人?」
「うん。黙ってればね」
褒めたかと思えば、毒舌で締めくくった。
バッサリと言い切られた山谷さんは、「ひっどーい!」と彼女の肩を押してそっぽを向いている。
つぶらな瞳と膨らんだ頬がなんだかリスみたい。可愛い人は怒る姿も可愛いんだなぁ。本気で怒ってるのかはわからないけど。
「るみの意地悪。いじわるみっ」
「ごめん、冗談だよ。りんご飴奢るから許して」
「……」
「もー、わかったよ。特別に大きい綿あめも買ってあげる」
「えっ、本当?」
「うん。今月誕生日だしね」
「やったぁ! ありがとう! るみ大好き!」
ふくれっ面から一瞬にして笑顔へ早変わり。
彼女らが仲直りしたところで日誌の続きを書き込む。
4時間目の数学は、テストの解説と因数分解。
授業の様子は、全員赤点なしで、先生と一緒に喜びました……と。
「わー、真っ昼間から天使と悪魔がイチャイチャしてるー」
書き終えたタイミングで、クラスメイトの手島くんが乱入してきた。
「山谷さん、そんな簡単に好きって言っちゃダメだよ? こいつお腹真っ黒だから。何するかわかんないよ?」
「ちょっと、誰が腹黒悪魔だって?」
ガタンと席を立った千葉さんが手島くんを睨みつける。
「私の友達に変なこと吹き込まないでよ」
「いやいや事実だから。黙ってれば美人って冗談でも友達に言う言葉じゃねーだろ。あと食べ物で釣ってたし」
「釣ってません。誕生日プレゼントです」
「屋台のおやつが誕プレかぁ……」
ポンパドールヘアが特徴の手島くん。
一見チャラそうだが人柄が良く、私のような地味めの人間にも毎日挨拶してくれるクラスのムードメーカーだ。
「2人ともやめてよぉ。手島くん、るみは悪魔じゃなくて女神なんだからねっ」
「ごめん山谷さん……! ったく、天使にフォローさせるなんて……」
喧嘩は収束したものの、千葉さんの瞳はメラメラ燃えている。
イケメンでも、黒髪のマドンナとはあまり相性は良くないみたいだ。
「女神とはいえ、喧嘩っ早い女神と2人きりは心配だな」
「はぁ? 喧嘩っ早いって何よ」
「よし! 見張りとして俺らもお祭りに行くか! な、乃木!」
手島くんの視線が窓側に向いた。こっそりたどり、机に突っ伏している人物に目を向ける。
「んー……? 呼んだ……?」
「呼んだ! また寝てたの?」
「うん……お弁当食べたら眠くなって。それよりどうしたの?」
「実はさっき、千葉がな……」
ふわぁぁ〜と大きくあくびをする乃木くんに、手島くんがこれまでの話を簡潔に説明し始めた。
乃木 和彦くん。
ミルクティーベージュの毛髪と茶色の瞳という、まるでフランス人形のような顔立ちをした男の子。
お昼寝と日なたぼっこが好きで、休み時間によく窓際でくつろいでいる。
「それで、俺らも行こうかって話なんだけど」
「ちょっと、勝手に進めないでよ。着いてきていいなんて一言も言ってないんですけど?」
「こっちだって一緒に行くとは一言も言ってませんが? どう? 空いてる?」
「空いてはいるけど……」
気だるそうな声色。背中しか見えていないが、どんな顔を浮かべているか大体予想がつく。
「歩くの面倒くさいからいいや」
「えええー! そこが醍醐味なのに! 浴衣美女と花火を食べ歩きしながら見られるんだぜ⁉」
「興味ない。見たいなら1人で行けば」
冷たく突き放すと、再び机に突っ伏してしまった。
乃木くんも彼女らと同様、容姿端麗で有名。
中学時代からのクラスメイトでもあるのだが……この通り、かなりの面倒くさがり屋さん。
テスト期間以外は毎日置き勉。自転車で通える距離に住んでいるのにも関わらず、通学手段はバスと親の車。
省エネ思考なのか、とにかく無駄な力を使いたくないみたいで。『学校がこっちに来てほしい』と友達の前で爆弾発言したこともある。
「つれないなー。たこ焼きとか焼きそばとか食べたくねーの?」
「……食べたくないわけじゃないけど」
「じゃあ行こうよ!」
「彼女と行けばいいじゃん」
「いないから誘ってるんだよ! なぁ頼む! 俺来月は部活三昧だから遊べるの今月しかねーんだよぉ」
肩を揺すって駄々をこねる手島くん。そんな彼を、千葉さんはドン引きした顔、山谷さんは苦笑いで眺めている。
日誌を閉じて机の中にしまう。
マドンナ2人はともかく、手島くんも行く予定なのか。
街中で会う分には全然構わないけど、夏祭りではあまり会いたくないなぁ……。
「おーい、誰か開けてー」
「はいはーい」
スクールバッグから英単語帳を取り出すと、山谷さんが席を立ってドアに走っていった。
「あ、ゆま! おかえり! 盛りだくさんだね〜」
「えへへ。新発売のやつ全部買っちゃった」
大量のパンを胸に抱えてにやけるボブヘアの美少女。
彼女は仁田 由舞。私の友人で、山谷さんとは小学校時代の親友らしい。
「なんか盛り上がってたみたいだけど、何話してたの?」
「あ、聞こえてた? 今ね、みんなでお祭りに行こうよって、るみ達と話してたの〜」
英単語帳をめくる手が止まる。
みんな……? なんか勝手に、手島くんと乃木くんも一緒に行く話になってるような……。
「ゆまも来る? 人数多いほうが楽しいし」
「いいの? やったぁ! なら、笑万も一緒に行かない?」
ゆまの視線が私に向いた。
「えっ……どこに?」
「お祭り! 夏休み入ってすぐの日曜なんだけど……」
パンを机に置いて駆け寄ってきたゆま。盗み聞きしたと思われないよう、確認も兼ねて聞き返す。
日時、場所、催し物。先ほど耳にした情報とピッタリ一致した。
「もし空いてるならどう?」
「あー……」
瞳を輝かせるゆまの後ろから、美男美女軍団の視線が突き刺さる。
ただ見ているだけで、顔をしかめているわけじゃない。けど、内心気まずいだろうな。
だって千葉さんと山谷さんとは、まだ1度も話したことがないから。手島くんでさえ挨拶だけだし。
乃木くんは行くかどうかはわからないけど……できれば来ないでほしい。
「家の手伝いがあるから、ちょっと難しいかも」
だからごめんね。そう、最初は断るつもりだった。
だけど、私が寂しい思いをしないようにと気遣ってくれた友の優しさを、どうしても無下にできず。
「でも、短時間なら大丈夫かもしれないから相談してみるね」
*
「失礼しました」
日誌を先生に渡して職員室を後にした。ドアを開けるやいなや、むわっとしたぬるい空気が肌に触れる。
「あっ」
シャツをパタパタさせながら昇降口に向かうと、ちょうど靴を履き替えている最中の乃木くんに出くわした。
うっかり出てしまった声が耳に届いていたようで、色素の薄い瞳と視線がぶつかる。
「皆吉さん、お疲れー」
「お疲れ、さま」
ぎこちなく返事をして隣の下駄箱を開ける。
通学手段は違えど、同じ学区住み。登下校中にバッタリ会ったとしてもなんらおかしくない。
けど、よりによってこのタイミングで鉢合わせたくはなかった……。
「今日は、バス? 車?」
「バス。皆吉さんは自転車だっけ」
「知ってるの?」
「うん。登校中によく見かけるから」
沈黙に耐えきれず話しかけるも、墓穴を掘ってしまった。
高校生になってからほぼ毎朝、私はバスと追い抜き合いっこしながら登校している。ちなみに今朝も一緒に走ってきた。
「暑いのに偉いねぇ。尊敬するよ」
「いやそんな。梅雨の時期はたまに送ってもらってたし」
手を振って謙遜する。
立ち漕ぎで全力疾走する姿を、3ヶ月もの間ずっと見られてたなんて……。
……でも、1番見られたくない姿じゃなかったから良かった。
一足先に去ろうとしたのだが、通学路が同じなため、途中まで一緒に帰ることに。
「皆吉さんの家って大家族なの?」
「えっ?」
校門を出てすぐ、飛んできた質問に素っ頓狂な声を上げた。
「お家のお手伝いしてるって言ってたから、家族が多いのかなと思って」
あぁ、なるほど。家の手伝いといったら、家事とか兄弟のお世話とかが思い浮かぶもんな。
「おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでるの?」
「ううん。同居はしてないけど、しょっちゅう会ってるよ。……店の手伝いで」
打ち明けようか一瞬ためらったが、言える範囲内で話すことにした。
「私の家、飲食店やってて。だけど、今お兄ちゃんが留学中で人手が足りないから手伝ってるの」
「そうだったんだ。偉いね〜。何のお店なの?」
「普通の定食屋。毎年この時期はお客さんが多いから忙しいんだよね」
「夏休みに入るもんなー。お兄さんってどんな人? 皆吉さんと似てる?」
「少し。性格は優しくて面倒見がいいかな。昔はよく勉強教えてくれてたから」
胸の鼓動が落ち着きを取り戻していく。
良かった、追及されなくて。
「いいなー。うちの姉ちゃんと大違い」
「乃木くんのところはお姉さんなんだ。あまり優しくないの?」
「うん。ちょっと強引でさ。あと、めちゃくちゃいびきがうるさくって。酷い時は口開けて寝てるんだよ。クカーって」
愚痴をこぼすと、いびきと寝顔を再現し始めた。半開きどころか歯が見えていて、余裕で指が入りそう。
のど痛くならないのかな。まぁ、大げさにやってるだけかもしれな──。
「……あの、乃木くん」
「ん? 何?」
「見間違え、だったらごめんね。……歯に、何か付いてない?」
距離が近いがゆえ、歯が白いがゆえに目についてしまった。
綺麗に並んだ上部の歯。その隙間に赤色の食べかすが挟まっている。
「え、うそっ。どこ?」
「上。犬歯のとこ」
スカートのポケットからティッシュを取り出し、1枚渡す。
顔のインパクトが強すぎて今気づいた。よく見たら唇の下にもソースらしきものがうっすら付いている。それも教えると途端に顔が真っ赤に。
「ごめん、ありがとう。取れた?」
「うん。もう大丈夫」
取れたと伝えたら安堵のため息が漏れた。よっぽど恥ずかしかったんだろう、いつの間にか耳まで赤くなっている。
1ヶ所だけならまだしも、中と外だもんね。色的にカレーか紅しょうがでも食べたのかな。
話題を変えて歩くこと数分。バス停に到着した。
「乃木くんは……お祭り、どうするの?」
スマホで時間を確認する彼に尋ねてみた。
ゆまと山谷さんが話を進めた結果、みんなで行くことに決まったが、本人の口からハッキリした返事を聞いていないので、乃木くんに関しては未確定。
誤解のないよう説明しておくと、別に乃木くんや千葉さん達が嫌いなわけでない。ちょっぴり、夏祭りに対して苦い思い出があるだけ。
それなら最初から断れば良かったのにって話だけど……そんな簡単な問題じゃないんだ。
なぜなら──誘いを受け入れようが断ろうが、どっちみち、私が夏祭りに参加することはすでに確定しているから。
「やっぱり、断った?」
「いや、保留にしてる。最初は断るつもりだったんだけど……皆吉さんが行くなら行こうかなって」
えっ。
思わず出た声は、後ろから来たバスの音にかき消されてしまった。
「じゃあまた明日。気をつけてね」
「あっ、うんっ」
立ち尽くしていたら、乃木くんはバスの中へ。
「あっ、そうだ」
すると、何か言い忘れたのか、乃木くんが振り向いた。
「食べかすのことは、みんなには内緒でお願いしますっ!」
端正な顔の前で両手が合わさった瞬間、ドアが閉まり、バスが動き出した。
歩くの面倒くさいってあんなに嫌がってたのに。
もしかして食べ物に釣られた?
あと、私が行くならってどういう意味……?
明日聞けばいいかと思いつつも、やはりどうしても気になってしまい、悶々と考えながら帰宅したのだった。
夏休みムードが漂い始めた月曜日の昼休み。
教室の隅で黙々と日誌を書いていると、前方から女子の話し声が聞こえてきた。
「ありさは何色にするの?」
「ピンク! でも赤も可愛いから迷ってる」
シャープペンを走らせたまま少しだけ視線を上げ、声の主を確認する。
サラサラの黒髪が特徴の千葉さんと、茶色のウェーブヘアが特徴の山谷さん。全1年生の中で圧倒的ビジュアルだと噂されているクラスメイトだ。
「私にはどれが似合いそう?」
「んー、キャラ的にはピンク、顔立ち的には赤かな。華があるから濃い色もいけそう」
褒め言葉を交えて答えた千葉さんが髪の毛を耳にかける。
遠くからでもわかる、透明感のある肌と長い手足。美人系の整った顔立ちなのも相まって、何気ないしぐさでも大人っぽく見える。
「やーん、華やかだなんて。私ってそんなに美人?」
「うん。黙ってればね」
褒めたかと思えば、毒舌で締めくくった。
バッサリと言い切られた山谷さんは、「ひっどーい!」と彼女の肩を押してそっぽを向いている。
つぶらな瞳と膨らんだ頬がなんだかリスみたい。可愛い人は怒る姿も可愛いんだなぁ。本気で怒ってるのかはわからないけど。
「るみの意地悪。いじわるみっ」
「ごめん、冗談だよ。りんご飴奢るから許して」
「……」
「もー、わかったよ。特別に大きい綿あめも買ってあげる」
「えっ、本当?」
「うん。今月誕生日だしね」
「やったぁ! ありがとう! るみ大好き!」
ふくれっ面から一瞬にして笑顔へ早変わり。
彼女らが仲直りしたところで日誌の続きを書き込む。
4時間目の数学は、テストの解説と因数分解。
授業の様子は、全員赤点なしで、先生と一緒に喜びました……と。
「わー、真っ昼間から天使と悪魔がイチャイチャしてるー」
書き終えたタイミングで、クラスメイトの手島くんが乱入してきた。
「山谷さん、そんな簡単に好きって言っちゃダメだよ? こいつお腹真っ黒だから。何するかわかんないよ?」
「ちょっと、誰が腹黒悪魔だって?」
ガタンと席を立った千葉さんが手島くんを睨みつける。
「私の友達に変なこと吹き込まないでよ」
「いやいや事実だから。黙ってれば美人って冗談でも友達に言う言葉じゃねーだろ。あと食べ物で釣ってたし」
「釣ってません。誕生日プレゼントです」
「屋台のおやつが誕プレかぁ……」
ポンパドールヘアが特徴の手島くん。
一見チャラそうだが人柄が良く、私のような地味めの人間にも毎日挨拶してくれるクラスのムードメーカーだ。
「2人ともやめてよぉ。手島くん、るみは悪魔じゃなくて女神なんだからねっ」
「ごめん山谷さん……! ったく、天使にフォローさせるなんて……」
喧嘩は収束したものの、千葉さんの瞳はメラメラ燃えている。
イケメンでも、黒髪のマドンナとはあまり相性は良くないみたいだ。
「女神とはいえ、喧嘩っ早い女神と2人きりは心配だな」
「はぁ? 喧嘩っ早いって何よ」
「よし! 見張りとして俺らもお祭りに行くか! な、乃木!」
手島くんの視線が窓側に向いた。こっそりたどり、机に突っ伏している人物に目を向ける。
「んー……? 呼んだ……?」
「呼んだ! また寝てたの?」
「うん……お弁当食べたら眠くなって。それよりどうしたの?」
「実はさっき、千葉がな……」
ふわぁぁ〜と大きくあくびをする乃木くんに、手島くんがこれまでの話を簡潔に説明し始めた。
乃木 和彦くん。
ミルクティーベージュの毛髪と茶色の瞳という、まるでフランス人形のような顔立ちをした男の子。
お昼寝と日なたぼっこが好きで、休み時間によく窓際でくつろいでいる。
「それで、俺らも行こうかって話なんだけど」
「ちょっと、勝手に進めないでよ。着いてきていいなんて一言も言ってないんですけど?」
「こっちだって一緒に行くとは一言も言ってませんが? どう? 空いてる?」
「空いてはいるけど……」
気だるそうな声色。背中しか見えていないが、どんな顔を浮かべているか大体予想がつく。
「歩くの面倒くさいからいいや」
「えええー! そこが醍醐味なのに! 浴衣美女と花火を食べ歩きしながら見られるんだぜ⁉」
「興味ない。見たいなら1人で行けば」
冷たく突き放すと、再び机に突っ伏してしまった。
乃木くんも彼女らと同様、容姿端麗で有名。
中学時代からのクラスメイトでもあるのだが……この通り、かなりの面倒くさがり屋さん。
テスト期間以外は毎日置き勉。自転車で通える距離に住んでいるのにも関わらず、通学手段はバスと親の車。
省エネ思考なのか、とにかく無駄な力を使いたくないみたいで。『学校がこっちに来てほしい』と友達の前で爆弾発言したこともある。
「つれないなー。たこ焼きとか焼きそばとか食べたくねーの?」
「……食べたくないわけじゃないけど」
「じゃあ行こうよ!」
「彼女と行けばいいじゃん」
「いないから誘ってるんだよ! なぁ頼む! 俺来月は部活三昧だから遊べるの今月しかねーんだよぉ」
肩を揺すって駄々をこねる手島くん。そんな彼を、千葉さんはドン引きした顔、山谷さんは苦笑いで眺めている。
日誌を閉じて机の中にしまう。
マドンナ2人はともかく、手島くんも行く予定なのか。
街中で会う分には全然構わないけど、夏祭りではあまり会いたくないなぁ……。
「おーい、誰か開けてー」
「はいはーい」
スクールバッグから英単語帳を取り出すと、山谷さんが席を立ってドアに走っていった。
「あ、ゆま! おかえり! 盛りだくさんだね〜」
「えへへ。新発売のやつ全部買っちゃった」
大量のパンを胸に抱えてにやけるボブヘアの美少女。
彼女は仁田 由舞。私の友人で、山谷さんとは小学校時代の親友らしい。
「なんか盛り上がってたみたいだけど、何話してたの?」
「あ、聞こえてた? 今ね、みんなでお祭りに行こうよって、るみ達と話してたの〜」
英単語帳をめくる手が止まる。
みんな……? なんか勝手に、手島くんと乃木くんも一緒に行く話になってるような……。
「ゆまも来る? 人数多いほうが楽しいし」
「いいの? やったぁ! なら、笑万も一緒に行かない?」
ゆまの視線が私に向いた。
「えっ……どこに?」
「お祭り! 夏休み入ってすぐの日曜なんだけど……」
パンを机に置いて駆け寄ってきたゆま。盗み聞きしたと思われないよう、確認も兼ねて聞き返す。
日時、場所、催し物。先ほど耳にした情報とピッタリ一致した。
「もし空いてるならどう?」
「あー……」
瞳を輝かせるゆまの後ろから、美男美女軍団の視線が突き刺さる。
ただ見ているだけで、顔をしかめているわけじゃない。けど、内心気まずいだろうな。
だって千葉さんと山谷さんとは、まだ1度も話したことがないから。手島くんでさえ挨拶だけだし。
乃木くんは行くかどうかはわからないけど……できれば来ないでほしい。
「家の手伝いがあるから、ちょっと難しいかも」
だからごめんね。そう、最初は断るつもりだった。
だけど、私が寂しい思いをしないようにと気遣ってくれた友の優しさを、どうしても無下にできず。
「でも、短時間なら大丈夫かもしれないから相談してみるね」
*
「失礼しました」
日誌を先生に渡して職員室を後にした。ドアを開けるやいなや、むわっとしたぬるい空気が肌に触れる。
「あっ」
シャツをパタパタさせながら昇降口に向かうと、ちょうど靴を履き替えている最中の乃木くんに出くわした。
うっかり出てしまった声が耳に届いていたようで、色素の薄い瞳と視線がぶつかる。
「皆吉さん、お疲れー」
「お疲れ、さま」
ぎこちなく返事をして隣の下駄箱を開ける。
通学手段は違えど、同じ学区住み。登下校中にバッタリ会ったとしてもなんらおかしくない。
けど、よりによってこのタイミングで鉢合わせたくはなかった……。
「今日は、バス? 車?」
「バス。皆吉さんは自転車だっけ」
「知ってるの?」
「うん。登校中によく見かけるから」
沈黙に耐えきれず話しかけるも、墓穴を掘ってしまった。
高校生になってからほぼ毎朝、私はバスと追い抜き合いっこしながら登校している。ちなみに今朝も一緒に走ってきた。
「暑いのに偉いねぇ。尊敬するよ」
「いやそんな。梅雨の時期はたまに送ってもらってたし」
手を振って謙遜する。
立ち漕ぎで全力疾走する姿を、3ヶ月もの間ずっと見られてたなんて……。
……でも、1番見られたくない姿じゃなかったから良かった。
一足先に去ろうとしたのだが、通学路が同じなため、途中まで一緒に帰ることに。
「皆吉さんの家って大家族なの?」
「えっ?」
校門を出てすぐ、飛んできた質問に素っ頓狂な声を上げた。
「お家のお手伝いしてるって言ってたから、家族が多いのかなと思って」
あぁ、なるほど。家の手伝いといったら、家事とか兄弟のお世話とかが思い浮かぶもんな。
「おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでるの?」
「ううん。同居はしてないけど、しょっちゅう会ってるよ。……店の手伝いで」
打ち明けようか一瞬ためらったが、言える範囲内で話すことにした。
「私の家、飲食店やってて。だけど、今お兄ちゃんが留学中で人手が足りないから手伝ってるの」
「そうだったんだ。偉いね〜。何のお店なの?」
「普通の定食屋。毎年この時期はお客さんが多いから忙しいんだよね」
「夏休みに入るもんなー。お兄さんってどんな人? 皆吉さんと似てる?」
「少し。性格は優しくて面倒見がいいかな。昔はよく勉強教えてくれてたから」
胸の鼓動が落ち着きを取り戻していく。
良かった、追及されなくて。
「いいなー。うちの姉ちゃんと大違い」
「乃木くんのところはお姉さんなんだ。あまり優しくないの?」
「うん。ちょっと強引でさ。あと、めちゃくちゃいびきがうるさくって。酷い時は口開けて寝てるんだよ。クカーって」
愚痴をこぼすと、いびきと寝顔を再現し始めた。半開きどころか歯が見えていて、余裕で指が入りそう。
のど痛くならないのかな。まぁ、大げさにやってるだけかもしれな──。
「……あの、乃木くん」
「ん? 何?」
「見間違え、だったらごめんね。……歯に、何か付いてない?」
距離が近いがゆえ、歯が白いがゆえに目についてしまった。
綺麗に並んだ上部の歯。その隙間に赤色の食べかすが挟まっている。
「え、うそっ。どこ?」
「上。犬歯のとこ」
スカートのポケットからティッシュを取り出し、1枚渡す。
顔のインパクトが強すぎて今気づいた。よく見たら唇の下にもソースらしきものがうっすら付いている。それも教えると途端に顔が真っ赤に。
「ごめん、ありがとう。取れた?」
「うん。もう大丈夫」
取れたと伝えたら安堵のため息が漏れた。よっぽど恥ずかしかったんだろう、いつの間にか耳まで赤くなっている。
1ヶ所だけならまだしも、中と外だもんね。色的にカレーか紅しょうがでも食べたのかな。
話題を変えて歩くこと数分。バス停に到着した。
「乃木くんは……お祭り、どうするの?」
スマホで時間を確認する彼に尋ねてみた。
ゆまと山谷さんが話を進めた結果、みんなで行くことに決まったが、本人の口からハッキリした返事を聞いていないので、乃木くんに関しては未確定。
誤解のないよう説明しておくと、別に乃木くんや千葉さん達が嫌いなわけでない。ちょっぴり、夏祭りに対して苦い思い出があるだけ。
それなら最初から断れば良かったのにって話だけど……そんな簡単な問題じゃないんだ。
なぜなら──誘いを受け入れようが断ろうが、どっちみち、私が夏祭りに参加することはすでに確定しているから。
「やっぱり、断った?」
「いや、保留にしてる。最初は断るつもりだったんだけど……皆吉さんが行くなら行こうかなって」
えっ。
思わず出た声は、後ろから来たバスの音にかき消されてしまった。
「じゃあまた明日。気をつけてね」
「あっ、うんっ」
立ち尽くしていたら、乃木くんはバスの中へ。
「あっ、そうだ」
すると、何か言い忘れたのか、乃木くんが振り向いた。
「食べかすのことは、みんなには内緒でお願いしますっ!」
端正な顔の前で両手が合わさった瞬間、ドアが閉まり、バスが動き出した。
歩くの面倒くさいってあんなに嫌がってたのに。
もしかして食べ物に釣られた?
あと、私が行くならってどういう意味……?
明日聞けばいいかと思いつつも、やはりどうしても気になってしまい、悶々と考えながら帰宅したのだった。