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 完全な二人きりになるのは、きっと初めてで。
 少し先を歩く音坂くんを後ろから眺める。

 元々口数の少ない音坂くんと歩く道は、沈黙の時間が長かった。

 「美雲は、季節の家知ってんだっけ?」

 いよいよ気まずさが限界に達しそうな頃、音坂くんが沈黙を破った。

 「へ、あ、うん。知ってるダイさんのお店だよね」
 「おー、そうそう。なら話は早いか、そのダイくんがアパート持ってんだよ。で、一部屋を櫂晴が借りてんの」

 思いがけない新事実が飛び出し、気まずさはどこかへと消えて行った。

 「え!?なにそれ、ダイさんって、本当に何者なの?」

 あの若さで、あの見た目。
 それでいて、自分のお店を経営しながらもアパートまで所有しているというのだ。

 にわかには信じられない情報量だった。

 「はは、分かる。俺も聞いたときそう思った」

 目を細めた音坂くんは、楽しげだった。
 季節の家で、音坂くんと一緒になったことは無いけれど、その口ぶりからは、彼もダイさんとは長い付き合いなのだろうと、察せられた。

 「ここ、別に綺麗ではないんだけど」

 自分のアパートを紹介するように前置く彼が、なんだかおかしくて、私は笑った。

 たどり着いたアパートは、音坂くんの言う通り、お世辞にも綺麗とは言えない歴史ある建物だった。

 ただ、ゴミ置き場やポストは綺麗に清掃されており、住民たちの治安の良さは感じられる。
 ダイさんの統治力が優れているということだろうか。

 「2階の1番奥ね」

 簡単に説明をしながら、鍵を開けた彼は、扉を開き私を中へと進ませた。

 「そんじゃ、鍵渡しておくから。櫂晴より早く帰るときはポスト入れときな?」

 それだけ言って、さっさと閉められた扉に、私はしばらく立ち尽くした。

 一人にされるには、慣れる時間が無さすぎた。
 心臓は信じられないほど、活発に血液を回している。

 ひと呼吸をおいてから、真っ暗な室内を振り返り、私はとりあえず、電気のスイッチを押した。
 オレンジ色の照明がつき、彼の一人暮らしの部屋が露わになる。

 そわそわした。

 男の子の一人部屋。
 物が少なくて、脱いだ服と部屋干しの洗濯物が散らばっていて。
 生活感に溢れた空間。

 机の上にも、整髪用のワックスやリモコン、ゲームのコントローラー等がばらばらと置かれており、私は申し訳程度にそれらを寄せて、隅で参考書を開いた。

 ……はあ、よし、とにかく集中!

 妙にドキドキする心を押さえ、私は勉強に集中することにした。

 とにかく集中しないと、せっかく部屋まで貸してくれたのだから。

 始めの方は、落ち着かなくて集中できないのではないかと心配していた。

 けれど、もう嗅ぎなれてしまって強いとも感じなくなった男らしい香水の香りは、不思議と私を安心させて、すぐに問題に集中することができていた。