「おまたせ」
パシャっとしぶきが跳ねる。靴下が濡れた。
雨粒でストレート化してしまった髪をぶるぶると振るこの男のせいだ。
打ちつける雨にぴったりの形容は、ザーザーでもしとしとでもないような気がした。
この男と過ごす日の雨は、少し、違う音をしている。
「なんで傘持って来ないかなぁ」
「そんなん決まってんじゃん。すうちゃんと相合傘、するためですけど」
透明なビニール傘を奪い取ってしまったその男は、なんでもないそぶりで二人分の肩を傘の中に入れた。
パラパラ。
繊細な音がする。
そうか、雨の音はこれが正解か。と、頭ひとつ分高い彼の横顔を見つめながら思った。
「デート、しよっか」
「……嫌って言ったらどうするの」
「言わないよ、透雨ちゃんは」
「わかんないじゃん」
「だって好きじゃん」
何に対する『だって』なのか、さっぱり分からなかった。
好きじゃん、も何を意味しているのか分からない。
*
この男と出会ったのは、ちょうど二ヶ月前の雨の日のことだった。
「傘、ないんですか」
どうしてだったか。今となっては、あの時どうして声をかけようと思ったのか思い出せない。
けれど雨の中にたたずむ、少しやつれた表情の彼が、まわりからひどく浮いていたことだけは鮮明に覚えている。
特別なところなんて何もなかった。ピシッと決まったスーツを見に纏い、彼は必然的に雨の世界に存在していた。
たったそれだけだったのに、私のピントは彼にしか合っていなかったのだ。
「よかったら、これ。私ここから近いんで」
差し出したビニール傘をじっと見つめて、それからゆっくり視線をあげた彼。そこで初めて目があって以来私はおかしなことに巻き込まれている。
───ようは、彼を好きになったのだ。
自分でも単純だと思う。これが世間一般で言うところの一目惚れというやつだろう。
戸惑いつつもビニール傘を受け取った彼は、くしゃっと笑った。目尻に皺ができる笑い方で、それもまた私の好みだった。
「ありがとうございます」
「いえ。それじゃ」
私の最初で最後の一目惚れは、あっけなく散った。そう思っていた。
「あの。よかったら少し、付き合ってもらえませんか」
こちらに傘を傾ける彼に、そう声をかけられるまでは。
「私で、いいんですか? でも、どうして」
「なんとなく、引き留めなきゃいけない気がするんです」
運命とは、最初から決まっていた巡り合わせのことだとするならば。
私は彼との出会いを、"運命"と呼びたいと思ったのだ。