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 その日私は、塾へ行くのを遅らせて、河川敷で櫂晴の練習を見ていた。

 「Bメロから!」
 「了解!」

 すっかり練習曲を覚えてしまった私は、彼からスマホを預かり音源を操作していた。

 櫂晴のダンスはぐんぐん上達していた。素人目には、とっくの昔にプロのように見えている。

 それでも満足せず毎日練習を重ねる彼は、きっといつかその夢を叶えるだろうと、私は確信していた。

 音楽が弱まり、スピーカーから着信音が流れた。

 踊るのをやめた彼と目が合い、手に持っていたスマホを確認して、私の心臓は妙に嫌な音を立てた。

 「誰から?」

 歩いてきた彼に、私は少し言葉を詰まらせた。

 「琴音、ちゃんから」

 冷静を取り繕った。
 何も気にしてないふりをして、スマホを差し出す。
 櫂晴は少しだけ表情を変えて、そのスマホを受け取った。

 スピーカーとの接続を切り、スマホを耳に当てた櫂晴は川の方に向かって歩いていき、私から距離を取る。

 電話中に席を外すのなんて、マナーとしてあることだ。
 こんなことで、もやもやしたらだめだ。私は、彼女なのだから。

 櫂晴のことは、どんなことでも理解して受け止めてあげたい。

 電話で会話をする櫂晴の声は聞こえなかった。
 その話題も分からず、私はただうつ向いて草をむしる。

 手が青臭くなるほどに草に触れた頃、その電話は切られ、櫂晴が戻ってきた。

 「えっと」

 なんだった?と聞きたかった。だけど、それすら憚られて私は言葉を濁す。
 櫂晴は、何も言わず、荷物を片付け始めた。

 まだ、河川敷にきて30分も経っていない。
 それに今日はレッスンがあると言っていたから、それまでは練習するのだと思っていた。

 「櫂晴?」
 「ごめん華梛、俺行くわ。華梛もそろそろ塾行くだろ?」

 ぽんっと頭に一度触れ、私を待つことなく土手を駆け上がって行った彼。
 そのまま走って行った彼は、あっという間に見えなくなってしまった。

 その後ろ姿が見えなくなった途端、私の中の何かがプツリと切れた。