【白髪の二十三歳】

「金髪ってちょっと古臭くない?」
「いいの。それに、このブリーチかけたらすぐに白に髪染められる頭髪材も買ってきてるんだ」
 基本的に僕ら希死念慮者待機施設の入居者と違って、希死念慮者は自分の意思でこの施設の出入りが出来る。だから、いつの間にか提供者がいなくなっていたなんて話は、この施設ではよくあることだ。
「髪の毛染めるのになんでそんなに詳しいの?美容師関係の仕事してたの?」
「ううん。でも友達が美容師でね、いろいろ教えてくれたし。何回かその友達のカットモデルしたこともあるから、観察してたらいつの間にか詳しくなっちゃったところもあるかな。今回髪を切ってくれたのも、その美容師の友達だし」
「……友達」
 そんなありがたい存在がいるのに、どうして彼女はココにいるのか全然理解できない。
 彼女の名前は可憐。僕が名付けた。僕らの関係は臓器提供者と、その臓器をもらう法を犯してない正当な関係で、手術の日までルームシェアをしなければならない、ちょっと厄介な関係。
そんな生活が始まって、やっと一週間が経ったけど、気さくで妙に明るい彼女の機嫌を損ねたりして臓器提供を辞めると言われないか心配している僕の関係は案外上手くいっているような気がする。まあ僕の錯覚じゃなければだけど。
 なんとなく僕と彼女の性格の相性は悪くないんじゃないかなってちょっとだけ油断も出てきてしまうほどだ。
「でも可憐、なんで髪を白にしたいの?」
「白髪の自分見てみたいなって」
手術までは早くて三ヶ月。遅くてもきっと一年以内に彼女は僕に内臓提供して死ぬ。
「それにしても、なんでいきなりショートヘアにしたの?あんなにきれいで長くて綺麗だった黒髪をさ、もったいないって思わなかったの?」
「ん?切る前に言わなかった?私の切った髪は病気で髪の抜けた子供のヴィッグになるんだよ。順平が褒めてくれちゃうくらい毎日ケアして伸ばしてた髪をそのまま捨てるなんて勿体ないこと私がするわけないじゃん。希死念慮者の条件はこの世に未練がないことが大前提だからね。ずっと前からこの髪の毛だって必要としてる人にあげたいってずっと思ってたの。おかげで今、私は本当に気分も頭もさっぱり」
 出会って一週間目の今日、昼食の後、彼女は「ちょっと外行ってくる!」と詳細も告げず嬉しそうに病室を出て行った。五時間くらいで彼女は帰って来たけど、待っている間、怖かった。帰ってくると信じようと自分に言い聞かすことしか出来なかった。
でも、自分の居場所はココだと言わんばかりに、彼女は帰って来た。だけど帰って来た彼女の髪は、頭の形に張り付くような軽いショートヘアになっていて、肩に座るように長かった髪がいなくなっていた。
「順平の場合は薬の副作用とかで髪が抜けることなんかもないでしょ?」
「そうだね」
「でも、欲しがってる人もいるんだよ。皮膚も眼球も移植可能なものがあるなら全部必要な人に届けたいの」
 希死念慮は綺麗ごとだとか、偽善者がなるとか、ネットやこの施設内の入居者でも言う人がいる。僕も結果的に提供を辞めてしまった人に対しては同じことを思う。けど、可憐は偽りなんかなく生粋の希死念慮者なのかもしれない。
「それでね、私の髪の毛切って計ったら68センチも長さがあったの。元々髪の毛の量多かったから、上手くいけば2人分作れるって言われたの。嬉しい。」
一人にされたたった五時間、ずっと、そのまま彼女が帰ってこなかったらどうしようかと思って怖がっていた自分のことが恥ずかしくてたまらない。
 そんな機嫌のおお彼女の髪に、僕はさっきから彼女が持ち帰って来た髪の毛の色を抜いて金にするブリーチ剤をベランダで塗りたくっている。
「ムラの無いようにお願いね」
「友達の美容師さんにそのまま染めてもらえばよかったのに、なんでこんな……」
「だって早く帰らないと順平心配すると思って」
 気を使ってくれたのは嬉しい。嬉しいけど……今現在、バスタオル一枚体に巻き付けているだけの姿の女の人の髪を、しかも、ベランダで夕日に照らされながら撫でまわしている姿なんて、隣の部屋の人とかに見られたら結構恥ずかしい。いや、物凄く恥ずかしい。
「じゅんぺ~!」
 ほら、言っている傍からもう見つかった。
 左隣の部屋のベランダからムカつくくらい響くイイ声の幼馴染の、星野海斗が前のめりで僕らを観察していた。
「なぁにしてんの。女半裸にして、外に出てるとか、変態か」
「ち、違う」
 実際はそう違わない。でも、あれだよ、同意の上じゃなくて、なんだろう。
「私がリクエストしたの。髪の毛染めるの手伝ってって」
 嬉しそうな笑い声を上げながら、彼女がそう言い返すと、海斗は顔を赤面させ、今更のぞき見していたことと、自分の発言の恥ずかしさに打ちのめされたようで、片腕で口元を隠して少し目をそむけた。
「海斗君って照れ屋?」
「そりゃ、俺も十七歳だし。ってか誰だってそんな姿見せつけられたら照れますよ!」
 ―――……なんだこの違和感。
 海斗は僕と同じ十七歳だけど僕より二年遅く、この希死念慮者待機施設に入ってきた。海斗も適応する心臓を持った人を待っている。
 可憐が初めて海斗に会った時、彼女は思い出すように海斗を見て「君が、星野海斗君か」と、海斗のこと知ってたみたいに言った彼女言った。
 それがなんとなく気になっていたけど、訊けていなかった。
可憐は夕日から目を離し、海斗の方を真剣に見ていた。まあ海斗はこの施設だけじゃなくて世界的な有名人だからな。可憐も知ってたのかもしれない。
 海斗は一言で言えば天才で、ゲームやアプリを造っては世界中で大ヒットさせている。
「そういえばさ、お姉さんはいくつ?」
「私?二十三歳」
「え」
 海斗は僕と違って社交的で楽天家というかデリカシーがない時がある。そんなに風に見えるけど、本当は感受性が強くて察する能力が高い。彼にポーカーフェイスが通用する奴なんかいないって思っているけど、僕のポーカーフェイスだけは彼にも通用していると思っている。
けど、可憐の心を読むことは例え海斗でも出来なかったのだろう。出てきた言葉は「え」だけだ。
「私、若いでしょ?まだ十代で通用するかなって自分では思ってるんだけど」
「いや、若すぎでしょ」
 その通り。若すぎるのだ。確かに自殺しようとする年齢も希死念慮感を抱く人も若者に多い。それでも、死にたがりのレッテルを張られるのが嫌だったりして希死念慮更生施設に行くのが嫌だとか、死ぬのが怖いとか、簡単に自殺に踏み込む人間はそうそういない。若ければ若いほど、死を恐れる傾向も強い。そして、希死念慮者更生施設に入ると大概の人が自分は生きることを選ぶ。けど、若さゆえに簡単に死のうとする人も後を絶たないのがこの国の現状。
 でも、その若い人の多くは希死念慮更生施設で社会復帰して行く。
 僕らは待つだけ。追うことも出来ない。
そんなに簡単に命はもらえない。
「ってか髪の毛切っちゃったんッスね。この前見かけた時はロングの黒でしたよね?」
「うん。切った髪は病気で髪の毛が抜けちゃった子供のヴィックになるの!」
 海斗の笑顔が少し引きつった。
「……優しいんですね」
 微笑んだ可憐を見て、海斗がほんの少し悔しそうに僕を睨んだ気がした。
「海斗君、綺麗な目だね」
「あ、この色は生まれつき。俺クウォーターで」
 海斗は肌も白くて、髪も茶色に近くて、背も高い。でも、一番目を惹くのはやはり目の色だ。初めて会った時、十歳にならないくらいだったけど、その目から視線が離せなくなったのを覚えている。
「凄く綺麗。夕焼けが沈んだ後の夜の始まりみたいな色だね」
「……なんで、そんなに優しいのに希死念慮者なんですか」
 海斗の声が沈んで行く太陽のように重かった。
「わかんないの」
「は?」
「自分でもわかんないの。子供の頃からいまいち生きてる意味とか生まれてきたことに使命感とか持てなくて、とにかく今は順平のために死にたいって思ってるだけ」
 可憐の後ろに立っている僕には、彼女の表情は見えなかったけど、決して笑ったり冷やかしっているような感じではなかった。
それでも「ごめんね。海斗君は一生懸命生きようとしてるのに、こんなこと言って」と言った可憐の真剣な声に、僕は可憐への感謝みたいなものと、海斗への後ろめたさが胸の奥の方で同時にグルグルと渦巻いていた。
「仕方ないっスよ。俺、趣味でゲームとか作ってるんですけど、何度バグ直しても直らなかったりもするし、この世に存在しない部品は一から自分で作らなきゃいけないし。俺の心臓が弱かったのは誰のせいでもないです。クウォーターだからとかも関係ないし。あえて言わせてもらえるなら今存在する人工心臓が俺に適合しないのが悔しいくらいで」
 可憐の海斗を見つめる横顔が、彼女の中にある何かを変えたような気がした。まるで海斗からシンパシーでも感じ取ったみたいな同情以上の共感。
 少なくとも可憐は海斗に敬意を持ったのは確かな気がする。
「あ、そろそろ髪の毛洗ってこなきゃ」
 可憐は椅子から立ち上がった。バスタオルの存在を忘れていたのか、立った瞬間彼女は全裸になってしまった。
「ふひっ!」
「ぼえっ!」
 間抜けな十七歳男子二人の声に、可憐は大笑いしながら、そのままの姿でバスルームへと向かった。女の人の裸なんかネット以外で初めて見た。
 ベランダに残された海斗と僕は目線を合わすのが恥ずかしくて、お互いに夕日を眺めるしかなかった。
「面白い人だね。彼女のことなんて呼んでるの?」
「可憐」
「本名?」
「いや、会った日に僕に名前をくれって言ってきたから、なんとなく」
「お前は変わってんな」
「そうかな?可憐の方が変わった人だと僕は思うけど」
「カレンさんは面白い人で、順平は変わり者」
「そうかな?」
 僕は変わってるんだろうか。僕にとって可憐は面白いというには、まだ変わっている人ってイメージが強いんだけど。
「それより順平、昨日、ベランダでカレンさんと少し話したんだけどさ。あの人、俺のこと知ってるみたいだった。部屋には表札ないし、部屋番号だけなのに。お前、俺のこと話してたりする?」
「いや?でも海斗はそもそも有名人じゃん」
「いやでも、ゲーム作ってるとかそういうのは知らないのになんだかどっかで会ったことあるみたいに、こんばんわぁ隣の希死念慮者です。って挨拶されたよ」
「いや、俺も彼女に気を使うので精一杯でまだよく彼女のことよくわからないんだ」
 なんだろうこの違和感。僕と可憐と海斗の関係は始まったばかりなのに。彼女だけが僕らのことをよく知っているような、妙な感じ。
「なあ順平。俺、やっぱり長生きしたいわ」
 海斗の神妙な声に、僕は「そうだね。僕も生きたい」と返事を返した。
 早く、海斗にも適合者が見つかればいいなと思ったけど、口には出せなかった。
 実は海斗には一年前適合者が見つかって、今の僕と可憐のように最後の試練、ルームシェアをしたことがあった。三十代前半の男性だった。おとなしい感じの人というよりは、物静で暗い表情しか見せない人で、おしゃべりな海斗は相手の機嫌を損ねないように、余計なことは言わなかったし訊かなかったらしい。でも、その適合者は手術の日程が決まった途端に海斗から逃げた。
僕は、生き伸びられるかもしれない希望を一度経験した人が、落ち込んでいる時に気の利いたことを言える言葉が見つけられず、海斗としばらく話す勇気がなくて海斗が自分で復活するのを待っていた。
 僕は、自分がいくら前向きな考えでいようと思っても、それが他人と同じモチベーションにならないことを知っている。以前亡くなったクラスメイトの比較的仲の良かった女の子が適合者に逃げられてしまって泣いている時に「またチャンスがあるよ」と子供ながらに気を使ったけど、逆に怒らせてしまって、しばらく口をきいてもらえなかった。ごめんねがちゃんとできていないまま、その子は逝ってしまったのが今でもトラウマとして心に残っている。
 その女の子は自分の意思で希死念慮者待機施設に入ったわけじゃなかったと、後から別の友達から聞いた。彼女はどこかの社長令嬢で、親のエゴで無理やりココにいたらしい。
その子には元いた学校に友達がいっぱいいたという。死ぬかもしれないなら友達ともっと一緒にいたかったんじゃないかなって思ったら、僕はその子に余計なことを言ってしまったんだと後悔した。
チャンスなんてめったにないんだって、子供ながらに痛感した。その子はただ生きたい僕とは違かった。希死念慮待機施設に入らなくても生きる方法はあったかもしれないのに、無理やりココで延命させられていたんだ。
もちろん僕の母も僕の死を望んでないからココに入ることを許してくれたけど、彼女は自由に生きることを選ぶことも許されていなかったんだ。子供の頃のことだけど僕は絶対その子のことを忘れない。ずっと忘れられないし、忘れるなんで許さない。
だから毎日なんとか生きてきた自分に、土壇場になって本当に適合者が見つかったということだけでも、僕には充分な奇跡だった。
海斗の場合も一緒だった。適合者だった希死念慮者だった人は海斗から逃げ、この施設を出て行ったけど止める権利は僕らにはなく、酷い例だと、手術室に向かう途中で逃げ出す適合者もいるくらいだから、僕らみたいに適合者か自殺して適合する人を待つ人間には、精神的なダメージが表現できないほど辛い。
僕も今、可憐がいなくなったら精神が死ぬかもしれない。
「海斗はこの施設を出たら一番に何がしたい?」
 この施設を出るということは生きて出るか死んで出るかなんだけど、海斗は夕日でオレンジ色に染まった顔で、僕を見ないで笑いながら言い放った。
「この施設、セックス禁止じゃん?やっぱさ、生きてココ出て可愛い彼女つくってエロイことしたい。少なくともセックスするまでは死にたくない。あと親父の会社乗っ取りたいな。社長の息子としてじゃなくて親父とは経営者ってライバルになりたいんだ」
 冗談にしては笑えない。僕だって色っぽい話に興味がないわけじゃないんだ。十七歳だし。
でも、親の会社を買収か。海斗らしいな。野心家で欲しいものは作るし、作るための資金が必要なのか世界中のゲームファンに名前が知られるほど自作のゲームで儲けている。
だから「海斗らしい回答だな」と、ほんの少し笑って言い返すことしかできなかった。
「ってか順平、カイトと回答のカイトかけただろ。詰まんない洒落は女の人に嫌われるぞ?」
「い、いや、今そんなつもりで言ったわけじゃないから!」
「そうだよな。洒落を効かせられるほど順平は口が上手くないからな」
 なんかムカついたけど、言い返す言葉もなかった。確かに僕は口が上手い方じゃない。考えや頭の回転は速い方だと思っていたけど、可憐にはなかなか通用しないし、海斗には見抜かれることも多い。案外僕って分かりやすい性格なのかな?ポーカーフェイスのつもりでいたけど、顔に出てる?でも、誰かに見透かされていたり変なレッテルを張られるのが嫌で、なるべく表情は作らないようにしてるつもりだ。
それにしても、セックスしたいから死にたくないなんて発想が僕には出てこない。けど、これは僕らみたいなハンディをもった人間じゃなくても、自然と思うことなんじゃないだろうか。
凄くシンプルに考えると、生き物全体に言えることだ。
 けど、なんで彼女は死にたいんだろう。結婚して子供が欲しいとか、そういうことも考えたことないのかな?
「ねえ!色どう?」
 バスタオルを適当に巻いて落ち着きなく風呂から出てきた可憐は艶のあったロングの黒髪から一転、髪がまだ濡れているせいもあるけど、ライオンの雌みたいな強さをまとったようなショートヘアになっていた。
 僕が呆然としていたら、海斗がベランダから僕らの部屋を覗き込んで彼女を見るなり口笛を吹いて「強そう!」と叫んだ。僕も慌てて「似合ってるよ!」と付け加えた。
 彼女は僕から逃げないと約束してくれたけど、僕と一緒で、夢とかやりたいこととか、そういうのが見つかってないだけで、本当は生きてこんな風に自由にしていた方がいいんじゃないかな?と、思ってしまった。
 彼女を逃せばきっと僕は死ぬけど、それでも、彼女がもし生きることを選んだら、僕が見ることは出来ないだろうその行く末が気になった。だから、彼女の未来を見るには、僕が健康を手に入れるしかない。それには彼女の命が必要で、僕はこの矛盾に少し腹をたてた。
「私って強さが似合うの?」
 意外そうにつぶやいた彼女を見て背筋にまた冷たい汗を掻いた。
彼女にとっては褒め言葉になるのか、それとも失礼になるのか、どっちだろうと考えている。なんだかこの浅ましい考えが恥ずかしいような気もするけど、僕がこの施設に入った時点で生きようとすること以外は目的じゃないとみなされ、彼女の提供を拒否する権利は法的にも出来ない。
 この施設の外に出れないという自由と引き換えに、僕は生きて社会に戻ることを子供の頃から夢見てきたんだ。ランドセルはとっくに背負えなくなったけど、それでもこの監獄のような希死念慮者待機施設から出て、生きていきたいんだ。
「可憐は元々強いよ」
 機嫌を損ねることは言いたくないけど、僕のために命を落とす彼女にちゃんと僕という人間を見せていかないときっとダメだ。彼女に対しては提供者とか関係なく本当は誠意的でいたいと思ってる。
 だって本当の僕を知った上で、提供者になってもらわないと僕はただの人殺しだ。
「私ってそんなに厳つい?」
 半笑いの半裸の彼女はベランダ横の僕のベッドの上に座った。
「そういう強さじゃないよ。僕は死ぬのが怖くないからって勇敢だとも思わない。だけど、僕に優しくしてくれて。見返りも求めずに、ココまで来てくれた可憐に僕だって優しくいたいし強くなりたいんだ」
「優しさが強さかぁ」
 彼女は機嫌よく笑ってバスタオル一枚でベランダに出てきた。彼女の体に釘付けの海斗にも可憐は微笑んでいた。そして夕日よりも明るく短い白髪が夕日色に染まり風になびいていた。
 僕は今にもバスタオルが風で飛ばされて全裸になってしまいそうな彼女に、自分のベッドのシーツを巻き付けた。
「優しい人イコール強い人かは僕にもわからないけど、僕を大切に思ってくれてるだけで今は充分だし、隣でエロイ目した男に可憐の素肌をこれ以上見せたくないって下心も実は優しさだったりするんだよ」
 海斗は何もなかったように素早く夕日に視線を戻したけど、ネット以外で生身の女性の半裸や全裸を見る機会なんてこの施設にはないから、きっとアイツ今夜は色んな意味で寝れないだろうな。と思った。それと同時に僕は風呂で抜くか。と、どこか冷静になっていた。
「ブリーチした状態から、白髪にするシャンプーで洗ったから、寝るくらいの時間にはきっと完全な真っ白になるはずなの」
 そんなジャンプ―があるのか。可憐に出会ってから知らなかったことがどんどん増えていく。それなのに肝心な希死念慮者になりたいと思った本当の理由を訊けていないままだ。早く知りたいのに、どうしてだか訊けない。いや、この施設のルールでは提供者の個人情報を訊いたりしちゃいけないことになっているから、実際僕が直接聞きだすのは違反だ。さっきみたいに海斗がサラッと訊いてくれたらいいんだけど、彼女に訊いたところで、彼女はきっとまだはぐらかして本当のことを言おうとしない気がする。
「さて、もうすぐ夜ご飯か。服着てないと配膳のおばちゃんに怒られちゃう。バイバイ海斗君、またね」
 部屋に戻っても彼女はバスルームに隠れるでもなく、下着を着てまた清楚で水色のフワッとした新しいワンピースを着た。
 白髪に水色のワンピースは、思った以上に相性がよく、彼女は病室の入り口の横の全身鏡の前に立つとクルンと綺麗に回った。
 可愛らしいしぐさだなと思った。
夜、彼女は相変わらずいつでも出かけられるような格好でベッドに入って寝ていた。
だから僕は可憐に出会ってから一度も彼女のパジャマ姿を見たことがなかった。理由を訊くと「パジャマで死にたくないだけ」と笑われて、それから何も訊き返せなかったけど、どうしても気になる点があった。
 可憐が着るワンピースは毎朝病室に朝ご飯と一緒に運ばれてくるのだ。
 誰かからの贈り物らしい。まだルームシェアをして一週間だけど、僕はいつどうなるか分からない体だ。今夜こそ知りたかった。
「ねえ可憐。毎日誰から服が届くの?」
 もしかして、
「僕の母さんじゃないよね?」
「残念。順平のお母さんじゃなくて、私の母親から届いてるよ」
 え。
「可憐、お母さんいるの?」
「いるよ。お父さんもいるし、妹もいる」
 意外だった。希死念慮者に多いのは家族に先立たれて孤独に打ち勝てなかった人や、家族とのイザコザヤ、トラウマ、虐待なんかで死にたくなった人が例として多い。あとは家族と離れて暮らしていて、仕事が上手く行かなかったり、人間関係が上手くいかなくて自殺しようとしたところを自殺監視警備員に捕まったりした人なんかだ。
「家族に反対されなかったの?希死念慮者施設に入るなんて怒られなかった?」
「親にも誰にも希死念慮者施設に入ろうかな、なんて相談一度もしなかったよ。今日髪を切ってくれた友達にも希死念慮者待機施設にいることなんて言ってない。希死念慮者更生施設も、ココと一緒で希死念慮側の人間は受付で申請さえすれば簡単に外に出られるからね」
「じゃあ、可憐が希死念慮者になった理由って家族も友達も誰も知らないの?」
「まあそうなるかな。そもそも自殺って突発的なものが多いんだよ。例えばさ、電車に飛び込んで死んだりするとかって計画的に死のうとしてるわけじゃなくて、衝動的に行動に起こしちゃうらしいんだよね。他人への迷惑とか、残された家族に自殺した家族が電車を止めたからって多額の賠償金が請求されるとか、そんなこと考えている暇もなく、死に飛び込もうとするわけ」
 ベッドにうつぶせに寝転んだ彼女は、ベッドに座った僕をジッと見つめていた。
「本当に死にたい人って、誰かに相談したりしないことが多いんだよ。例え家族でも。だから、希死念慮者更生施設には未成年だろうと親とか家族とかの許可なく申請すれば入れるわけ。私もそうだし」
 僕は彼女の言っていることがなんとなくしかわからなかった。そもそも死にたいって思い立って電車に飛び込むなんて想像しただけで怖い。
「そのせいかな、希死念慮者更生施設の中にいた時も、母親からは数え切れないほど贈り物をもらったの。施設に入ったのが十九歳の時で、二年間服以外にもバックとか腕時計とか、つまんない自己啓発本とか、家に戻ってきてみたいな手紙がいつも添えてあった」
 可憐は僕が想像していた以上に誰かに愛されていて暗い過去も少なそうだ。彼女を知れば知るほど謎が増えていく。
「会って話し合いしょうとか、まだ若いんだからとか、そういう感じの手紙がいっぱい来たけど、どれも心に響かなかったな。それで適合者が見つかってこの施設に移動してからは服しか来なくなった。お母さんとお父さんが好きそうな清楚なワンピースばっかりだけどね。ま、私も好きな系統の服だけだからいいけど」
 どこまで踏み込んでいいんだろう。彼女の家族は彼女の死を望んでないのに、僕は可憐の親に会うこともなく可憐の家族から彼女の命を奪う憎しみの塊みたいな存在になる。
 罪悪感でこれ以上、可憐のことを訊くのが怖くなってきた。
「順平、ペット飼ったことある?」
 唐突になんだ。
「僕が生まれる前から両親が飼っていた犬がいたよ、いつも綺麗に毛をカットされた毛の短いポメラニアンだった。僕がこの施設に入るって決めた二日後かな、犬にしては大往生で僕の膝の上で、僕の涙で毛が濡れるのを迷惑そうにしていたけど、安心したみたいに死んでいったよ」
 彼女は優しく微笑んでいた。
「また会いたいって思う?」
「そりゃ、出来ることなら会いたいけど。無理だもん。子供ながらに覚えてるよ。今までありがとう一緒に居れて楽しかったよって思うように頑張った」
「私も。だから、一度だけ手紙を返したの」
 彼女はベッドから起き上がり僕と真っすぐ向き合った。白髪になっても彼女は彼女。可憐だった。
「育ててくれてありがとう。でも生まれてきたくなかった。ごめんね。って」
 物理的と言うより精神的に胸が痛んだ。
 この人はなんて、残酷な人なんだ。
「そうしたら手紙はもう来なくなって、お供え物みたいに使ってた物が送られてくるようになった。全部捨てちゃったけど、希死念慮者更生施設には手ぶらで行った方が希死念慮が強いって判断されるって思って身一つで駆け込んだの。両親が送ってきてくれた私物で唯一捨てられなかったのはコレだけ」
 そう言ってベッド横のテーブルに置かれていた赤いランドセルを彼女は引き寄せ、赤ちゃんでも抱くように優しく体に密着させた。
「キラキラした飾りも、刺繍もされてないけど、この世で一番綺麗なだって子供ながらに思った。おじいちゃんと、じいじと、おばあちゃんと、ばあばと、お父さんとお母さんと私と、歩くけど喋らないくらいの小さかった妹と、みんなで選んで、このランドセルを買ってもらったの。背負ったらみんなが褒めてくれたし、嬉しそうにしてくれて、私も嬉しかった」
 六年間背負ったら、一体どんな気持ちになるんだろう。少し羨ましかった。
「いいね。僕のランドセルはネット通販で母さんが勝手に選んだんだ。でも、僕もこのランドセルを気に入ってるよ。病院に入院とかして何日かしか背負えなかったけど、黒地に灰色のメタリックな縁がカッコよく見えて、なんでだろう似たようなの背負ってる子なんかいっぱいいたのに自分のランドセルは特別だって思ってた。可憐のランドセルは綺麗な赤だね」
「これ、赤じゃなくて朱色だよ?」
 僕には赤にしか見えないけど、朱色なんだ。
「でも、特別だったし大切にしてたからかな、十歳の時、毎日同じクラスの男の子に服とか髪の毛とか引っ張られても、やめてよ!って言い返すだけで我慢出来てたのに、ある日帰り道に私のランドセルを無言で蹴られたときは、私、何も言い返さないで無言でその男の子のランドセルを思いっきり蹴っちゃって、そのまま倒しちゃったんだ。そうしたらその男の子大泣き。その子が悪いのに、今までごめんねって言われなかったから私、罪悪感なんか微塵も感じなくて、その子がやっと立ち上がって無言で歩きはじめて、なんか本気で許せなくなっちゃって、私、無言でその男の子の家まで何度も何度も何度も下からその子のランドセル蹴り上げながら帰った」
「そりゃなかなかだね。日頃の恨みみたいな感じだったのかな?」
「わかんない。でも、その日の夜にその子のお母さんが凄い大声で怒りながら家に来てさ『私の息子をイジメないでください!』って言って来たんだけど、そんなの無視して、そのお母さんの後ろで黙ってる男の子に『先に意地悪したのは君?』って私のお母さんが優しく言ったら黙ってその子うなずいちゃったの」
 可憐はがっかりするような溜息をついた。
「あの時のお母さんは史上最強生物に見えたよ。『つまり、君、うちの娘が好きなくせにそれを上手く伝えられなくて、意地悪してた的な感じか。お前さ、しつこい男は嫌われるの。優しすぎてもダメだし。うちの娘口説きたいなら、もっと頭使えバーカ』って完全にその子のお母さん無視して、低い声で言ってさ、あの時のお母さんは怖かったぁ」
 可憐にも怖いものがあったんだ。なんだか安心した。
 さっきより長い溜息をついて自分のランドセルを労わるように撫でていた。
 可憐の昔話が、僕にとってはとても羨ましかった。僕には可憐に語れるような愚痴も思い出も浮かんでこない。この施設に入ったら遠足も運動会も文化祭もない。喧嘩をしても親は蚊帳の外どころか一緒に住んでもいない。イジメとかケンカとか問題ごとを起こせばすぐにココを追い出されて、誰よりも提供順位が後回しになる。
漫画だったか、小説だったか、テレビだったか映画だったか忘れちゃったけど、小さな男の子の恋心は天邪鬼で好意を意地悪な態度でしか示せないなんて聞いたことはある。けど、可憐は子供の頃モテてたんだ。その事実に、なんかいいなと思った。
喧嘩するような恋とかしてみたい。
「その男の子、次の日からはどうなったの?」
「んー、どうだったかな、確か意地悪はされなくなった気がしたけど、どうでもよかったかな」
 僕は彼女の中にいる小学生の彼に少し同情した。多分、可憐のことが大好きだったのに、その後も相手にもされなくて、小学校で可憐が視界に入る度、どんな切なさを思い知ったんだろうなんて考えたら、小さな恋のあまりにも悲惨な結末に、何故か今の自分を少し重ねていた。
「可憐は恋したことあるの?」
 声に出してから後悔した。もしも、失恋の辛い経験を思い出したり、今もまだどこかに誰かへの恋心が残っていて、やっぱりココを出て行くなんて考えになったらどうしよう。
 でも、可憐は品よく笑いながら「あるよ」と即答した。
 踏み込んでも大丈夫だろうか。けど、もし可憐の好きなタイプの男に僕がなれたら、僕に好意を寄せてくれたら提供辞退されないで済む……って、僕はなんてこと考えているんだ。こんな考えは最低だ。
それでも「どんな人?」と、言葉は止まらず訊いてしまった。
「クソ爺ぃ」
「え?」
 可憐は立ち上がり、抱いていた小さくなってしまったランドセル腕に通し、体をうねうねと動かし、やっと背負った。
背負えてしまえば案外ランドセルは小さくもキツそうにも見えなかった。
 そして、ベランダの前に立ち、沈んでしまったけどまだ少しオレンジ色の残った空を背景にクルンと一回転してみせた。
 可憐はクルクル優雅に踊ると言うより、僕にランドセルを見せびらかす小学生のようにくるくると回った。
「私ね恋をして、自分のことを大切にするって決めたの」
 彼女は「ほっ」とか「ふっ」とか言いながらランドセルを無理矢理肩から降ろし元の場所へ、大切そうに置いた。
「ランドセルって背負わなくなったら宝箱になるよね」
「そうなの?僕のランドセルの中は空だよ?」
「私のランドセルも空だよ?」
 なんだそれ。宝箱そのものが宝物なのか?
それにしても、自分を大切にするって決めた人が希死念慮者になることなんてあるのか?
「希死念慮更生施設は私にとって心理ゲーム施設だった。監督官って人がだいたい希死念慮者三人くらいに対して一人つくんだけど、その監督官は基本的に心理学系の勉強をした人たちで、その人の手に負えないくらいの言動とか思考とか行動をとると、別の監督官に代わってくシステムだったの。施設にいなきゃいけないのは二年間だったけど、適合者が見つかるまでの待機施設も同じ感じで、死への恐怖を与えつけるショック療法だとか、生きているとこんないいこともあるって突然高そうなステーキが出てきたりとか、映画とか小説とかアニメとか漫画とか自由に見たり出来たりしたの。でも、見せてきたりするのに続きを教えてくれなかったり、最終回を見せてくれなかったの。続きが知りたい人は社会復帰していった。それから、スマホは持ち込めないけど、申請すればすぐに家族と電話や面会もさせてくれたね。私は拒否し続けたけど。他にもプロのスタイリストさんとかメイクさんや美容師さんなんかを呼んで容姿をとびっきり素敵にしてくれたりとかもあった」
最初のショック療法以外羨ましいことばかりで、どうりで僕らのいる希死念慮施設者待機施設になかなか希死念慮者が来ないわけだと、納得してしまった。でも、だとしたらなんで、彼女は心理ゲームなんて言ったんだろう。
 これだけ可憐自身が語っているんだから訊いても平気、かな?
「それのどこが心理ゲームなの?」
彼女は僕に話聞いてた?みたいな顔をした。
「だって全部罠じゃん。なんとかして自殺を食い止めようとしてるわけだしさ。実際喜びすぎたり、興味を持ったりしただけで監督官に判断されて希死念慮者更生施設から追い出されてる人もいたし。飴だろうと鞭だろうと関係ないよ。私は希死念慮者で、自分のことが大好きで世界一愛してる。そんな私が生きること望んでないのに、怖い思いさせてやっぱり生きたいって思わせようとか、良い思いさせたり自分の新たな一面を見せたりして死ぬことを諦めさせようとしたり、ただの心理戦だと思わない?確かに可愛くメイクしてもらって可愛い服着せられて、髪の毛トリートメントされたり良いこといっぱい体験させてもらったけど、それで喜んだり笑顔になったりするだけで『やっぱり生きていたいでしょう?』って悪魔の囁きに負ける人たちの自分勝手さの方が、自殺して遺族に迷惑かけるよりよっぽど迷惑な話だと思わない?」
 その希死念慮更生施設で更生してくれた方が、実は僕等みたいな希死念慮待機者からしてみたらその方がよっぽどいいと、僕は海斗の前から消えた元希死念慮者の男のことを思い出して、少しイラッとさせられた。ココに来て期待させるだけさせて、移植手術の土壇場で行方をくらましても、僕らは文句一つ本人に言えない方がよほど辛い。
「二年間、良いことが起きても私は笑わなかった。逆にショック療法でギリギリまで死の恐怖を与えられた方には笑顔を作ったの。心理の専門の人をだますってゲーム感覚だったけど、ゲームだって好きな人は本気だからね。ゲームって思って本気でやったら面白かった。だからなのかな、海斗君の作ったゲームも気になる」
 会って数分で僕が彼女を助けるか助けないか試したり、名前を決めさせたり、今だって僕を試すようなことばかり言う好奇心丸出しの口で、何を言っているんだろう。
 でも、そうやって可憐に初めて会った頃は変わっていると、やたら思ったけど、彼女は本当に希死念慮者なのだなと、死ぬことに本当に抵抗も理由がないのかが気になってくる。
 可憐はまたベッドに寝転んで僕を見るなり何かを思い出した様で、クスッと笑うとまた語りだした。
「たまに内通者を装ったり警備ぶち破ったりして、外部者が希死念慮者施設に殺したがり屋の殺人鬼が襲いに来ることがあったんだけど。包丁とか持って大声あげてる人とか見て訓練だろうと訓練じゃなかろうと、結局それに怖がっちゃって希死念慮者辞めていく人も少なくなかった。でも、本気のショック療法だろうと、やっぱり私は怖くなかった。こういう死に方もあるんだなって、自分が本当の希死念慮者だって監督官へのアピールもかねて、そういう時は自分から包丁持った人に何度も近づいて行ったんだ。本気で人を殺そうとして包丁を差し出したあの人たちの瞳、今も忘れない。誰かに自分を見てほしかったのに、いざ見つめられるとどうしていいかわからなくなっていくみたいな、切ない敵意。死んでもいいと思ってる人なら殺してもいいだろうって思って刃物持って来たのに、結局私の死のうとしてる意思に負けちゃう人しかいなかったな。そんな風に見つめ合ってるうちに警備員に取り押さえられたりしてたけど、そうやって誰かに押さえつけられて叫んで泣いてる姿が、何故かたまに自分自身に見えるの。けど、やっぱり人を殺そうとする人と、死を望む私には考え方が根本的に違うね。殺人を犯そうとする人は死にたくないけど生きているには辛くて、どうしていいかわかんなくなっただけだったって。今はそんな気がするの」
 夕日が沈んで、部屋は夜になっていた。月の光はまだ細いのに、僕には彼女の瞳がはっきり見えた。きっと殺人鬼たちに向けていた、視線と同じなのだろう。僕は動けなくなったし、声も出てこないし、何を言えばいいのか言葉すら思いつけなかった。
「順平。希死念慮施設にも入らないで突発的に自殺する人、順平は嫌い?」
 自殺防衛警備の強化されたこの世の中でも、突発的に自殺をして何日も経って発見される例の場合、いくら僕らが欲しがっている体の一部が適合していたとしても使われることはない。でも、自殺イコール提供者じゃないのは最低限の自殺者の意思の尊重でもある。
 だから、
「嫌いじゃないよ。僕は死んだ人がくれないモノを奪ったりしない。盗むようなこともしたくない。でも、嫌いではないけど出来ればそういう人からは適合しても提供されたくないって言うのは本音。拒否権は僕にないけど、それに……」
 彼女は僕の隣に座り、少しうつむいてしまった僕の顔を覗き込んできた。
「それに、なに?」
「僕は可憐みたいな人をずっと待つって決めてココに居続けたんだ。自殺はいいことだとも思ってないし希死念慮者の体を僕らみたいな生きたいけど生きるには体が弱い人間に提供する制度を作った国も感謝してるけど、好きじゃない。でも、やっぱり生きるチャンスを与えてくれる人たちを、簡単に嫌いなんて僕には言えないよ。僕ね、この希死念慮者待機施設に入ると決まったのは七歳だった。その頃、僕は小学一年生の一学期なのに病院の入退院を繰り返すような日々で、本来なら今も希死念慮者待機施設に入らないで、病院通いでもよかったのかもしれない。それでも七歳だった僕は両親に頼み込んだ。病院じゃなく希死念慮者待機施設に入りたいと。そうじゃないと、もし僕以外にも同じ適合者が来たら、希死念慮者待機施設に入っている人が優先的に、手術を受けることになる。お店に入るのに何時間並んでいても、予約していた人が先に店に入る。子供ながらに、そのシステムに気がついて、入退院が多くて友達もできないまま死ぬかもしれないってわかってた僕は必死だった」
―――……もっと生きたいって。
「そっか」
 彼女は立ち上がると部屋の明かりをつけた。
「じゃあ、私のこと今は嫌いじゃないよね」
「うん」
 出来ることなら
「可憐は生きていて欲しい」
「それは嫌」
「ごめん。勝手だけど、生きていて欲しいって思った」
「けどさ、生きるために順平はココにいるし、私は死ぬためにココにいるんだよ」
 可憐の視線から、目が離せない。不敵な笑みが妖美的で、不気味だ。
 僕はその夜、ドキドキしてなかなか寝付けなかった。
 恋とはきっと違う、ネットで読んだことがある。苦しいけど心地のいいドキドキは恋だって。でも凄く居心地が悪いからこの感覚は恋じゃない。さっき可憐の思い出話を聞いたせいか、本当の名前や、どんな風に生きてどんな交友関係があって、何が嫌で死にたいのかとか、もっと、彼女の過去をたくさん知りたかった。それから僕は、彼女の未来も見てみたいと矛盾した想いを募らせた夜を過ごした。
 病院の病室とは違うただモノの少ない部屋だから、ベッドの周りにはカーテンもない。けど、ベッドの間にはベッドと同じ高さのお互いの棚が二つ隙間を作るように置かれているだけであとは何もない。
「順平」
「ん?」
「何考えてたの?」
「特に何も」
「嘘。考え事してる感じだった」
「顔も見てないのになんでわかるの?」
「雰囲気」
「今まで僕もさ、心理学者やカウンセラーの人とかにいっぱい会ってきて、みんなが僕が何を考えてるかとかそういうの診てるんだなあって思ってきたけど、可憐ってなんなの?」
「なんなの?って?」
「なんで僕の考えてることが分かるの?」
「わかんないから、何考えてたの?って訊いたんだけど」
 面倒な解釈の仕方だな。どうしよう、この会話が長引くと彼女は提供を辞めてしまうだろうか。それともこの面倒そうな会話に付き合った方が彼女の機嫌はよくなるのか?
でも、彼女は多分僕以上に誰かに心を覗かれて来たんだろう。雰囲気で僕の考えてることが分かったりするのは案外変なことじゃないのかもしれない。
「で、順平は何考えてたの?」
「可憐って名前って僕が決めたけど、本当の名前は何なんだろうって。考えてた」
 他にも、ベッドの敷居がないとか、なんかドキドキしてるけど、恋みたいなもんじゃないってことも考えていたけど、僕の訊きたいことだけを考えていたことにした。
「あー。そりゃ気になるよね。言っていいのかな?別に隠したいわけじゃないけど、法律上問題にならないように、個人情報は漏えいしちゃいけないんだっていうし、気にするのやめたら?」
「あ。うん。そうする」
「そんな簡単に諦めちゃうの?」
「いや、知りたいけど、法を犯したくない」
 と、言うよりは法を犯して、もしも、可憐が僕の適合者から外されたらどうしようって、せこい考えだ。生きていてほしいなんて言っておいて、僕はなんて嫌な奴なんだろう。
「わたしの~♪名前は~♪」
「ヤメテ」
「なんでよ。知りたかったんでしょ?私は歌を歌っただけ」
 彼女は僕を待っていたなんて出会った時に言っていたけど、本当にそうなんだろうか。ちょっと僕を試したり、悪質な悪戯をするのは僕にとって全部皮肉というかストレスになっていくんだけど、やっぱり僕は文句の一つも言い返せない。でも、彼女にとっては暇つぶしみたいなもので、さっき言ってた心理ゲーム感覚なんだとしたら、僕はある程度彼女の期待に応えなきゃいけないのかもしれない。
「白状すると、可憐の本当の名前も希死念慮施設に入る前のことも訊いちゃいけないこといっぱい知りたいけど、知ったところで、後悔しないかなって」
「後悔?」
「だって可憐イイ人じゃん。髪の毛寄付したり、僕の適合者になってくれたり。それで、可憐の過去の思い出とか知ったら、この先僕は罪悪感で生きていきにくくなるんじゃないかなって、ものすごく自分勝手な考えを……考え始めたよ」
「私ってイイ人?」
「うん」
「順平がそう思うなら私は凄く嬉しいけど、多分私は最低が付くくらいワルイ人だよ」
「なんでさ」
 僕の後悔が増えることを覚悟して訊いた。すると、それさえも察したのか彼女は起き上がってベッド上の小さな間接照明を点けた。
 オレンジ色に照らされて、彼女の髪が白く透き通って輝いていた。昼間の月みたいで綺麗だ。
 そしてまた知らない淡い水色のひざ丈のワンピースを着ていた。軽そうな布地だから今日はネグリジェと言っても通用しそうだ。
「順平は宇宙人っていると思う?」
 唐突に何だろう。
「ネットではいる確率が高いって書いてあった」
「そういう誰かの情報じゃなくてさ、順平は宇宙人いると思う?」
 自分のこと宇宙人とか言われてイジメにあったりしたことがあるのだろうか?可憐ならありえそうだ。でも、どう答えよう。正直、ネットでしかほとんど社会のことは知らないし、ココの常識が外の社会とどう違うのか、僕はココに入所するのが早かった分、自分が世間知らずだと分かっているつもりだけど、この質問の意味は何だろう。答えはなんだろう。
「わかんない」
「そっか」
 彼女はすんなり納得してくれた。
「いいんだよ。わからなくても、だって人類にはまだわからないんだもん。ネットで宇宙人は絶対いるはずってかいてあったとしても、本物みてないからまだわからないことだもん。でも、私はね、昔から細菌とかウイルスが宇宙人なんじゃないかって思ってるの」
「タコとかイカとかゴキブリじゃなくて?」
「うん。例えばさ、インフルエンザが宇宙人だったとしたら、集団で私たち人類を攻撃してきてるんだよ」
 何言ってんだろうこの人。
「私、子供の頃にインフルエンザに一回なったことがあるんだけど、猛威を感じたというか体が言うこと効かなくて本当に辛くて動けなかったの。それがたまたま自分が家でイタズラして怒られて、悪いことした直後だったから、その後はジンクスっていうのかな、なんか悪いこととかルール違反すると虫歯になったり、水疱瘡になったり、気持ちが落ち込んでる時とかに細菌に体を乗っ取られてるような気がして、それは寄生型宇宙人なんじゃないかって思ったの。だからね、私もこれから順平の中に内臓移植されたら少しは順平の体乗っ取れるのかなって思ったんだ」
 もう一回思った。何言ってんだろうこの人。
「じゃあ、僕の内臓機能が生まれつき悪いのは僕がワルイ人だからってこと?しかもそいつら追っ払って可憐が僕を支配するの?」
「んー。順平はそれで私に体を乗っ取られた気分になる?」
 考えたこともなかった。確かに提供を受けることで誰かの一部が自分の中に入ってくるわけだけど、それによって自分に身体的な変化が起こったりするかなんて想像したこともいし、ちょっと想像したくないって言うのが本音だ。もしも、彼女と提供が成立して、可憐みたいな性格になったら、もっと生きていくのが大変そうだ。
「多分、乗っ取られた気分には、ならない、かな」
「そっか。じゃあ、私は死んだ先で宇宙人になることはないのか」
 彼女が僕の内臓になってくれても、そんなことあるはずない。思考は僕のものだ。だから可憐に僕の体が乗っ取られることはない。……よな?
「よかった。私、宇宙人にはならないんだ。小さい頃から死んだ後、誰かを苦しめるのは嫌だなって思ってたから、希死念慮者更生施設でもこの仮説は誰にも言わなかったんだ。こんな持論言ったらきっと『あなたはやっぱり死ぬのを怖がっています』とか言いくるめられてたかも。言わなくて正解だった」
 彼女は、希死念慮以外の意思を持っているんだと知って少し驚いた。でも、それは結局希死念慮者だって認定をもらうために彼女が誰にも言えなかった秘密の恐怖。
 多分僕に初めて言ったんだろう。
「これでもっと、死ぬのに抵抗なくなった。安心したら眠くなったなぁ」
「うん。寝よう」
 彼女は間接照明を消しベッドに戻った。
 僕は彼女に乗っ取られるというより、彼女の中身を奪い取る側だから彼女が死を少しでも恐れていたことを知って少し驚いた。
 でも、この会話でその恐怖を僕が今取り除いたら、嬉しそうにして眠りについたし、やっぱりちょっと変わってるけど、この人は本当に死にたいんだと改めて理解するとなんだか寂しくなった。
 僕と違って生きることを許されているのに、どうして自ら捨ててしまおうとするんだろう。髪を寄付したのもそうだ。とても立派な行いだと思う。でも「お婆ちゃんになったらこんな感じなのね!」と鏡を見ながら嬉しそうにしていた彼女に、僕は彼女にも少し生への執着が残っているんじゃないかなと思った。
 死ぬことに全く抵抗がないわじゃないかもしれないのに、どうしてココまで来たんだろう。どうして僕のところまで来るのに心理戦をかいくぐってくれたんだろう。
 可憐への謎は深まるばかりだった。そして眠れない夜も深まっていった。まだ可憐に出会って間もなのに、寝不足だ。
「ねぇ順平、もしも今夜もよく眠れなかったら、明日は昼寝しよう。健康管理は大事だよ。お互いにね」
 僕らはお互い、少しでも身体の適合率を下げてはいけない。
 例えば片方がストレスを抱えたりして体重を落としすぎた途端、文字道理命取りで、あっさり適合不成立。生き残るチャンスを失う。けど、彼女はそうならないようにしてくれていると、観察してわかった。
 彼女は昼間中庭をゆっくりだけど長い時間走り、筋トレをしていた。他にも一緒に食べなきゃいけない朝昼晩飯も、僕が完食すると御代わりを少しだけ要求し、僕よりも少し多く食べ、僕が完食せず何かを残すと、完食はするけど御代わりはしない。
 可憐は常に僕を観察して僕に体調を合わせようとしている。そうじゃなきゃ、いくら僕が華奢な男だからって年上の女の人と性別を超えて適合者同士になるなんて奇跡以外の何でもない。
 でも、世の中にあからさまな奇跡はそんなに多くは存在しない。誰かの努力や判断力、行動力、洞察力で成り立っていて、更にめぐりあわせという奇跡が必要なんだと思う。
 だから、僕も待っているだけじゃダメだ。今まで待っていることしかできなかったけど、もう違う。生きたければ彼女のように動かなきゃ。始まったことも完結しないで終わってしまうかもしれない。
 彼女は待っていたんじゃない。僕を見つけ出してくれた。そして、全力で僕に合わせてくれている。
 他の人じゃきっとダメだ。彼女とじゃないとダメなんだ。
 僕に残された時間は本当はもうなかったけど、今はかろうじて彼女が繋ごうとしてくれている。僕も努力をするんだ。彼女以上に。何か、可憐にしてあげられることを探さなきゃ。  
僕は今まで具体的に自分が生き残る未来を想像して来なかった。外に出たら、どんな仕事について、どんな自分になりたいのか、諦めの気持ちが増えていく度に、考えるのが怖くなっていたけど、少しだけ、考えてもいいかな。
 だけど、彼女は死ぬ努力、僕は生きる努力をしている、そんなことでいいのだろうか。
 わかんないことはすぐに調べたり考え抜いたりしないと、不安で眠れなくなったけど、僕は、まず今夜自力でぐっすり眠ることからスタートしよう。
「おやすみ、可憐」
 可憐の綺麗なオデコを見つめながら、小さくつぶやいて、彼女に背を向けるようにして目を閉じた。この生活に慣れるしかないのに、結局今日は全然眠れなかった。
 でも、確かに体調管理は大切だよな。