結局両親に言われるまま、とりあえず高校には入った。

 高校に入ってからも俺は生き場を探していた。

 ばれるはずないって解っていても怖かった。

 俺がたくさんの命を犠牲にして無駄に生き長らえているって言う事が。

 怖くて怖くて、堪らなくて、詩を書き続けた。

 高校二年生になる頃、もしも親にまた進路を聞かれたら本当の事は言わないでおこうと思っていた。あの時の恐怖が甦るから。

 ある日、作曲をするためにギターを掻き鳴らしていた。部屋の外に漏れないように、アンプにはヘッドフォンを繋いで、自分にのみ聴こえる様にしていた。ギターはFENDER(フェンダー)Jazzmaster(ジャズマスター)、アンプもFENDER(フェンダー)。両方とも中古で買ったものだ。

 そこに父親が入ってきた。
 ギターを構えた俺を見て、酷く驚いた顔をしていた。
 それはそうだ。
 俺はあの時から一度も音楽の道に行きたいと話した事は無かったし、その夢も諦めていると思っていただろうから。
 だから俺はただの趣味だと言った。
 父は半信半疑と言った様子だった。
 
 それから(しばら)くして、テレビ局が家にやってきた。

〈難病に打ち勝った少年の今は〉

 と言う内容を放送したいとの事だった。

 吐き気がした。

 これはつまり、父親が俺の趣味という言葉を信用していないと言う事だった。テレビの前に俺を晒して「立派な人間になります」と、誓いを立てさせようと言う魂胆(こんたん)が透けて見えた。
 まだ打ち合わせ段階で、簡易のカメラが回っているだけの状態だった。

 インタビュアーが言った。

「息子さんがここまで成長されてどう感じていますか」

「あれから後遺症もなく成長できたのは奇跡のようで、嬉しく思います。これもあの時募金をしてくださった皆様のおかげです。感謝してもしきれません。息子には、皆様のご厚意が決して無駄にならないような立派な人間に育ってほしいと願っています」

 インタビュアーが笑顔でマイクを向けてきた。

 そのマイクが余りに鋭利で、それを持つ彼の顔が余りに凶悪で、恐怖のあまり息が止まった。

「では、貴方は今どういった気持ちで毎日を生きていますか?」

「気持ち悪い」

 そういって俺は目の前のマイクに向かってゲロを吐いた。

 インタビュアーは咄嗟(とっさ)に手を引っ込めたものの、俺が病気を再発したと思ったのか、焦り出した。

「大丈夫かい!?」

 その、善意にすら、嘔吐(えず)く。
 だから俺は走り出した。
 家の扉を開けて、外へ。
 降りしきる雨の中へ。
 遠く。誰も俺を知らない場所まで。