「お前に、美雲は似合わない」

 雨宮くんらしかぬ、そんな声が聞こえたと思ったら、勢いよく扉が開かれた。

 「華梛……」

 出てきたのは櫂晴で、私は慌てて涙の滲んだ顔を隠した。
 櫂晴は一度、驚いたようにこちらを見つめたあと、雨宮くんが残る屋上の扉をバタンと勢いよく閉めた。

 きっと彼は、私が聞いていたことには気付いてないだろう。

 「ちょっと来い」

 温度のないひと言が落とされる。

 その場で動けないままでいた私の腕を、櫂晴は強く掴み、近くの空き教室へと連れていかれた。

 「どういうことだよ、塾遅刻したって。今大切な時期なんじゃねーの?」

 こんなにも、私に対してイライラを露わにする櫂晴を見るのも初めてだった。
 真っ白になる脳内で、必死に答えを探す。

 「そうだよ、でも昨日は……」

 言葉の続きは出てこなかった。

 何を言えばいい?
 全部言い訳だ。

 塾へ行かなかったのは、私が勝手に不安になって不安定になってしまったからだったから。

 「櫂晴は?」

 気付いたら、私は話を逸らすように聞き返していた。

 「は?」
 「じゃあ、櫂晴はレッスンに行ったの?私といる日は、絶対にレッスン前の練習も手を抜かないのに……。昨日は琴音ちゃんのところへ行ったんでしょ?櫂晴だって、同じじゃん」

 俯いたまま一息でそう言った私に、櫂晴は口を噤んだ。

 そんなこと言うつもりはなかった。
 だけど、自分を誤魔化す言葉として出たのは、櫂晴を責める言葉だった。

 やっぱり何も言わない。事実なんだ。
 ……琴音ちゃんとは、何かがあるんだ。

 一度口にした言葉は、もう戻すことは出来ない。
 積もっていく不信感も消えることはなさそうだった。

 「それで、塾サボったのかよ」
 「……そうだよ。不安で、勉強なんてできなかった」

 お互いに絞り出した声だった。
 もっと他に伝えたいことはあるはずなのに、その言葉は出てこなくて、ただ、彼を責めるような言葉だけが飛び出す。

 頭ではもっと、違う伝え方で、違う言いたいことがあるはずなのに、全く違う動きをする言動。

 少しも重なり合わない感情に、彼は静かにため息を落として、口を開いた。

 「俺といることが、夢の弊害になるのなら、別れた方がいいのかもな」

 そう言い残して、櫂晴は教室を後にした。

 生まれて初めての大きな喧嘩だった。
 それは、今まで平凡に安定に生きてきた私には、信じられないほどの深い傷を心に植え付けた。