身体が地面を捉えた衝撃と、押し寄せる吐き気に、俺は意識を手放しかけた。頭の中に響く玲の声が、かろうじて俺を現実に引き戻す。
「……っ!真琴!!」
玲の瞳には、堰を切ったように涙が溢れ、震える声で俺の名を呼ぶ。
「……ああ、悪かったな、心配かけて……」
そう言って、俺は身を捩って、この恥ずかしい状況から抜け出そうと身体を起こそうとするも、玲に抑え込まれる。
「ちょちょ、大丈夫なの?」
絶賛強い吐き気に襲われている俺は、そんな玲の力にも敵わず、押し戻される。
「大丈夫。まじで、貧血」
そう言って誤魔化そうとするも、玲は信じようとしない。
「……わかったって。ちょっと説明するにしても、この状況は話しにくいから、座って話していい?」
俺はそう言うと、玲は納得をしたようで、俺の身体をそっと起こしてくれる。そして、玲は俺と向かい合うように座り直した。
「……で?」
玲は前のめりになりながら俺の回答を急かす。
「まじで貧血」
ただ上手い言い訳を思いついたわけではないため、そう突き通すしかなかった。
「本当に言ってるの?」
玲は疑り深い。
「本当」
だけど、こればっかりは言えない。そして、貧血以外にいい言い訳なんて今の俺には思いつかない。
「……まぁ、貧血にしても早目に病院行きなよ」
玲は諦めたのか、俺から視線を逸らしてそういった。
「玲」
優しく彼女の名を呼ぶ。
「ん?」
玲の茶のかかった髪が風に揺れ、その瞳が俺の方を真っ直ぐ見つめる。
春の温かな風が、頬をかすめる。
青い空が俺等を見守る。
「好きだよ、玲。ずっと、君のことが好きだった。」
俺の声は、震えていた。
「……嘘」
さっきまで前のめりだった玲の身体が徐々に後ろに引かれ、そう呟くのが聞こえた。
「おいおい、それはひどくない?せっかくの人の告白を……って」
そう、俺が言っているさなか、玲のその大きくなった瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちてきた。
「なんで泣く!?」
驚きのあまり、俺は少し大きな声を出してしまう。玲の涙が止まらない。
「嘘……じゃない?」
泣きながら、玲はそうこぼす。どんどん小さくなる玲の身体。
俺は、そっと彼女を抱きしめた。二人の距離が、今までよりもずっと近くなった。最初は硬くなっていた身体も、背中をそっと擦り玲が泣き止むのを待っていると徐々に身体を俺に預けてきた。そんな些細なことでも嬉しくて、自然に口角が上がるのがわかった。
徐々に玲の身体の震えも落ち着いてきた時。そっと、玲は、自分に預けていた身体を離した。
「ごめん」
そう言って、自分で涙をぬぐう玲。
「うん」
まだまだ時間はある。
焦らなくていい。
ゆっくり、ゆっくり、玲が落ち着くのを持つ。
そんな時間も悪くないと思った。
屋上で胡座をかき、空を仰ぐ。
そっと目をつむる。
春の匂いを感じる。
そっと目を開けて、前を向く。
ちょうど、玲と目が合う。
思わず笑みが零れた。
「なによ」
鼻をすすりながら泣き腫らした目で俺の方を見てくる彼女。
そんな姿でさえもう愛らしかった。
「放送室で言ったこと俺本気だから。だから信じて」
俺を信じて。
頼って。
そう願い、俺なりに精一杯玲に手を差し伸べる。
どうか、どうか掴んで。
「私……」
一度、強く玲の口元が結ばれる。
玲の目線が下がる。
だが、何かを決したように、ゆっくりとその視線は上がってきて、俺の目をまっすぐ見てくる。
「迫田先輩から色々されてて」
言葉を選びながら、玲はゆっくりと話し始めた。
玲が___俺の差し伸べた手をぐっと掴んでくるのがわかる。何度もこれまで空振りだったその手が今、握られる。
「うん」
玲に対してしんどいことをさせているのは百も承知だった。
誰かに助けを求めるためには、ある程度自分の弱いところを他人に曝け出すということが必要で。
ただ、それはとても勇気がいることで、できれば見せたくなんてない。
掴んでくれた手。離さないよ。
そして待つよ。いつまでも。
逃げないよ、俺は_____一緒に戦うから。
「真琴が迫田先輩の告白を断ってからは少し接触回数は減ってはきたんだけど、だけど……」
「うん」
「前までは、SNSでとか、直接言うにしてもすれ違いざまに悪口とか言われてたんだけど、それがここ最近真琴や海がいないのを見計らったかのように迫田先輩たちに待ち伏せされてて。人気が少ないところで、私が真琴を誑かしてるんじゃないか…なんて、身に覚えのないこと言われてて」
「うん。それで……?」
玲にしては珍しく、話が途切れ途切れで、時系列あやふやだった。
それくらい、慣れていない。
誰かに助けてということに。
助けを求めるということに。
「迫田先輩の言うことは、身に覚えがないことばかりだったから、最初の頃は聞き流せてた。だけど、何度も何度もおんなじ内容を繰り返される、かつ直接面と向かって言われ続けて……」
静かに静かに、玲の目から涙がこぼれ落ちた。
「私、紫穂は守らなくちゃと思って。紫穂は私のそばにいるから迫田先輩たちから色々言われているのであって、元はと言えば私が、
」
玲は涙を零しながら、ゆっくり顔を上げて俺とそっと目を合わせ、そしてすぐに逸らした。
「うん。……何?」
俺がそう問うと、玲は目を伏せて、そして何かを決めたように再度俺の目をまっすぐ見てくる。
「私が……、真琴のこと好きで側に居続けることが悪いんじゃないかって……。だけど、離れたくなくて」
玲から溢れてくる涙の量が多くなる。
玲は地面に手をつき、ぐっと力を込めた。
「私、わがままなのかな」
そう言って、玲はそのまま俯いて涙を地面に落とし続ける。
その背中は小刻みに揺れていた。
この小さな背中に抱え込んでいた。
謂れのようない悪口で罵られ続けて、耐えて耐えて耐え続けていた玲。
初めて知った。
こんなにも抱え込んでいたことに。
こんなにも苦しんでいたことに。
こんなにも心が疲弊していたことに。
「玲」
俺はゆっくりと彼女の名前を呼ぶ。
彼女は顔を上げない。
下を向いて泣き続ける。
「ごめんな」
気づけなくて、ごめん。
こんなになるまで、隠させてごめん。
だけど
「ありがとう」
言ってくれてありがとう。
俺の手を信じて掴んでくれてありがとう。
俺の言葉を聞いて、玲は泣き続けながらも首を横に振る。
俺は玲の頭に掌を置いた。
「よく頑張った」
そういって、玲の茶色く柔らかな髪を撫でた。
徐々に落ち着きを取り戻す玲。
そして、涙をぬぐってゆっくりと顔を上げようとしたタイミングで俺は玲からそっとその手を離した。
「子供扱いしないで……」
そう、鼻をすすりながら言った玲はいつもの玲に戻っていて、思わず笑ってしまう。玲はそんな俺を見て「何笑ってるの」の恥ずかしげに鼻をすする。
「別に?」
そう言って誤魔化す俺。
それから俺は、改めて姿勢を正して座り直す。
「玲」
「ん?」
「俺と、付き合って?」
そう言って少し視線の下がった玲の目を見るように俺はそう言い放つ。
玲は、先ほどより驚くことはなく、少し間を空けた後、右手を俺の前に差し出してきた。
俺はその手を迷わず、自分の右手で握り、そして玲を少し力強く自分の方に引き付ける。
玲はあっという間に自分の方に引き込まれ、俺の胸の中に飛び込んでくる。
「ちょっ、こういうことしたいってわけじゃ……!」
多分だけど、玲は握手のつもりで差し出し来たんだろう。
「返事はイエスってことで解釈していい?」
自分の胸の中で戸惑う玲をよそに、そう彼女に問う。
少し間があってから、彼女の頭が縦に動くのが分かった。
思わず、抱きしめる腕に力が入る。
「ちょ、真琴」
玲の声が俺の耳をくすぐる。
自分でも、コントロールできないくらいの熱い気持ちがこみ上げてきそうな、そんなタイミングだった。
「___はいはいはい、いったんそこまでー」
聞いたことのある声が、背後から急に聞こえ、玲を抱きしめていた力が緩まる。
その隙に玲はまるで小動物かのように俺の腕からするりとすりぬけ、屋上の端の方にうずくまる。
声の方向を見ると、螺旋階段で上がってきたと思われる長谷川が、薄ら笑みを浮かべながら俺のほうに視線を向けていることに気が付く。
心の中で舌打ちを打つ俺。
タイミングというものを見図れないのか、この男は。
「絶賛青春中悪いんだけど、ちょっと教師としてさっきの話?スルーはできなくてね」
と、長谷川は屋上の端でうずくまる玲に一歩一歩近づき目線を合わせるためにしゃがみこんだ。
「で、えっと。証拠、ある?」
こちらから長谷川の表情はうかがえない。
ただ、玲は動じることなく、自分のスマートフォンを少し操作してから、ある画面を長谷川に見せた。
長谷川は、「おっけ、ありがと」とそういって立ち上がった。
「証拠はばっちりだし、あとは本人次第だな」
そうつぶやくように言ってから、長谷川は俺のほうへゆっくりと近づいてくる。
何しに来たんだよという質問を一瞬投げようとしたが、安易に想像できてしまったためその言葉を丸々飲み込む。
一緒にタイムリープしてきた長谷川。
俺と玲がここにいることなんて、前の世界で把握済みであえてこの時間帯を選んでリープした。
俺が玲から話を引き出すことができると信じて、俺らの話が聞こえる螺旋階段あたりで待機していたんだろう。
あの話、何もかも長谷川に聞かれていたかと思うと、長谷川のほうなんて恥ずかしくて見れなかった。
思わず目をそらす。
長谷川はそんな俺に構わず、俺の肩を2回ほど叩いて「よくやった」と、俺にしか聞こえない声でそう言って通りすぎた。
そしてそのまま塔屋のほうへ行き、何も言わずに屋上を出ていった。
しばらく呆然と、長谷川が出ていった扉を見続ける。
この後の長谷川の動向を想像する。
「……先生、迫田先輩のところ行ったのかな」
気づけば玲が俺の隣に立っていて、そうつぶやく。
「多分な」
長谷川の背中を見送りながら、そうつぶやく。
このまま、長谷川に迫田友華のことまでお願いしてもいいのか。
確かに今、長谷川に言われたことは成し遂げたし、ここから先は正直先生の領域の気もしなくもない。
だけど……。
「玲」
「ん?」
「さっき先生に見せてた証拠って、俺にも共有してもらうことってできる?」
俺がそういうと、玲は一瞬びっくりしたように目を見開いたが、何かを察したのか、自分のスマートフォンをいじり先ほど長谷川にも見せたであろう画像を俺に見せてくれる。
そこには、SNSのダイレクトメッセージに書き込まれた悪質な書き込み。
「これだけじゃ証拠にならないのなら、直接迫田先輩に詰められている時の録音したものもあるし。DM(ダイレクトメッセージ)に書かれてある内容そのまま話してたから、2つ突きつければ確実だとは思うけど」
玲はそういって、さらに自身のスマートフォンをいじってそれも聞かせてくれようとしたが、そこまであるのであれば確かに確実だった。
「ありがと。悪いんだけど、これさ俺に送っといてくれない?」
「え、いいけど。もしかして……」
「うん、ちょっとかっこつけてこようと思って」
俺はそういって、玲の頭をなでる。
「だから、子どもあつかいしないでって」
そう言って、玲は俺のことを見上げる。
その視線が愛おしかった。
俺はそのまま玲の腰に手を当て、少し彼女を持ち上げ、驚く彼女にそっとキスを落とす。
彼女は目を見開き、そのままその場で棒立ちになる。
そんな姿さえも愛おしい。
「じゃ、俺後で教室行くから。誰かになんか聞かれたら適当にごまかしといて」
そういって、俺は玲のいる屋上をひとまず後にし、階段を降りながら、ある人物に電話を掛けた。
相手はワンコールで電話に出た。
『___おお、真琴。どした?』
「海、あのさ、手伝ってほしいことあるんだけど」
『おー、何々?』
「今から、女王様のところに行こうと思ってさ」
『いいねいいね、んで、俺についてきてほしいと?』
「海の知恵を拝借したく」
『おっけおっけ。どこ行けばいい?』
「先生が先に女王様のところに行っているはずだから、2人をまず見つけるところから。俺屋上から下に向かって探していくから、海は下からお願いしていい?」
『おっけおっけ。じゃあ、見つけ次第連絡ってことで』
「ああ、じゃあそういうことで」
通話終了のボタンを押し、俺はそのままスマートフォンをポケットにしまう。
上から2人を探すといったが、本来この時間は授業中。
廊下は閑散としていて、教室からは授業の声が漏れてきている。
迫田友華がいるのは、彼女の教室か。それとも移動先の教室か。
長谷川が先を行っているのであれば、彼のことだ。
何かしらの理由をつけて彼女のことを教室から呼び出しているに違いない。
その点も考慮して、海には下からの捜索をお願いした。
3年の教室は、屋上に続く階段のあるフロア。
そして迫田友華のいるであろう教室は、その一番端。
俺らの教室の真上にある。
3年の教室まで来ると、迫田友華のいるであろう教室は、授業中だった。
ということは、長谷川が連れ出していなければ中にいるはず。
中で授業をしている先生にばれないように、教室の扉前でしゃがみこんで、扉のガラス窓から教室の中を覗き込もうとしたその瞬間。
「おい」
耳元で聞いたことのある囁き声が聞こえて、身を縮める。
声のほうを見れば
「んだよ、先生かよ」
長谷川が俺の隣にいつの間にかいて、俺と同じようにしゃがみこんでいた。
長谷川はそのまま俺を手招きして、廊下の隅の方に俺を呼ぶ。
俺はいったん中を見るのをあきらめて、長谷川のほうに向かった。
「何」
静かすぎる廊下で、ささやくようにそう長谷川を問う。
「迫田友華はこの教室にいた。けど、今教室には鬼塚先生もいる。そんな中、真琴行くのかなーって」
「え、先生。鬼ちゃんだから躊躇したわけ?」
「お前、そんな先生を臆病ものみたいに言わない。リスクを考慮して様子を見てたわけ。んで、行くのか?」
「先生は?」
「俺は、あと24時間あるし、今じゃなくてもいいかなーって」
「……」
「なんだよその目」
「別に」
海に、一旦仕切り直しというメッセージを送ろうと、スマートフォンをポケットから出した時だった。
「ん、あれは……海?」
廊下の端の方から海らしき人影が見える。
どうやら向こうも俺らに気づいたらしく、足早にこちらに向かってきた。
メッセージを打ち込むのが面倒くさく、その場で3年教室のほうを指さしてから、鬼ちゃんがいるという意味で頭に角を立てるジェスチャーを行う。海はそんな俺を見て首を縦に2回振る。
海に俺の意図することが伝わったと思い、自分たちの教室のほうに戻ろうとした際、3年教室の扉を開く音が聞こえた。
なんだ、と思い振り返った時には遅かった。
「ゔげ、鬼ちゃ……」
海が、教室後方の扉を開け、そう唸っていた。
俺の隣で、長谷川が「あちゃー」というのが聞こえる。
「おお、小山。どうした。俺にわざわざ説教されに来たのか?」
「あはは、ちょっとお花摘みに行ってきまして、帰り道間違えて迷いこんじゃったかな」
海がそう言って、教室から後ずさりをして出てくる。
「そんな、どこかの童話の少女じゃあるまいし」
そう言って、どんどん海のほうに近づいていく鬼ちゃん。
そこでちょうど鳴る授業終了のベル。
それがスタートの合図のように逃亡する海。鬼ちゃんは海を追いかけるかのように、教室を颯爽と出ていった。
今がチャンスだとでもいうように、長谷川は俺の背中を押した。
俺はそのまま、3年の教室のドアを開ける。
一斉に先輩たちが俺のほうを見てくる。
その中でもひときわ別のオーラを放っている彼女、迫田友華と目が合う。
「迫田先輩。すみません、少しいいですか」
俺がそういうと、席で座っていた彼女は、嫋やかな笑みを浮かべ、その場でゆっくりの花のように立ち上がった。
そして、ゆっくりと俺のほうに近づいてくる。
そして俺の前で立ち止まって
「なんでしょう」
そう、上品に笑いかけてくる。
「ここじゃ、あれ何で。少しついてきてもらってもいいですか」
「ええ、もちろん」
彼女の返事を聞いたところで、俺はその足で屋上へ向かう。
気が付けば長谷川はもういなくて、俺と迫田友華の2人で先ほど玲と話した屋上へと上がった。
「わー、3年いて屋上上がれるなんて知らなかった」
屋上に上がった時、迫田友華はそう漏らしながら嬉しそうに、胸の前で小さく拍手をしていた。
そういう所作1つ1つが非常に女性らしく、彼女らしさを引き立てる。
「それで、立花くんはなんで今回私を?」
おそらく彼女は気づいているだろうに。そう俺に鎌をかけてくる。
「単刀直入に言わせてもらうけど。俺、あなたとこの先一生付き合う気はないし、俺には彼女がいるから。もうこれ以上俺らに付き纏わないでほしい。そのお願いで、呼び出した」
一息でそう俺が伝えると彼女はあからさまに眉間にしわを寄せる。
「俺ら……?え、ごめん。立花くん何のことを言っているのかさっぱり」
そして、彼女はそういって薄ら笑いを浮かべ、とぼけたようにそう虚言を吐く。
「そういうと思って、悪いけど証拠こっちにあるから」
俺はそういって、先ほど玲に共有してもらったダイレクトメッセージのスクリーンショットを彼女に見せる。
彼女は俺に近づいて、まじまじとその画面を見てから首を傾げた。
「それを私が送ったっていう証拠は?」
「同じ内容をあなたが話している録音データもある」
俺のその言葉を聞いて、迫田友華の表情は一変する。
目線は下がり、わなわなと、手が震えだす迫田友華。
「なんでこんなこと?」
俺はスマートフォンをポケットにしまい、そのまま迫田友華にそう問う。
「……ほしかったの」
俺の問いに対して、沈黙があった後、彼女はそうこぼすように言葉を吐いた。
「何が?」
「……あなたが」
「なんで?」
なぜだかわからない。
恨むべき相手で、怒ってもいい相手だと思っていたのに。
実際にこう話していくと、そういう感情以外の何かが出てきて、俺を理性的にする。
俺から出てくる言葉は自分が思っているよりも、優しかった。
「……最初は、ただかっこいいなと思っていただけ」
「うん」
「だけど、徐々にあなたのことを知っていくうちに……憧れていったの」
「憧れ……?」
「ええ、その枠にとらわれない生き方が私にとっては、とても羨ましくて。私も近くにいればそうなれるんじゃないかって。だから……」
「……玲が、じゃまだった?」
俺のその問いに一瞬躊躇しながらも、彼女は勘弁したように首を縦に振った。
「だからいじめた?」
「……ごめんなさい」
「それ、俺に言っても意味ないから」
「……え?」
「それ、玲に直接言って。あと紫穂にも」
俺はそういって、塔屋のほうに視線を移す。
迫田友華も、俺の視線に合わせて、塔屋のほうを見る。
そこには、長谷川と玲と紫穂がいて。
長谷川が玲と紫穂の背中を押すのが分かった。
そして、長谷川が口角を上げて
「正直、謝ってすっきりするのって加害者の自己満足っていう気もしなくもないけど。謝られることで、終止符を打てるのであれば、今謝られるのも悪くないよな。許す許さないは置いといて。」
そう、割と大き目な声で、俺や迫田友華に聞こえるようにそういう。
迫田友華のこぶしがぐっと握られたのが分かった。
そして、ゆっくりと、迫田友華は玲と紫穂に近づいていく。
2人の真正面に迫田友華は立つ。
「ごめん、なさい」
そう、途切れ途切れに言った言葉は非常に小さく、俺にやっと聞こえるくらいの声だった。
「うん。わかった」
そう口を開いたのは、玲のほうだった。
紫穂は、目の前にいるいつもより小さくなった迫田友華をただただじっと見ているだけだった。
「もう、関わらないで。ただそれだけお願い」
玲がそういうと、迫田友華はこくんと首を1度縦に振る。
玲から聞いていたあの薔薇のようなとげとげしさは全くない。
迫田友華はそのまま屋上出ようとしたとき
「おい、迫田」
長谷川がそう、彼女を呼び止め、彼女はゆっくりと振り返る。
「ちょっと、俺と話をしよう。説教とかじゃない。そんなおびえなくていい」
そういって、長谷川がいつも俺らに向けてくれるような、口角がくっと上がった笑みを彼女に向ける。
迫田友華は少し驚いたような表情を見せるが、少し考えてからゆっくりと首を縦に振った。
「ってことだから、お前ら教室戻れー。もうすぐ次の授業始まるぞ」
長谷川はそういって俺ら屋上から退散するように命じる。
長谷川は長谷川なりに教師として彼女のことを心配して、話をするのだろう。
ここからはさすがに、俺らはいない方がいい。
玲と紫穂が、屋上を出るのを見て俺も後に続こうとする。
長谷川の横を通りすぎるとき、「明日の9時30分に屋上集合な」と長谷川に耳打ちをされた。
意図を確認しようと振り返るも、すでに長谷川は迫田友華のほうに向かっていた。
まあ、後ででいいやと俺もそのまま屋上を後にした。
*
教室に戻った時。
海が俺を見つるや否や、「真琴!」と言って、鬼の形相で俺のほうに飛びついてくる。
そうだった。
鬼ちゃんに海が追いかけられたおかげで、休み時間に入ってすぐに迫田友華を教室から連れ出せたんだった。
申し訳なさから、海から目をそらす俺。
「おい、あのサインは何だったんだよ」
「え、教室に鬼ちゃんいるよっていう意味だったんだけど……」
「んだよ……。あれは、どう考えても教室に、女王様いるよだろ……!」
「いや……わりわり、ははは。でも結果助かった」
そういって、激励もかねて彼の肩を軽く叩いて、自分の席に戻ろうとする。
「……で、うまく行った?」
すると海は何かを思い出したように、そう、俺に耳打ちをしてきた。
俺はそれに対して、首を縦に振る。
すると海は先ほど怒っていたことが嘘のように、少年のような笑みを浮かべた。
「えー、何々、内緒話?」
俺と海が席に戻ると、近くにいた紫穂がそう俺らに話しかける。
「内緒話ー、な、玲」
海はそういたずらっぽく答え、玲のほうに話を振る。
すると、玲は急に顔を赤くし、それをごかますかのようにして窓の外に視線を移した。
「え、え!?もしかして」
玲の反応を見て紫穂は急に俺と玲を交互に見る。
どうやら紫穂はすべてを察したらしい。
そこでちょうど鳴る授業開始のベル。
海と紫穂はまだ話したり内容であったが、先生が教室に入ってきたため、仕方なく前のほうを見る。
「玲」
俺は、玲にしか聞こえない声の大きさで隣の席の彼女を呼ぶ。
玲はゆっくりこちらのほうを見てくる。
そして、何、と声に出さず口パクでそう俺に尋ねてくる。
「好きだよ」
俺はそう口パクで彼女に答える。
カッと赤くななり、また窓際のほうに目線を戻してしまう彼女。
それが愛らしくて思わず笑みぼれる。
想いなんて口に出さないと気付かない。
そんなのはわかっていたつもりだった。
想いがすれ違うと、それがボタンの掛け違いのようになって、気づいた時には取り返しがつかなくなってしまう。
だから伝えていこうと思う。
だから、玲、どうか聞いてほしい。
俺の気持ちを。
そして教えてほしい、君の気持ちを_____。
*
「……っ!真琴!!」
玲の瞳には、堰を切ったように涙が溢れ、震える声で俺の名を呼ぶ。
「……ああ、悪かったな、心配かけて……」
そう言って、俺は身を捩って、この恥ずかしい状況から抜け出そうと身体を起こそうとするも、玲に抑え込まれる。
「ちょちょ、大丈夫なの?」
絶賛強い吐き気に襲われている俺は、そんな玲の力にも敵わず、押し戻される。
「大丈夫。まじで、貧血」
そう言って誤魔化そうとするも、玲は信じようとしない。
「……わかったって。ちょっと説明するにしても、この状況は話しにくいから、座って話していい?」
俺はそう言うと、玲は納得をしたようで、俺の身体をそっと起こしてくれる。そして、玲は俺と向かい合うように座り直した。
「……で?」
玲は前のめりになりながら俺の回答を急かす。
「まじで貧血」
ただ上手い言い訳を思いついたわけではないため、そう突き通すしかなかった。
「本当に言ってるの?」
玲は疑り深い。
「本当」
だけど、こればっかりは言えない。そして、貧血以外にいい言い訳なんて今の俺には思いつかない。
「……まぁ、貧血にしても早目に病院行きなよ」
玲は諦めたのか、俺から視線を逸らしてそういった。
「玲」
優しく彼女の名を呼ぶ。
「ん?」
玲の茶のかかった髪が風に揺れ、その瞳が俺の方を真っ直ぐ見つめる。
春の温かな風が、頬をかすめる。
青い空が俺等を見守る。
「好きだよ、玲。ずっと、君のことが好きだった。」
俺の声は、震えていた。
「……嘘」
さっきまで前のめりだった玲の身体が徐々に後ろに引かれ、そう呟くのが聞こえた。
「おいおい、それはひどくない?せっかくの人の告白を……って」
そう、俺が言っているさなか、玲のその大きくなった瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちてきた。
「なんで泣く!?」
驚きのあまり、俺は少し大きな声を出してしまう。玲の涙が止まらない。
「嘘……じゃない?」
泣きながら、玲はそうこぼす。どんどん小さくなる玲の身体。
俺は、そっと彼女を抱きしめた。二人の距離が、今までよりもずっと近くなった。最初は硬くなっていた身体も、背中をそっと擦り玲が泣き止むのを待っていると徐々に身体を俺に預けてきた。そんな些細なことでも嬉しくて、自然に口角が上がるのがわかった。
徐々に玲の身体の震えも落ち着いてきた時。そっと、玲は、自分に預けていた身体を離した。
「ごめん」
そう言って、自分で涙をぬぐう玲。
「うん」
まだまだ時間はある。
焦らなくていい。
ゆっくり、ゆっくり、玲が落ち着くのを持つ。
そんな時間も悪くないと思った。
屋上で胡座をかき、空を仰ぐ。
そっと目をつむる。
春の匂いを感じる。
そっと目を開けて、前を向く。
ちょうど、玲と目が合う。
思わず笑みが零れた。
「なによ」
鼻をすすりながら泣き腫らした目で俺の方を見てくる彼女。
そんな姿でさえもう愛らしかった。
「放送室で言ったこと俺本気だから。だから信じて」
俺を信じて。
頼って。
そう願い、俺なりに精一杯玲に手を差し伸べる。
どうか、どうか掴んで。
「私……」
一度、強く玲の口元が結ばれる。
玲の目線が下がる。
だが、何かを決したように、ゆっくりとその視線は上がってきて、俺の目をまっすぐ見てくる。
「迫田先輩から色々されてて」
言葉を選びながら、玲はゆっくりと話し始めた。
玲が___俺の差し伸べた手をぐっと掴んでくるのがわかる。何度もこれまで空振りだったその手が今、握られる。
「うん」
玲に対してしんどいことをさせているのは百も承知だった。
誰かに助けを求めるためには、ある程度自分の弱いところを他人に曝け出すということが必要で。
ただ、それはとても勇気がいることで、できれば見せたくなんてない。
掴んでくれた手。離さないよ。
そして待つよ。いつまでも。
逃げないよ、俺は_____一緒に戦うから。
「真琴が迫田先輩の告白を断ってからは少し接触回数は減ってはきたんだけど、だけど……」
「うん」
「前までは、SNSでとか、直接言うにしてもすれ違いざまに悪口とか言われてたんだけど、それがここ最近真琴や海がいないのを見計らったかのように迫田先輩たちに待ち伏せされてて。人気が少ないところで、私が真琴を誑かしてるんじゃないか…なんて、身に覚えのないこと言われてて」
「うん。それで……?」
玲にしては珍しく、話が途切れ途切れで、時系列あやふやだった。
それくらい、慣れていない。
誰かに助けてということに。
助けを求めるということに。
「迫田先輩の言うことは、身に覚えがないことばかりだったから、最初の頃は聞き流せてた。だけど、何度も何度もおんなじ内容を繰り返される、かつ直接面と向かって言われ続けて……」
静かに静かに、玲の目から涙がこぼれ落ちた。
「私、紫穂は守らなくちゃと思って。紫穂は私のそばにいるから迫田先輩たちから色々言われているのであって、元はと言えば私が、
」
玲は涙を零しながら、ゆっくり顔を上げて俺とそっと目を合わせ、そしてすぐに逸らした。
「うん。……何?」
俺がそう問うと、玲は目を伏せて、そして何かを決めたように再度俺の目をまっすぐ見てくる。
「私が……、真琴のこと好きで側に居続けることが悪いんじゃないかって……。だけど、離れたくなくて」
玲から溢れてくる涙の量が多くなる。
玲は地面に手をつき、ぐっと力を込めた。
「私、わがままなのかな」
そう言って、玲はそのまま俯いて涙を地面に落とし続ける。
その背中は小刻みに揺れていた。
この小さな背中に抱え込んでいた。
謂れのようない悪口で罵られ続けて、耐えて耐えて耐え続けていた玲。
初めて知った。
こんなにも抱え込んでいたことに。
こんなにも苦しんでいたことに。
こんなにも心が疲弊していたことに。
「玲」
俺はゆっくりと彼女の名前を呼ぶ。
彼女は顔を上げない。
下を向いて泣き続ける。
「ごめんな」
気づけなくて、ごめん。
こんなになるまで、隠させてごめん。
だけど
「ありがとう」
言ってくれてありがとう。
俺の手を信じて掴んでくれてありがとう。
俺の言葉を聞いて、玲は泣き続けながらも首を横に振る。
俺は玲の頭に掌を置いた。
「よく頑張った」
そういって、玲の茶色く柔らかな髪を撫でた。
徐々に落ち着きを取り戻す玲。
そして、涙をぬぐってゆっくりと顔を上げようとしたタイミングで俺は玲からそっとその手を離した。
「子供扱いしないで……」
そう、鼻をすすりながら言った玲はいつもの玲に戻っていて、思わず笑ってしまう。玲はそんな俺を見て「何笑ってるの」の恥ずかしげに鼻をすする。
「別に?」
そう言って誤魔化す俺。
それから俺は、改めて姿勢を正して座り直す。
「玲」
「ん?」
「俺と、付き合って?」
そう言って少し視線の下がった玲の目を見るように俺はそう言い放つ。
玲は、先ほどより驚くことはなく、少し間を空けた後、右手を俺の前に差し出してきた。
俺はその手を迷わず、自分の右手で握り、そして玲を少し力強く自分の方に引き付ける。
玲はあっという間に自分の方に引き込まれ、俺の胸の中に飛び込んでくる。
「ちょっ、こういうことしたいってわけじゃ……!」
多分だけど、玲は握手のつもりで差し出し来たんだろう。
「返事はイエスってことで解釈していい?」
自分の胸の中で戸惑う玲をよそに、そう彼女に問う。
少し間があってから、彼女の頭が縦に動くのが分かった。
思わず、抱きしめる腕に力が入る。
「ちょ、真琴」
玲の声が俺の耳をくすぐる。
自分でも、コントロールできないくらいの熱い気持ちがこみ上げてきそうな、そんなタイミングだった。
「___はいはいはい、いったんそこまでー」
聞いたことのある声が、背後から急に聞こえ、玲を抱きしめていた力が緩まる。
その隙に玲はまるで小動物かのように俺の腕からするりとすりぬけ、屋上の端の方にうずくまる。
声の方向を見ると、螺旋階段で上がってきたと思われる長谷川が、薄ら笑みを浮かべながら俺のほうに視線を向けていることに気が付く。
心の中で舌打ちを打つ俺。
タイミングというものを見図れないのか、この男は。
「絶賛青春中悪いんだけど、ちょっと教師としてさっきの話?スルーはできなくてね」
と、長谷川は屋上の端でうずくまる玲に一歩一歩近づき目線を合わせるためにしゃがみこんだ。
「で、えっと。証拠、ある?」
こちらから長谷川の表情はうかがえない。
ただ、玲は動じることなく、自分のスマートフォンを少し操作してから、ある画面を長谷川に見せた。
長谷川は、「おっけ、ありがと」とそういって立ち上がった。
「証拠はばっちりだし、あとは本人次第だな」
そうつぶやくように言ってから、長谷川は俺のほうへゆっくりと近づいてくる。
何しに来たんだよという質問を一瞬投げようとしたが、安易に想像できてしまったためその言葉を丸々飲み込む。
一緒にタイムリープしてきた長谷川。
俺と玲がここにいることなんて、前の世界で把握済みであえてこの時間帯を選んでリープした。
俺が玲から話を引き出すことができると信じて、俺らの話が聞こえる螺旋階段あたりで待機していたんだろう。
あの話、何もかも長谷川に聞かれていたかと思うと、長谷川のほうなんて恥ずかしくて見れなかった。
思わず目をそらす。
長谷川はそんな俺に構わず、俺の肩を2回ほど叩いて「よくやった」と、俺にしか聞こえない声でそう言って通りすぎた。
そしてそのまま塔屋のほうへ行き、何も言わずに屋上を出ていった。
しばらく呆然と、長谷川が出ていった扉を見続ける。
この後の長谷川の動向を想像する。
「……先生、迫田先輩のところ行ったのかな」
気づけば玲が俺の隣に立っていて、そうつぶやく。
「多分な」
長谷川の背中を見送りながら、そうつぶやく。
このまま、長谷川に迫田友華のことまでお願いしてもいいのか。
確かに今、長谷川に言われたことは成し遂げたし、ここから先は正直先生の領域の気もしなくもない。
だけど……。
「玲」
「ん?」
「さっき先生に見せてた証拠って、俺にも共有してもらうことってできる?」
俺がそういうと、玲は一瞬びっくりしたように目を見開いたが、何かを察したのか、自分のスマートフォンをいじり先ほど長谷川にも見せたであろう画像を俺に見せてくれる。
そこには、SNSのダイレクトメッセージに書き込まれた悪質な書き込み。
「これだけじゃ証拠にならないのなら、直接迫田先輩に詰められている時の録音したものもあるし。DM(ダイレクトメッセージ)に書かれてある内容そのまま話してたから、2つ突きつければ確実だとは思うけど」
玲はそういって、さらに自身のスマートフォンをいじってそれも聞かせてくれようとしたが、そこまであるのであれば確かに確実だった。
「ありがと。悪いんだけど、これさ俺に送っといてくれない?」
「え、いいけど。もしかして……」
「うん、ちょっとかっこつけてこようと思って」
俺はそういって、玲の頭をなでる。
「だから、子どもあつかいしないでって」
そう言って、玲は俺のことを見上げる。
その視線が愛おしかった。
俺はそのまま玲の腰に手を当て、少し彼女を持ち上げ、驚く彼女にそっとキスを落とす。
彼女は目を見開き、そのままその場で棒立ちになる。
そんな姿さえも愛おしい。
「じゃ、俺後で教室行くから。誰かになんか聞かれたら適当にごまかしといて」
そういって、俺は玲のいる屋上をひとまず後にし、階段を降りながら、ある人物に電話を掛けた。
相手はワンコールで電話に出た。
『___おお、真琴。どした?』
「海、あのさ、手伝ってほしいことあるんだけど」
『おー、何々?』
「今から、女王様のところに行こうと思ってさ」
『いいねいいね、んで、俺についてきてほしいと?』
「海の知恵を拝借したく」
『おっけおっけ。どこ行けばいい?』
「先生が先に女王様のところに行っているはずだから、2人をまず見つけるところから。俺屋上から下に向かって探していくから、海は下からお願いしていい?」
『おっけおっけ。じゃあ、見つけ次第連絡ってことで』
「ああ、じゃあそういうことで」
通話終了のボタンを押し、俺はそのままスマートフォンをポケットにしまう。
上から2人を探すといったが、本来この時間は授業中。
廊下は閑散としていて、教室からは授業の声が漏れてきている。
迫田友華がいるのは、彼女の教室か。それとも移動先の教室か。
長谷川が先を行っているのであれば、彼のことだ。
何かしらの理由をつけて彼女のことを教室から呼び出しているに違いない。
その点も考慮して、海には下からの捜索をお願いした。
3年の教室は、屋上に続く階段のあるフロア。
そして迫田友華のいるであろう教室は、その一番端。
俺らの教室の真上にある。
3年の教室まで来ると、迫田友華のいるであろう教室は、授業中だった。
ということは、長谷川が連れ出していなければ中にいるはず。
中で授業をしている先生にばれないように、教室の扉前でしゃがみこんで、扉のガラス窓から教室の中を覗き込もうとしたその瞬間。
「おい」
耳元で聞いたことのある囁き声が聞こえて、身を縮める。
声のほうを見れば
「んだよ、先生かよ」
長谷川が俺の隣にいつの間にかいて、俺と同じようにしゃがみこんでいた。
長谷川はそのまま俺を手招きして、廊下の隅の方に俺を呼ぶ。
俺はいったん中を見るのをあきらめて、長谷川のほうに向かった。
「何」
静かすぎる廊下で、ささやくようにそう長谷川を問う。
「迫田友華はこの教室にいた。けど、今教室には鬼塚先生もいる。そんな中、真琴行くのかなーって」
「え、先生。鬼ちゃんだから躊躇したわけ?」
「お前、そんな先生を臆病ものみたいに言わない。リスクを考慮して様子を見てたわけ。んで、行くのか?」
「先生は?」
「俺は、あと24時間あるし、今じゃなくてもいいかなーって」
「……」
「なんだよその目」
「別に」
海に、一旦仕切り直しというメッセージを送ろうと、スマートフォンをポケットから出した時だった。
「ん、あれは……海?」
廊下の端の方から海らしき人影が見える。
どうやら向こうも俺らに気づいたらしく、足早にこちらに向かってきた。
メッセージを打ち込むのが面倒くさく、その場で3年教室のほうを指さしてから、鬼ちゃんがいるという意味で頭に角を立てるジェスチャーを行う。海はそんな俺を見て首を縦に2回振る。
海に俺の意図することが伝わったと思い、自分たちの教室のほうに戻ろうとした際、3年教室の扉を開く音が聞こえた。
なんだ、と思い振り返った時には遅かった。
「ゔげ、鬼ちゃ……」
海が、教室後方の扉を開け、そう唸っていた。
俺の隣で、長谷川が「あちゃー」というのが聞こえる。
「おお、小山。どうした。俺にわざわざ説教されに来たのか?」
「あはは、ちょっとお花摘みに行ってきまして、帰り道間違えて迷いこんじゃったかな」
海がそう言って、教室から後ずさりをして出てくる。
「そんな、どこかの童話の少女じゃあるまいし」
そう言って、どんどん海のほうに近づいていく鬼ちゃん。
そこでちょうど鳴る授業終了のベル。
それがスタートの合図のように逃亡する海。鬼ちゃんは海を追いかけるかのように、教室を颯爽と出ていった。
今がチャンスだとでもいうように、長谷川は俺の背中を押した。
俺はそのまま、3年の教室のドアを開ける。
一斉に先輩たちが俺のほうを見てくる。
その中でもひときわ別のオーラを放っている彼女、迫田友華と目が合う。
「迫田先輩。すみません、少しいいですか」
俺がそういうと、席で座っていた彼女は、嫋やかな笑みを浮かべ、その場でゆっくりの花のように立ち上がった。
そして、ゆっくりと俺のほうに近づいてくる。
そして俺の前で立ち止まって
「なんでしょう」
そう、上品に笑いかけてくる。
「ここじゃ、あれ何で。少しついてきてもらってもいいですか」
「ええ、もちろん」
彼女の返事を聞いたところで、俺はその足で屋上へ向かう。
気が付けば長谷川はもういなくて、俺と迫田友華の2人で先ほど玲と話した屋上へと上がった。
「わー、3年いて屋上上がれるなんて知らなかった」
屋上に上がった時、迫田友華はそう漏らしながら嬉しそうに、胸の前で小さく拍手をしていた。
そういう所作1つ1つが非常に女性らしく、彼女らしさを引き立てる。
「それで、立花くんはなんで今回私を?」
おそらく彼女は気づいているだろうに。そう俺に鎌をかけてくる。
「単刀直入に言わせてもらうけど。俺、あなたとこの先一生付き合う気はないし、俺には彼女がいるから。もうこれ以上俺らに付き纏わないでほしい。そのお願いで、呼び出した」
一息でそう俺が伝えると彼女はあからさまに眉間にしわを寄せる。
「俺ら……?え、ごめん。立花くん何のことを言っているのかさっぱり」
そして、彼女はそういって薄ら笑いを浮かべ、とぼけたようにそう虚言を吐く。
「そういうと思って、悪いけど証拠こっちにあるから」
俺はそういって、先ほど玲に共有してもらったダイレクトメッセージのスクリーンショットを彼女に見せる。
彼女は俺に近づいて、まじまじとその画面を見てから首を傾げた。
「それを私が送ったっていう証拠は?」
「同じ内容をあなたが話している録音データもある」
俺のその言葉を聞いて、迫田友華の表情は一変する。
目線は下がり、わなわなと、手が震えだす迫田友華。
「なんでこんなこと?」
俺はスマートフォンをポケットにしまい、そのまま迫田友華にそう問う。
「……ほしかったの」
俺の問いに対して、沈黙があった後、彼女はそうこぼすように言葉を吐いた。
「何が?」
「……あなたが」
「なんで?」
なぜだかわからない。
恨むべき相手で、怒ってもいい相手だと思っていたのに。
実際にこう話していくと、そういう感情以外の何かが出てきて、俺を理性的にする。
俺から出てくる言葉は自分が思っているよりも、優しかった。
「……最初は、ただかっこいいなと思っていただけ」
「うん」
「だけど、徐々にあなたのことを知っていくうちに……憧れていったの」
「憧れ……?」
「ええ、その枠にとらわれない生き方が私にとっては、とても羨ましくて。私も近くにいればそうなれるんじゃないかって。だから……」
「……玲が、じゃまだった?」
俺のその問いに一瞬躊躇しながらも、彼女は勘弁したように首を縦に振った。
「だからいじめた?」
「……ごめんなさい」
「それ、俺に言っても意味ないから」
「……え?」
「それ、玲に直接言って。あと紫穂にも」
俺はそういって、塔屋のほうに視線を移す。
迫田友華も、俺の視線に合わせて、塔屋のほうを見る。
そこには、長谷川と玲と紫穂がいて。
長谷川が玲と紫穂の背中を押すのが分かった。
そして、長谷川が口角を上げて
「正直、謝ってすっきりするのって加害者の自己満足っていう気もしなくもないけど。謝られることで、終止符を打てるのであれば、今謝られるのも悪くないよな。許す許さないは置いといて。」
そう、割と大き目な声で、俺や迫田友華に聞こえるようにそういう。
迫田友華のこぶしがぐっと握られたのが分かった。
そして、ゆっくりと、迫田友華は玲と紫穂に近づいていく。
2人の真正面に迫田友華は立つ。
「ごめん、なさい」
そう、途切れ途切れに言った言葉は非常に小さく、俺にやっと聞こえるくらいの声だった。
「うん。わかった」
そう口を開いたのは、玲のほうだった。
紫穂は、目の前にいるいつもより小さくなった迫田友華をただただじっと見ているだけだった。
「もう、関わらないで。ただそれだけお願い」
玲がそういうと、迫田友華はこくんと首を1度縦に振る。
玲から聞いていたあの薔薇のようなとげとげしさは全くない。
迫田友華はそのまま屋上出ようとしたとき
「おい、迫田」
長谷川がそう、彼女を呼び止め、彼女はゆっくりと振り返る。
「ちょっと、俺と話をしよう。説教とかじゃない。そんなおびえなくていい」
そういって、長谷川がいつも俺らに向けてくれるような、口角がくっと上がった笑みを彼女に向ける。
迫田友華は少し驚いたような表情を見せるが、少し考えてからゆっくりと首を縦に振った。
「ってことだから、お前ら教室戻れー。もうすぐ次の授業始まるぞ」
長谷川はそういって俺ら屋上から退散するように命じる。
長谷川は長谷川なりに教師として彼女のことを心配して、話をするのだろう。
ここからはさすがに、俺らはいない方がいい。
玲と紫穂が、屋上を出るのを見て俺も後に続こうとする。
長谷川の横を通りすぎるとき、「明日の9時30分に屋上集合な」と長谷川に耳打ちをされた。
意図を確認しようと振り返るも、すでに長谷川は迫田友華のほうに向かっていた。
まあ、後ででいいやと俺もそのまま屋上を後にした。
*
教室に戻った時。
海が俺を見つるや否や、「真琴!」と言って、鬼の形相で俺のほうに飛びついてくる。
そうだった。
鬼ちゃんに海が追いかけられたおかげで、休み時間に入ってすぐに迫田友華を教室から連れ出せたんだった。
申し訳なさから、海から目をそらす俺。
「おい、あのサインは何だったんだよ」
「え、教室に鬼ちゃんいるよっていう意味だったんだけど……」
「んだよ……。あれは、どう考えても教室に、女王様いるよだろ……!」
「いや……わりわり、ははは。でも結果助かった」
そういって、激励もかねて彼の肩を軽く叩いて、自分の席に戻ろうとする。
「……で、うまく行った?」
すると海は何かを思い出したように、そう、俺に耳打ちをしてきた。
俺はそれに対して、首を縦に振る。
すると海は先ほど怒っていたことが嘘のように、少年のような笑みを浮かべた。
「えー、何々、内緒話?」
俺と海が席に戻ると、近くにいた紫穂がそう俺らに話しかける。
「内緒話ー、な、玲」
海はそういたずらっぽく答え、玲のほうに話を振る。
すると、玲は急に顔を赤くし、それをごかますかのようにして窓の外に視線を移した。
「え、え!?もしかして」
玲の反応を見て紫穂は急に俺と玲を交互に見る。
どうやら紫穂はすべてを察したらしい。
そこでちょうど鳴る授業開始のベル。
海と紫穂はまだ話したり内容であったが、先生が教室に入ってきたため、仕方なく前のほうを見る。
「玲」
俺は、玲にしか聞こえない声の大きさで隣の席の彼女を呼ぶ。
玲はゆっくりこちらのほうを見てくる。
そして、何、と声に出さず口パクでそう俺に尋ねてくる。
「好きだよ」
俺はそう口パクで彼女に答える。
カッと赤くななり、また窓際のほうに目線を戻してしまう彼女。
それが愛らしくて思わず笑みぼれる。
想いなんて口に出さないと気付かない。
そんなのはわかっていたつもりだった。
想いがすれ違うと、それがボタンの掛け違いのようになって、気づいた時には取り返しがつかなくなってしまう。
だから伝えていこうと思う。
だから、玲、どうか聞いてほしい。
俺の気持ちを。
そして教えてほしい、君の気持ちを_____。
*



