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 世界なんて変わらないと思っていた。
 真っ黒でひどく淀んだ薄汚い世界が、ずっと続いていくと思っていた。

 母さんの話によると、俺は幼い頃から人見知りがすさまじかったらしい。
 朔は公園に行ってもお母さんから離れないし、お友達が一緒に遊ぼうって言ってくれてもお母さんの後ろに隠れるし、大変だったんだから──などと困ったように言いながら、だけどどこか楽しそうに微笑むのだ。
 覚えていないし思い出したくもないが、たぶん母さんは話を盛っていない。聞かされていた当時は幼さゆえの男のプライドを持ち合わせていたから、そんなわけないよ!などと必死に反論していたが、今となってはまあそうだろうなと納得できてしまう。
 人と関わることは今でも、いや、今の方があの頃と比べものにならないほど苦手だからだ。

 幼い頃、俺の世界は母さんがすべてだった。
 父さんはほとんど家にいなかったし、きょうだいもいないし、近所に同じくらいの子供もいない。母さんは就職を機に地元を離れ、詳しい事情はわからないが家族や友達とも疎遠らしかった。そうした環境で育った俺は、子供だろうが大人だろうが関係なく、母さん以外の人間との接し方がわからなかったのだ。
 だけど、寂しくはなかった。母さんは底抜けに明るくてパワフルでお喋りで、俺たちはいつも笑っていた。たまに怒ると怖いが、俺が謝ると必ず抱きしめてくれた。

 俺が三歳のときに母さんは父さんと離婚して復職し、俺は保育園に通うようになった。行きたくないと毎日大泣きしていたらしいが、俺を預けられるような知り合いがいなかったため、他に選択肢がなかったのだとのちに聞いた。
 友達を作ることも先生に心を開くこともできず、ただただ母さんの迎えを待ち焦がれていた。教室の窓から外を眺め、正門に人影が現れるたびに飛び上がり、母さんじゃないことに落胆する。それを繰り返すうちに、俺以外の子供がひとりふたりと減っていく。閉園時間が過ぎても母さんは現れず、俺はいつも先生以外に誰もいなくなった教室で夜を迎えていた。

 ──朔、遅くなっちゃってごめんね!

 母さんが走ってくるたびに、遅いよもう、などと文句を言いつつ半べそを掻いて母さんに抱き着くのだ。ごめんね、と言いながら、母さんも俺をぎゅっと抱きしめてくれた。

 ──今日はなに食べたい?
 ──ハンバーグ!
 ──またー? 一昨日もハンバーグだったよ?
 ──だっておいしいもん!

 笑い合いながら、手を繋いで家路についた。
 寂しくて、だけど優しくて、温かい日々。
 そんな毎日がずっと続くと思っていた。
 わけがわからず暗闇に放り出される日が来るなんて、あの頃の俺は想像もできなかった。