午後19時過ぎ。
《こちらこそ、よろしく》
そんなメッセージの通知がきていたのは午後16時くらい。
あれから3時間も経ってしまっている。
そう、俺は返事に迷っていた。
「なんて話題振るのが正解?」
誰もいない部屋でベッドに転がり、独り言ちる。
最近、気になっている女の子の連絡先を追加したのは学校が終わってすぐ。
本当はもっと早く追加したかったけれど、先になんて送るか考えてからじゃないと時間差になって変に思われたら嫌だな、と思い、送る言葉を考えることにしたのはいいもの、そこからが大変だった。
なんて送ろうか、と何度も文字を打っては消してを繰り返してやっと送れたのは自分の名前と追加したということ、そして“よろしく”のたった四文字だけだった。
そして今もまた悩んでいる。我ながら情けないとは思う。
ただ、普段、誰かに送るメッセージを悩むことなんてないから余計にいい話題が思いつかない。
まだ美桜と知り合って日が浅いせいで、美桜が何に興味があって何を送れば会話が弾むのかがさっぱりわからない。
直接会うと、不思議とたくさん話せるんだけどなあ。まるで、昔からお互いのことを知っていたかのように。
何故、出会って間もないのにこんなにも俺が美桜が気になっているかというと理由は二つ。
一つ目は、俺は高校一年生の春休みに事故に遭って、奇跡的に目覚めてからというものいつも誰かを探していた。
というもの、心の中にぽっかりと穴が開いてしまって大事なものを抜き取られたような寂しさを感じていたからだ。
家族や友達、幼馴染、誰に会っても埋まらなかったどうしようもない寂しさが、美桜に出会ってからまるでパズルの最後のピースがはめられたかのようにすぅっと消えたのだ。だけど、どうしてそれが美桜だったのかはわからない。
家族に美桜のことを聞いても、みんな知らないと言われるし俺だって接点なんてまるでなかった。
二つ目は、彼女の綴るポエムのような文章に心を奪われたからである。
遅れた分の勉強を取り戻そうと、図書室で一人勉強をしようとした時に見つけた付箋。
何故かわからないけれど、涙が溢れて止まらなかった。
誰が綴ったのかも、誰に向けられて綴られたのかすら知らないのに、ただ胸がぎゅっと締め付けられて苦しくて泣くことしかできなかったのだ。
何とか見つけ出した作者の彼女が綴っているものは恋愛系が多かったけれど、一体彼女が誰を思い浮かべてそれを綴っているのか気になった。
つまり、俺はきっともうその時点で美桜に恋に落ちていたんだと思う。
「叶わねえよなあ」
俺の虚しい呟きは部屋の中へと消えていく。
美桜には好きな人がいるらしい。しかも、あんな計画まで立てて想う相手が。
西神だろうな……。
美桜が西神以外の男と仲良くしているところなんて見たことがないし。
はあ……片想い開始早々、失恋フラグ立ってんじゃん。
いや、でもまだ終わっていない。俺は何も行動を起こせていないんだ。
失恋上等。だけど、それは俺が美桜にアタックしてからの話。
「よし!頑張るしかねえ!」
「なにを頑張るって?」
「うわ、お前。ノックくらいしろよ」
いつの間にか俺の部屋に入ってきて仁王立ちをしていたのは幼馴染の佑香だった。
「何回もしたのにあんたから反応ないからでしょ」
眉間にシワを寄せて、見るからに不機嫌そうな表情をしている。
「まじ?」
全然、気づかなかった。
頭の中が美桜のことでいっぱいになっていたからだ。
「まじだって。で、何を頑張るの?」
「まあ、それは色々だな」
美桜のことは何となく言いたくない。
もし、佑香にバレて俺の家族に言いふらされても困る。
うちの親というか主に母親は俺に彼女ができることを妙に楽しみにしているのか頻繁に「彼女いないの?」とか挙句の果てには「佑香ちゃんとお似合いよ」と余計なお節介を焼いてくる。
俺だって好きな人くらいいるから心配してくれなくてもいいのに。
「色々ってなに?」
「教えねえよ」
そう言いながら美桜に返信するために文字を打つ。
なんて返信しようかな。
《今度、一緒に遊びに行こうよ》
そう打って、送信する前に手を止める。
いや、いきなりデートに誘ってるみたいで気持ち悪いかな?まだ知り合って日が浅いのに引かれないかな?
うわ、どうしよ。送るか送らないか……。
「別に教えてくれてもいいでしょ」
いつの間にか俺の近くに来ていた佑香が俺の肩をぽんと叩いた。
その弾みで手が送信ボタンに当たって、先程打っていたメッセージが美桜の元へ送信されてしまった。
「うわああ」
その事実にみっともない声を上げた俺に佑香は怪訝そうな表情を浮かべた。
「なによ。その反応」
「お前、叩くなら合図くらいしろよな」
あー、どうしよ。急いで送信取り消ししたら間に合うかな。
そう思ってメッセージを長押ししていると、“既読”という文字がついてしまった。
ジ・エンドだ。なんて返事が来るだろう。
いや、きっと断られる。断られるに決まっている。
既読がついてしまった以上、今更消しても余計に怪しいだけだと諦めた俺は心の中ではあ、とため息を吐きながらゴロンとベッドへと寝転がった。
「はあ。あんたね、わたしがせっかくあんたが休んでた時のノートを見せてあげようと持ってきてあげたのに少しくらい感謝しなさいよ」
そう言って眉間にシワを寄せながら、俺の机の上にバン!と勢いよく置かれた数冊のノートたち。
あまりの勢いにひゅっと喉を鳴らしながらも「さ、さんきゅー」とお礼を伝えた。まだ鋭い目で睨んでくる佑香に引きつった笑顔を向けていると、ピコンと電子音が鳴った。
美桜からか……!?
佑香に睨まれていることもすっかりと忘れて急いでスマホのロックを解いてトーク画面を開く。
《いいよ。わたしは西神誘うから櫂も杉藤さん誘ってみてよ》
届いたメッセージを読んで俺は何とも言えない気持ちになった。
美桜と遊びに行くことはできるけれど、二人じゃない。
確かにさっき俺が送ったメッセージに“二人で”なんて言葉は一文字も入っていなかったからみんなで遊びに行くと勘違いしてもおかしくはない。でも、完全に脈ナシに思えてきて沸々と虚しさが湧いてくる。だけど、最初は四人でもいつか二人で遊ぶことができる日が来るかもしれないとポジティブな方へと思考を向けて返信をするためにトントンと画面を叩いて文字を打つ。
《了解!またどこ行くか決めよ》
よし、送信っと。
「なあ、佑香」
「なに」
呆れた顔をしながら部屋を出ていこうとしていた佑香に俺が声を掛けると、まだ少しムスッとした表情がこちらを見た。
「今度、美桜と西神と俺で遊びに行くんだけどお前も来てよ」
「はあ?なにその謎なメンツ」
佑香はメンバーを聞いて、心底意味が分からないというような表情を浮かべて首を傾げた。
俺だって、謎だなって思うけど大体みんな仲良くなる前は謎なメンバーだなって思いながら集まってるもんだろ。誰と仲良くなる!とか決まっているわけでもないし。
「無理?」
「……別にいいけど」
「まじ!助かる~!また日程は決まり次第、伝えるな!」
「はーい。その前にノートちゃんと写すんだよ」
「こんなの余裕余裕!」
美桜と遊べると思うと、今なら何でもできそうな気がする。
大袈裟だって言われるかもしれないけれど、それくらいパワーが湧いてくるんだよあ。
ニコニコと上機嫌な俺を佑香は冷めた目で見ながら一つため息をこぼして部屋から出ていった。
***
時刻は12時半すぎ。
俺は待ち合わせ場所の駅に集合時間の13時より30分も早く着いて一人ソワソワと緊張を募らせていた。
うわ、手汗やばい。
それに自分の心臓の音が耳に届くくらい、ばくばくしている。
というのも、今日は待ちに待った四人で遊ぶ日。
結局、俺たちは映画を観に行くことになり、予定を合わせて休日に会うことになったのだ。
佑香から午前中に予定があるとかで先に行っといてと連絡が来ていたので一人で来たけれど、早く着きすぎてしまった。
美桜に休日にも会えると思うと、まるで遠足を控えた小学生みたいに楽しみで昨日はまったく眠れなかった。
自分でも笑ってしまうほど頭の中が美桜でいっぱいだ。そういえば、初めて美桜の私服が見れるんだよな。
どんな服装をしてくるんだろうか。
女の子っぽいガーリーな服装かな。それともカジュアルな服装かな。モダンな大人っぽい服装かもしれない。
きっとどんな服装だって、美桜は似合っていて可愛いだろうし、俺はまた彼女に惚れ直す自信しかない。なんて、妄想を膨らませながら左腕に付けた時計で何度も時間を確認するけれど、まだ先程確認した時刻から2分くらいしか経過していなかった。
早く時間が経ってほしいような、そうじゃないようなもどかしい気持ちになる。
ああ、きっとこれが恋をしているということなんだろう。美桜の服装ばっかり気にしていたけれど、俺の服装は変じゃないだろうか。
ふと、そう思って駅前の店のショーウィンドウに映る自分の姿を確認する。
白いシャツの上から黒のカーディガンを羽織って、淡い色のジーパンに白のスニーカー。
たぶん変ではないと思うけれど、妙にソワソワして落ち着かないのはもうすぐ君に会えるからだ。
一応、スマホに映っている自分の髪の毛を整えてみたり、今日観る予定の映画のあらすじなんかをチェックしてみる。
いつもならこんなにも入念に準備したりはしない。でも、好きな子に会うんだからこれくらいは仕方ないと許してほしい。
「あれ、櫂?ずいぶん早いね」
可愛らしい声が耳に届いてそちらに視線を向けると、美桜が軽く手を振って天使のような笑顔を浮かべていた。
その不意の笑顔にドクンと鼓動が甘く跳ねた。
「思ったより早く着いちゃって。ていうか、美桜も早いだろ?」
今はまだ約束の時間よりかなり前。
俺が早すぎるのもあるけれど、美桜だって十二分すぎるくらい早い到着だ。
「う、うん。なんか緊張して早く来ちゃった」
なんて、照れくさそうに微笑む彼女。
服装だって淡いピンクのトップスに白のマーメイドスカートを合わせている。
とても似合っているし。可愛い。
ほら、さっき自分で予想していた通り俺は彼女の私服姿を見て惚れ直しているのだ。
「その服装、似合ってるよ」
素直に口に出したら引かれるかなとか考えたけれど、ちゃんと似合っていることを伝えたかった。
きっと美桜は俺に言われてもあんまり嬉しくないだろうけど。
西神に言われる方がドキドキしたりするんだろうか。
そこまで思って、胸が細い針で刺されたかのようにチクリと小さく痛んだから考えることをやめた。
この恋に勝算はあまりないかもしれないけれど、俺は美桜じゃないとダメなんだ。
「ありがとう。櫂も制服とはまた雰囲気が違ってかっこいいよ」
柔らかく目を細めて言った彼女は春の陽だまりのようでドッドッドッと鼓動が早鐘を打ち始める。
「なんか照れるな。けど、嬉しい」
思わず、ニヤケてしまいそうになって口元を手の甲で隠して、うるさく高鳴る鼓動を必死に抑え、平然を装う。
好きな人からの“かっこいい”という言葉の破壊力が凄まじいということを俺は今日初めて知った。
「よし、じゃあ映画観くか」
13時になる15分前に四人全員が揃った。
美桜が来てから5分後くらいに西神がやって来て、そのあとすぐに佑香が小走りでこちらまでやってきた。
だから、俺が美桜と二人きりで過ごせた時間はものすごく少なかった。
時間にすれば5分。でも俺にとってはその5分ですら尋常じゃないくらいドキドキして特別な時間に思えたのだ。
「結局、何観るんだっけ」
映画館のあるショッピングモールまで歩き出した瞬間、佑香が俺の隣に来てそう言った。そうなると、必然的に美桜は西神と並んで歩くことになり二人は俺たちの後ろをついて歩いているこの状況にガックリと肩を落とした。
これじゃあ、美桜と距離を縮めるどころか西神と美桜をくっ付ける感じになってるじゃないか。でも、美桜の幸せを願うのであればこれが正解なんだろう。
ズキズキと胸の痛みを感じながらも俺は佑香に視線を向けた。
「お前、覚えてないのかよ。今日はこの映画を観るんだ」
映画の公式サイトが表示されている自分のスマホの画面を佑香に見せる。
今泣けると話題になっているラブストーリーらしい。
以前、美桜と動画サイトの話をしている時にこの映画の予告が履歴に残っているのがたまたま見えたから俺が3つ出した候補の中にこの映画を入れると彼女は予想通りこの映画を選んだ。
きっと美桜は自分からは言い出さないだろう、と無意識にそう思っていたからだ。
何故そう思ったのかは俺にもわからない。でも、そうすることが当たり前だったかのように口が勝手に動いていた。
美桜といると、時々そのような不思議な感覚に陥ることがある。
どうしてなのかはまったくわからない。
「あ、それ知ってる。片想いしてる相手に好きな人がいて主人公の女の子には秘密あるってやつだよね」
「よく知ってるな」
こういう感動ものに弱い俺としては好きな人の前で泣いてしまわないように気をつけないといけないと思っている。
「だって、SNSでめちゃくちゃ流れてくるんだもん」
「ふーん。さすが暇さえあればSNS見てるやつは違うな」
「うるさいなあ。あんたと違って情報通なのよ」
そう言いながら俺の肩をパシンと叩く。
「いてぇな」
なんて、口では言っているけれど俺の耳の神経は後ろを歩いている二人の方へと向いてる。
なんの話をしているんだろうか。美桜の笑い声が聞えてきて心の中がソワソワとして落ち着かない。
「ちょっと、櫂。聞いてる?」
「え?悪い。聞いてなかった」
そんな俺に呆れた表情を浮かべながら顔を覗き込んできた佑香。
ダメだ。今日は何をしていてもきっと美桜に意識がいってしまう。
「しっかりしてよね」
小さくため息をついた佑香に苦笑いを返して、俺はスマホをポケットの中にしまった。
しばらく歩いて見えてきたのはこの街でも一番大きなショッピングモールだ。
このショッピングモールには映画館だけでなく、アパレルショップや数々の飲食店、ゲームセンター、クリニックなどが入っていてたくさんの人たちが利用している。
そして、学生の俺たちは何かして遊ぶとなれば、このショッピングモールに来るというほど充実した施設だ。
「映画館に行くならあっちの入口の方が近いんじゃない?」
北口が近くなってきた時、美桜が西側を指さしながら言った。
大型ショッピングモールなだけあって東西南北で出入り口が分かれているため、行きたい店が決まっているのであればその店に近い入口から入るのがベストだ。
まあ、何度も来たことがないとどこに何があるとかはわからないだろうけれど小さい頃からよく来ているのできっとみんな映画館の場所も頭に完璧に入っているんだろう。
「そうだな。西口から入るか」
俺が返事をする前に美桜の隣にいた西神が言った。
俺が言いたかったのに。なんて不満に思いながらも彼の言葉に黙って頷き、西口へと向かった。
エスカレーターを上って3階の一番端にある映画館へ着くと、キャラメルポップコーンの甘い香りが鼻を掠めた。
映画館の薄暗い雰囲気、ポップコーンの香り、壁に飾られている上映予定のポスター、映画館に足を運ばないと味わうことのできないこの雰囲気が俺はとても気に入っていて好きだった。
今日は休日ということもあってか家族連れやカップル等で賑わっていた。
「俺、チケット買ってくるわ」
ちょっとでもスマートなところを美桜に見せたくて、そう言いながら発券機へと向かう。
ポチポチと指示通り画面を押して4人分の座席を選択する画面へと切り替わった。
確か美桜と佑香は真ん中で観たい派だからレディースファーストってことで、座席は真ん中で決まりっと。
だけど、確認ボタンを押す前に俺はふと動きを止めた。
―――いや、待て。なんで俺は美桜が真ん中で観たい派だということを知っているんだ。
どの映画を観たいかという話はしたけれど、座席の話なんてしなかった。
なぜ、俺は何も考えることなく、美桜は佑香と同じだと判断したのだろう。
まるで美桜が映画は真ん中で観たい派だと最初から知っていたみたいだった。
「……俺の勘違いかな」
そうだ。きっとそうに違いない。
本人に直接聞いたわけでもないのに俺が無意識的に考えたことが合っているとは限らない。
どこか腑に落ちない違和感を感じながらも、発券機に人が並び始めていることに気がついたので迷っている暇はないと真ん中の座席で4人分のチケットを購入した。
「はい、これチケットな」
「ありがとう」
一人ずつ適当にチケットを渡していき、同時に料金も受け取る。
「……ありがとう」
西神にも、もちろんチケットを渡したけれど西神は俺のことを真っ直ぐに見ようとはしなかった。
俺、なんかしたかな……?
そう思いながらも西神の隣に立っている美桜へと視線を移した。
「佑香は座席真ん中派って知ってたんだけど、美桜は違った?」
そして、美桜にチケットを渡す前にそう尋ねた。
すると、美桜は一瞬目を大きく見開いて驚いたけれどすぐに表情を戻して「わたしも杉藤さんと同じだよ」と答えた。
「そっか。なんかそんな気がしたんだよな」
あはは、と笑って見せたけれど、内心は俺もビックリしていた。
まさか、本当に俺の勘が当たっていたなんて。
「櫂ってば、怖いよー」
そう言いながら美桜がおどけたように笑う。
「まあ、きっとたまたまだよ」
横にいた佑香がそう言うと、美桜は「たまたまじゃないとさすがに笑えない」なんて小さく笑いながら俺が持っていた残り2枚のチケットの内、1枚を抜き取った。
「ほら、映画と言えばポップコーンでしょ。予告が始まる前に買いに行こうよ」
眩しいくらいの笑顔を浮かべながら売店の方へと先に歩き出した美桜。
その瞬間、脳内でふと会話が再生された。
―――わたしね、映画館で流れる予告を観るも好きなんだ。
―――え、なんで?
―――スマホやテレビで観るのとでは当然聞こえ方も観え方も違う。それって映画館でしか味わえないから特別な気がしない?
―――まあ、俺は――と観る映画だったら何でも特別だけど。
そこで会話は終わって、現実の世界へと引き戻された。
ただ、肝心の名前を言っている部分だけはノイズがかかって聞こえなかった。だけど、脳内で再生された声はどこか美桜の声に似ていたのだ。
似ているというだけであって本人だと言う確証なんてどこないもない。なぜなら音声だけでは誰なのかが判別できないあからだ。
一体、誰だ。誰なんだ?これは誰の記憶なのだろう。
俺とこの人は何か関係があるのだろうか。
どうして俺の脳内で知らない人の知らない会話が再生されたのだろう。
仮にもし美桜だったとしても仲良くなったばかりの俺と美桜が会話しているんだ。
いくら気になっていて好きだと言っても会話まで想像するのはさすがにやばい気がするし、想像にしてはやけにリアルだった。
よくわからない状況に一人で困惑して動けずにいると後ろからポンと肩を叩かれ、慌ててそちらに視線を向けるといつの間にか西神が立っていて「ボーっとしてないで行くぞ」と言いながら美桜のいる売店の方へと歩き出した。
それから俺たちはポップコーンと飲み物を買って「なんで映画館のポップコーンってこんなに美味しいんだろうね」なんて4人で他愛もない会話をしながら1番スクリーンへと向かった。
劇場内に入ると、すでに人がまだらに座っていたけれど幸い、俺たちの座る席はまだ誰も座っていなかった。
誰かが先に座っていると、前を通る時に申し訳なくなるんだよな。
そんなことを考えながらチケットに表示されている“F10”の席を探して階段を上る。
美桜と隣同士で座れるだろうか。
男女で別れて座ったとしても、誰かは男女隣同士で座ることになる。
美桜と西神を隣同士にしてあげた方がいいんだろうか。
きっと、美桜の幸せを願うのであればそうするべきなのだろうけれど生憎、俺はそんなに優しいやつじゃないので何とかそれは阻止したい。
奥に女子たちが座って美桜が手前だったのを見てから俺は不自然にならないように西神より早く座席の間の通路に入った。
これで美桜の隣は死守できたはずだ。美桜がどう思っているかは別としてだけど。
持っていた飲み物をドリンクホルダーの中に入れてから折りたたまれている椅子を下ろして、座る。
すると、美桜が少し驚いたように目を見開いた。
「……嫌だった?」
その表情をみて、そんな言葉が口を突いて出ていた。
美桜は俺の隣は嫌だったよな。せっかく好きな人と隣同士で座れるチャンスだったのに。
心の中で押し寄せてくる罪悪感に飲まれていると、
「嫌なわけないじゃん。ちょっとびっくりしただけだよ」
きっと不安が顔に出てしまっているであろう俺を安心させるかのように優しく目を細めて笑った。
「そっか。なら、よかった」
単純な俺は都合よくその言葉を信じて、笑顔を返した。
映画館の座席の距離が近いことはわかっていたけれど、好きな人が隣だとこんなにも近く感じるんだ。
少しでも手を動かせば当たってしまいそうな距離に鼓動が早鐘を打ち始める。
映画に集中しないといけないのに、これじゃあ右側で美味しそうにポップコーンを頬張っている美桜にしか意識がいかない。
チラリと隣に座っている美桜を盗み見る。
彼女はポップコーンを持っている手を口の前で止め、スクリーンに映し出されている予告映像をじっと見つめていた。
その横顔は見とれてしまうほど綺麗で美しく、俺が今カメラを手に持っていたら間違いなくシャッターを切っていただろう。
まあ、そんなことをしたら今度こそ『盗撮だ!』と言って怒られてしまうかもしれないけど。
当たり前に隣に座ることが許されて、美桜の綺麗な横顔を無条件で見つめていることが許される権利がほしい。
美桜の恋人になれたらどれだけ幸せなんだろう。
なんて、叶いもしない想いを膨らませながら美桜に気づかれないうちに俺もスクリーンへと視線を向けた。
約二時間後。
エンドロールが終わり、徐々に明るくなった劇場内で人がゴソゴソと動いているのが歪んだ視界に入ってくる。
「櫂、泣きすぎだよ」
なんて、美桜が笑いながらポケットティッシュから抜き取った数枚のティッシュを隣から俺に渡してくれる。
そのティッシュを受け取って、じわりと滲む涙を拭う。
「まじ感動したわ」
そう言った声はまだ潤んでいた。
始める前は隣の美桜に意識がいってしまっていたのにいざ映画が始まると、一つ一つのシーンに見入ってしまうほど良い映画で気づけば夢中で観ていた。
そして、隣に美桜がいることも忘れて大号泣してしまい上映が終了した今、少し恥ずかしい気持ちになっている。
でも、本当に感動した。きっと、心が揺さぶられるというのはこういうことのことを言うのだろう。
人が人を想う気持ちがすごく丁寧に繊細に表現されていた。
久しぶりにいい映画を観たなあ。
俺が今まで見た映画の中でもトップ3に入るくらいよかった。
確かにこれは泣けると話題になるわけだと心の中で納得をする。
「ほんと感受性豊かだよね。わたしより泣いてるじゃん」
そう言った美桜の頬にはわずかに涙の跡があり、瞳もいつもより潤んでいる。
自分が泣きすぎて美桜が泣いてるのに気づかなかった。いや、気づいたところで何かあるわけじゃないけどさ。
「まあ、そこも俺のいいところって感じ?」
冗談っぽく笑いながら言うと美桜が「いや、自分で言わないでよ」と小さくクスリと笑って俺の肩を軽く叩いた。
ああ、この笑顔をずっと守りたい。ふとそんなことを思った。
美桜と一緒にいると心がじんわりとあったかくなってどうしようもない愛おしさが胸に込み上げてくるのだ。
人を好きになるって、こんな気持ちなんだな。俺は初めて知ったよ。
一人で恋をするということを実感していると、
「わたしはあんたが泣きすぎて泣くに泣けなかった」
後ろから佑香が呆れたような声が耳に届いた。
「うるせえ。勝手に涙が出てくるんだからしょうがねえだろ」
そう言いながら椅子から立ち上がり、それぞれ空になった容器を持ってぞろぞろと歩いていく人たちに着いていくように歩き始めた。
「俺もお前が泣いてたから集中できなかった」
劇場内から出たすぐのところでボソッと前から聞こえた声を俺の耳は聞き逃さなかった。
「え!?西神までそんなこと言うの!?」
予想外すぎる言葉に思わず俺は驚きの声を上げた。
それでも、疑問に満ちた表情を浮かべた西神は俺の方を振り返って「あんなに泣くもんか?」と言った。
いやいや、お前には人の心っていうものがないのか?西神よ。と、言いたいところだけど世の中には色々な考え方や捉え方があるのだから一概に西神のことを否定するわけにはいかない。
「お前なー、俺はピュアなんだよ」
そう言いながら西神の肩に手を置いて隣を歩く。
すると、西神は「バカの間違いじゃないのか」とにんまりと口角を上げて、意地悪そうに微笑んだ。
「くぅ~~!ムカつくけどお前、賢そうだからなんも言えねえのが悔しいな」
実際の西神の成績はまったく知らないけれど、雰囲気から賢そうなのが滲み出ている。
きっと俺よりも賢い。
それに俺は自分が頭が良くない自覚があるしな。
だけど、俺の言葉に西神はなぜかきょとんと目を丸くして驚いていた。
え?なにその反応は。
「……そこは普通怒るところじゃないのか」
バツが悪そうに俺から視線を逸らして足元を見る。
「え、そうなの?」
「そうだと思ってた」
ということは、西神は俺を怒らそうとしていたってことか?
でも、なんで?と疑問に思ったけれど、その疑問は後ろから聞こえてきた愛しい人の声を聞いてすぐに消えた。
もしかして西神も美桜が好きとか……?だったら、俺の勝ち目なんてさらに無くなってしまう。
「なあ、西神ってさ……好きな人とかいるの?」
「は?」
彼は何を言い出すんだとでも言いたげに眉間にシワを寄せて怪訝そうに俺を見た。
勇気を出して言葉にしてみたのに西神の反応は俺が予想していたものより随分と冷めた反応だった。
「いや、いきなりごめん。ちょっと気になってさ」
なんて、少し温度の下がった空気を必死に戻そうとおどけたように笑って誤魔化す。
確かに特に仲良くもなく、今日初めて話すような奴にいきなり好きな人はいるのかというデリケートな話題をぶつけた俺が百パーセント悪い。
「お前はどうなんだ?」
「俺?俺はいるよ。あ、これ内緒な」
まさか自分に返ってくるとは思っていなかったから少し動揺しながらも素直に答えた。
すると、西神は俺の瞳をじっと見つめるなり「ふーん」とだけ言った。
長い前髪の間から覗いてる西神の瞳は氷のようでひどく温度がないのに、その目に見つめられるとなぜだか魂が抜き取られてしまいそうな感覚に陥るから不思議だ。
「ふーんってなんだよ!」
「いや、なんでもない。まあ、安心しろ。俺には好きな人なんていないし、これからそんな人が現れる予定もないから」
西神は迷うことなく、きっぱりと言い切った。
まるで自分の運命を知っているかのように。
「そんなに言い切らなくても……」
「俺には友達や大切な人……誰かを想うなんてことはできない。俺はお前たちとは違うから」
そう淡々と言った西神の瞳はどこか悲しげで、胸がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
「違うって俺ら何にも変わんないじゃん。西神がほんとはいい奴だって俺は知ってるぞー」
西神はクラスでも一人でいることを好んでいるようだけど、誰かが困っていたらさりげなく手を差し伸べているところを復学してから何度か見たことがある。
そういえば、西神って高1の時は何組だったんだろう。
「……お前は本当の俺を知らないだけだ」
そう吐き捨てるように呟くと、西神は俺を置いてスタスタと一人で先に歩いて行ってしまった。
本当のお前のことなんて、もちろん知らないよ。
だって、俺ら出会って間もないんだから。
それでもこれから少しずつお前のことを知っていけたらいいなって、友達になれたらいいなってそう思っているんだ。
美桜のことは抜きにして、単純にお前と仲良くなりたいから。
映画を観終わった後にゲームセンターなどで遊んでいたらショッピングモールを出る頃にはすっかり日が暮れていた。
最初は謎なメンバーでぎこちなかった俺たち4人の空気は半日一緒に過ごしたからなのか今ではそれなりにそれぞれ仲良くなっていた。
「そろそろお開きにしますか」
俺の言葉に他の三人が静かに頷いた。
今日は美桜とあんまり話せなかったから送るのを口実に二人きりになれないかな。
なんて思っていると、
「ねえ、櫂。わたし今日はお姉ちゃんのところに泊まるから一人で帰れる?」
佑香がスマホを操作しながら言った。
きっと、お姉ちゃんに連絡しているんだろう。
「俺を何歳だと思ってんの?普通に帰れるわ。ていうか、佑香こそちゃんと辿り着けんの?」
「お姉ちゃんが迎えに来てくれるし大丈夫。じゃあ、わたし先に帰るね。みんな今日はありがとう!またね!美桜ちゃんと西神くん!」
軽く手を振って駅の方へと走り出した佑香に「また学校でね!佑香ちゃん」なんて言いながらぶんぶんと勢いよく手を振っている美桜。
今日でだいぶ距離は縮まったと思ったけれど、いつの間に名前を呼び合うようになっていたんだ。まあ、それは喜ばしいことだけどさ。
「送っていく」
佑香を見送って、西神が美桜に向かって言うと「ありがとう」と美桜は顔色一つ変えずに返事をした。
このままだと、二人は一緒に帰ってしまう。俺は美桜と二人きりになれずに今日が終わってしまう。
西神に恋をしている美桜にとって俺は邪魔者なのかもしれないけれど、どうしても俺の方を振り向いてほしい。
俺の中で美桜は失ってはいけないピースと同じで、絶対に欠けてはいけない存在なんだ。
「あ、俺!そっちに用事あるからついでに美桜のこと送っていくよ」
咄嗟に口から出た言葉は我ながら苦しい嘘だと思う。
「え……?」
突然のことに美桜はぽかんと口を開けて驚いている。
こんな時間から一体何の用事があるのだと言われれば、きっと俺はまた嘘丸出しの回答しかできないだろう。
なんて言葉が返ってくるかドキドキと鼓動を高鳴らせながら手に汗を握る。
「それなら三春に送ってもらえ。俺は帰るから。じゃあな」
ポーカーフェイスを崩すことなく、西神はそう言うとくるりと背を向けて家までの道を歩き始めた。
「え、ちょ……」
困惑している美桜を見ていると、罪悪感にさいなまれそうになる。
だけど、これで俺が美桜と二人きりになれるんだ。
「ごめん。俺、どうしても美桜と二人で帰りたくてさ」
なんか美桜に謝ってばかりだな、と頭の片隅で考える。
「ううん。送ってくれてありがとう」
「じゃあ、行こうか」
俺の言葉に美桜が頷いたのを確認してからすっかりと薄暗くなった帰路を歩き始めた。
「今日めちゃくちゃ楽しかったなあ」
「楽しかったね!櫂はめちゃくちゃ泣いてたけど」
「おいー、そればっかり言ってくるなよー」
クスクスと肩を揺らして笑う美桜。
そんな彼女にまたしても胸がトクンと甘い音を奏でる。
「そういうところに女の子はギャップを感じてキュンってするかもしれないよ」
「美桜も?」
「さあ?どうでしょう?」
答えは濁したまま、意味ありげに含み笑いをする。
「教えてくれてもいいじゃん」
「やだねー」
「なんでだよ。ケチ」
その回答次第では俺にも可能性があるかもしれない。
すると、美桜は顎に手を置いて少し考え込んでから何か思いついたようにハッと顔を上げた。
「櫂が今まで撮った写真、見せてくれたら教えてあげる」
名案だとでも言いたげに得意げに笑う。
俺からしてみれば、ただ恥ずかしいだけで全然名案ではないのだけど。
「恥ずかしいわ」
一応、カメラのデータはスマホにも移してあるから今見せようと思えば見せられるけれど、やっぱり少し恥ずかしい。
コンクールなどで大勢の人に見てもらうことよりもたった一人の好きな女の子に見せる方が緊張するなんてどうかしているかもしれないけど。
この前、桜の木の下で撮った美桜の写真はまだ移していない。勝手に移していいものなのかと迷っているから。
「じゃあ、教えなーい」
「わかった。見せるから。絶対教えろよ」
「おけぴよ」
「なんだよ、その怪しい返事は」
絶対、ふざけてるだろ。でもそんなやり取りさえもどこか懐かしく感じるのはどうしてなのだろうか。
なぜだか、美桜とこの道を二人で歩くことが初めてのように感じない。
何度も、何度も歩いたような気持ちになるのだ。美桜と二人でこの道を歩くことなんて今日が初めてなのに。
「うるさいなあ。いいから早く見せてよ」
ほらほら、と俺に向かって手を差し出してくるから仕方なくポケットからスマホを取り出してフォルダを開く。
そのまま美桜の小さな手のひらの上に置いた。
「ありがと」
美桜は嬉しそうに頬を緩ませながら大切なものを見るかのような優しい眼差しで写真を見つめ、ゆっくりとスクロールしていく。
「大したもんは映ってねえよ。俺がいいなと思ったやつしか撮ってねえし」
彼女がスマホを見ているため、完全に手持ち無沙汰な俺はそばにあった石ころを蹴飛ばした。
最初は勢いよく飛んで行った石ころも次第にスピードを失くし、少し先で止まった。
―――今の俺のようだ。
なんて、さすがに悲劇のヒロインを気取りすぎているか。
俺は写真を撮ることが好きで、大人になったらそれを職業にして生きていきたいと思っている。
誰にも話したことがないけれど、夢だってある。だけど、それは叶えられるのだろうか。
高校二年になった今、色々と現実が見える年齢になってきたからこそ、先の見えない未来に不安を抱いて最近はシャッターを切るのが怖くなった。
カメラを構えても“今だ”と思う瞬間が現れないのだ。
俺はあれだけ好きだった写真に自信がなくなった。自分が撮る写真は誰かの心を動かすことができるのか。ましてやそれで食べていくなんてことが果たして可能なんだろうか。
考えて、悩めば悩むほど俺はシャッターを切れなくなった。
そんな時、久しぶりに撮りたい、と思ったのが美桜だった。
美桜をこの瞳に映した瞬間、自分でもよくわからない感情が溢れ出そうになって話したこともない彼女に釘付けになり、目が離せなかった。いや、離したくなかったのだ。
自分がすごく大切にしていたものを失くして、それをやっと見つけたような気持ちになった。
正直、撮りたいと思って数秒後にはもうシャッターを切っていて、盗撮だとわかっていても高ぶる感情には逆らえなかった。
そして、その日の放課後にあのポエムの書かれた付箋を見つけて今に至る。
「わたしは櫂が撮る写真、全部めちゃくちゃ好きだけどなあ」
俺が物思いにふけっていると、隣からうっとりしたような声が耳に届いた。
好き、か。
色んな人に今まで何度も言ってもらったことのある言葉で嬉しいはずなのに今の俺は素直に喜べない。
「……例えばどういうところが?」
気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。
そんなことを聞いたって何にもならないのに。美桜を困らせるだけだ。
「櫂が切り取る世界って美しいだけじゃなくて、写真を見てると心があったまるっていうか、すごく優しいんだよね。それはきっと、誰よりも優しい櫂にしか撮れない写真だと思う」
彼女は春の陽だまりのように柔らかい笑顔をこぼしながら俺に言った。
その笑顔を瞳に映した瞬間、霧がかかっていた心に一筋の光が差し込んだ気がした。
美桜の優しい表情からその言葉に嘘偽りがないことが伝わってきたからなのかもしれない。
俺にしか撮れない写真、か。
そんなものが本当にあるかどうかは自分ではわからないけれど、彼女の言葉を聞いて沈んでいた気持ちが少しだけ浮上したような気がした。
「ありがと。なんか元気出たわ」
「元気なかったの?」
「んー、最近の将来の夢って叶うのかなとか色々考えてたらさ、どんどん悪い方に考えちゃって」
なんで俺は美桜にこんなことを話してしまっているんだろう。
誰にも言えずに悩んでいたのに、不思議な魔法にかけられているかのようにするすると言葉が出てくる。
「そっかあ。この年齢になると進路がチラつくもんね。大人に近づけば近づくほど、人って臆病になるらしいよ。守るものや守りたいものが増えるからなのかなあ」
確かに美桜の言う通り、大人に近づけば近づくほど人は一歩を踏み出さなくなる。
躊躇して安全な道へと選ぶのだ。
それはきっとみんな何かしら壊したくないものがあるから。今の生活だったり、未来を生きる自分のこと、家族のこと。
人それぞれだけど、みんな失敗して大切なものが壊れてしまうのが怖くて人の後ろをついて歩いていくのだ。
俺だってその一人にすぎない。
「……俺さ、夢があるんだ」
「夢?」
突然の俺の言葉に美桜はコテンと首を傾げた。
大丈夫。美桜はきっと俺の壮大な夢を笑ったりしない。
口に出して笑われるのが怖くて親にすら言えず、ずっと胸に秘め続けていた夢。
「うん。誰にも言ったことなかったんだけど俺、世界中の色んな景色や人の写真を撮ってみんなに届けるのが夢なんだ」
それを世間ではカメラマンやフォトグラファーという。
俺が切り取った世界の美しさを、景色を、その中で生きる人々をいつか写真集にして世に出したい。
そしてまだ世界を知らない人たちに届いたらいいな、なんて大きすぎる夢を抱いているのだ。
「素敵な夢だね。いつか叶うよ、きっと。そしたらその時はわたしに世界中の写真を見せてね」
キラキラと眩しいくらいの笑顔を浮かべながら「友達の特権ってやつ!」とVサインを俺に向ける。
「まあ、楽しみに待ってて」
その時は“友達の特権”ではなくて“恋人の特権”になっているといいな、と思いながら俺もVサインを返した。
美桜に肝心の答えを聞くのを忘れたことを思い出したのは家に帰った後だった。
―――まるで運命に導かれるみたいに俺たちは出会った。