公園に着いたとき、すでに辺りは暮れ始めていた。
 日が落ちるの、早くなったな。
 ただでさえ寒いんだから、日も暮れてくれば、子供たちはみんな帰る。
 ベンチに座ってふと視線を落とすと、地べたに()いつくばるようにして平らな葉を放射状に広げた植物が、寒さに震えていた。茎も花も無い、根と葉だけになったそれは、寒さ対策なんだとか。冬眠するのは熊だけじゃあないんだなって思って、今でもそれを覚えている。
 そのまま草と一緒に寒さに凍えて背中を丸めていると、視線の先に見覚えのある茶色のタッセルローファーが現れた。ハルだ。
「ごめん、アコ。待たせたかな?」
「アンタが呼び出したんだろうが、遅れてくるんじゃねえよ」
 座ったままで蹴る真似をすると、ハルは大げさにひょいっと跳んで笑う。
「ごめんって」
 平謝りする彼は、温かそうな白いセーターの上に、これまた暖かそうなウールのロングコートを着ていた。オーバーサイズを選ぶのが、最近のハルの好みらしい。
 ハルは何も言わずにポケットから缶コーヒーを差し出してきた。
 アタシは礼も言わずに受け取ってプルタブを折った。
 甘く温かい液体をのどに通して、白い息と一緒に人心地ついた。
 ハルは気が利く。
 アタシがハルと出会ったのは中学生の時だった。
 接点がなかったから、登下校中に出会ったら挨拶するっていう程度の仲だった。
 ある朝おはようとあいさつをすると、返事と一緒に飴を貰った。
「どうして?」
「風邪じゃない? 声、いつもと違うよ?」
「そう、かな。わかんないけど、いいのか?」
「良いよ。あげる。スッとするのど飴は嫌いだから、甘ったるいやつなんだけど」
「ありがとう」
 飴を舐めると、甘い甘いミルクの味がした。本当にのど飴か? と思って包み紙を見ると、確かに「のど」と書いてあった。
 いつものアタシなら、そのゴミをその辺にポイっとしてしまうのだが、なぜだかその時はポケットに大事にしまったのを覚えている。
 あの時は分からなかったけれど、多分、ハルの良心ってのを包み紙とは言えどこかその辺に捨ててしまうのが、申し訳ないと思ったのだと思う。
 そのあと、確かに自分でも声が変だなと気付いて、ハルの言っていたことの正しさを知った。そして遅れて、彼がのど飴を持っていると言うことは、彼も風邪だったかもしれないのに、アタシは気付いてあげられなかったなと思った。それを億尾(おくび)にも出さないハルは、なんだかカッコイイなと思った。
 それがきっかけで、よく声をかけるようになった。
 ハルはいつもとても優し気な顔をしているから、友達はたくさんいたようだったけれど、見た目カッコイイと言う訳でもなく、運動もできる部類の男子ではなかったので、彼女はいなかった。
 対するアタシは、良く言えばサバサバしているが、悪く言えば女子っぽくない粗暴さで、男子受けは全然良くなかった。と言うか、言いたいことを割とすっぱり言ってしまうので、女子受けも良くなかった。
 つまり喋る奴がいなくて、そんな時にハルと話したもんだから、アタシの話し相手はほとんどが彼になった。彼にとってアタシは数多くいるうちの一人だったのだろうけど。
 二人っきりで話すようなこともしばしばあったのだが、クラスの誰からも恋人としての勘違いをされなかった。それは多分、ハルの女子受けの悪さと、アタシの男子受けの悪さのおかげだったのだろう。クラス中の誰もがアタシたちの親密度に興味がなかった。
「二人とも付き合っているの?」
「そんなんじゃねえよ」
「うそだー」
「お似合いだと思うよ」
「付き合っちゃいなよ」
「うるせえなあ!」
 とか言う面倒くさいやり取りはなかった。ちょっとしてみたかったのは内緒だ。
 アタシが昔のことを思い出していると、ハルは不思議そうな顔を浮かべていた。
「なんだよ」
「いや、なんでそんな寒そうな格好で来るかな」
 アタシはユーネックのハイゲージニットの上にダブルのレザージャケットを着ている。風を防いでくれるイメージのあるライダースだが、実際そんなに温かくない。
「別にいいだろ」
 ハルは自分のしていたマフラーを首から()ぐと、アタシに巻き付けた。
「場所移す?」
「いや、ここでいいよ」
 ハルの提案はありがたかったけれど、彼の体温を借りたマフラーがとても温かくて、いつまでもここに居られるような気がしてしまったから、それは断った。
 彼は隣に座った。
 ハルはいつも変わらずに優しい。
 中学3年生の頃、どこに進学をするかの話をした時、ハルは地元の近い所で良いと言っていた。ハルは結構頭が良かったので、頑張ればハイレベルな進学校にも合格できるはずだった。でも、遠いとその分お金がかかるし、両親に迷惑を掛けたくないと言っていた。「ませてんなあ」と言いながら偉いなあと感心していた。
 そしてその地元の高校は、頑張ればアタシでも入れそうなランクのところだった。
 ハルと同じ学校に行きたい。と言う簡単な恋心みたいなものじゃあなくって、ハルとの会話がない学校生活を想像すると、それがひどくつまらないものに感じてしまったし、それを乗り切るビジョンが全く見えてこなかった。まあ、勉強すればうちの親も喜ぶだろうし、損する奴いないんだから頑張るかってことで、その高校に入ることを決めた。
 合格者発表当日、ハルはアタシよりアタシの受験番号を探し当て、嬉しさのあまりか、抱き付いてきた。
「やったね! アコ! 合格おめでとう!」
「いや、アンタのは!?」
「どうせ受かってる!」
「ムカつくなあ! おい!」
 ムカついたけど、実際ハルの受験番号もあった。
 そういう、自分のこととかより、相手のことを気にしてしまう奴だった。彼のそういうところが、良いとか悪いとか好きとか嫌いとかじゃあなくて、単純にうらやましいと思った。
 それからの高校生活、アタシとハルは頻繁(ひんぱん)に話したり遊んだりしたが、恋人という関係にはならなかった。煮え切らない、と言う思いもあったにはあったが、それでもいいかなと思った。彼にとってはアタシはそういう、アタシにとっては彼はそういう存在。恋人とかっていう大きなくくりに入らない、特別な存在なんだと思った。
 それはハルに彼女ができた時も同じだった。
 悔しいとか、(ねた)ましいとかは思わなかった。
 なんなら彼女さんに申し訳ないなと思ったくらいだ。
 ハルは彼女ができたあとでも、変わらずアタシに付き合ってくれたから。
 多分それが原因で別れた。それを3回繰り返した。
 そう、3回も。
 驚くべきことにハルはアホほどモテた。
 中学生の頃はみんな見た目ばかりを気にしていたけれど、高校生になったら性格を含めた人間性とかも気になってくるんだろう。なんでアタシはモテないのにアンタばっかりモテるんだよっていう悔しさはあったが、自分の眼に狂いはなかったっていう嬉しさもあった。
 勿論アタシとて、ハルの失恋を嬉しがるほど浅ましい女ではない。彼らの恋が長続きするように、助言などもした。ハルは告白されてばかりだったので、ハルが彼女にぞっこんってことはなかったが、別れた時にはやっぱり悲しそうな顔をするので、それを見るのが嫌だった。
「だからさあ。アタシと会う回数を減らすとか、せめて会話も学校の中だけとかにしたら? っつーか、話し相手だったらアタシ以外にもたくさんいるだろう?」
「分かってないなあ。アコは。男友達だと話し(にく)いって事もあるんだよ。それに、アコじゃないと解ってくれない事もあるわけだから、それはアコに話さないと」
「じゃあ彼女さんに見られないように《《ソウイクフウ》》をしろよ。アンタなりに」
「隠さなきゃいけないような悪い事をしている気は全くないよ」
「だからあ」
 ハルはとても優しいが、信じられないくらい頑固だった。自分にとってどうでもいいことはいとも簡単に折れるが、価値観とか自分の中にある基準みたいなものは、絶対に折らなかった。その中にアタシの存在が含まれていると言うのは、とても誇らしかったし嬉しかった。自分がハルのことを特別だと思うように、彼もアタシのことを特別だと思ってくれているのだ。それはアタシにとって、彼女と言う肩書よりも大事なものだった。
 いつか終わりが来る始まりなら、いっそ始まるな。いつまでも一緒に居られる、ハルにとってのアコという存在でいさせてくれ。高校三年間、いや、卒業してからもそう思い続けていた。