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 その日から、塾のない日は、櫂晴の家で勉強をさせてもらうようになった。

 彼の帰宅時間はかなり遅いようで、本当に場所だけを借りて会うことなく家を出ることばかりだった。

 なんだか安心するような、少し切ないような……。
 そんな不思議な気持ちと対峙しては、慌てて振り払っていた。

 「おー!まだいんじゃん!」

 何度かお邪魔し、彼の家にも慣れた日。

 勢いよく開かれたドアに、私は心臓を飛び跳ねさせる。
 それまでは、心地よい静けさに何時間もぶっ通しで集中していたのに、簡単に崩された集中力に驚いた。

 「え、わ、ごめん!もう帰るね!」

 初めて、帰ってきた櫂晴と遭遇し、私は慌てて参考書を閉じた。

 「え?いいよいいよ、俺風呂入るし気にすんな!好きなタイミングでいいから」

 そう言い残して平然とお風呂へ向かった彼に、私は当然動揺した。
 シャワーの音が聞こえてくる部屋で、集中なんてできるはずがない。

 問題文の冒頭を読み始めては、途中で脳が停止して、頭に入っていないのを自覚してから再度読み返す。
 無意味な時間を数回繰り返して、結局参考書を閉じてしまった。

 見慣れてきたはずの彼の部屋が、急に新鮮な景色に感じる。

 落ち着かず、散らばって落ちていた服を畳み始めた頃、シャワーの音が止まり、彼は部屋へと入って来た。

 「あー、すっきりした」

 キッチンも室内と同じ間取りにあるワンルーム。
 半裸で入ってきて、真っ直ぐに冷蔵庫へと向かった彼から、慌てて視線を逸らす。

 ごくごくと、気持ちの良い喉の音を聞きながら、服を畳んでいた。

 冷蔵庫が閉められる音と、近づいてくる足音。
 全てが明確に聞こえる小さな世界で、私はとにかく動悸を抑えるので精一杯だった。

 「うわ、畳んでくれてんの!?やっば、さんきゅ!」

 真後ろから聞こえた声に、肩を震わすと後ろから腕が伸びてきた。
 畳まれていない中から1枚のシャツが取られ、それをさっと被った櫂晴に、私はやっと視線を向けられるようになる。

 「ううん、逆にいつも部屋借りてるのに何もしてあげられなくてごめん」
 「なんでだよ、なんかしてもらいたくて呼んでんじゃねーし」

 ベッドへと倒れ込んで伸びをした彼に、とにかく胸がどきどきした。

 家という場所がいけないのだろうか。

 湿った髪、ラフな部屋着姿、眠たそうにスマホを見る目。
 そのひとつひとつに胸が高鳴って仕方がない。

 もう勉強なんて当然できそうにないので、服をひと通り畳み終えて、私は教材を片付け始めた。