親は説得したと言うか、無事である事だけを伝えて一方的に電話を切った。長く話すと、引きずり込まれそうで怖かった。

 それから俺は事務所の一角を借りて生活した。家賃水道光熱費は無いので、生活費はバイトで何とかなった。ライヴハウスの雑用で決して給料は良くなかったが、不満は無かった。

 だから家に帰る事は無かったが、一度だけ侵入した事がある。Jazzmaster(ジャズマスター)を取りに帰ったのだ。これで俺が音楽を諦めていない事は親に知られてしまうわけだが、どうでも良かった。

 生きさせて頂いている。1万人以上の屍の上で。

 Jazzmaster(ジャズマスター)を掻き鳴らしている時、バイトをしている時、スーパーの売れ残りの総菜にかぶりついている時、それを忘れる事が出来た。

 でも常に忘れていられるわけじゃあなかった。

 夜。換気扇の音と、遠く車のクラクションが聞こえる薄暗闇の中で目を覚ますと、いつも目尻が濡れていた。

 夢を見ていたのを思い出す。

 どういった経緯でそうなったのかは思い出せないが、とにかく首を絞められていた。苦しくても夢の中の俺は、首に巻き付けられた手を触る事が出来なかった。

 その手の正体は、俺の代わりに死んだ命なのか、善意で俺を助けてくれた人なのか分からない。

 ただ、もう一度瞳を閉じても眠れないので、そういう時はいつも、窓際に行ってブラインドの角度を変える。窓の外の景色を眺めているとなぜだか落ち着いた気分になる。この街は、今も動いている。自分を知らない人が、無関係な人が居ると言う事実が堪らなく心地良かった。

 深夜になって人が通りかからなくなっても、目の前の信号機は規則的に変わり続ける。歩行者信号の青がぽくぽくと点滅すると、心音が同じように鳴って、何もかもを許せるような静けさを手に入れることが出来た。そのまま寝床に戻って目を(つむ)ると、高速で朝がやってくるのだった。