【教えて】
僕らはいつの間にか手を握り合っていた。
冷たくも熱くもなくて同じ温度だ。
「じゃあ、まず。可憐は何色が好き?」
「青系のジーンズ色、いや、水色?とにかく青っぽいの。紺とかそっち系も好き」
「僕は白。月みたいな色」
「月って黄色じゃないの?」
「いや、昼間に見える白い方の月。じゃあ、今度は、好きな動物」
「カエル」
「カエルは両生類で動物じゃないよ」
「じゃあ、好きな生き物がカエルで、哺乳類なら鶏」
「鶏は鳥類だよ」
「そっか。難しいなぁもう。じゃあ、ウサギ。いろんな色がいていろんな毛の種類があって小さいし可愛い。順平は?」
「猫」
「つまんないの」
「いろんな色と色んな毛の種類があって可愛いから好き」
可憐の揚げ足を取るのはちょっと面白い。ずっと自分が試されているような気分だったせいか、可憐の好きな曲や好きな飲み物とか食べ物とか好きな場所とか、そういう単純なことを知れるのが凄く面白いし、そんな単純な質問に自分も答えていると、本当の自分の形が見えてくるような気がした。
僕らはたわいのない個人情報を訊き合い、時にはその理由も深く尋ね合った。
「そういえばずっと不思議に思ってたんだけど順平の部屋って物が少ないけどなんで?生に執着がある人って物欲強いイメージあったんだよね。海斗君の部屋みたいな好きなものとか興味湧いたもので床が抜けそうな感じ。なんでもネットですぐに買える時代なのに、収集癖とかないの?」
「ああ、それは、なんていうか、生きてここを出て、お店で本物を見て買いたいなって思って。洋服も動きやすいスエット生地のズボンとシンプルなシャツしか着ないけど、本当は、洋服屋さんでカッコいい服とか自分で見て選びたいし、家電とかもどういうのが流行ってるとか、店員さんと相談したりして買ってみたいんだ。可憐はどんなふうに買い物とかってしてたの?ココに来てからはワンピース以外届かないし、リクエストしてるわけでもないんでしょ?欲しいものとかないの?」
可憐は「そうねぇ」と言って自分の頬を方手で支え、しばらく考えていた。
そんな仕草が、とてもかわいいなあと思った。今まで容姿に恵まれている方って思っていただけで、特別可愛いとか美人だとか綺麗ってカテゴリに入れていなかったけど、ちゃんと浮足立つようなドキドキを感じる。……もう一回ヤりたいな。
「学生の時とか友達とよく服とか買いに行ったりしたけど、もう、服とか興味持てないな。アルバイトしたお金も貯めてたけど、希死念慮者更生施設に入る前に駅のホームで死にそうな顔してた今の私と同じ歳くらいの女の人に『私、希死念慮者更生施設にこれから行くから使って』って言って全部あげちゃったし」
「自分で頑張って稼いだお金くらい自分のために使おうと思わなかったの?」
「希死念慮者だからほとんど物に執着とかないんだと思う。命だっていらないって思ってるくらいだし。でも今欲しいのはコンドームかな。もう一回したい」
なんてこと言うんだ。と恥ずかしくなってしまった。でも、可憐がそう言ってくれたってことは、僕は少し己惚れてもいいのかな?
海斗の言っていた通り、可憐は変わっているんじゃなくて面白い人なのかもしれないと初めて思った。
それにきっと、可憐からお金を受け取った女の人は、予想だけど自殺を諦めたんじゃないかなって思った。お金を受け取ったってことは命を捨てることが出来るほど本気で死のうとしていたわけじゃなかったんだと思う。
そして、空が明るくなってきた頃、少し訊くには緊張する質問を彼女にしてみようと思った。
「可憐が好きだって言っていたクソジジィって誰?」
そのクソジジィはどんな人なのだろう。聞きたいような聞きたくないような複雑気分になっている。だけど、それでも気になる。知りたい。
「私がした恋はその一回だけ」
好きな人がいるのになんで希死念慮なんて抱いてるんだ。いや、それよりも、なんで僕に抱かれたんだ。クソジジイって言っても、その人と恋人同士になりたいと思ったことはないのか?訊きたくなってしまう質問が多くなってしまったけど、質問は一回ずつで、僕も答えなきゃいけないんだから、僕も答えを準備しないと。
「母方の祖父なんだけど」
「お爺ちゃん?」
まあ会話になるなら一問一答なんてどうでもいいか。今までの僕なら躊躇して訊けなかたことも、どんどんカレンは言葉に変えていった。
「可憐って案外、子供の頃にパパのお嫁さんになるとか言う子だったの?」
「そうかも。お父さんと結構大きくなるまでお風呂入ってたし。けど、お嫁になってもいいって思ったのはお爺ちゃんだけなの」
可憐は自分の膝の上で祈るように指を絡ませ親指だけを擦りつけあっていた。初恋の話は可憐でも恥ずかしいって思ったりするのかな。真っすぐランドセルを眺めているその姿が優しくて、慈しむような微笑みを浮かべていた。
僕はこの人に、未来をプレゼントしたいと思った。決して死にたくなったわけじゃないけど、それでも残りの人生全て捧げたいと思うほど、彼女のことがたまらなく好きなのに、そんな人の初恋の話をこれから知るんだと思ったら、初めて本当に、内臓が病気的な発作と関係なく、ドキドキしてキュッと苦しく感じた。
「お母さんの実家が家の近くだったから、毎週お母さんと妹と一緒に夕食を食べに会いに行ってたの。けどお爺ちゃんはお酒ばっかり飲んでて、酔っぱらいながら小さかった私に『どうせ俺はゆとり世代のクソ爺ィだ!』ってよく怒鳴ってた。八つ当たりの副流煙だよね。その声を聞かされるのは嫌いだった。でもよく話を聞いてるとそれが面白くて憎めなかった。妹は嫌だったのか大きくなってからは寄り付かなくなったけど、私は祖父母の家に母と毎週変わらず通って、祖父の話し相手をしたんだ。母と祖母は仲よくずっとダイニングでコーヒー飲んでお喋りしてたし。祖母は毎日のことで、お爺ちゃんにうんざりしてたのかな、お爺ちゃんのことは見て見ぬふりって感じだった。お母さんも、実の親が話す哲学っぽい内容にはついてこられないタイプだったから、全然話に入ってこようともしなかった。だけど、今思うとお爺ちゃんをその時は独り占め出来てたんだから私にとってはラッキーだったのかもしれない」
可憐は僕の肩に頭を乗せてきた。両隣で座ったせいで、彼女の表情は見えないけど、とても楽しそうに初恋の話をしてくれる気がする。
「そんなに好きなのになんでクソジジィなんて言ったの?」
「だって、自分でクソ爺ィって言ってたんだもん」
なるほど。可憐らしい回答だ。
「お爺ちゃんはね、気が付くといつも時間について話をしてた『一日が長い』って言う日もあれば『一日は短い』って言う日もあって『俺の残り時間は多すぎる』っていうことも『俺の残り時間は少なすぎる』って言ったり答えはいつも違ったけど、お爺ちゃんが今その瞬間に考えて感じていることなんだって思ったら、もっと色んな話を真剣に訊きたくなったの。毎回、人に与えられた時間の不平等さとか、動物より寿命が長い理由とか、生きている間に成し遂げなきゃいけない使命があるのかとか、私に見解を求めることもあったし、訊かれたことに対しての答えを考えるのは生活していく中で凄く自分のためになった」
可憐は自分の両膝を抱えた。可愛くて守ってあげたいのに、今は彼女に触れはいけない気がした。今の彼女の心の中はクソジジィとの思い出でいっぱいなら、邪魔したら申し訳ないなって思って気を使った。
「でもね、お爺ちゃんも歳を重ねるごとに、だんだん私のこと忘れるようになっちゃったの。痴呆症って言うのかな?自分が何歳かもわからなくなってたみたいで、気がついたら私をロマンチックに口説いてくるようになって、私もいつの間にか惚れてた。男の人として。お婆ちゃんもお母さんも、そんな私たちの姿を見て『孫口説いてるわ』って大笑いして見てたけど、真剣なお爺ちゃんにどんどん魅かれていって、私も内心夢中だった。でも、お婆ちゃんに遠慮して私は本気で好きって言えなかった。いつも嬉しいとか、ありがとうしか言えなかった。孫なら私もお爺ちゃんに大好きくらい言ったって不自然じゃないかもしれないけど、女として私が本気だったから血のつながったお爺ちゃんにそれが言えなかった。それで、もうすぐ私も十八歳って時に、お爺ちゃんが突然危篤状態になったって連絡が来て、急いで病院に行ったら、誰の呼びかけにも反応しなかったのに、お爺ちゃん私の声にだけ反応してビックリするぐらい強い力で、ねじ伏せられるみたいに両手で抱き寄せて『返事を聞かせてくれ!』って怒鳴ったの。それでやっと気が付いた。彼は本気なんだって。だからキスして―――…応えたら、私を胸に抱いたまま『あんたやっぱりいい女だ』って呟いて死んじゃった。死んじゃったんだって、もう会えないんだってわかったら、もっと好きになっちゃったの。まるで告白してフラれて諦められなくなったプライドの高い中高生の女の子みたいな気分になってた。自分が思っていた以上に彼を愛してたんだって思って思い知った。彼にもう愛してるって伝えることはもう出来ないけど、ずっと死ぬまでこの人を一人の男として好きでいるんだろうなって思った。だから初恋がいつかって言えば……順平と同じ十七歳くらいなのかも」
可憐の大切な思い出に一瞬やきもちみたいな納得いかないようなモヤモヤした感情に心が包まれそうになったけど、可憐が突然僕の頬にキスをした。それに驚いて彼女の方を見ると彼女は涙を両目からこぼしていた。
僕が、泣かした。可憐を。悲しませた。訊くんじゃなかった。罪悪感で自分の嫉妬心なんてどうでもよくなった。
「ごめん」
「なんで順平が謝るの」
「言いたくないことは答えなくてよかったんだ。可憐にとって大切な秘密だったなら無理に言わせちゃったんだって思ったら、なんか申し訳なくて」
「どうして?私、もう誰にも言えないと思ってたから嬉しいよ」
可憐は子供みたいに僕の腕を抱き寄せてきた。誰にも言っていなかったことを可憐は僕にだけ話してくれたし、聞いてもらえて喜んで涙を流してくれたんだって思ったら、僕は可憐の弱さと秘密を知れた気がして嬉しかった。
けど、それってもしかして、
「可憐、本当は死んだらお爺ちゃんに会えるって思ってるから希死念慮者になったの?」
可憐は涙を流しながらも首を横に振りながら僕を見て面白がるように笑った。
「私は生まれつきの希死念慮者だよ。好奇心旺盛って言ったら語弊になるかもしれないけど、物心ついたころから家のベランダに出て、ここから落ちたら死ねるのかな?とか、中学校の校庭に降りる五十段の急な階段があったんだけど、そこに向かって走っていけば死ねるかなとか、電柱に上って電線に触れたらどんな感じで死ぬのかなとか、そんなことばっかり考えてた。けど、あんまり人に迷惑はかけたくなかったから、希死念慮者更生施設に入ろうと思った時、お爺ちゃんだけが賛成してくれてたの。心から嬉しかった。心理カウンセラーの教官も、色々私の内情を調べてお爺さんの後を追いたいだけなら死ぬのは止めなさいって言ってきたけど、祖父は関係ありませんって突っぱねてきたし、実際お爺ちゃんは関係ない」
「本当?」
「嘘なら順平に話さないよ」
可憐は僕の肩にオデコを押し付けてきた。鼻水をすする音で泣いているのがわかるのに凄く嬉しそうに思っているんだろうなって考えたら不思議な感覚だった。
可憐を守ってあげたい。どんなに体が弱っていっても手を離したくない。
僕は今夜のことは絶対に忘れない。それから、決して誰にも言いたくない。僕と可憐の秘密にしたい。
独占したいって感情はさっき海斗と喧嘩してよくわかった。今までこの恋に自覚してなかった自分が少し恥ずかしい。
「でも、一つだけ、私、順平に嘘ついた。私、ピアノ習ってた。一ヶ月だけ。地元のジュニアピアノコンクールにどうしても両親が私の可能性を……どうしても試してみたかったんだろうね。そのコンクールに出るためだけに、まだ五歳だった私をピアノ教室に入れて参加権をもらって、それで、私あっさりコンクールで優勝したの」
両利きだし、ピアノが上手いとは思っていたけど、やっぱり可憐の実力は本物なんだ。
「でも私、コンクールが終わった後、壇上で、やらかしちゃったたんだよね」
「何を?」
「司会の人に『将来の夢は何ですか?』って言われて私『早く死にたいです!』って無邪気にマイクに大きな声で」
どんなに小さくても可憐は可憐だったんだな。
「可憐らしい」
「私もそう思う。まあ、小さな地方のコンクールでよかったよ。すぐに引っ越したし、そんなに大事にならずに済んでよかったって親は言ってた。けど、結局ね、私の夢はその頃から変わってないの」
驚愕過ぎて言葉が出てこない。五才の娘が自分は希死念慮者って宣言をした娘に両親はどんな気持ちになったんだろう。気の毒だし子供って怖いな。
「ま、嘘はピアノを習ってたってことだけ。さ、次は順平だよ。好きな人っていたの?」
まだ動揺が抜けきれてないけど、そんなの決まってる。ココの施設にいた同じ年頃の人の大半は死んでいった。だから恋とか以前に友達をつくるのも大変だったし、最後は悲しい別れが待っているんじゃないかって思ったら、恋どころじゃなかった。だから、たくさん話しかけてくれて一緒に遊んでくれる海斗のことが、本当は大好きなんだけど初恋とは違うよな。
今、僕は女性として可憐のことが好きだ。生きたいって思い続けてきた、けど、今は彼女に生きてほしいと思っている。可憐が好きだからなんだけど、なんだか言いにくい。
だけど。言わないと伝わらない。察してもらうだけじゃダメだ。
「僕の好きな人は、……海斗と母さん。それから……」
僕は可憐の命を奪おうとしてたくせに、今は好きだから可憐に生きてほしいなんて、こんな矛盾、本当に酷いのは僕の方だ。けど、後悔したくない。可憐の命は誰にも渡したくない。例え海斗でも。だから言わなきゃダメだ。さっき好きだってちゃんと言えたんだから、もう一度言えばいい。それだけなのに、もう言えなかった。言えなくなっていた。
絶対言わなきゃ後悔するのに、僕は怖気づいた。可憐の唇にキスするのが精一杯の愛情表現だった。この愛が彼女に届いてほしい。生きようって可憐自身に思ってほしい。だからこのキスは僕にとってはさっきのセックスよりも意味のある行動だと思った。
「言葉にしないなんて臆病ね」
「うん。でも、可憐もお爺ちゃんに対して臆病になってたんじゃないの?」
「そうかも」
「けど、伝わったでしょ。僕の気持ち」
「順平って、私がお爺ちゃんを愛したくらいには好きってことでいいのかな?」
「そうだよ」
僕は力いっぱい可憐を両腕で抱きしめた。
「可憐、僕の代わりに未来を見て来てよ」
「私を守ってくれるんじゃなかったの?」
「うん。必ず守るし約束するよ」
僕は可憐が僕に嘘を一つついてたから、僕も破る前提の約束の嘘をついた。
可憐は今までで一番柔らかい表情で僕に笑いかけてくれた。
この笑顔を奪わない。もしも可憐を悲しませる人がいたら僕は許さない。だけど、さっき海斗に可憐は渡さない宣言をしといて酷い話かだけど、この笑顔さえ僕のものにしたいと物欲のない僕が思った唯一の存在なんだ。
恋をして、失って、初めて気が付く愛がある。
失う前に気が付けて良かった。
東雲の空に帰りがけの月を見つけた。綺麗な白だなと思いながら、可憐の頭の上に自分の頭を添えた。
僕は今、世界で一番幸せな時間の中にいる。そう思っているうちに眠りについた。
寝てもちゃんと目が覚めるか、いつもみたいに心配してなかった。
だって隣には、僕の愛する人がいるのだから。
もう、何も怖くない。
そうなるはずだった。
意識が溶けていく中、心の片隅のどこかで適合者が可憐じゃなければよかったのにと思った。でも、だとしたら僕は誰の命だったら奪えるって言うんだろう。
こういう形でしか可憐に出会えなかったのが運命だったのなら、なんて残酷な話だろう。けど、僕が運任せに命のやり取りをして来たせいだと言うのなら、神様にだって文句は言えない。
僕は人の命を奪ってまで生きることを選んでココで待ち続けていたことを後悔した。
可憐と出会ってやっと気が付いた。だから今は喜んで地獄に落ちたかった。
僕らはいつの間にか手を握り合っていた。
冷たくも熱くもなくて同じ温度だ。
「じゃあ、まず。可憐は何色が好き?」
「青系のジーンズ色、いや、水色?とにかく青っぽいの。紺とかそっち系も好き」
「僕は白。月みたいな色」
「月って黄色じゃないの?」
「いや、昼間に見える白い方の月。じゃあ、今度は、好きな動物」
「カエル」
「カエルは両生類で動物じゃないよ」
「じゃあ、好きな生き物がカエルで、哺乳類なら鶏」
「鶏は鳥類だよ」
「そっか。難しいなぁもう。じゃあ、ウサギ。いろんな色がいていろんな毛の種類があって小さいし可愛い。順平は?」
「猫」
「つまんないの」
「いろんな色と色んな毛の種類があって可愛いから好き」
可憐の揚げ足を取るのはちょっと面白い。ずっと自分が試されているような気分だったせいか、可憐の好きな曲や好きな飲み物とか食べ物とか好きな場所とか、そういう単純なことを知れるのが凄く面白いし、そんな単純な質問に自分も答えていると、本当の自分の形が見えてくるような気がした。
僕らはたわいのない個人情報を訊き合い、時にはその理由も深く尋ね合った。
「そういえばずっと不思議に思ってたんだけど順平の部屋って物が少ないけどなんで?生に執着がある人って物欲強いイメージあったんだよね。海斗君の部屋みたいな好きなものとか興味湧いたもので床が抜けそうな感じ。なんでもネットですぐに買える時代なのに、収集癖とかないの?」
「ああ、それは、なんていうか、生きてここを出て、お店で本物を見て買いたいなって思って。洋服も動きやすいスエット生地のズボンとシンプルなシャツしか着ないけど、本当は、洋服屋さんでカッコいい服とか自分で見て選びたいし、家電とかもどういうのが流行ってるとか、店員さんと相談したりして買ってみたいんだ。可憐はどんなふうに買い物とかってしてたの?ココに来てからはワンピース以外届かないし、リクエストしてるわけでもないんでしょ?欲しいものとかないの?」
可憐は「そうねぇ」と言って自分の頬を方手で支え、しばらく考えていた。
そんな仕草が、とてもかわいいなあと思った。今まで容姿に恵まれている方って思っていただけで、特別可愛いとか美人だとか綺麗ってカテゴリに入れていなかったけど、ちゃんと浮足立つようなドキドキを感じる。……もう一回ヤりたいな。
「学生の時とか友達とよく服とか買いに行ったりしたけど、もう、服とか興味持てないな。アルバイトしたお金も貯めてたけど、希死念慮者更生施設に入る前に駅のホームで死にそうな顔してた今の私と同じ歳くらいの女の人に『私、希死念慮者更生施設にこれから行くから使って』って言って全部あげちゃったし」
「自分で頑張って稼いだお金くらい自分のために使おうと思わなかったの?」
「希死念慮者だからほとんど物に執着とかないんだと思う。命だっていらないって思ってるくらいだし。でも今欲しいのはコンドームかな。もう一回したい」
なんてこと言うんだ。と恥ずかしくなってしまった。でも、可憐がそう言ってくれたってことは、僕は少し己惚れてもいいのかな?
海斗の言っていた通り、可憐は変わっているんじゃなくて面白い人なのかもしれないと初めて思った。
それにきっと、可憐からお金を受け取った女の人は、予想だけど自殺を諦めたんじゃないかなって思った。お金を受け取ったってことは命を捨てることが出来るほど本気で死のうとしていたわけじゃなかったんだと思う。
そして、空が明るくなってきた頃、少し訊くには緊張する質問を彼女にしてみようと思った。
「可憐が好きだって言っていたクソジジィって誰?」
そのクソジジィはどんな人なのだろう。聞きたいような聞きたくないような複雑気分になっている。だけど、それでも気になる。知りたい。
「私がした恋はその一回だけ」
好きな人がいるのになんで希死念慮なんて抱いてるんだ。いや、それよりも、なんで僕に抱かれたんだ。クソジジイって言っても、その人と恋人同士になりたいと思ったことはないのか?訊きたくなってしまう質問が多くなってしまったけど、質問は一回ずつで、僕も答えなきゃいけないんだから、僕も答えを準備しないと。
「母方の祖父なんだけど」
「お爺ちゃん?」
まあ会話になるなら一問一答なんてどうでもいいか。今までの僕なら躊躇して訊けなかたことも、どんどんカレンは言葉に変えていった。
「可憐って案外、子供の頃にパパのお嫁さんになるとか言う子だったの?」
「そうかも。お父さんと結構大きくなるまでお風呂入ってたし。けど、お嫁になってもいいって思ったのはお爺ちゃんだけなの」
可憐は自分の膝の上で祈るように指を絡ませ親指だけを擦りつけあっていた。初恋の話は可憐でも恥ずかしいって思ったりするのかな。真っすぐランドセルを眺めているその姿が優しくて、慈しむような微笑みを浮かべていた。
僕はこの人に、未来をプレゼントしたいと思った。決して死にたくなったわけじゃないけど、それでも残りの人生全て捧げたいと思うほど、彼女のことがたまらなく好きなのに、そんな人の初恋の話をこれから知るんだと思ったら、初めて本当に、内臓が病気的な発作と関係なく、ドキドキしてキュッと苦しく感じた。
「お母さんの実家が家の近くだったから、毎週お母さんと妹と一緒に夕食を食べに会いに行ってたの。けどお爺ちゃんはお酒ばっかり飲んでて、酔っぱらいながら小さかった私に『どうせ俺はゆとり世代のクソ爺ィだ!』ってよく怒鳴ってた。八つ当たりの副流煙だよね。その声を聞かされるのは嫌いだった。でもよく話を聞いてるとそれが面白くて憎めなかった。妹は嫌だったのか大きくなってからは寄り付かなくなったけど、私は祖父母の家に母と毎週変わらず通って、祖父の話し相手をしたんだ。母と祖母は仲よくずっとダイニングでコーヒー飲んでお喋りしてたし。祖母は毎日のことで、お爺ちゃんにうんざりしてたのかな、お爺ちゃんのことは見て見ぬふりって感じだった。お母さんも、実の親が話す哲学っぽい内容にはついてこられないタイプだったから、全然話に入ってこようともしなかった。だけど、今思うとお爺ちゃんをその時は独り占め出来てたんだから私にとってはラッキーだったのかもしれない」
可憐は僕の肩に頭を乗せてきた。両隣で座ったせいで、彼女の表情は見えないけど、とても楽しそうに初恋の話をしてくれる気がする。
「そんなに好きなのになんでクソジジィなんて言ったの?」
「だって、自分でクソ爺ィって言ってたんだもん」
なるほど。可憐らしい回答だ。
「お爺ちゃんはね、気が付くといつも時間について話をしてた『一日が長い』って言う日もあれば『一日は短い』って言う日もあって『俺の残り時間は多すぎる』っていうことも『俺の残り時間は少なすぎる』って言ったり答えはいつも違ったけど、お爺ちゃんが今その瞬間に考えて感じていることなんだって思ったら、もっと色んな話を真剣に訊きたくなったの。毎回、人に与えられた時間の不平等さとか、動物より寿命が長い理由とか、生きている間に成し遂げなきゃいけない使命があるのかとか、私に見解を求めることもあったし、訊かれたことに対しての答えを考えるのは生活していく中で凄く自分のためになった」
可憐は自分の両膝を抱えた。可愛くて守ってあげたいのに、今は彼女に触れはいけない気がした。今の彼女の心の中はクソジジィとの思い出でいっぱいなら、邪魔したら申し訳ないなって思って気を使った。
「でもね、お爺ちゃんも歳を重ねるごとに、だんだん私のこと忘れるようになっちゃったの。痴呆症って言うのかな?自分が何歳かもわからなくなってたみたいで、気がついたら私をロマンチックに口説いてくるようになって、私もいつの間にか惚れてた。男の人として。お婆ちゃんもお母さんも、そんな私たちの姿を見て『孫口説いてるわ』って大笑いして見てたけど、真剣なお爺ちゃんにどんどん魅かれていって、私も内心夢中だった。でも、お婆ちゃんに遠慮して私は本気で好きって言えなかった。いつも嬉しいとか、ありがとうしか言えなかった。孫なら私もお爺ちゃんに大好きくらい言ったって不自然じゃないかもしれないけど、女として私が本気だったから血のつながったお爺ちゃんにそれが言えなかった。それで、もうすぐ私も十八歳って時に、お爺ちゃんが突然危篤状態になったって連絡が来て、急いで病院に行ったら、誰の呼びかけにも反応しなかったのに、お爺ちゃん私の声にだけ反応してビックリするぐらい強い力で、ねじ伏せられるみたいに両手で抱き寄せて『返事を聞かせてくれ!』って怒鳴ったの。それでやっと気が付いた。彼は本気なんだって。だからキスして―――…応えたら、私を胸に抱いたまま『あんたやっぱりいい女だ』って呟いて死んじゃった。死んじゃったんだって、もう会えないんだってわかったら、もっと好きになっちゃったの。まるで告白してフラれて諦められなくなったプライドの高い中高生の女の子みたいな気分になってた。自分が思っていた以上に彼を愛してたんだって思って思い知った。彼にもう愛してるって伝えることはもう出来ないけど、ずっと死ぬまでこの人を一人の男として好きでいるんだろうなって思った。だから初恋がいつかって言えば……順平と同じ十七歳くらいなのかも」
可憐の大切な思い出に一瞬やきもちみたいな納得いかないようなモヤモヤした感情に心が包まれそうになったけど、可憐が突然僕の頬にキスをした。それに驚いて彼女の方を見ると彼女は涙を両目からこぼしていた。
僕が、泣かした。可憐を。悲しませた。訊くんじゃなかった。罪悪感で自分の嫉妬心なんてどうでもよくなった。
「ごめん」
「なんで順平が謝るの」
「言いたくないことは答えなくてよかったんだ。可憐にとって大切な秘密だったなら無理に言わせちゃったんだって思ったら、なんか申し訳なくて」
「どうして?私、もう誰にも言えないと思ってたから嬉しいよ」
可憐は子供みたいに僕の腕を抱き寄せてきた。誰にも言っていなかったことを可憐は僕にだけ話してくれたし、聞いてもらえて喜んで涙を流してくれたんだって思ったら、僕は可憐の弱さと秘密を知れた気がして嬉しかった。
けど、それってもしかして、
「可憐、本当は死んだらお爺ちゃんに会えるって思ってるから希死念慮者になったの?」
可憐は涙を流しながらも首を横に振りながら僕を見て面白がるように笑った。
「私は生まれつきの希死念慮者だよ。好奇心旺盛って言ったら語弊になるかもしれないけど、物心ついたころから家のベランダに出て、ここから落ちたら死ねるのかな?とか、中学校の校庭に降りる五十段の急な階段があったんだけど、そこに向かって走っていけば死ねるかなとか、電柱に上って電線に触れたらどんな感じで死ぬのかなとか、そんなことばっかり考えてた。けど、あんまり人に迷惑はかけたくなかったから、希死念慮者更生施設に入ろうと思った時、お爺ちゃんだけが賛成してくれてたの。心から嬉しかった。心理カウンセラーの教官も、色々私の内情を調べてお爺さんの後を追いたいだけなら死ぬのは止めなさいって言ってきたけど、祖父は関係ありませんって突っぱねてきたし、実際お爺ちゃんは関係ない」
「本当?」
「嘘なら順平に話さないよ」
可憐は僕の肩にオデコを押し付けてきた。鼻水をすする音で泣いているのがわかるのに凄く嬉しそうに思っているんだろうなって考えたら不思議な感覚だった。
可憐を守ってあげたい。どんなに体が弱っていっても手を離したくない。
僕は今夜のことは絶対に忘れない。それから、決して誰にも言いたくない。僕と可憐の秘密にしたい。
独占したいって感情はさっき海斗と喧嘩してよくわかった。今までこの恋に自覚してなかった自分が少し恥ずかしい。
「でも、一つだけ、私、順平に嘘ついた。私、ピアノ習ってた。一ヶ月だけ。地元のジュニアピアノコンクールにどうしても両親が私の可能性を……どうしても試してみたかったんだろうね。そのコンクールに出るためだけに、まだ五歳だった私をピアノ教室に入れて参加権をもらって、それで、私あっさりコンクールで優勝したの」
両利きだし、ピアノが上手いとは思っていたけど、やっぱり可憐の実力は本物なんだ。
「でも私、コンクールが終わった後、壇上で、やらかしちゃったたんだよね」
「何を?」
「司会の人に『将来の夢は何ですか?』って言われて私『早く死にたいです!』って無邪気にマイクに大きな声で」
どんなに小さくても可憐は可憐だったんだな。
「可憐らしい」
「私もそう思う。まあ、小さな地方のコンクールでよかったよ。すぐに引っ越したし、そんなに大事にならずに済んでよかったって親は言ってた。けど、結局ね、私の夢はその頃から変わってないの」
驚愕過ぎて言葉が出てこない。五才の娘が自分は希死念慮者って宣言をした娘に両親はどんな気持ちになったんだろう。気の毒だし子供って怖いな。
「ま、嘘はピアノを習ってたってことだけ。さ、次は順平だよ。好きな人っていたの?」
まだ動揺が抜けきれてないけど、そんなの決まってる。ココの施設にいた同じ年頃の人の大半は死んでいった。だから恋とか以前に友達をつくるのも大変だったし、最後は悲しい別れが待っているんじゃないかって思ったら、恋どころじゃなかった。だから、たくさん話しかけてくれて一緒に遊んでくれる海斗のことが、本当は大好きなんだけど初恋とは違うよな。
今、僕は女性として可憐のことが好きだ。生きたいって思い続けてきた、けど、今は彼女に生きてほしいと思っている。可憐が好きだからなんだけど、なんだか言いにくい。
だけど。言わないと伝わらない。察してもらうだけじゃダメだ。
「僕の好きな人は、……海斗と母さん。それから……」
僕は可憐の命を奪おうとしてたくせに、今は好きだから可憐に生きてほしいなんて、こんな矛盾、本当に酷いのは僕の方だ。けど、後悔したくない。可憐の命は誰にも渡したくない。例え海斗でも。だから言わなきゃダメだ。さっき好きだってちゃんと言えたんだから、もう一度言えばいい。それだけなのに、もう言えなかった。言えなくなっていた。
絶対言わなきゃ後悔するのに、僕は怖気づいた。可憐の唇にキスするのが精一杯の愛情表現だった。この愛が彼女に届いてほしい。生きようって可憐自身に思ってほしい。だからこのキスは僕にとってはさっきのセックスよりも意味のある行動だと思った。
「言葉にしないなんて臆病ね」
「うん。でも、可憐もお爺ちゃんに対して臆病になってたんじゃないの?」
「そうかも」
「けど、伝わったでしょ。僕の気持ち」
「順平って、私がお爺ちゃんを愛したくらいには好きってことでいいのかな?」
「そうだよ」
僕は力いっぱい可憐を両腕で抱きしめた。
「可憐、僕の代わりに未来を見て来てよ」
「私を守ってくれるんじゃなかったの?」
「うん。必ず守るし約束するよ」
僕は可憐が僕に嘘を一つついてたから、僕も破る前提の約束の嘘をついた。
可憐は今までで一番柔らかい表情で僕に笑いかけてくれた。
この笑顔を奪わない。もしも可憐を悲しませる人がいたら僕は許さない。だけど、さっき海斗に可憐は渡さない宣言をしといて酷い話かだけど、この笑顔さえ僕のものにしたいと物欲のない僕が思った唯一の存在なんだ。
恋をして、失って、初めて気が付く愛がある。
失う前に気が付けて良かった。
東雲の空に帰りがけの月を見つけた。綺麗な白だなと思いながら、可憐の頭の上に自分の頭を添えた。
僕は今、世界で一番幸せな時間の中にいる。そう思っているうちに眠りについた。
寝てもちゃんと目が覚めるか、いつもみたいに心配してなかった。
だって隣には、僕の愛する人がいるのだから。
もう、何も怖くない。
そうなるはずだった。
意識が溶けていく中、心の片隅のどこかで適合者が可憐じゃなければよかったのにと思った。でも、だとしたら僕は誰の命だったら奪えるって言うんだろう。
こういう形でしか可憐に出会えなかったのが運命だったのなら、なんて残酷な話だろう。けど、僕が運任せに命のやり取りをして来たせいだと言うのなら、神様にだって文句は言えない。
僕は人の命を奪ってまで生きることを選んでココで待ち続けていたことを後悔した。
可憐と出会ってやっと気が付いた。だから今は喜んで地獄に落ちたかった。