「郁哉先輩に頭を下げた後は星河にたーーっぷり叱られてさ。『お前はそそっかしいんだからもっと注意して行動しろよ』って文句言われるし。クレームになったらどうするんだよって、ぐちぐちぐちぐち言って頭に角を生やしててさ。バイトが終わってから家に着く瞬間までずーっとだよ」
――翌日、二時間目後の移動教室の最中、私は教科書とノートを胸に抱えたまま昨日の出来事を波瑠に報告していた。
何度思い返しても、初っ端から気になる人の服を汚すなんて最悪。郁哉先輩に迷惑をかけてしまったから、きっともう二度と来店してくれないよね。
「へぇ〜。バイトが終わってから星河と家まで一緒に帰ってるんだ。仲良いじゃん」
「だって、家が隣だしバイトが終わる時間も一緒なら自然とそうなるでしょ」
「確かに。……でも、憧れの郁哉先輩と無事に出会えたね」
「まぁね。出会えたけど、最高じゃなくて最悪な方」
「印象深いきっかけがあればなんとかなるんじゃない? ほら、目の前から噂の郁哉先輩がやってきたよ」
「へっ?!」
波瑠から目線を外して正面に向けると、そこには郁哉先輩と友達二人が一緒に歩いている。お友達もなかなかイケメンだから、普通に歩いてるだけで映画のワンシーンのよう。
オーラを放っているお陰か、歩くだけで自然と花道ができる。うっとりと見つめる女子生徒。そして、私の目線も奪われていく。
すると、波瑠は空想から引き戻すように私の肩に手を乗せて言った。
「ねぇ、いまから賭けない? 郁哉先輩は昨日出会ったばかりのまひろを覚えているかどうか」
「えぇっ?! きっと覚えてないって」
「まひろは”覚えてない”に一票? 私は”覚えてる”に一票ね。負けた方が今日のジュース奢りだよ。じゃあ、試しに声をかけてきて」
「えっ、でも……、私にはあまりいい印象が……」
「いいから。ぶつくさ言ってないで行ってこーい!」
私は波瑠にドンッと両手で背中を押されて、郁哉先輩の二、三歩前で足を止めた。
もちろん頭の中は真っ白だし、申し訳なさで顔をあげられない。
すると、視界の中で彼の足が止まった。私はその合図で勇気を振り絞って口を開く。
「あっ、あの……。昨日はどうも」
「あれっ、昨日のイタリアン店の定員の……」
私は覚えててくれた嬉しさが込み上げて見上げると、郁哉先輩はにこりと微笑んでいる。
その途端、緊張してしまって再び目線を下げた。
「覚えててくれたんですね。……昨日は制服汚してしまってごめんなさい」
「大丈夫だよ。大したことないし」
「優しいんですね。嫌な想いをさせてしまったのに」
「別にわざと転んだ訳じゃなさそうだったから気にしないで。……えっと、君の名前は?」
「えっ…………。私の名前?」
物事が順調に進むどころか予想外の展開に目を丸くして顔を上げると、彼はこくんと頷く。
「二年C組の鶴田……まひろ……です」
「まひろちゃん……ね。気にしてくれてありがとう。またね」
彼はそう言うと、私の頭を二回ポンポンして通り過ぎていった。
私は佇んだまま教科書とノートを更にギュッと握りしめると、後ろで一部始終を見守っていた波瑠は飛びつくように私の肩を抱いた。
「私の勝ちぃ〜〜! じゃあ、ジュース奢ってね〜」
「先輩……、私のこと覚えててくれた」
「そりゃそうだよ。ジュースをひっかけられた翌日に顔を合わせてるんだから」
――まひろちゃん……か。
しかも、『またね』って。きゃああああっ!!
神様……。こんな幸運が訪れていいのでしょうか。最悪な出会い方をしたから嫌われちゃったかなって思ったりもしたけど全然そんなことなかった。芸能人に会えた時のような胸の高鳴り。最初は嫌な顔をされたらどうしようって思ってたけど、郁哉先輩は全然怒ってなかったし優しく接してくれた。その上、最後は私の髪に触れてくれて……。
「全っっ然、私の負けを認めるっ! 今からジュース奢るよ。早く走って! 次の授業間に合わなくなっちゃう」
「えっ、ちょ……ちょっと。急になによ。後でいいってばぁ〜」
「いいから、早く行こ!」
浮かれ気分になりながら波瑠の手を引っ張って渡り廊下を走った。郁哉先輩は私の嫌な印象が残ってるどころか、名前を聞いてくれるなんて幸せで笑みが止まらない。