夜と言うには明るく、夕方と言うには暗い空を砂の上で波の音を聴きながら見上げて、このまま消えてしまえたら良いのになんて考えていた。誰にも知られずそっと消えてしまえば、最初から私なんて居なければ家族もああならなかったのかもしれない。私なんて居なければ私がこんな気持ちになることもなかった。私は瞼を閉じて、息を吸った。
「漸く…見つけたっ…」
そんな声で私は目を開け、上体を起こす。走っていたのか髪の毛はボサボサで、折角の綺麗な顔立ちは疲れのせいで窶れているようにも見えた。
「東雲さん、ごめん」
「ううん、気にしてないよ」
「でも、あの時僕が踏み込みすぎたと思う」
彼の普段は長い前髪で見えない目はとても澄んでいた。彼の真っ直ぐなところは美点だと思う。
「それを言いに私を探してたの?」
「そうだけど」
「君も変わってるね」
「だって、謝らないともう会えなくなるような気がしたから」
会えなくなる。その言葉が私の心の中で反芻される。
「私ね、病気なの」
会えなくなることは誰にだってある。それは、唐突にやってくる方が良いのかもしれない。でなければ、今の私の気持ちは説明がつかない。私はあとどのくらい私でいれるのだろうか。私が私でなくなった時、私は彼にもう二度と会えなくなる。それが分かっているからこそどうして良いのか分からない。
「自己変換病って言って発症してから八年から十年で段々初めの人格から別の人格へ変わっていくの」
これは私の我儘だ。彼に私を覚えていて欲しいと言う私のエゴだ。だから、卑怯だと思われて良い。
「だからね。この私はいつか消えてしまうの。君との思いでも、クラスの皆との思いでも全部」
私は頬を伝う海の欠片も気にも留めず息を吸う。
「けど、私は…忘れたくない」
やっと言えた。家族と離れ先生と暮らし、君に会っても消えなかった喉につっかえていた言葉を初めて口にした。
「この大切な私の思い出を全部無かったことになんてしたくない」
「無かったことになんてならないよ」
それまで私の静かに話を聞いていた彼が真剣な眼差しで私を見ていた。
「無かったことになんてしない。君が忘れてしまうとしても君が関わってきた全てはきっと誰かが覚えているから」
彼と会うのをやめようと、何度諦めようとしてもまた私はこの気持ちを押さえることが出来ない。
「……好き」
その言葉は私の心から静かに溢れた。咄嗟に口元を押さえるがもう遅かった。彼の顔は、私の後ろに沈む紅陽で赤く照らされている。
「僕、東雲さんがたまに見せる遠くを見ている目がとても好きだった。それは、僕もたまに現実を見たくなくなる時があったから。だから、何となく君は僕と同じなんだと思ってた。現実から目を背けて、こんなのは嘘だって思いたくて、忘れるのが忘れられるのが怖くて逃げてきた。でもね、向き合ってみないと何も変わらないって分かったんだ」
彼は息を吸って一拍置いた。
「だから僕は、君の隣に居たいって思うんだ。さっきの…その…告白は僕はまだ返事は返せないけど…それでも僕は君のとなりに居たい」
向き合う。それは、私がずっと避けてきたことだ。向き合った先にある現実が私にとってより先を暗くするものだったら。そんな考えが頭の中を支配してずっと避けてきた。でもなぜか今は違った。彼が彼の言葉が私の考えを変えたのかも知れない。向き合うという言葉がなんだか暖かいように感じた。
「もし、現実を知ってそれがより辛いものだったら…」
「その時は僕がいる。一人で抱えるより吐き出して誰かと辛さを分けあった方が楽なんだよ」
「結局、辛いんじゃん」
自然と笑みが溢れた。これが辛さを分けあうという事なのだろう。吐き出して少し楽になった。
「確かに」
彼も私につられたのか笑っていた。
「ありがとう。君のお陰で楽になったよ」
「それは良かった」
「まぁ、返事は保留されてしまったけどね」
「それは…ごめん」
「いいよ、待つからさ。それに君も色々あったみたいだし。その代わり二つお願いがあるんだけどさ」
「うん、何でも良いよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて。まず一つ目、私の事を名前で呼ぶこと」
「え」
「ほら早速やってみてよ」
「名字をさんずけしないとかじゃ駄目?」
「それ、私が先生に呼ばれる時と変わらないじゃん。あーあ、何でもっていってくれたのにな」
私は顔を手で覆って彼を揶揄ってみる。
「わかった、わかったって」
「じゃあ、言ってみよう」
「か…香帆さん」
「さん要らない」
「うっ、香帆…」
「悠真、良く言えました」
私も彼を倣って名前で呼んでみる。なんだか耳の辺りまで熱い。
「これ、相当恥ずかしいね」
「僕の方が恥ずかしい」
確かに彼の方が私よりも熱そうだった。
「それで、香帆のもう一つのお願いって?」
「それはね、これまでと同じ様に写真を撮るの手伝って下さい」
満点の星空の下。彼はカメラのシャッターを切るみたいに歯切れ良く答えた。
「もちろん」

それから僕は彼女とそれまで以上に一緒にいる時間が増えた。今まで見えなかった彼女の表情が増えたような気がする。それが嬉しかった。冬休みが明けまた、学校が始まった。今までは、学校で僕と彼女が話すことは放課後くらいだったが今日はやけに彼女から話しかけてきた。
「おはよう。悠真」
何のつもりか名前を呼んで。勿論、クラスでも人気な彼女から名前で呼ばれることで僕は浮いた。出来るだけ目立たないようにしてきたのが一瞬で無に消した。
「おはよう」
流石に、僕まで彼女を名前で呼んでしまうと落ち着ける場所が無くなりそうなので簡単に挨拶を済ませると、彼女は不満そうに頬を膨らませた。
「先輩!おはようございます」
僕がどうしようか困っていると教室の入り口から茜の声がした。
「先輩、今日の部活動なんですけど」
「ありがとう」
「え?何がですか」
僕は彼女をみていない振りをして茜の話を聞いて、どうにかいつもを取り戻そうとした。もうすぐ朝のHRが始まるので茜は教室に戻っていった。その間も彼女は不満そうに僕をチラチラと見ていた。朝のHRが終わると彼女は僕の前に立った。
「ねぇ、悠真は今日部活なの」
なぜか僕の名前の所を強調して言った。
「……まあ、そうだけど」
周りからの視線が僕の体を貫く勢いで光っていた。
「じゃあ、私悠真の部活見に行くね」
彼女はそれだけ言うと自分の席に戻った。僕は周りの視線をどうにかしたい思いで彼女の言葉を咀嚼するのに時間がかかった。
「え?」
部活を見に来る?僕はもう一度彼女に話を聞きたかったが、今聞きに行くと更に視線を集めそうなので周りに人がいないときに聞こうと今は一限の準備を優先した。が、それは間違いだったと昼休みに気がついた。彼女はクラスの人達とあまり関わっていないように思えたが意外と慕われているようで彼女の周りにはいつも一定数の人がいた。初めは冷たい印象があったが接してみると意外にも優しいのは僕も知っていたから当然だった。数時間前の自分の選択を悔いた。結局、漸く彼女が一人になったのは放課後だった。
「さて、皆帰ったし悠真の部活を見に行こうか」
「それなんだけど、なんで急に見に行こうなんて思ったの」
「前にも言ったでしょ。君の書いた文字が見てみたいって」
確かにそんなことを前に言っていた。あれは転校してきた君と関わり初めの頃だったっけ。
「それに私、君や友達を撮りたい。忘れると分かっていてもこの時間を形に残しておけばきっと無かったことになんてならないから」
彼女は初めて会った時とは違う目をしていた。現実と向き合ってこれから自分で切り開いていく決意がその目に宿っていた。
「わかった、行こうか。でも、あんまり人の多いところで名前で呼ぶのは辞めない?」
「嫌だ。これは約束なんだから。本当は悠真も朝、私が挨拶したときに私のこと名前で呼んで欲しかったんだけどな」
彼女はフイッと顔を逸らした。その瞬間教室の前を誰かが通り過ぎようとして止まった。
「あれ?先輩はやくしないと部活はじまりますよ」
荷物を運んでいた茜が教室の前を通るときに顔を出した。
「わかった。ほら、香帆も行くよ」
僕が彼女を名前で呼ぶと彼女はご機嫌そうに頷いた。その反面教室の入り口にいた茜は驚いた様子で僕の方を見ていた。
「先輩、東雲先輩のこと名前で呼ぶんですね…」
茜が何か言っていたが声が小さくうまく聞き取れなかった。恐らく独り言だろうここで変に聞くのは野暮かもしれないそう思って僕は部室へ彼女と茜の持っていた荷物を分担して向かった。

「ようこそ我が部へ」
部室の扉を開くと同時にここに来るまでに考えていた決め台詞を言ってみる。
部室に居た部員全員が僕の隣にいた彼女を凝視していた。皆の頭上に?が浮かんでいるのが見えた。彼女もそれに気がついたのか軽くお辞儀をする。
「今日、皆さんの写真を撮りに来ました。東雲 香帆です。よろしくお願いします」
皆の頭上に?か更に増えた気がした。僕も?ができた。彼女に周りに聞こえないくらいの声で耳打ちをする。
「写真撮るの?」
「ごめん、何か理由がなきゃと思って」
彼女はとても焦った様子でどうしようかと僕に聞いてきた。僕もどうしようかと頭を悩ませていると、茜が「これ、部活動の記録として寄せ書きに貼るから。どうしても、写真撮られるのが嫌だなって人は先に言ってね」とフォローをしてくれた。僕は手を合わせて感謝した。
「ありがとう」
「それじゃあ、東雲先輩写真お願いしますね」
茜はそう言うとすぐに自分の道具を取りに行ってしまった。
「後で、ちゃんとお礼しないと」
「そうだね」
「じゃあ、始めようか」
彼女はカメラを取り出した。部員達はそのカメラを見て緊張したようだった。確かに本格的な一眼レフカメラを見ると表情が強張るのは分からないこともなかった。
「まずは、悠真からでいい?」
「え? 僕から?」
「そうじゃないと、いきなり知らない人撮るのも緊張するからさ。それにそもそも私は、悠真の部活見に来たんだから」
言われてみればそうだった。それなら、僕が部員達のお手本になる他ない。
「わかった、それで僕は何すればいい?」
「いつもの部活してくれれば良いよ」
僕はいつも通り硯に墨を入れ筆を浸ける。そしていつも通り書いてみる。隣で彼女が、カメラを構えているのが見えたが意識すると何だか恥ずかしいので見えていない振りをする。そうして取り敢えず書き終えた。
「すごい…本当に上手いね」
彼女は出来上がった僕の字を見て出来映えに感嘆していた。それを見て僕は鼻が高くなる。
「写真はどうだった?」
「うん、とても良く撮れたよ。久々に人を撮ったけど上手く撮れたと思う」
彼女が先程撮った一枚一枚をゆくっり見せてくれた。いつの間にか僕と彼女の周りには人集りが出来て、皆が彼女の写真を褒めていた。彼女は褒められる度に「そうかな」と謙遜をしていだが耳まで赤くなっていたのを僕は見ていた。
「なんかこうやって大勢の人に一気に褒められると照れるね」
嬉しそうな彼女を見ると自然と僕も笑みが溢れた。そうやって輪が広がりいつの間にか彼女はこの部の中で引っ張りだこになっていた。
「次、こっち撮って欲しいんだけど」
「ちょっと待ってて」
忙しそうにカメラを構える彼女はとても楽しそうだった。
「先輩、こっち来てください」
そんな中僕は、茜に呼ばれ部室の整理を茜としていた。
「これ、ここでいい?」
「はい」
教室から移動し始めた時から茜の機嫌が悪い。気のせいかと思っていたがさっきから受け答えからも分かる通り気のせいではなくなった。僕が何かしてしまったのかそれともそれ以外か。もし、僕が原因じゃなかったとしてもこのままでいるのは僕も接しずらいし、話を聞くことで茜の機嫌が直るかもしれない。
「茜、今日なんかあった?」
「え? 何でですか?」
「何となく」
あー、と言って茜は手を扇ぐように動かす。
「ちょっと、考え事してて。別に普通ですよ」
手を止めていた茜はまた荷物整理し始めた。
「そう言えば、先輩いつから東雲先輩のこと名前で呼んでるんですか?」
放課後の教室での話だろう。
「冬休みの時かな。たまに一緒に買い物いったりしてたからその時仲良くなって」
僕は今取って付けた理由を茜にした。それは、あの時のことは彼女が一番不安だろうから。僕が誰かに話して良いものではない。
「そうですか」
茜は素っ気ない返事で済まし荷物の整理が終わり僕たちは隣の部室へ戻った。
「あっ悠真」
部室に入ると彼女は書道部の女子達と楽しそうに談笑していた。
「どう? なれた?」
「うん、皆優しくていい人。そうだ、これ見て」
彼女が手に持っていたカメラの中には沢山の笑顔がつまっていた。
「皆良い顔してる」
「そうだよね」
一枚一枚撮った写真を見せてくれる彼女は僕と二人で写真を撮っていた時より溌剌としていて複雑だったが、彼女がこうして前を向きつつある今がただただ嬉しかった。
「そう言えば」
彼女はわざとらしく思い出したような素振りをして見せた。
「今度新年を祝うお祭りがあるって聞いたんだ。どうかな、悠真一緒に行かない?」
「えっ僕?」
この町には毎年この時期になるとお祭りが開かれる。この祭りは新年も健康に笑顔で過ごせるようにと願うもので最後には浜から花火が上がる。ここら辺では割りと大きめのお祭りだ。小さい頃出店が楽しみでいつも祭りに参加していた。てっきり僕はさっき話していた女子達と一緒に行くのかと思っていた。そもそも、この祭りに行く予定はなく彼女も家族や友達と行くのだと思っていたから僕はいきなりのことに驚いた。
「うん、君にはいつも意見を貰ってるしたまには写真抜きで楽しもうよ」
「写真抜きで良いの?」
お祭りこそ良い写真が撮れそうなものだが。
「良いの、私が悠真とお祭りに行きたいだけだもん」
「それなら、そうしようか」
よく考えてみれば彼女と写真抜きでどこかに行ったことは確かに無いように思う。
「何話してるんですか?」
茜が僕の肩に両手を乗せて僕の体が大きく揺れた。
「今度の祭りに行く話し」
「先輩行くんですか? 誰と?」
僕は隣にいる彼女を見た。すると茜は僕の体を揺さぶった。正直、酔いそうだった。
「私も行きたいです!」
僕は別に断る理由もないので良いとしてこの話を僕にしたのは彼女だから聞いてみる。
「僕は良いけど香帆は?」
彼女は僕の目を見て一瞬ムッと頬を膨らませたが、茜が彼女の方を向く時には先程の笑顔に戻っていた。
「全然良いよ。集合場所どこにする?」
「茜の家が一番出店が近いから茜の家はどうかな」
「そうしよっか」
と、トントン拍子に日程も決まりそろそろ部活動も終わりに近づいてきた。もともとそこまで厳しい部では無かったが今日は一段と緩かった。彼女は何人かの友達が出来たようで部室から出る時寂しそうに「またね」と言っていた。
「どうだった?」
僕たちは二人でゆっくりと歩く。
「皆とても部活が好きなんだなって思ったよ」
彼女は今日何枚撮ったかわからない程の写真の入ったカメラを優しく撫でた。
「それは良かった。あと、お祭りに行くのも楽しみだね」
「それ、私は悠真と二人でお祭りに行きたかったんだけどな」
あの時のムッとした表情を思い出す。
「あれって、もしかしてそれで怒ってたの?」
彼女は一度頷いて下を向いた。
「なにさ、二人で回りたいなって思って勇気だして切り出したのに」
「それは…ごめん」
「いいよ。その代わりお祭りの時は私に付き合って貰うからね」
彼女は少し前に走って振り返り笑って見せた。その笑顔は向日葵のようで季節外れも良いとこだななんて思いながら歩いた。

山道の中自転車をひたすら漕いでいた。こんな山の中にある自分の家を心の中で批難する。遠くの方で道沿いに明かりが灯っていた。時間はまだ大丈夫だ。パンクしないように慎重に山道を下った。
「あっ先輩ー!」
茜の家の前には彼女も着いていた。
「こんばんわ」
「こんばんわ」
彼女と夜に会うのは何だか緊張した。
「何してるんですか!先輩!早く行きましょうよ!」
僕は自転車に鍵をかけて先頭を走る茜の後を彼女と一緒に追った。
「割りと人多いね」
祭りに着くと彼女は人の多さに驚いた様子だった。確かにこの町は、人口も少なく普段は人の気配すらあまり無いがこの祭りはこの辺りで有名で隣町の人や花火を見に来る人で賑わっていた。
「ねぇ、あれ食べない?」
茜はなれているのか屋台を早く回りたいようでウズウズしていた。
「どれ?」
「あのりんご飴」
「私も…欲しい」
彼女は人の多いところが苦手なのか遠慮気味に手を上げた。
「先輩は?」
「じゃあ、僕も食べようかな」
僕たちは三人でりんご飴を買って手に持ち、また屋台を回り始めた。茜は食べ物を良く買うのに対して、彼女は輪投げや金魚すくい等のゲームを良くやっている。
「ねぇ、悠真勝負しない?」
りんご飴も食べ終えて彼女も祭りの雰囲気になれてきていつもの調子に戻ってきていた。
「勝負?」
「うん、射的であのぬいぐるみ取れた人が勝ち」
彼女が指を指す方には絶対に倒れないだろと言いたくなるようなぬいぐるみが台の上に乗っていた。それでも彼女はやる気満々で屋台のおじちゃんにお金を渡した。
「ほら!悠真も来てよ」
「自信あるの?」
「まぁね」
彼女はコルク銃を構えると意外と様になっていた。日頃からカメラを構えているからか感覚的に最適な構えを無意識でやっているのだろう。次の瞬間銃口から放たれたコルクはぬいぐるみの胴体に命中した。だがあの大きさで命中しない方が難しい。ここまでは多分あのぬいぐるみ狙ったハンター達も悠々とクリアできたはずだ。このぬいぐるみの難しさはその大きさによる重さだ。彼女の当たったコルクはぬいぐるみを少し動かしただけで地面に落ちた。
「やっぱり駄目だったよ…」
彼女は銃を置いて僕のところに来ると落ち込んでいた。
「兄ちゃんもあれ狙いかい?」
屋台のおじちゃんが僕がお金を渡した時にそう聞いてきた。
「まぁそうですね」
「さっきの子彼女かい?」
「えっと…」
僕が言い淀むと屋台のおじちゃんは僕の背中を軽く叩いた。
「とにかく、良いとこ見せてやんな」
屋台のおじちゃんは日焼けした肌から白い歯を覗かせていた。
「その、ちがっ」
「何してるの早く打たないと」
遠くにいた彼女はいつの間にか僕の隣で僕が銃を構えるのを見ていた。
屋台のおじちゃんに訂正を入れる隙もなく僕は取り敢えず銃を構えた。構えてみると気づいたのだが意外と景品に焦点が合わない。小さい頃の僕はどうやってあんなに小さい景品に命中させていたのか。でも、今回はあの大きなぬいぐるみだ。何となく合っていれば当たりはするだろう。後はどこに当たるかだ胴体に当ててしまったら確実と行って良いほど獲得は困難になるだろう。だとすれば、狙うところは頭だ頭が少し後ろに倒れれば後は重さで倒れるのを祈るしかない。それしか、思い付かなかった僕はぬいぐるみの頭の方に銃を傾けた。そして引き金を引いた。それと同時にコルクが飛んでいく。コルクはしっかりとぬいぐるみの頭に命中した。ぬいぐるみが巨体を揺らし頭が後ろに傾いた。が、倒れるまでには至らずぬいぐるみがほんの少し後ろにずれただけに終わった。
「今度は私ね」
「もう一回やるの?」
「これは勝負だよ。どっちかが勝つまでやるよ」
彼女は屋台のおじちゃんにお金を渡しコルク銃をまた手に取った。
「これ、勝ったら何かあるの?」
「何かあった方がいいの?」
「いや別に…」
「じゃあ、負けたら焼きそばを勝った方に奢りね」
「僕否定したよね!」
彼女は僕の言葉が聞こえていない振りをして銃を構えた。まずい。彼女は僕の先程のプレイを見ている。となると、彼女も当然頭を狙うだろう。ぬいぐるみの位置は明らかに先程よりも後ろにある。もしかしたら彼女の一撃で倒れるかもしれない。僕は息を飲んだ。
栓を抜いたような音と共にコルクはぬいぐるみの頭に命中する。しかし、ぬいぐるみは僕の時のように後ろに少しずれただけだった。
「惜しかったね」
僕は口元が緩まないように頬に力を入れる。
「むぅー、あと少しなのに」
次は僕の番だ。おじちゃんは一連の動作のようにお金を受け取ると銃にコルクを詰めた。明らかに有利。ぬいぐるみはもう落ちる。今回で仕留める。そして僕は焼きそばを手に入れる。僕は引き金を引いた。……あれ?何でこんなに僕は乗り気になっているんだろう。
コルクは何もないところへ飛んでいき地面にコツッと落ちた。
一瞬周りが静かになる。
「次は私だね」
彼女は澄まし顔で銃を取り。見事ぬいぐるみを倒した。そうして僕は彼女に焼きそばを奢った。
「はぁ…」
思わずため息がでた。
「おいひいよ」
「口の中無くなってから喋ったら?」
彼女は僕が買った焼きそばを近くにあったベンチで美味しそうに頬張っていた。
「先輩は何も食べないんですか?」
いつの間にか茜も大量の食べ物を抱えてベンチに座っていた。
「僕はいいかな」
「ん」
茜は僕にたこ焼きを差し出しながらチョコのかかった苺を一口で食べていた。
僕は茜からたこ焼きを受け取り一つ食べてみる。
「あっふ」
「このたこ焼きできたて貰ったんで熱いですよ」
確かに物凄い湯気が立っているなと思ったが、まぁいけるだろうと慢心して一口でいってしまった。
「悠真、私も一つの貰って良い?」
「うん」
「それじゃあ私も貰お」
結局皆で一人二つづつたこ焼きを食べ終えた頃には日もすっかり暮れ空は星がハッキリと見えた。
『間もなく、花火が打ち上がります。打ち上がり予定は八時十分です』
アナウンスがなり僕はスマホを確認する。今の時刻は七時四十分だった。
「もうそんな時間なの? 急がないと」
茜が何やら忙しそうに荷物をまとめ始めた。
「屋台の食べ物もつよ」
「ありがとう、先輩」
茜は僕に食べ物の九割を渡した。確かに持つとは言ったけどこれはその…予想できない。
僕に殆どの手荷物を渡した茜は「よし!行こうか!」と歩き始めた。僕も彼女も茜の行動に着いていけずにその場で顔を見合わせた。
「あの、茜ちゃんもう少しで花火始まっちゃうけどどこ行くの?」
「あれ?言ってなかったかな?」
茜はわざとらしく言葉の最後に?を付けて言った。
「まぁ、着いてきてよ」
茜は妙に機嫌良く歩き始めた。このタイミングで行くところと言えば、僕には心当たりがあった。茜についていくとやはり僕の考えは合っていたようで見覚えのある道を進んでいった。彼女もどこに行くのかわかったようで僕より前を歩いていた。それにしても前来たときよりも草の量が減っていた。誰がここの草を刈ったのだろうか。
登るのは辛かったが途端に前が開けると夜風がその辛さを忘れさせた。
「展望台か」
祭りの開かれている場所から離れた位置にあるため足元を照らすスマホのライト以外の明かりは星以外に無く僕たちは見失わないように集まって歩いた。
「あの道、草刈りしてあったね。歩きやすくなってた」
「そうだよね。前来たときは道なんてあって無いようなものだったのに」
僕と彼女の会話を茜は先頭で聞いていた。
「この展望台新しくなるんですよ。何でもそのままにするのは勿体ないって意見が出たとかで」
「初めて知った」
「先輩、地元の人ですよね」
「茜、知ってるでしょ。僕の家もともと地元違うし、引っ越してきた家も山の上にあって地域の人から蔑視されてるからあんまり知らないんだよね。僕は気にしてないけど」
「そうでしたね」
それにしても、この展望台新しくなるのか。工事とかあるとこの展望台に入れなく可能性もあるな。どんな風になるのだろうか。もし、変わるとしてもこの素朴な雰囲気は残して欲しい。
「先輩、今何時ですか?」
そんなことを考えていると茜に時間を見るように言われスマホに視線を落とす。
「八時七分」
「先輩、花火何時開始でしたっけ」
「確か、八時十分だったはず」
「だったら急がないといけませんね」
僕たちは螺旋状の階段を駆け上がっていく。途中途中にある窓のような所から祭りの灯りが朧気に見えた。
『間もなく、花火が上がります。皆様カウントダウンの用意は宜しいでしょうか』
そんなアナウンスを聴きながら僕たちは階段の最後の一段を登りきった。
「ギリギリ、間に合いましたね」
息も切れ切れな僕達を他所にアナウンスはカウントダウンを始めた。
『十、九、八、七………』
「なんかあっという間だったね」
隣で彼女は祭りの灯りをぼんやり眺めながらそう言った。
「そうかな? 僕は色々ありすぎて人生でこれ以上長く感じる三ヶ月は無いと思ったよ」
「それもそうだね。私さ悠真に言いたいことがあるんだ」
「どうしたの畏まって」
「あのね」
『三、ニ、一』
「ありがとう」
『皆様、盛大な拍手をお願いいたします』
アナウンスが終わると祭り会場から拍手が聞こえてきたと同時に夜空に花が咲いた。
「先輩達見てくださいよ!めちゃくちゃ綺麗ですよ!」
隣で茜が夜空に大輪を咲かせている花火に目を輝かせていた。
でも、僕の目には目の前で笑顔が花火よりもこの夜空に溶け込んで何よりも眩しく映った。
僕も君のことが……好きだ。
花火凄かったね」
「そうだね」
夜空の大輪は咲き終わり夜の闇に静かに後も残さずに消えてしまった。遠くの方で終わりを告げるアナウンスが流れ、まるで何も無かったかのようにいつもの日常に戻っていた。戻っていっている筈なんだ。それなのに、僕の胸は張り裂けそうなほどに鼓動して、脈の音が耳元で僕の気持ちを教えていた。
「先輩達、もう終わりだと思ってませんか?」
茜が手に持っていた、沢山の屋台の食べ物を僕達の前に置いた。
「皆で食べましょうよ」
「いいね、そうしようよ」
「香帆ここに来るまでずっと食べたそうに見てたもんね」
彼女も茜の提案に賛成し僕達は円になるように座った。茜は初めからこれがしたかったのか妙に用意周到でミニストーブを三人分持ってきていたり、懐炉を持ってきていたりしていた。
食べ物は冷めていたが、それでも良かった。この記憶が冷めることはきっと無いだろうから。

祭りも終わり茜を家まで送った後、僕は彼女と帰路を歩いていた。ずっと胸が警鐘を鳴らしていた。このままいたら、本当に破裂しそうだった。
「どうかした?」
その目が僕を見つめる度に息を飲む。
「悠真?」
その声が僕を呼ぶ度に君の唇に視線がよっていく。
この気持ちは伝えなければきっと後悔する。僕はそれを痛いほど知っている。だからーー。
「ねぇ、香帆」
「なに?」
「あの時の返事なんだけどさ」
「えっ、あっうん」
街頭の下、彼女は何かを察したのかピシャリと姿勢をただして前髪を少し触ってすぐにまた姿勢をただした。
「僕には好きだった人が居たんだ。でも、想いを知る前にその人は僕の知らない所に行ってしまったんだ。それで今になってその事を後悔したんだ。何でもっと早くこの気持ちに気付かなかったんだろうって。だから、今言うよ。僕も香帆が好きだ」
田舎の澄んでいる空気が星空を美しく映していた。彼女は顔を紅く染めて僕の手を取った。
「…」
なんだか塩らしい彼女は僕の手をとったまま背伸びした。ふわっと甘い香りが彼女の髪から流れた。直後彼女の柔らかい唇が重なった。
本当に一瞬だった。彼女は顔を離すと耳まで紅くして。
「ここまでで、良いよ。ありがとう。またね」
と走り去ってしまった。僕は暫くその場から動けずに何度も頭の中で時を戻してはさっき起こったことを何とか咀嚼しようと必死だった。

やってしまった。確実に引かれた。だって、嬉しくて感情が追い付かなくてどうにかしようと思っただけ……じゃないけど!確かにキスしたいなとは確かに思ったけど!本当にするとは自分でも思っていなかった。あまりに感情が先行してしまった。
胸の高鳴りが痛いくらいにこの気持ちが確かにあることを証明してこの夜の寒ささえ感じる暇なんてなくて。ただ、彼のことが好きだ。この気持ちを彼を忘れることがまた怖くなってしまいそうで残り少ない日にちを指で数えては幸せだった日々に想いを巡らせた。

「先輩、おはようございます」
私は今日も先輩に日課の挨拶をかわす。
「…おはよう」
「先輩、元気無いですね。何かありました?」
先輩は考えるように空を見て何を決めたのか「相談がある」と切り出した。
「どうしたんですか、畏まって」
「よく考えたら、茜にしか相談できないことなんだ」
私は先輩の真剣な眼差しに思わず目を逸らした。
「何ですか…何でも聞きますよ」
「僕、初めて彼女が出来たんだ」
「えっ」
「それで、これからどんな風にあったらいいのかよく解んなくなっちゃって」
「もしかして、東雲先輩ですか?」
「そうだよ」
私は感情を押し殺して表情を崩さないように必死だった。
「いつも通りで良いんじゃないですか?」
捨て台詞のようにそう言って思わずその場から逃げた。後ろから先輩が私を呼んでいるのも無視して。
学校とは反対に向かって走った。私は気が付いていた。先輩が東雲先輩のことを気にかけていることも、お祭りの時もそうだ先輩は花火を見ているときも東雲先輩の横顔を見ていたことも。全部知っていた。知っていてなお、見て見ぬふりをした。知ってしまうのが怖かったから。でも、もう認めるしかない。
「あれ?茜どうしたの学校反対だよ」
後ろから由紀の声がして振り返る。
「え、ほんとにどうしたの」
顔を触ると頬が濡れていた。
「なに、転けた?」
私が首をふると由紀は私を近くの自販機まで連れて私にペットボトルを渡した。
「で?何があったの」
私はこの行き場の無い感情を吐き出した。葵の振りを先輩の前でしていたこと。それを続けるうちに先輩に恋をしたこと。その間由紀は優しく頷きながら私の言葉を聞いてくれた。涙も流れなくなり私も一度落ち着きを取り戻した。
「それで、茜はどうしたいの」
「私は……」
まだハッキリしない私に由紀は痺れを切らしたようにため息をついた。
「その気持ち伝えなくていいの?」
その言葉にハッとした。
「茜、葵が居なくなった時もそうだけど伝えたい想いは言葉に出さないと後悔するよ。これ、葵の中学の時の部活中の口癖何だけどさ『後悔しそうな時は思いきってやってみる』って中学の時よく言ってた。だから、茜も後悔しそうな時は何でもやってみないと。もう、後悔したくないでしょ」
由紀の言葉はどこか自分自身を責めているようで私はその姿に私を重ねた。由紀もきっと姉ともっと他愛ない会話をしていたかったんだとそう思った。
「由紀、私後悔しないようにしてみる」
「おう」
「多分駄目だけどその時は胸借りてもいい?」
由紀は優しく微笑んで「任しとけ」と胸を叩いた。

「先輩!」
教室の扉を開けると同時に彼を呼んだ。教室の中にいた数人の視線を浴び怯みかける私を奮い立たせて。先輩の手をつかんだ。
「来てください」
「えっちょっ!」
状況がうまく飲み込めていない先輩の手を引っ張って走った。
「どうしたの! 茜!」
部室へ着いたとき先輩は私の名前を呼んだ。
「茜?」
「先輩の事が好きです」
その言葉は思ったよりも喉につっかえる事もなく発せられた。ずっと、解らなかった。この気持ちの本当の意味を。姉の代替だった私はきっとこの気持ちも代替だと思っていた。この気持ちを本物だと定義付けるには、私は長く嘘をつきすぎた。
「ごめん」
予想していた通りだった。これでやっと嘘が終わる。思った通り私の心は痛む事はなかった。
「そう…ですよね。……ごめんなさい!」
なのに、なのにどうして。
「それじゃあ、私は教室に戻りますね」
笑顔を作れ私。
痛くない。痛くないのに…廊下を突き抜け生徒玄関の扉を押し開ける。
「どうだった」
「駄目…だった。なんで、私の方が好きなのに。私の方が知っているのに、なんで……」
痛くない筈なのに、どうしてこんなにも苦しいのだろうか。
「そうかそうか」
どうして、こんなにも涙が止まらないのだろう。

今朝、茜に告白された。放課後にあの時は何だったのかと聞くと茜は「さて、なんだったと思いますか?」と唇に人差し指を当てた。結局何度聞いても上手くはぐらかされるのできっと彼女は僕の事をからかっているのだと思うことにした。
「先輩、私諦めませんから」
……これはどっちなのだろう。

何気無い挨拶に始まり、またねで終わる日々を当たり前だと僕はずっと思っていた。でも、彼女と居れる日々ももう最後になってしまった。またねは終わってしまう。僕は考えるのをやめた。今はただ、目の前にいる彼女を笑顔にする事だけを考えていたいから。
「悠真、今日はどこに行くの?」
「香帆もよく知っているところ」
潮風が強く吹いた。もう、何度見たか解らない見慣れた風景。
「何回見ても飽きないね」
「そうだね」
波の音が僕達の間に流れた。
「そうだ、悠真ここに立って」
「どうして?」
「どうしても」
彼女に言われた通り靴を脱いで海に足をつけた。
「どう?」
「めちゃくちゃ、寒い」
「ふふ、そうだよね」
彼女も靴を脱いで僕のとなりに足を浸けた。
「冷たいね」
彼女は彼女はそれだけ言うと鞄の中から何かを取り出した。
「これ、君の分。私の分はちゃんとあるから受け取って」
「なに?これ」
彼女から渡されたノートは妙に分厚かった。所々に付箋もしてある。
「これは、私と悠真のアルバム」
僕はノートを一ページ捲る。そこにはこれまで僕達が撮ってきた写真が日記のような文章と一緒に張られていた。
「君と写真を撮る度に貼ってたんだ」

一日目
彼と一緒に展望台へ登った。相変わらず、彼はここが好きみたいだ。
二日目
今日は、隣町まで来た。少しだけ時間がかかったけどとても綺麗な星空が湖に反射していた。彼と見れて良かった。

僕達が辿ってきた軌跡がそこに形として残っていた。
「これがあればきっと、この世界に私がいた証明になると思って」
「確かにこれがあれば君と離れてもずっとこの日々は色褪せない」
僕は一ページ一ページを大切に思い出しながら捲った。
「あれ?」
最後のページ、そこには日記が書かれていたが日付も写真もなかった。不自然に写真が本来あるところが空白のままだった。
「そこは、お楽しみかな」
「どういうこと?」
「だから、お楽しみだって」
彼女は僕の手を動かしてアルバムを閉じた。太陽も海に沈みかけもう二度と会えないかもしれない彼女との別れを告げていた。
最後の時を一秒でも覚えていたくて、離れたくなくて僕達は二人沈む太陽に溶けるように唇を重ねた。
「悠真、またね」
「香帆もまたね」
僕達は次も会う約束をした。きっとこの約束は果たされる事は無いだろう。でも、それでも良かった。この約束はおまじないみたいなものだ。いつかまた、彼女に会えるように。

次の日から彼女のいた筈の席には、誰も居なくて。僕の日常はこれから少しずつまた、彼女のいなかった頃のようになっていく。それでも、この世界から彼女と過ごした日々が消える訳じゃない。彼女が忘れてしまっても彼女が歩いた場所も見てきた景色もきっとこの世界に残っているから。今日もまた、アルバムの一ページを捲る。そして、同じような画角でカメラを構えた。またいつか、君が君でなくなってもーー。