「離婚したく思います」

 その言葉と共に私は深く頭を下げる。

「つきましては四宮家との婚約解消を……」

 日中のせいか人通りは多く、すぐに「なんだなんだ」と野次馬がぞろぞろと出てきた。
 まるで枯れ木の隙間にいる白アリみたいだ。娯楽に飢えた人間はこうなってしまうのか。当事者なら嫌がる癖に、他人事となれば誰彼構わず耳目を象の鼻のように伸ばしてくる。
 
 嫌な視線。それはすぐに輪になって、私と離婚を告げられた相手──四宮忠敬(しのみや ただたか)さまを中心に集まっていく。

「何の騒ぎだ。幸、顔を上げてくれ」

 忠敬さまはしっしっと虫を追い払うようにするが、人々の興味の方が勝っているのだろう。譲歩しましたよと言わんばかりに1歩程度後退したあと、ひそひそと憶測を話すような声が聞こえてきた。

「はい」

 私は言われた通りに顔を上げる。
 日傘の影に隠れて全容は見えないが、忠敬さまの顔はすんと落ち着いていた。

 しかし目を凝らすとよくわかる。困惑するように眉が曲がっている。
 突如告げられた身勝手な離婚の申し出に、その心中は察するにあまりない。

 ──不可解。
 その文字が的確だろう。

「説明してほしい。俺が帰ってきた途端、急に離婚とは何事だ」

 こうして顔を合わせて会ったのは3年も前だろうか。

 四宮忠敬(しのみや ただたか)
 四宮家の長男で、才色兼備という言葉が最も合う人間。
 才能にも溢れ、美貌にも優れた彼は将校として国のために働いている。

 清廉で触れがたく、所作をする度に優美な鐘がしゃりんとなりそうな高貴さ。
 この世に存在するだけで誰からの羨望を集める人間離れした存在がそこにあった。

 欠点はどこにも見当たらない。

(何度見ても私には似つかわしくない……)

 妻になった経緯が特異だったのもあるが、私は忠敬さまの隣にふさわしい人間でないと常々思っていた。むしろ私が妻としていることが欠点になってしまうのが申し訳ないくらいだ。

 実際、欠点だと思われていたのだろう。
 結婚当時に言われた言葉をいまでも思い出す。

「安易に能力を人に見せるな。なるべく引きこもっていろ」

 忠敬さまは、それだけ言って都に出ていってしまったきりだった。
 まさか2度目の再開がお別れになろうとは思いもしなかったけれど。

「異能がなくなってしまいました。お役に立てず、申し訳ありません」

 簡素に理由を述べ、再び頭を下げる。

 これは社交的辞令的なものだ。
 異能のない私がここにいていいはずがない。忠敬さまに話しかけていいはずがない。

 元々、不釣り合いの恋だったのだ。
 いまさら理由を言っても見苦しいだけだ。

 誰も信じてはくれない真相を隠して、私は懇願する。
 いまにでも走って逃げたいくらいだけど、それは出来ない。

 妻が無断で夜逃げしたとなっては、四宮の名に傷が付いてしまう。
 だから私は謝ってお願いするしかないのだ。

「誠に身勝手かと思いますが、離婚させてください」

 伸ばしていた髪の毛が垂れる。
 そう地面に言いながら、私は今日までのことを思い出していた。

 夢のような日々を過ごすまでの私の境遇を。

 ………
 ……
 …

 一体何が起きたのか。

 私は思い出していた。
 走馬灯のように、私の身に何が起きてしまったのかと思い出していた。

 思えばあの頃からだったのだろう。

 子供の頃、私は村で一躍有名な人となっていた。
 何より育ての親であった竜乃が、あのような形で死亡してしまったのだから無理はない。

 私からしてみれば、ただの自殺だったのだが、村にはその考えはひとつぽっちもなかった。代わりに竜乃は発狂死したのだという噂が流され、

 あの子は呪われている。
 いつかこの村も呪われてしまうのではないか。
 そもそも見知らぬ孤児を拾ってきた竜乃がわるい……。

 そして様々な噂話が囁かれる中、ある話が村人の中で強く根差していった。
 幸は年齢も適齢に近い。私の年をいくらか偽り、村から嫁に出そう。

 それが決定事項になったのは空気でわかった。
 何よりその頃から村の大人たちに『指導』を受けることになったのだ。

 村人たちが考え得る作法、どこからか引っ張ってきた書物の知識……房中術と銘打ってここでは言えないようなことも教えられた。
 うまく出来ない日は食事を抜かれ、小屋に閉じ込められたこともあった。

 すべては……良家に嫁がせるため。

 そのような日々が続いたある日、私は特別なちからに目覚めていた。
 人間は強烈なストレス下におかれると、自分を守るため人格が複数できる場合があるとも聞く。

 その例にならって、私も進化したのだ。
 人間には持ちえない超常のちから、後にそれが異能と呼ばれているものだと知った。

 未来予知。
 先の未来を見渡せる特殊能力だ。

 発動条件は人の目を見ること。
 見ることで、これから起こる不吉なことをより早く知れるようになった。

 しかしそれが当時役に立ったか……と言われると怪しいところではある。
 特に厳しくしてきたおじさんが転んでケガをしたり、大雨に降られたのを先に知れたのは愉快だったくらいか。

 とはいえ、得体のしれない村から出てくる嫁など何処も引き取ってくれるわけがない。
 大体の家には昔からの繋がりというのがあり、産まれる前からどこに嫁ぐのかが決まっているほど盤石なものだからだ。

 お見合いが幾度もなく失敗し、思惑が外れた村は「あの家なら引き取ってもらえるんじゃあないか」とある家に人を飛ばした。

 結局、村の問題児を引き取ってくれたのは四宮家の人間だった。どうやら代々伝わる龍の家系である四宮と村は何百年経っても切れない関係があったらしい。

 表では言えないがどうやら四宮家は龍を祀っていて、私たちの村から巫女を遣わす代わりに恩恵を受けていたというのだ。巫女という関係上、その娘は嫁として迎え入れられる。数日後には生贄として山に放られるのだが、一時は体裁上の妻になるわけだ。

 条件として異能を授かった者としていたらしい───村人は異能の存在を理解しておらず、条件は焔翡翠(えんひすい)の櫛が赤く光るかどうかを判断基準にしていた──今回は私が能力者のため、不運にも適合してしまったというわけだった。

「幸、お前がいかような力を持っていたとしても外には出るな。欲しいものは何でも与える」

 それが忠敬さまとの出会いだった。
 昔の因縁を引っ張り出されて私のような使えない人間を娶るなんて、誰だって嫌だろう。

 かわいそうな人だ。私に異能がなければ、先祖があんな村と契約していなければなかった婚約をさせられるだなんて。

 そして忠敬さまは1週間もしないうちに京へ遠征に行ってしまった。

「外に出るな……って言われても……」

 実際、私の生活は恵まれていた。食べたいものを言えば、その日の夕飯には出るし、読みたい本があれば、その本が当日部屋に差し入れされる。

 村での扱いと打って変わった扱いに私は困惑していた。ぼろぼろだった指も爪も、髪もすべてが別物のように綺麗になっていく。まるで過去の私なんてなかったかのように。いまでは日中に本を読む余裕さえあるのだ。

 私は、この恩を返したいと考えるようになった。

 ……ほどなくして私は占いを始めることにした。
 天から授かったこの異能に慣れたいというのもあるが、何よりも忠敬様へのお役に立ちたい一心からだった。

 四宮家の一角を借りているので、外に出ないという約束は破っていない。
 ……屁理屈を言うな、と叱られたけれど。

 事業は好調で、その後「無理して優しくする必要も、視る必要はないんだぞ」という忠敬さまの言葉もあり、町では知る人ぞ知る当たりやすい占い師程度にはなっていた。当たるも八卦当たらぬも八卦くらいがちょうどいいのだ。

 一方で、忠敬さまは悪いことが見えてしまう私のことをひどく心配してくれていた。

「例えば、殺される未来予知をした場合はどうなる?気持ち悪くならないか?」
「……ええまあ。刺されたのならその箇所がきゅーってなりますが」

 と答えたのが良くなかったのかもしれない。
 実際のほとんどは悩みを持った人たちのカウンセリングであったけれど。

 それから私は定期的に忠敬さまへと文を送る日々が続いた。
 長く京に滞在していることもあってか、私との連絡手段はこれしかない。

 忠敬さまは私の力を認めてくれたようで、仕事を手伝うようになっていた。
 未来予知の結果とあやかしの出現場所、どのような様相かをしたためる。

 悪いことがわかる私と、あやかしを討つ部隊を指揮している忠敬さまの相性は抜群だった。元々優秀だった忠敬さまだったが、この情報によってより戦果を挙げているそうだ。

 彼の役に立てていることが何よりも嬉しい。
 最後に決まったように"愛しています"と一文を添える。

 彼からの返信は"ご苦労"程度しか戻ってこないのはわかっているけれど、返信が届くのは愛されている証拠だ。
 
 私は筆の乾いた手紙を畳むと、近くに通りかかった侍女にそれを手渡した。

 ………
 ……
 …

 【羽柴(はしば)ツグミの独白】

 羽柴家は四宮家に並ぶ良家だったが昨今の努力だけではままならない事情により、落ちぶれかけている。人間が得られる最大のちから、神秘ともいうべき異能の不作に悩まされているのだ。

 だからそんな出自である私であっても奉公に出されてしまう。
 跡継ぎに関係のない三女となればなおさらのことだった。

 私にも異能がある。
 言ってしまえば、人の異能を奪う模倣能力。

 発火の異能を持つものから盗めば、発火させることもできる。
 水泡の異能を持つものから盗めば、水流を出せることもできる。

 ただし、模倣最中は元の持ち主の能力が使えなくなる。
 ……何とも器用貧乏な能力だった。

 そもそも稀な異能──動物と話せたり夜が昼のように見えたり──は上層とも呼ばれる家々が囲んでいる。聞くところによれば、不思議な力の噂を聞き逃さないために各地に諜報を入れてる家もあるのだとか。

 そういう人に目をつけられていない時点で、私のちからはたかが知れている。力を奪うことでしか活躍することが出来ない上に、やれることも派手とは呼べず物足りなさが勝る。

 中途半端な私にお似合いの異能だった。

「いたっ」
 
 井戸の水は年を通して冷たい。麻縄を握る機会の多い水場の仕事をしているせいか、指は傷だらけだ。爪にやすりがけをしたのも、もう何年も前の事だろう。自慢だった髪の毛も、邪魔だったので切り落としてしまった。
 
 なぜこの私が、下女のように水汲みをしなければならないのか。
 羽柴の人間なのに。異能を持っているのに。不満は募っていくばかりだ。

 ──さて。
 それが、いままでの私だった。

 引きこもりのあいつが未来予知なんていう力を持っているのを知ったのは従順な召し使いをしている時だ。彼女は周りを信頼しているのだろう、定期的に手紙を書いては通りすがりの人間に渡しては"届けておいて"と頼むのだ。

 お前の立ち位置を狙ってる人間がいるとも知らずにだ。
 そういうところも、ムカつく。お姫様気取りしてるところが鼻につく。

 忠敬さまは、目敏いお方だ。
 もし盗み見をしたものならすぐに発覚してしまう。

 だからいままで見たくても開封することはなかった。
 しかし、今日の手紙は封が緩い。

 いまはその無警戒さに感謝するしかない。
「誰かも知らない下女に渡すなんてね」思わず悪い笑みがこぼれてしまう。

 指で軽くこすると、紙が歪んで封が開いた。
 これなら中身を見れるだろうと思い、私は手紙に目を通す。

 一通り読んだところ、これはなんだ、と私は憤慨した。

 手紙には未来に起こる出来事の詳細が描かれている。
 書かれている日付はどう考えても、1週間後のことだ。

 未来のことがわかる異能?
 一見してみれば、家の隅で占い師をしていることから違和感はない。

 一方で忠敬さまは最近めきめきと実績を積み重ね、様々な民を救っていると聞いている。
 もし本当に未来予知を持っているとするならば……合点がいく。

 ただひとつ疑問がある。
 ここまで詳細に見れるのなら、なぜ占いは百中じゃない……?

 私の周りで不吉なことが減ったという感覚はない。
 しかし、この能力があればそうすることも可能ではないか。

 意図的にしているのだとしたら……
 あいつは未来を知りながらも"当たらない"占いをしているということになる。

 それで人々からお金を巻き上げているのだ。
 女神さまのように扱われて。

 意識しなくとも、悪女という言葉が頭に浮かんできた。
 彼女の力が本物なのか、偽物なのか。

 数日もすればこれが本物かわかるはずだ。
 もし本物ならば……さしたる方法で糾弾しなければならない。

 ………
 ……
 …

 忠敬さまから手紙が返ってこなくなったのは最近のことだった。
 いままでも返ってこないことはあったが、連続して返ってこないとするとお忙しいと理由付けをして納得は出来ない。

 顔を見せてはならないと言われている私が大手を振って出ることは憚られる。
 行ったとて、迷惑になるだけだ。

 誰かに頼む……?
 でも誰に……?

 考え事をしながら硯を擦る。
 返事はなくとも、忠敬さまへ手紙にしたためるのは習慣になってしまっていた。

 ふいに「きゃっ!」と声がし、膝に墨汁をぶちまけてしまう。
 ……いや声がしたような気がした。

「うっ……」

 直後頭に映像が流れ込んでくる。
 まるで目の前で見たかのような現実味のある映像。

 煙たさが鼻腔に溜まり、目が沁みる。
 川を挟んだ反対岸の建物から火柱が見えている。

 あそこは蔵……だっただろうか。
 四宮の屋敷には高い塀があるが、そこから火が見えるのだとすると、かなりの大火事だ。

 水をかけるよりも早く、全焼してしまうだろうか。
 ごおごおと音を立てて、大きな焚火のように蔵が燃えていく。

 じじっと映像が乱れ、場面が飛ぶ。
 目の前に見える蔵の様子から火事から時間も過ぎているようだ。

 そして焼け焦げた蔵を前に笑っている女性が見えた。

 ……いや女性と認識したのは髪のせいだ。
 もしかしたら変装しているのかもしれない。

 ここからじゃわからない……。
 といったところで映像が止まる。

「ふぅ……」

 ぽたり、と汗が紙に垂れ、黒いシミが出来る。
 墨で汚れてしまった着物に目線を下げながら、私は先程の映像を思い出していた。

 占い師をしていて気付いたことがある。
 私の持つ未来予知の能力は、2つの場合が存在している。

 1に意識してする未来予知。
 こちらは漠然とした内容で予知といって差し支えないもの。

 助言をすれば多少は変えられる未来。
 人生を大きな幹と例えるならば、あってもなくても変わらない枝のようなもの。

 こちらは人の目を見ればより詳しく見れるが、以前のように視なくても出来るようになった。忠敬さまに渡しているのはこの情報だ。

 2は先ほどのように突然再生される未来予知。
 こちらはほとんど確定した未来を否が応にも見させられる。

 条件はわからない。
 正直、能力と言っていいのかもわからない。
 感覚も現実に近く、悪夢を見た時のように全身に汗をかいてしまうことも度々だ。

 全焼した蔵、その目の前で笑う女性のような人。
 あれは本当に火の不始末だったのだろうか?

 映像を思い出しながら日にちを割り出す。
 念のため、蔵付近に雨水を貯めておくように助言しておこう。

 ………
 ……
 …

 【羽柴ツグミの独白2】

 目の前が真っ赤に燃え広がる。
 長年使っていなかった模倣能力の練習として、調理場にいるやつから能力を奪ってやった。いまごろ調理も出来ず風呂も沸かせず困っていることだろう。
 
 燃やすところはどこでもよかった。
 この暗澹たる気持ちが発散できれば、それでいい。

 私は確認するように手を握ったり開いたりする。
 意識をするだけで、火や水を出せるなんて本当に不思議だ。

 人間は消費するだけだというのに、どう考えてもこれは生成されている。
 どこからその火はやってくるのか。水は近くの水路からなのか?他の能力は……

 研究者気質な脳からは、様々な疑問がわいてくる。

 ……よくよく考えれば、これは完全な犯罪にも使える。
 問い詰められたときに発火能力ではなく、他の能力にしていれば私は無罪だ。

「馬鹿と鋏は使いようって言葉ありましたねえ……」

 いままで無駄だ、いらない能力だ、と言われていた過去が燃えて煙になって登っていく。
 下女の生活をしたことで、私の精神は逞しくなっていた。

 私は、未来予知によって人生を変えられる。
 我慢する必要はない。真っ当に善人の味方をしていれば、いい。

 あいつに出会えたことも、あのとき手紙を渡されたことも、いま思えば運命だったのだ。
 私に与えられた能力はそのための能力。

「いいですよねえ、特別な異能持ちは。それだけで食べていけるんですから。ボロ布団で寝ることも、指のあかぎれも知らないお姫様?」

 これで私も羽柴に認められる……。
 後は実践あるのみだ。

 四宮は異能を持つことが嫁ぐための条件だと聞く。
 嫁ぐことは難しくても、いいカモには出来るだろう。
 
 ………
 ……
 …

 残念ながら蔵の火事は防ぐことが出来なかった。
 というより、当たるかどうかの占い師の身分で出来ることは限られている。

 せいぜい注意程度だ。
 信じてくれる総数がいなければ話にならない。
 おかげで人的被害はなかったそうだけど、屋敷まで流れてきた煙は正真正銘本物だ。

 私は無力を感じていた。
 起こることが知っていたとしても、何も力がなければ防ぐこともできない。
 
 誰かに頼らなければ、意味のない能力であることは承知していた。
 忠敬さまが何でも出来る人間だからだろうか、それがとてつもなく歯がゆい。

 事件と言えばもうひとつあった。異能の不調だ。
 火が使えない、水が出せなくなったと調理場では重宝される(それだけで採用されるほどの)能力が使えなくなったという事件が近辺で起きた。同じ人物には起こらなかったため、大事にはいたらず不思議な現象として囁かれていた。

 いまとなればわかる。
 異変は、あの時すでに起きていたのだ。

 未来予知を駆使しながら真相を探るなか、魔の手は私にも及んだ。
 いや掴んではなそうとはしなかった。私もとうとう能力が使えなくなったのだ。

 ……厄介なことに、他の人と違い1ヵ月が経とうとしても調子が戻る気配がない。
 いままでのように見ようとしても見ることが出来ないのだ。

 (もしかしたら使用回数があったのでは?)

 予知なんて人間にしては強大な力だ。
 悪いことを予知できて、多少の未来なら変えることが出来る。

 普通に考えたら、ずっと与えられるような代物ではない。

 (なら私はそんな貴重なものを……?)
 と、絶望にも似た何かが当時の私の頭を堂々と巡っていた。

 思考が滞ってしまったのには、ひとつ私に恐れていることがあったことが関係している。それは、この身分になれたのは未来予知の異能がすべてであったことだ。
 
 そもそも始まりからして、異能があったからこそ繋がったような身だ。
 なければ私は忠敬さまに愛されることもなく、四宮家に娶られることもなく、こうしてたくさんの物に囲まれることはなかった。

 そして忠敬さまにとって、私の未来予知だけがここに置く価値だったのだ。
 少なくとも私はそう考えていた。条件からしても、そうだろう。

 それがいま、突然なくなってしまった。
 どう忠敬様に説明すれば良いだろうか。

 どうしたら私を置いていてもらえるだろうか。
 いや、ただの𧏚潰しが妻だとしたら……忠敬さまの迷惑になってしまう……。

 不安が。不安が押し寄せてくる。
 足場がとたんに崩れるような、綱渡りの最中、崖の真ん中で命綱が切れてしまったかのような喪失感が私を襲う。今の私は無価値だ。

 そして私は引きこもるようになった。
 私は思いつくことをすべてやった。寝てみる、日光に浴びる、座禅……。

 それでもなお、私の能力は使えない。
 正直生きた心地がしなかった。

 いまだ忠敬さまからの返事はない。
 
 ……きっともう愛想が尽きてしまったのだ。
 利用価値のない女など捨てられてしまう……。

 絶対に当たる占い師が街に出てきたのだと聞いたのは、たぶんそれから後の事。いや外界を途絶していた私の耳に入るくらいなのだから、もしかしたらもっと前からいたのかもしれない。

「幸さんも、ツグミ様に占ってもらってはどうですか?」

 新しく入ってきた子に誘われて、おそるおそる外に顔を出す。
 ……その中心にいたのは、見覚えのある顔だった。

「あっ、そこの段差転ぶので気を付けた方がいいですよ」
「水がかかるので、もう少し中央側に行きましょう」

 彼女はまるで見ていたかのように、道行く人に声をかけていく。
 それが当たっては、周りから歓声があがっていた。

 明らかに妙だ。
 ……まるで、先を見ているような。

 そこで私は、ハッとする。

 ……私は、手紙を誰に渡していた?
 同じ人ばかりに渡してなかったか?

 手紙を書く時間は決めていなかったけれど、大体の予測はつく。
 狙おうと思えば、十分狙うことは可能だ。

 私はツグミ様と呼ばれている女性を咄嗟に詰めよる。
 彼女は「はぁ」とため息をついて、占いをしているのだという館に私を誘った。

「返して」
「いやだなあ、暴力はダメですよ」

 私は部屋に入った途端、強い語気で言うが、彼女の表情はびくともしない。
 むしろ嘲笑するように私の手を振り払う。
 
「どうやったのか知らないけど、それ私の、だから」
「いけませんねえ、疑うべきは罰せずですよ。四宮幸さん」

 にへらと不気味に口角をあげる。
 
「な、なんで私の名前を……っ」
「いやあ、やっぱり四宮に取り入った悪女は違いますね。下で働いてる人のことも覚えてないと」
「……」
「それに貴女と違う証拠はありますよ?貴女と違って、私は必ず当たるんです。ホラ吹きの貴女とは大違いだと思いませんか?」

 もし物品を盗られたならば名前が書いてあるかもしれない。
 特別な素材だったと言える証拠があるかもしれない。

 でも誰もが持っているわけではない、いや周知の事実でもない異能が盗られたとして誰が証明できるだろうか。ましてや私は直接言いはせず、あくまで占いの範疇で済ませていた。それまで異能を盗む異能があるだなんて思ってもみなかったのだ。

「くくっ。じゃあ私にも商売がありますのでね。いちゃもん客に時間をとってられないんです。あ、これあげますよ」

 ツグミはたくさんの物品がある机の上からあるものを手に取る。
 透明で、覗くと私の顔がより歪んでみえる。ちいさな水晶玉だ。

「西洋の占い師はソレを使って未来を見るそうです。私には、もういらないので。あ、そうだ、旦那様にも伝えたほうがよろしいんじゃないですか?私はもう使えなくなりました、ただのゴミ同然ですって。バレる前に離婚を申し出た方がいいんじゃないですかねえ?びくびくしながらしがみついてるの、みっともないですよ?きゃはは!」

 ……侮辱の数々。
 しかし、私には何もない。力も何も。能力がない私は空っぽだ。

 それに、どこか少し彼女の言葉に納得していた。
 こんなに恐れるくらいならば、自ら手を引こう。

 もしかしたら厄介な私がいるから忠敬さまは、ここに帰ってこれないのだ。
 私はもう足手まといなのだから……いざぎよく目の前から去ろう。

 とぼとぼと力なく部屋に戻る。

 私は久しぶりに忠敬様へと手紙を書いた。
 "会ってお話したいことがあります"と一文のみを添えて。
 
 ………
 ……
 …

「ですので離婚申し上げます」

 顔を下げてから幾ばくかの無言の時間が続いた。
 もしかしたら、実時間は1分となかったのかもしれない。

 これまでの経緯を思い出し、妙にすっきりした私の頭には時間の感覚がない。
 これがもし異能同士が戦った結果とするならば、私は完敗したのだ。

 私は、四宮家の妻としての自覚が足りなかった。

 何も考えたくない。
 これから先のことも、これから投げかけられるであろう言葉も。

「ひとつだけ聞いてもいいか」
「…はい」
「先ほど、なくなってしまったと言ったが……それは本当か?」
「……はい」

 忠敬さまは「そうか」とだけ言って黙る。
 次にくる言葉は……。いやいい、何があっても、はいと答えればいい。

「まず結論を先に言おう。お前と別れるつもりはない。離婚なぞもってのほかだ」
「はい……はい?」

 思わず顔をあげてしまう。

「い、いまなんと……?」
「離婚するつもりはないと言ったんだ」

 気付けば忠敬さまは、すぐそばにいて私のことを抱き寄せていた。
 呆けて開いた口を人差し指で閉じさせると、そっと微笑み私にしか聞こえない小声で確認してくる。

 口元は日傘で隠れている。
 私のためだけの言葉だ。

「少し前に起きていた異変については聞いている。いや正直に言えば、調べさせていた。調理場での不調、全焼騒ぎ、次はお前の能力が使えなくなった。それとここにお前より当たる占い師が現れたと。それらはすべて繋がっていると俺は思う」

 思いがけない言葉に息を詰まらせる。そうだ、その通りだ。
 いま目線の先にいる、野次馬のなかでニタニタと笑う女が私の能力を奪ったのだ。

 何かしらの方法で。
 忠敬さまは、そこから考えるにだな、と一拍置き、

「──使えなくなったのではなく、奪われてしまったのではないのか?」
 
 と言った。

 どうせ言っても伝わらないだろうと思っていた。
 だから言わずに去ろうとしていたのに、忠敬さまは見事言い当てたのだ。

「そ、そうです、奪われてしまったのです……!」
「そうか。すぐに駆けつけられずすまなかった。仮にも夫だというのに情けない」

 後の事は俺に任せてくれ。
 そう言って忠敬さまは、日傘を閉じ、しんとした大衆へと目線をやる。

 ここには……と口を開くのと同時に、

「な、なに2人で話してんのよ!別れるって話じゃなかったの!?」

 例の彼女──ツグミが野次馬の中から勢いよく飛び出てきた。

「……呼び出すまでもなかったか。弱っているコイツを誑かしたのはお前だな?」

 ちゃき、と腰につけた剣に手をかける。
 忠敬さまは脅しのつもりだが、それだけでもかなりの殺気が立っている。

「そ、そうよ?自信なさそうにしてたから、助言してやったの。別れるべきだって。こんなやつ、忠敬さまも迷惑でしょう?」

 ふん、と腕を組み、口ではいつも通りを振舞ってはいるが身体は完全に慄いていた。
 証拠に認めなければいいものを、開口一番に認めてしまっている。

「残念だったな、見ての通りそのつもりは毛頭ない」

「なっ!なんで!?そいつは能力もないしなにも守れない役立たずなのよ!?しかも、田舎くさいとこから出てきた名字もないような人間!本来、四宮の人間が付き合うような間柄ではないはずよ!」

「まず、勘違いしているようだが妻として相応しいかどうかは俺が決めることだ。それに異能がなくても、俺は幸のことを愛している。それにいまは"四宮"というちゃんとした名字がある。間違いなく四宮の人間だ」

 より強い力で抱き寄せられる。
 あやかしを断ち、お国をも守る細くも筋肉質な腕。その胸の中に私がいる。

「離婚はしない。コイツは……四宮幸は俺の妻だ」
「へ……っ」

「なっ……!!!!」

 忠敬さまは大衆の前で、強調して宣言するように大きく言った。
 離婚劇を見たかった野次馬も、ツグミが劣勢となるやいなや興味を失くしたのか散り散りと去っていく。

「確かに、この数年はお前の能力が不可欠だった。
 でもだ。それだけがお前の価値じゃない」

 一拍おいて忠敬さまの細長い指が頭を撫でる。
 私にしか見えない、慈しみのある表情にどきりとしてしまう。

「俺はお前のことを愛している。お前の言葉だから、信じてここまで来れたんだ。異能がなくなった程度で離れるつもりはないさ」

 忠敬さまは、私が離婚をお願いしたときと同等の……それ以上の真剣さで言う。
 目線が交差する。凍ってしまった心を溶かすような熱い視線。

「だからお願いだ、二度と離婚なんて言わないでくれ」
「忠敬さま……」

 いていいんだ。
 私はこの人の隣に……。

「はっ、2人とも惚けた頭してるわね!バッカじゃないの?そのまま夜までよろしくやってればいいわ!」

 ツグミは呆れた、という風に踵を返し帰ろうとする。
 そのまま無傷で帰ろうとした彼女を忠敬さまは見逃さず、釘を刺すように怒気を込めて言った。

「おいそこの盗人。ただで帰れると思うなよ?お前は私の妻を公衆の面前で侮辱したんだ。その償いはきっちりとらせてもらうからな」
「ひっ!そ、そんなのハッタリよ!そんな言葉だけで私が怖がるとでも?」
「そう思っていればいいさ。いずれわかることだ」
「~~~ッ!」

 ツグミは地団駄を踏むと、言葉にならない負け惜しみを言って去って行った。

「……ふぅ。ごめんね、あんまり口での戦いはなれてないんだ。人間相手というのはあやかし相手よりも厄介だよ。あやかしは斬ればいいからね」

 忠敬さまは、ほっと息をつく。
 いつもより厳しめの口調に感じていたのは、演技だったのだ。
 
 忠敬さまは日傘を再び差すと、私を傘の中へと手招いた。
 彼女がいなくなったことで、私は純粋な疑問を投げかける。

「私、愛されてたんですね」
「……そうだが」

 忠敬さまは照れくさそうにそっぽを向くが、耳が赤くなっているので意味がない。
 私は、そんな忠敬さまが一層愛おしくなっていじわるをしてみた。

「忠敬さまは結婚して以来、私を置いて都に出たっきりでしたから…。私は異能で置かれているだけで愛などなくて、あちらで他の女とよろしくやっているのかと思ってました」

「なっ……幸、それは違うぞ。まず俺はお前を認めている。その賢さや器量の良さをな。他の誰よりも信頼しているからこそ、ここを任せられると思ってだな……」

 何個か言い訳を述べた内に、
 しかし伝えきれてなかったのなら、伝えてないのも同然だよな……と小さく呟き、

「ここは明らかにしておこう。俺は、お前のことを相棒としても親友としても妻としても愛している。人間として好きなんだ。だからお前がいないと…俺がだな…困る…。能力なんかなくてもいい。それは俺がもっと頑張ればいい話だからな。だから、俺の前からいなくならないでほしい」

私は伸ばされた手を握り返そうとするが、自信がない。
確認するように、私は忠敬さまに目を合わせるように顔を向ける。

「……こんな私でも、ですか?」
「お前じゃないと駄目なんだ」
「……もちろん、私で良ければ」

先程握れなかった手を、ぎゅと握る。
……暖かい。

「よって先程の発言はなかったことにする。異論は?」
「ありません」

 何ヵ月にも渡る謎と四宮家の離婚劇はこうして幕を閉じた。

 ………
 ……
 …

 能力が戻ってきたのは、それから約1ヵ月のこと。
 以前のように、意識すると映像や次に起こることが見えてくる。無事異能が戻ってきたのだ。

「何をしたんです?」

 あれから忠敬さまは、よく帰ってくるようになった。
 能力がない私を置いて行くのは不安と口と言ってたが、少し詰めたところ「今回の事で守れていなかったことを痛感した」と言っていた。

 現に京で忙しくなる日は私を連れて行ってくれることも増えてきた。ここまでされると、愛しているというあの言葉が本当だったのだと実感が湧いてくるというものだ。

「なに、調査して証言したまでだよ。蔵が火事になった事件、あっただろう」
「はい」
「それで捕まった女の行動記録を調べたところ、冤罪だったことが判明してな。後の結末は、わかるかな?」
「戻ってきたということはそういうことですか」
「能力の乱用自体もあまり良く思われなかっただろうね。一応、国としては異能の存在は隠しておきたいものだし。何かがあって手放したと考えるのが妥当だろう」

 国は異能を隠匿している。それは聞いたことがあった。
 この国では古書の時代から異能が産まれていて、それらによって発展を遂げてきた。

 言わずもがな、力を持つという言葉通り、それはやがて上層となった。
 なぜ頂点に君臨し続けることが出来るのか。答えは単純で、異能を持っているからだ。

 それを隠匿してきた国にとって異能の存在は知られてはならないものだ。
 四宮家という上層にある家に嫁いだからこそ麻痺していたが、本来は厳しく情報統制が行われている。

 つまり安易に使い過ぎると……私も……

「幸も戻ってきて嬉しいんじゃないか?」
「よかったようなよくないような……」

 何はともあれ。
 私は相変わらず部屋にこもり、書物を読み漁る日々が続いている。

 どうやら戻ってくるまでは、使用されていた期間に比例するようだ。
 能力のない普通の女の子としての生活も良かったけれど、やっぱり好きな人の力になりたいから。

 今日も未来を読む。
 忠敬さまと過ごす平和な未来を祈って。