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 「楽久?……あ、来てたのか。いつもありがとう」

 病室に、楽久くんのお父さんが入ってきて、私と櫂晴は同時に立ち上がりお辞儀をする。

 単身赴任だと聞いていた彼のお父さんと顔を合わせるのは、楽久くんが目を覚ました日以来のことだった。

 「転院の手続き、できたから」

 思わぬ言葉が飛び出し、私と櫂晴は顔を見合わせた。
 楽久くんは、素知らぬ顔でスマホに視線を落として頷いた。櫂晴は眉を顰める。

 「あの、転院って……」

 私が尋ねると、楽久くんのお父さんは驚いたように目を見開き、呆れた顔で楽久くんを見つめた。

 「言ってないのか。櫂晴も?」
 「聞いてないっす」

 父親の前だというのに、不機嫌な感情を露わにし、楽久くんを睨む櫂晴。
 楽久くんは、可笑しそうに笑った。

 「俺の、単身赴任している先の病院に転院するんだ。母さんも元々こっちにいることが多かったから」

 申し訳なさそうに、告げた楽久くんのお父さん。
 その間ポチポチとスマホを打っていた彼が、再生ボタンを押す。

 「どうせ学校は休学だし、日数ギリギリで計算してたし卒業も遅れる。こんなことなら真面目に出ときゃ良かったな」

 そんな音声に、楽久くんのお父さんは頭を抱えた。
 櫂晴は、不機嫌そうな顔を戻し、少し口角を緩めて、楽久くんを見つめていた。

 「じゃあ、マジでお見舞いはいけねーってことか」

 都合がいいだろ?とでも言うように頷いた楽久くんに、櫂晴も笑い返す。

 「分かった、絶対に絶対に治して帰ってこい。お前には、お前の声で祝福して貰いてーし」

 声を強調した櫂晴に、楽久くんは少しバツが悪そうに目を逸らした。

 伝えたいとは言いながらも、やっぱりいざその日を想像すると恥ずかしいようだった。

 困ったような視線が楽久くんから向けられ、私は笑い返す。

 以前のような、挑戦的でありながら温かい不思議な空気が漂っていた。

 少し、休憩していた私たちは、ここから再び前へ進むのだ。

 彼らの楽しそうな笑顔は、どんなに厳しい向かい風が吹いても、決して折れない気持ちを教えてくれた。