「行っちゃった…」
私は、深くため息をついた。やけに気を張ったからだ。
ただ、少しだけ、今まで身体に溜まっていた毒素がするする抜け落ちていくような感覚があった。
「だめだ、人を𠮟ることに快感なんて覚えたらだめだ…」
自分らしくなかった。まれに衝動的に動くことはあったが、こんなに明確な思いを持って動いたのは初めてかもしれない。
怖い。なんだか、自分が自分じゃないみたいだ。
そう思っていたら、茜が小さく震えていた。
「どうしたの?茜?」
「…ふははは!!あはは!!あはは!!」
茜は、腹を抱えて笑っていた。何がそんなに面白かったのかわからない。
一通り笑い終わったと思うと、茜の口から思ってもいなかった言葉が発せられた。
「お前、ほんとに強い」
私が、強い?
「え、なんで私が強いと思ったの…?」
「だって、俺さっき助けられたんだぞ?割り込んできた時、あ、澪やられるな、って思ってたのにさ。一撃だったじゃん。すごいよ。しかも、澪ってあんな怖い顔できんだな。いいじゃん、使っていけ」
「私、そんな怖い顔になってた!?どうしよう」
そう言うと、私は茜のつぶやいた「すごいよ」がなんなのか気になってきた。
「…あのさ、その、すごいって何が?」
私にとっては、すぐに人のことを褒められてしまうような茜の方がよっぽどすごい気がする。
すると、茜はにこっと笑い、「澪の全部だよ」と、しっかり私の目を見て言った。
それは、出会った日の茜よりも、優しい顔だった。

「てか、今日なんか曇った顔してるよな、澪。なんかあった?」
「え、なんでわかったの!?」
茜は、やはり人をよく見ている。心の底からすごいと思った。
「話聞こうか」
さっきのお返し、と言ってくれたので、大したことじゃないけど、と話すことにした。
「私、体育の評価がほとんどつけられないんだ。太陽だめだから」
「うん」
「だけど、私たち今受験生だから困るでしょ。評価低かったら。だから、明日の放課後に、担任の先生と体育の先生と私で、相談しないとなんだって。どうやって評価するか」
「そっか」
「その二人はさ、たまに、私のことを理解してくれてないんだな、ってわかる顔をするんだよね。少しぐらい平気だろ、って言われたから、自分でも今日は大丈夫かなって思って、体育の授業をしちゃったら、白いチカチカが見えて倒れた。親からも医者からも、外の運動はやらないでって言われてるのに、きっと先生は私のことを信じられなかったんだと思う。仮病みたいな症状だから」
「まあ、それはそうだよな」
「ね。そんなことわかってたんだけど」
弱音を吐いてもいいのかな、と普段の私だったらためらうけれど、今日は違った。
「やっぱり、受け入れられないって辛いね」
苦笑いで私がそう言うと、茜が優しく微笑んだ。
「…うん。そうだよ、澪。たまには言いな、弱音」
「…え?」
急に話と違うことを言い出すから、私はびっくりしてつい「え?」と言ってしまった。
ただ、茜は、なんで私が普段だったらためらってるって思ったことも見抜いたのだろうか。
茜の琥珀色のその目は、何を見ているのだろうか。
「…茜に弱音を言っていいの?」
弱音を吐くことは、よくないことじゃないのか。
「言っていいんだよ」
まっすぐに、ぴたりと、その言葉は私の身体に張り付いた。
それは温かくて、ぬくもりがあった。
「むしろ俺は、どんどん言ってほしい。さっき話してくれた時も、俺を信用してくれてんのかな、って思えたもん。澪がそうやって話してくれたら、俺も話せる。…ちゃんと言ってくれてありがとな」
「…こっちこそ、ありがとう。ごめんね。私、普段弱音なんて吐かないのに。…これからは、あんまり溜め込みすぎないようにするね」
茜に何度も助けられて、私はどうやってお返ししたらいいのだろう。
私は、茜に笑っていてほしい。
だから、今日みたいに、茜が困っている時はすぐ助けられる人になりたいと思った。
「まぁ、澪が言った奴らは諦めとけ!無理なもんは無理!」
「うーん…。そこをなんとか…」
「じゃあ、澪が説得しろ!もし説得しても無理なら俺が説得しに行く!」
説得とはなんのことなのかはさておき、茜は茜らしい考えをくれた。
私は明日、先生としっかり話さなければいけないのだと実感した。
大人と戦うのは怖い。受け入れられなかったらどうしよう。
不安な心に、少しだけ、茜の光が差し込んでいた。
やるしかない。
そんな使命感が、私を支配した。