君がいたから、壊れた世界が輝いた


 茉優と別れて家に帰ると、あっちゃんがいつも通り笑顔で迎えてくれた。
「おかえり。学校どうだった?」
「え? べつに普通だったけど」
「そのわりににやついてるし顔赤いけど」
 隠しきれないことが悔しい。にやつくのも顔が赤いのも当然だ。
 ──朔がいてくれて、よかった。
 とびきりの笑顔でそんなことを言われて、平静でいられるはずがないのだ。思い出したらまたにやにやしてしまう。
 本当は、最初に打ったメッセージにはもうひと言添えていた。
『茉優のことが好きです。いつかまた、茉優が思いっきり笑った顔が見たいです』
 前半は、送信する直前に削除した。
 この店で会うようになって、ふたりでいろんなことを話してきた。俺たちはまだ始まったばかりだ。気持ちを伝えるのはゆっくりでいいだろう。いくら伝えたいことは伝えなければいけないとわかっていても、タイミングというものがあるし、……どうしても勇気が出ないことだってある。
「一応言っとくけど、おまえが学校抜け出したって連絡あったからな」
 余裕でばれていた。知ってるなら、学校どうだった?なんて白々しく訊いてくるな。
「ご……ごめん。ちょっと、いろいろあって」
「べつにいいけど、おまえもすっかり問題児だな」
「……ごめん」
「いいって、学校サボるくらい。学生時代しかできないことだし、それもまた青春」
 やっぱりあっちゃんはなにも言わない。
 いつだってそうだった。俺を迎え入れてくれたときも。
 若くして血が繋がってすらいない子供を養子にするなんて、俺の想像を絶するほどの困難があったに違いない。だけど、それについてあっちゃんの口から一度も語られたことはなかった。
「ずっと訊きたかったんだけど。あっちゃんはなんで……俺のこと引き取ってくれたの?」
 コーヒーを淹れていたあっちゃんの手が止まる。
 しばらく天井を見上げてから首をひねった。
「正直、自分でもよくわかんないんだよ。気づいたらそう言ってたっていうか。いや、もちろん軽い気持ちで言ったわけじゃないけど。……おまえと話してたとき、なんか、聞こえた気がしたんだよな」
「え? なんて?」
「助けて、って」
 声にならない叫びが、届いていた。
 真っ暗闇の中で、見つけてくれた人がいた。
 幼い俺を覆っていた闇が、ゆっくりと晴れていく。
「……うん。言ってた」
「そっか。勘違いじゃなくてよかった」
 あっちゃんは目を細めて、ほっとしたように微笑んだ。
 ずっと、怖かった。
 いつかあっちゃんが結婚して子供が産まれたら、俺は必要なくなるんじゃないかと心のどこかで思っていた。だから、いつかあっちゃんが俺から離れていく覚悟をしようとしていたのかもしれない。
 ──全然似てない。
 何度も言われてきた言葉に何度も傷ついたのは、血が繋がっていないことを誰よりも気にしていたのが俺自身だったからだ。
 ──朔と敦志さんはそれだけ一緒に過ごして、一緒に笑ってきたんだよ。そんなの、間違いなく家族だよ。
 血の繋がりなんて関係ない、とまでは言えない。だけど、あっちゃんがそんな人じゃないことくらい、もうとっくに、他の誰でもない俺が一番よくわかっているはずなのに。俺たちはずっと、家族だったのに。
 ──俺んとこ来るか?
 七年前に手を差し伸べてくれた瞬間から、ずっと。
「あっちゃん」
 背筋を伸ばして、あっちゃんに体を向けた。
「今までずっと、血が繋がってもいない俺のこと育ててくれてありがとう」
「は? まさかおまえ、ここ出てく気か?」
「違うよ」
「じゃあなんだよ急に」
「今言わなきゃなって思った。いつか絶対に、恩返しするから」
 あっちゃんはめちゃくちゃ訝っていた。当然だろう。いつもくだらない話ばかりで、こうして真剣に向き合ったことはほとんどない。
「いいよそんなの。言ったろ、おまえが生きててくれるだけで十分だって」
「でも……俺になにかできることないかな」
「じゃあ、二十歳になったら一緒に酒でも飲もう」
 あっちゃんはどこまでもあっちゃんだ。きっと今後も俺になにかを要求してくることはない。
 だったら、やはり自分から言わなければいけない。
「ふたつ、お願いがあるんだけど。」
「ん?」
「卒業したら、本格的にこの店を手伝いたい。それでいつか、この店継いでもいい?」
 緊張のあまり語尾が震えた。
 あっちゃんは珍しく目に見えて驚いている。
「おまえ……いいよべつに、気遣わなくて。ただの趣味だって何度も言ってるだろ。おまえはおまえの好きなように……」
「違うよ。俺がこの店を継がせてもらいたいんだ」
「そっか。わかった。助かるよ。けど、もし他にやりたいこと見つけたら遠慮せずに言えよ」
「うん。ありがとう」
 心なしかあっちゃんが嬉しそうに見えたのは、俺の気のせいじゃないだろう。
 もしかすると、あっちゃんも俺と同じように悩んできたのかもしれない。それはきっと、俺があと一歩のところで踏みとどまっていたからだ。
 今まで故意に空けていた距離を、これから少しずつ埋めていけるだろうか。
 願いを込めて、止めていた足を踏み出した。
「もうひとつは……すごい今さらなんだけどさ」
「もったいぶんなよ」
「父さんって、呼んでもいい?」
 話しながらも忙しなく動いていたあっちゃんの手が止まる。
 くるりと反転して俺に背中を向けた。
「なんか急に老けた気がするな」
「もういい歳でしょ」
「馬鹿言うな。男は三十からが本番なんだよ」
 あっちゃんは涙声だった。かくいう俺も、めちゃくちゃ必死に涙を堪えていた。
「そうだね。めちゃくちゃかっこいい、自慢の父さんだよ」
 俺たちは互いに背中を向けながら、涙を流し続けた。


END