「なんで謝るの? 楠木さんのせいじゃないよ」
「そんなわけない。私のせいだよ」
「俺が勝手に手出しただけだから、気にしなくていいよ。怪我だって大したことなかったし、もうほとんど治ってるし。包帯なんか巻いて大げさだよな。それに俺、左利きだから問題ないよ」
大げさ、なんだろうか。
本当に大丈夫なんだろうか。傷ってどれくらいで完治するんだろう。
「……ほんとに?」
「ほんとほんと」
風早くんはのんきに笑いながら、痛くないとアピールするように右手を振った。
「そっか。なら……」
よかった、と言いかけたとき、敦志さんと亜実ちゃんの会話を思い出した。
「嘘、だよね」
「へっ?」
「風早くんが帰ってくる前に、亜実ちゃんと敦志さんが話してたの。怪我が治ってないからケーキとラテアートはまだ無理だって。敦志さん、縫った、って言ってた。それって風早くんのことだよね?」
目を見張った風早くんは、私から顔を逸らした。
やっぱりそうなんだ……。
「本当に……ごめんなさい」
「いいって。ケーキ作りもラテアートも単なる趣味だし、ほんとに大した怪我じゃないから」
「でも、縫ったんだよね?」
「一か月も前の話でしょ。もう大丈夫だよ」
「だって……じゃあなんでまだ包帯巻いてるの?」
「それは、その、あれだよ。傷痕はまだ残ってるから、あっちゃんが隠しとけって」
一か月経っても傷痕が残るほどの怪我が、いや、そもそも縫うほどの怪我が大したことないはずがない。あっさり信じようとしたのは、できれば軽傷であってほしいと願っていたからだと気づいた。自分の罪悪感を減らすために。
もう一度謝ろうと空気を吸い込んだとき、
「てか、朔でいいよ」
唐突に言われ、吸い込んだ息が唇の間からひゅっと抜けた。
「ほ、ほら、カゼハヤクンって長いし言いづらくない? 語呂が悪いっていうか」
なんだか急にロボットみたいな動きになったし、やけにどもっている。
風早くんがあまりにも不自然に笑うから、反射的に言葉を呑んでしまった。
無理にでも話を戻してもう一度しっかり謝るべきか、和ませてくれたこの空気を守るべきか。
「そんなことないよ。爽やかでかっこいいと思う」
少し悩んで、後者を選んだ。
私があの日のことを思い出したくないように、風早くんも話したくないのかもしれない。
「そ、そっか。けど、ほら、朔の方が短いし言いやすくない?」
「うん、わかった。じゃあ朔って呼ぶね。だったら私も茉優でいいよ」
「わかった。じゃあ、ま、ま、まま茉優、ね」
名前呼びを提案してくれたのは風早くん改め朔なのに、ちゃんと呼べるのだろうか。
「じゃ、じゃあ、よかったら連絡先とか交換しない?」
朔がポケットからスマホを取り出して私に向けた。
差し出されたスマホを見ながら、頭の中で言い訳を考える。
「あの……ごめん。スマホ、家に忘れてきちゃって」
「そ、そうなんだ。じゃあしょうがないか。よし、うん、暗くなってきちゃったし、早く店に帰ろう」
朔はスマホをポケットに収納し、すぐさま私に背中を向けて、繋ぎ目が錆ついたロボットみたいな動きで歩き出した。
少し痛んだ胸に手を当てて、動悸を落ち着かせるため深呼吸をして、朔のあとを追った。