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 楽久くんの声は、時間が経っても戻らなかった。

 検査の結果、脳の外傷による後遺症で声が出なくなっているのだと楽久くんの両親から聞かされた。
 不安げに顔を見合わせた私達に、楽久くんのお父さんは眉を下げた。

 「声もリハビリをしたら治る可能性が高いみたいだし、身体の怪我と同じだから。時間あるときは、リハビリにも付き合ってやって」

 安心させるようにそう言われ、私たちは「もちろんです」と頷き返した。

 その間、櫂晴は苦しそうに顔をゆがめ、ギュッと拳を握っていた。

 その表情が示したように、楽久くんが目を覚ました日から、櫂晴は毎日病院に通うようになった。

 学校にも最低限出席して、必要以上は来ない。
 ダンスのことなんて、すっかり頭から抜け落ちているようだった。

 3限が終わり、カバンを持って教室を出ていった櫂晴を追いかける。

 「今日も楽久くんのところ?」
 「ああ。華梛は、今日は塾行けよ。俺がついてるから」

 にこりと見せた笑顔は、薄っすらと目の奥の真顔が伝わる、へたくそな作り笑いだった。

 「櫂晴、コンテスト、もうすぐなんじゃないの?」

 問いかけた声には、反応はなかった。

 「楽久のお父さん、単身赴任中なんだよ。だから、職場戻らなきゃいけなくて。その分櫂晴がお見舞いいってお母さんの力になってるみたいだよ」

 いつの間にか隣に立っていた琴音に囁かれ、私はその場に立ち尽くした。

 ……仕方ないけど。
 今は、それどころじゃない気持ちも分かるけど。

 今の状態で、いいのかな。

 釈然としない気持ちで、だけど、何も言えないまま。時間だけが過ぎていた。

 「楽久くん来たよー」
 「さんきゅ」

 病室の扉を開けてから返ってくる返答は、機械音だった。
 彼の手に握られたスマートフォンから、音声が流れてくる。

 楽久くんとのコミュニケーションは問題なく取れていた。
 だけど、リハビリの結果は芳しくないようで、小さな小さな掠れた声が聴けると、櫂晴はひどく喜んでいた。

 「コンテストもう週末だろ、練習してんの?」

 少しの雑談の後、そんな言葉が読み上げられ、櫂晴は一瞬表情を固めた。

 でも、次の瞬間微笑んで、告げる。

 「今回は、いいんだよ。また、次頑張るし」

 歯切れの悪い彼に、私は心を曇らせる。
 だけど、今回ばかりは強く言うことも出来ず、私は迷っていた。

 「(いけ)」

 口パクで告げる楽久くんに、櫂晴は笑顔で誤魔化す。
 彼は気付いているのだろうか、最近見せるその笑顔が、信じられないほどへたくそな事を。

 何度見たか分からない、練習させようとする楽久くんと、誤魔化す櫂晴の、口パクのやり取りに、私は心を痛めていた。