「……っ!」


 時間を唱えた瞬間、急に襲ってくる頭痛、めまい、吐き気、倦怠感。
 インフルエンザにかかったときのような体調不良が急に襲ってくる。
 こんなに気持ち悪くなるなんて聞いてない、なんて思っていたところ、瞼の裏に光を感じる。
 俺は恐る恐るゆっくり目を開けた。


 「……真琴、大丈夫?」


 数ヶ月前までは、聞き慣れていた声がそこにはあった。
 _______だけど、その声を聞くことが当たり前じゃなくなって。
 何度も夢で、その声が聞けたらと願った。

 徐々にちらついていた焦点が合ってくる。
 そして________夢でもなんでも、会いたいと願った姿が目の前に浮かび上がった。


 「ちょ、え?どうしたんだよ、真琴」


 視界がはっきりしだした頃には、海が俺の目の前で手を振っていた。


 「おいおい、大丈夫か、体調不良?」

 「…っああ、大丈夫大丈夫」


 正直、あの長谷川のことだから信じてはいなかった。
 だけど、目の前には間違いなく彼ら、彼女らは実在していて、嫌でも自覚する。

 戻ったんだ。
 俺_____あのときに。

 目の前には不思議そうな顔をする海。
 俺の横には、変なものを見るような目で見てくる玲。
 玲の前には、俺に構わずマイペースに弁当を食べ続ける紫穂。
 ――――数ヶ月前の日常的な光景が今、目の前にあった。

 
 「今何時?」


 慌てて、目の前にいた海にそう尋ねる。


 「何時って……。さっき授業終わったところだから12時ちょっと過ぎたところじゃね?」


 海は少し戸惑いながらそう答える。
 そんな海を視界の端にとらえつつ、必死に数か月前のあの光景を思い出そうとする。

 確か、友華が俺の教室を訪ねてきたのは、12時半前。
 ということは、友華が訪ねて来るまでにはまだ少し余裕はありそうか。


 「おまえ、本当どうした?なんか……。変なもん食ったか?」


 海が、本気で心配したような表情になる。


 「別に……、大丈夫。ちょっと、さっきの時間寝ててぼーっとしてるだけ」

 「そんなのいつのものことじゃん」


 海の心配に構わず、いつもの調子で玲は俺に鋭いツッコミを入れる。
 そして、これまたいつのも調子で購買で買っておいたパンを取り出し、食べだした。
 そんなときだった。


 「おいっ!真琴!」


 来た。
 俺がそう思うのと同時に、玲の表情が急に強張ったのがわかる。


 「おい、真琴あの方は……」


 俺の隣にいた海が持っていた焼きそばパンを落とした。

 以前と全く同じ光景に、これが本当のデジャブだよなと思う。
 そんなどこか冷静な自分に戸惑いつつ、その場でゆっくりと立ち上がった。


 「え、真琴お前いつの間に……え?」


 俺が動揺してない様子を見てだろう。
 海は今目の前で起きている出来事に対しての驚きを隠せず、俺をを見上げたまま、フリーズしている。


 「ちょっと行ってくるわ」


 そう言って俺は、先輩の元へ向かった。


 「俺に何か用ですか」


 初めて友華に話しかけられたときより、落ち着いていることがわかる。
 だけど、当たり前だけど友華はあのときと全く変わらなくて。
 整ったきれいな顔で、上目遣いで俺を見つめてくる。


 「あ、ここではなんだから、少し場所移らない?」

 「じゃあ、裏庭とかでもいいですか?」

 「うん、いいよ」


 前回と同じやり取りを行い、俺等は教室を後にする。
 以前感じてた、優越感類の感情はなく、ただただこの後のことをひたすらに考えた。
 裏庭についたとき、友華はあの時と変わらずきれいな髪を靡かせ、恥ずかしそうに上目遣いで俺を見た。


 「ごめんね、いきなり呼び出しちゃって」


 以前は友華の容姿に見とれる一方になっていた。
 しかし、今はあのときと真逆の感情が俺の奥深くで燻っていた。


 「別にいいですけど、要件は何ですか」


 それが相手に全部伝わらないように、蓋をしながら声を出す。


 「あの…。実は、私ね……真琴くんのことずっと前から気になってて……」


 歯切れの悪い告白を、いかにも女の子らしく体を揺らしながら話し出した。


 「……ごめん」


 言う言葉は、ここに戻ってくる前に決めていた。
 友華とは付き合わない。
 そうすれば、きっと玲への攻撃もなくなるのではないか。
 安直な考えかもしれないが、それしかないと思った。


 「……それは、私とは付き合えないってこと?」


 友華は、それだけではどうやら納得できないようで、少し表情をこわばらせながらそう俺に問う。


 「そういうこと。悪いけど、先輩とは付き合えない。タイプじゃない」


 はっきり断ることが、彼女のためにもいいと思った。
 一瞬の隙も見せない。
 ただただ、このまま『俺ら』から離れてほしい。
 それだけだった。


 「はは、そっかそっか。そうだよね、いきなり告白してごめんね。ただ気持ち伝えたかっただけなの、気にしないで」


 友華は付き合っていた頃のように、柔らかい笑顔を俺に向ける。
 少しばかり、俺の中で罪悪感が芽生えるが、それに気づかないように俯き、口元を強く結んだ。


 「んじゃ、俺教室戻るから」


 俺はそう言って、友華に背を向ける。
 友華はそれ以上は何も言わなかった_____。











 玲が階段から落ちたと、報告を受けたあの日。


 _____『真琴っ!玲が、救急車に…!』


 4限が終了し、昼食のパンを急いで買いに行っていたはずの海が、見たこともない形相で教室に飛び込んできた。


 「救急車ってどういうこと」


 志穂は、海にそう詰め寄ったが、俺は―――――。


 「おい、真琴!」


 気づけば立ち上がっていて。
 そのまま教室を飛び出した。

 足は自然と学校の出入り口へ向かう。
 そこに向かえば向かうほど人の密度は濃くなる。
 人を乱暴にかき分け、玄関を出たその時に、丁度見えた。


 「……っ!」


 救急車に丁度運び込まれた、見慣れない玲の姿が。
 制服の上からは毛布を掛けられ、頭部は少し赤く染まっている気がした。


 「玲!」


 立ち止まった俺の後ろから紫穂が勢いよくかけていったが、救急隊員に阻まれ、そのまま救急車の扉はしまり玲は見えなくなる。

 俺はといえば、微動だにできなかった。
 今、目の前で起きていることが現実なのか、そうでないのかの見当がつかなかった。
 その時、左の肩に何か重いものが急に乗った。


 「お前ら。ちょっとこい」


 長谷川の声だったが、いつもの長谷川の声ではなかった。
 いつの間にか俺と海の間に立っていて、その声はその場を騒ぎ立てる紫穂にも向いていた。
 俺ら3人は、長谷川の声に圧倒され、ただただ長谷川の言う通りについて行った。
 長谷川は俺らを誰もいない保健室に連れ出し、扉を閉める。
 そして、近くにあった長めのソファーに3人並んで座るよう誘導した。

 目の前には長谷川が着席し、深く息を吐いた。


 「落ち着いて聞け」


 長谷川はそう俺らに言いながらも、自分に言っているように聞こえた。


 「鈴木()が階段から落ちた。不運にもあたりどころが悪くてな……。頭部を打ち付けたらしい。俺が発見したときには意識はない状態だった。正直この後どうなるか、俺にはわからない。一刻も鈴木の側に行きたい気持ちはわかるんだが、その前に教えてほしい」

 
 長谷川はそう言った後、ただ1人。紫穂を見た。

 長谷川は先生モードが入ると俺等を名字呼びする。


 「鈴木と中島(志穂)。お前ら3年の迫田(友華)たちからいじめ受けてなかったか…?」


 一瞬耳を疑う長谷川の問いかけに、俺は思わず隣にいた紫穂を見る。

 そんなわけない。友華たちが玲たちをいじめていようもんなら、俺が気づかないわけがない。

 早く否定しろ、そんなことはないと、否定してくれ。

 そんな俺の気持ちとは裏腹に、紫穂は口を噤む一方だった。


 「……小山()。お前知ってたな」


 状況はただただ、俺の願っていることは真逆の一途をたどる。

 長谷川の目つきが鋭くなるのを感じた。


 「先生……。1つ聞いてもいいですか」


 海が何かを察したように、恐る恐るそう、口を開いた。


 「玲って……。なんで階段から落ちたんですか」


 海の質問に、長谷川の表情がまた一段と険しくなったと思ったら、「こういう場面に限っては勘が良いんだな、お前は」と苦笑しながら呟くのがわかった。

 一度目にかかっていた髪をかきあげてから、長谷川は何かを決めたように、言葉を紡ぎだした。


 「これは、校長からはまだ公表するなと言われてる。だけど、このことはきっといつかお前らの耳に届くだろうから俺がわかっている範囲の事実を伝える。……立花、お前、俺が今から言うことに対して自分責めるなよ」


 長谷川はそう言って俺を見た後、一呼吸置いた。




 「鈴木は、迫田と口論の最中で階段から落ちた。どっちが先に手を出したのかどうかはわからない。今わかってるのはそれだけだ」


 長谷川の話を聞いて、紫穂が静かに涙を流し始める。かすかな声で「やっぱり」というのが聞こえた。
 
 俺だけが何も知らない。

 ただ、なんとなくわかるのは、俺と友華の関係が今回の事態を引き起こしているということ―――。


 「わりい、真琴。やっぱりお前には言うべきだった」


 海が俺にも目を合わせず、視線は地面のまま、そう言葉をこぼすように話し始めた。


 「まず、俺と玲は付き合ってない。玲を守るために付き合ったふりをしてた。いや、することにしたところだった」

 「は……?付き合ったふり……?なんで」

 「先生の言うように、お前の彼女から玲を守るためだよ!」

 「だからちょっと待てよ。なんで友華が玲をいじめるんだよ!……何がしたくて」


 海の声と共に俺の声もヒートアップしていくのがわかる。

 自制が利かない。

 思ったことが口からただただ流れていく。

 これ以上行くとお互い、どうにかなりそうな、そんな空気感がった。


 「あんたを独り占めしたくてだよ!だから私と玲が気に食わなかったんじゃないの?……そうだよ、私と玲。いや、特に玲は迫田先輩からいじめられてた」


 そこに、突っ込んできたのが紫穂だった。

 涙を流したまま、何か覚悟を決めた、そんな表情だった。

 長谷川はその時を待っていたかのように、少し体が前のめりになるのがわかった。


 「どんないじめを受けていた……?」


 あまりに直球すぎる質問に対して、志穂は怖気づくことはしなかった。

 俺の知ってる、末っ子気質の紫穂はどこにもいない。


 「最初は……といっても高1の秋くらいから。私と玲のSNSのDMにに匿名でひたすら悪口が送られてくるようになった。ビッチだとか、ぶりっ子だとか、男好きだとか、なんかそんな感じ。その時は誰が書いてるかわからなくて、私も玲も気にしないようにしてた。だけど、真琴が迫田先輩と付き合う3か月前くらいから、海とかがいない時を狙って迫田先輩が私たちに会いに来るようになった。身に覚えのないことで、責められることが多かった。……例えば、玲が私と一緒に買いに行った制服の下に着てたカーディガンを、迫田先輩のを真似して買ったとか、玲の髪は地毛で茶色いのに、長谷川たぶらかして自分だけ染めてるとかそんなくだらないやつなんだけど……。同じようなことを、SNSのDMでも言われたことあったから、これまで匿名で私と玲のSNSのアカウントにメッセージを送ってきたのは迫田先輩たちだってわかった。……ただ、わかったところで、彼女たちの勢いを止めることは難しくて、どんどん彼女たちはヒートアップしていった。真琴と玲と私がどんな関係かをひたすら悪口交えながらしつこく聞かれて、友達だって言ってるのに、真琴のこと好きなんじゃないかってひたすらに問い詰められた。そしたら、玲がもうさすがにしびれ切らしちゃって……」


 紫穂が、そこで口を止め、俺のことをちらりと見るのがわかった。

 長谷川は紫穂のしぐさから何かを悟ったのか、


 「立花。お前先に鈴木のところいけ」

 「は?」

 「ここから先、お前は玲から直接聞くべきだ」

 「ちょ、なんで。俺だって真実知る権利あるんじゃ」

 「小山、お前と立花先に行け」


 長谷川は俺の話を聞こうとはせず、いうことを聞かない俺を部屋から出すように海に指示する。

 海も長谷川の意見に賛成なのか、俺の腕を力強くつかみ無理やり俺を立ち上がらせた。


 「ほら、行くぞ、玲のところ」


 俺より筋肉質な海に抵抗したところで、力が及ぶはずもなく、ほぼ強制連行的な形で俺は保健室を出た。





 海に半ば無理やり学校から連れ出された俺は外に出たら出たらで、一刻も早く玲のところに駆けつけるということで頭はいっぱいになった。

 生きてくれてさえいれば、後のことはどうでもいい。そう思った。

 だけど――――現実は俺を裏切ってきた。

 病院についたとき、丁度手術室前にいたおばさん(玲の母親)と、おじさん(玲の父親)が、医師から玲の状況聞いたところのようで、その言葉は俺の耳にも入ってきた。


 「最善尽くしましたが、すでに手遅れな状況でした。お悔やみ申し上げます」


 何度も脳内にその言葉は反芻され、俺もそして海も、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

 今にも、崩れ落ちそうなおばさん。それを支えるかのように立ち尽くすおじさん。

 その二人の小さくなった背中を見つめる俺ら。

 その後の記憶は曖昧だった。

 たしか、数分後に長谷川と紫穂も合流して、志穂はその場でわんわん泣いた。

 俺と海はといえば、先生やおばさんおじさんに言われるがまま、冷たくなった玲に会った。それでも俺と海は泣けなかった。

 その後、長谷川は疲れただろうからと、そのまま俺ら3人をまとめて家まで送ってくれた。

 翌日、葬式だかがあって、聞きなれないお経をひたすらに聞いて、冷たくなった玲に花を手向けた。

 血色の悪さをごまかすように、施された化粧は、玲のようで、玲ではないような気がした。

 火葬場に行く途中、海が窓の外を見ながら泣いているのがわかった。

 ――――本当に死んだのか、玲は。

 誰かが泣いているのを見るたびにそう思った。

 だけど、それを認めたら俺の何かが崩れるような気がして、必死に否定した。

 ――――一世一代のいたずらをしてるんだ、きっと玲は、きっとそう。

 冷たくなった玲を見ても、灰になった玲を見ても――――俺は認めなかった。

 そうして気づけば、外に出ることが怖くなっていた。あの時の俺は、ひたすら事実を否定し続けることで、生き永らえていたのだと思う――――。









 *






 「おお、戻ってくるのはやっ!……で、告白の返事はどうすんだよ、真琴」


 教室へ足早に戻ると、先ほど落とした焼きそばパンを食べながら、海が俺にそう問いかける。


 「ああ、知ってんだ、お前ら」


 皆が混乱しないよう、話を合わせていく。


 「うん。多分知らないのは当事者の真琴と海くらいなんじゃない?」


 紫穂が、いつになくとげのある返しをしてくる。

 確か、前回は玲が似たようなことを俺に言ってきた気がするが、俺の戻る時間や、返答の仕方で若干未来に変化が生じたのだろう。


 「で、どうなの。付き合うの?」


 紫穂が、俺の結論を急かす。


 「いや、付き合わない。断った」

 「は?」


 俺の言葉に素早く反応したのは、海だった。


 「あんな美人となんで……もったいなっ!」


 驚きを隠せず、口があんぐりと開いたままの海をよそに、俺はさっき食べようとしていたパンの袋を開ける。


 「美人だけど、付き合うには荷が重いかな」


 正直な答えだった。

 付き合ったその先に何が待っているのか、今の俺は知っている。


 「まあ、お前がそう思うなら、もう何も言えないけど……。一回付き合ってみてもいいと思ったんだけどな、お前誰とも付き合ったことないじゃん」

 「ま、今必要とか感じてないし」


 そう言って、持っていたパンを口の中に詰め込む。

 窓庭に立っていた玲は、特に何か言うでもなく、ただただ、俺らの会話を見守っていた。

 あの時と同じ、オレンジジュースを飲みながら―――――。





 *





 その翌日だった。

 いつものように、朝に玲が俺の家に迎えに来て、途中で紫穂が合流して、海はその日遅刻してきたから朝の放送はなくて、長谷川が、少したばこのにおいを漂わせながら教室に入ってきて。HRが始まって、2限目と3限目の間の休み時間。

 俺と海が、昼食のパンを購買へと買いに行って教室に戻ってきた後。

 3限目になっても、紫穂と玲が戻らなかった。

 最初は、俺らと同様何か購買に買いに行って、戻るのが遅れてるんだろうな。そう思っていた。

 3限目が始まって数分後、紫穂が血相を変えて、教室に飛び込んできた。

 そして、俺のところにまっすぐに来て、


 「真琴っ!玲、玲が……!」


 走ってきたのだろう。息が絶え絶え且、パニックを起こしているようで、何を言っているか正確に聞き取れない。

 ただ、紫穂の手を見て察した。


 「玲は!?」

 「……っ、かい、だんのとこ……、購買の、ほう、のっ!」


 紫穂につかまれたワイシャツの部分が赤く染まる。

 誰の血かなんて考えたくもない。


 ひとまず、紫穂の肩に手を置き、俺席にそのまま座らせる。

 その間に、俺の前の席にいた海は、素早く立ち上がり、教室を飛び出す。

 俺もすぐそのあとを追いかける。

 現代文の授業だったと思う。先生は、俺らのことを止めることなく、「いったん自習で」という声が後ろから聞こえてきた。

 紫穂の言う階段は、教室から出て2つほど教室を挟んだところ。

 玲がいると思われるところには、すでに人だかりができていた。

 海は、その人だかりをもろともせず、かき分け、突き進んでいく。俺は海の作った道に続く。

 そして、海が急に止まった。

 俺は海の横に並ぶように右に出た。


 「……っ!」


 ―――――この光景を見るのは2度目だった。

 身体が固まった。自分の脈拍が急に早くなるのが分かった。

 目の前には、頭部から血を流した玲。

 玲の横にしゃがみ込み、どうやら119番通報をしていると思われる長谷川。

 電話口からの音声に従い、長谷川が「はい、はい」と、返事をする。

 そこから数十秒後だろうか。後ろから「お前ら教室戻れ」と、鬼ちゃんの声が聞こえ、徐々に俺らの後ろにいた人たちは各々の教室へと戻っていく。

 気づいたときには、俺と海と、長谷川と血だらけの玲のみとなった。

 長谷川はどうやら一旦、救急対応を終えたようで、視線は俺らのほうに向いていた。

 玲は……動かない。


 「玲……?」


 やっと声が出た。

 間違いなく、目の前にいるのは玲のはずなのに、脳がその情報を受け取ることを拒否する。

 玲の声は帰ってこない。

 ゆっくりと俺は玲のそばにしゃがみ込んで、彼女の口元に手を近づける。

 若干の息はあったことに安堵する。


 「先生、救急車は……、玲は……!?」


 思ったよりも大きい声が出た。

 しかし、長谷川は、そんな俺に臆する様子は見せなかった。

 長谷川はこれから紡ぐ言葉を選んでいるように見えた。



 「救急車はあと数分もすれば来る。……今言えることは、かなり鈴木は危ない状況にある」


 「……は?嘘だろ」



 海はここにたどり着いたときから、変わらずそこに立っていて、そうこぼすように言葉を吐いた。

 そこからは長い沈黙の時間が流れた。

 きっとお互い分かっていた。

 これ以上言葉を交わしたって、その後に取れる行動は何もない。

 ただただ、この場に大急ぎで向かっている救急隊員を俺らは待つことしかできないことを—————。






 *




 
 気が付けば救急隊員が、俺らの目の前で忙しなく玲の応急処置を行う。

 そしてあっという間に玲はストレッチャーに乗せられ、運び出されていく。

 長谷川と、俺と、海は、ただただ玲を見守った。救急車に運ばれるのを見届けた後、長谷川に肩をつかまれた。


 「ちょっと、お前らに話がある」


 その声は、あの時と一緒だった。


 ――――「お前ら。ちょっとこい」


 まさかと思い、その考えを否定した。

 そんなことがあるわけない。

 あの時とは状況は似ているが、日時が大幅に違う。

 あの時は、ここから約1か月後に起きる出来事。

 もし友華が起因して起きたことなのであれば――――俺が玲の死を早めただけということになる。

 長谷川に言われるがまま、そんなことを考えながらついて行く。

 途中、授業終了のチャイムが聞こえた―――その瞬間だった。


 「……った」


 急に横からハンマーで思いっきり殴られたような強い頭痛が襲ってきた。

 あまりの痛さに、思わずその場で俺はしゃがみ込む。

 驚いた表情で、長谷川は俺に近づいてくる。

 そして、長谷川は何かを見つけたのか目を見開いて俺を見てくるのが分かった。


 「おまえ……まさか」


 そんな声が聞こえたと思った、その瞬間だった。

 視界が暗転。ここに来た時と同じ、めまい、倦怠感が急に襲ってくる。

 身体は宙に浮いたような感覚になったその後、徐々に身体が地面をとらえだす。

 瞼の裏に光を感じ、頭への鈍痛をこらえつつ、ゆっくりと瞼を開けた。

 そこは、学校ではなく、俺の部屋で。

 部屋にある勉強机の椅子に俺は腰かけていた。

 瞼の裏がとらえていた光は、部屋の蛍光灯だった。

 俺は、急いで机の上においてあった自分のスマートフォンを手にとる。

 そこには、9月21日という日付が表記されている。

 その後、俺は左腕の手首を確認する。数字は「004」ではなく「003」に数字が変化していた。

 タイムリープしたのは、9月20日の20時。今は9月21日の20時。タイムリープしてから、きっかり24時間が経過していた。

 ――――俺は元の時代に戻ってきた。


 「……玲」


 あの後、俺は玲がどうなったのかを知らない。

 俺は、スマートフォンを開きなおし、玲の連絡先を探す。

 寝るにはまだ早い時間だった。

 玲のアカウントを見つけるや否や、すぐにコールボタンを押す。

 数コール鳴らし続けるも、出る気配がない。

 思考は悪い方向へ悪い方向へと進む。

 耐えきれず、呼び出すことをやめ、俺はスマートフォン片手に、家を飛び出す。

 自然と足は玲の家のほうに向かっていた。

 玲の家は、2件家を挟んだ先にある。

 学校に近いのほうに俺の家があるから、いつも玲が俺を朝迎えに来ていた。


 「おお、久しぶりだな……。真琴」


 急ぎ足で向かっている途中、突然、横道から入ってきた人影に話しかけられる俺。

 急いでいた足を止め、声のあった方向に視線を向ける。

 街灯の陰から話しかけられたため、声の主が誰だかはっきりしない。

 ただ、よく聞いたことのある声だなと思った。


 「おいおい、俺だよ。そんな不審者見るような目で担任を見るんじゃない」


 そう言って、影は何歩か前に出てきた。

 そこには、間違いなく、俺の担任。長谷川が立っていた。

 部屋着だろうか。

 上下スエット姿とだいぶラフな格好をしている。


 「先生、なんで」

 「こっちの世界戻ってさっそく玲に会いに行こうとするとは……。本当にお前は分かりやすい。んで、お前、その格好で会いに行こうとしたのか?」

 「え……?」


 俺は近くにあったカーブミラーで自分の姿を確認する。

 その姿は、無精髭且つ、髪も肩につくくらいに伸び切っていた。

 −−−−−−−−−あのとき……タイムリープする前にきれいにしたはずなのに。


 だが今はそんなこと、どうでもいい。


 「俺がどんな格好でいようが、関係ねぇだろ。……てか、なんで俺がこっちの世界戻ってきたばっかりだって知ってるんだよ」

 「ああ、そうか、その辺お前に説明してなかったもんな……。まあ、その説明は後にするとして。真琴、お前本当に今から玲に会いに行く予定だった?」

 「……そうだけど、なんか問題ある感じ?」
 
 「だよな、お前ならそうするよな」


 長谷川は一瞬視線を落とし、そこからまた俺の目をまっすぐ見た。


 「玲は、あの時亡くなったよ。階段から落ちたあの日にな」


 その声は、秋の夜の空気によく響いた。


 「……なくなった……?」


 意味もなく、言葉を繰り返す。

 長谷川は何も言わない。

 表情一つ変えない。

 ただただ、俺を見ていた。


 「玲はあの日、迫田と階段の踊り場で揉め、運悪く玲だけが足を踏み外し階段から落ちた。救急車で運ばれた後、すぐに手術に入ったんだが、打ち所が悪かったらしく、手術はうまくいかなかった」


 長谷川は俺の反応を見ながら、慎重に言葉を紡いでいる様子だった。

 事実を的確に。出来るだけ俺を刺激しないように。


 「嘘だ……」


 呼吸が浅くなる。動悸が止まらなくなる。空気が思うように吸えない。


 「俺は、何のために……っ!」


 自分の感情がこぼれていくことがわかる。

 自分の意志とは無関係に。溢れてくる。

 心の奥底から熱い何かがふつふつと湧き上がってくる。

 俺は、自分に対して――――死ぬほど怒ってる。


 「あんま、自分責めるな」


 気が付けば長谷川は目の前にいて、俺の肩を長谷川が触れた。

 その瞬間、自分の中から湧き上がりそうであった熱いものが、ゆっくりと押し戻されていくことがわかる。


 「ちょっと、クールダウンがてら、歩くか」


 そう言って長谷川は俺に背を向け、玲の家から離れるように歩き出す。

 ゆっくり、一定のテンポで。息を整えるようなスピードで歩く。

 はらはらと、色づいた葉が風にあおられ、落ちてくる。

 数時間前とは違う季節が、今の俺を包み込む。


 「この、タイムリープの仕組みなんだが……。パラレルワールドって聞いたことあるか?」


 長谷川はそんな夜空を仰ぎながら、歩む足は止めずに言葉を紡ぐ。


 「言葉だけは聞いたことあるけど」

 「このタイムリープを発明した奴は、そのパラレルワールドが存在することを証明した。そのパラレルワールドをうまく使った力が今お前が持っているものになる」

 「……はあ」

 「このタイムリープは簡単に言うと、自分が指定する時代に戻り、今まで乗っていた世界とは違う世界をお前が創造する力になってる」

 「……はあ」

 「タイムリープ後の限られた24時間内で、いくつかの選択を行い、以前とは違う新たな世界が構築されていく。24時間後、お前の抜け殻にはAIが入り、24時間のお前の思考の癖、行動の癖を模写し、違和感ない形で、その先にいるお前へと引き継がれる」

 「……んー、わかったような、わからないような」

 「ちなみに俺もお前と同じ世界からこっちのパラレルワールドに移ってきた」

 「え……。先生、俺にこれ移したのに別の世界なら行き来することができるってこと?」

 「半分あってて半分違う。あってる部分としては、俺もお前と一緒に別のパラレルワールドに移動するということ。違う点は、俺は自由に行き来はできないこと。俺はお前と一緒に過去には戻らないが、創造後の時代に戻ってきたときのお前とは一緒の世界にいなきゃいけないことになってる……ってお前。わかりやすく『わかりません』って顔してるな」


 そう言って長谷川は苦笑しながら自販機の前で歩む足を止めた。小銭をいくらか入れ、飲み物を2つ選択する。

 そのあと、あの時と同じように、俺にいきなり飲み物を投げてくる。

 俺がそれを反射的に受け取ると、長谷川は満足げに笑った。

 俺はそんな長谷川を置いて、近くにあった公園に入り、街灯下のベンチに腰かけた。

 さっき投げられたコーヒーのプルタブをこちらも開ける。


 「玲さ……」


 長谷川がいつの間にか俺の隣に来て、腰掛けたタイミングで、俺はそう言葉を紡ぎ出した。


 「元気だったよ。けど、俺が……」

 「お前が言わんとしていることはだいたい想像がつく」
 

 長谷川はそういって俺の言葉を遮る。

 そして、間をとるようにコーヒーを一口飲んだ後、「でもな」と言葉が聞こえた。


 「お前だけで、人1人殺せると思うな」


 少しウェイブががった長谷川の髪が夜風に揺れる。


 「お前が、今回過去に戻って以前と違う選択をいくつかしたところで、未来を作っていくのはお前1人じゃない。お前の選択した先にいる他人がどういう選択をするかで未来は創造されていく。お前がどんなに最善と思う選択肢をしようが、他人の選択次第で結論は結局一緒になることだってある」

 「それって、励ましてる……?」

 「……励ましてはないな」


 そう言って、長谷川はあた苦笑しながらまたコーヒーを1口飲む。


 「ま、何が言いたいかっていうと、減らせる後悔は減らしとけってこと。お前さ、さっきの家に行こうとしたとき、玲がいたら何言おうとしてたわけ?」

 「……ごめんって、言おうとしてた」

 「お前何も悪いことなんてしてないだろ」

 「まあ、そうだけど……」

 「……質問変えるわ」


 長谷川は俺の表情を見て察したのか、俺の返答を聞くや否や、素早くそう切り出した。


 「お前の行動次第で玲は救えないとして……。伝え残したことないわけ?」

 「……っ!」
 

 多分、俺には酷な質問だということを長谷川は知っていながら、質問してきた。そんなような聞き方だった。

 俺には婉曲な言い方は、通じないと思ったのか、何なのか。


 「何がなんでも助ける」


 答えになっていないことは分かっていた。

 だけど、こう答える以外にどう返せばいいのか、今の俺にはわからなかった。


 「……そうか、悪かったな」


 そう言って、長谷川はベンチから立ち上がった。


 「帰るか」


 そう言って、長谷川は、帰路を歩みだす。

 俺もその長谷川の背中に続く。

 風はいつのまにか止んでいて、いくつかの恒星が俺らを照らしていた。





 *





 カーテンから差し込んできた日の光によって、俺は朝になったことを知る。

 いつものように布団から出ようとすると、ガツンとハンマーで後頭部を殴られたような痛みが襲ってくる。

 昨日、別れ際に長谷川から改めてタイムリープの説明と副作用を、ご丁寧に画像共有とともにされたことを思い出す。





 ――――「Xがお前だとしたら、Yが俺。この図を見てわかるように、お前がタイムリープしたその瞬間に俺はこの時代に飛ばされる。だから、この力を渡す奴は吟味しなくちゃならない。色が薄くなっている部分は、AIが紡いでいる部分。俺はお前がタイムリープした瞬間に、AIが紡いだ記憶が流れ込む。お前は、睡眠をとった後にそれがやってくる。お前には理解しがたいと思うが、記憶がとぎれとぎれになるくらいまで飲んだ2日酔いの日のような気持ち悪さになり、飲んだ日の記憶がよみがえってくるみたいな感覚で記憶が頭の中に流れ込んでくる。慣れてないとマジで、気分悪くなるから吐き気止め飲むか、吐いてもいい袋もって寝ろよ」


 俺は、急いで用意しておいた吐き気止めを服薬。水で一気に胃に流し込む。

 その間、ガンガンと痛む頭と、倦怠感と吐き気。流れ込んでくるのは、これまでの俺が経験してきたと思われる記憶。

 玲が死んで、ここでの俺も自責的になり、引きこもり生活を何日か過ごした。ただ、あの時と違うのは、長谷川が俺の家に尋ねてくることはなくて、ただただ、俺は堕落した生活を昨日まで送ってきていたらしい。

 記憶の波が一旦落ち着くと、目の前の光景に目が行く。

 昨夜は、玲に会いに行くことで必死で、気が付かなかったが、俺の部屋は悲惨な状況であった。

 机の上には、薬の山、カップラーメンの山、そのごみの山。引きこもるとこんなにもあらゆるところに山ができるのかと感心しながら俺はとりあえず、若干まだ揺れる頭を押さえ、換気のため部屋の窓を開けた。

 秋の生暖かい空気が、頬を伝う。

 今の時間は10時過ぎ。

 両親はすでに仕事に向かい、家には俺だけのはず。

 とりあえず、部屋片づけて学校に行くか。

 ため息まじりに、俺はひとまずベットからゆっくりと腰を上げた。







 *






 「……ま、こと……?」


 身なりを整えて、家を出る頃には、お昼近い時間になっていて、学校についたのは、丁度昼休みに入ったところだった。

 教室に入るなり、海の声が聞こえ、あの時とは少し違った光景が俺の目に映る。

 海は、男子グループの中で昼食を食べていて、紫穂も、玲のいない女子グループの中に入って、弁当を食べていた。

 海は、俺を見つけるや否や、座っていた椅子から勢いよく立ち上がりすぎて、椅子が倒れる。海はそんなのお構いなしに、俺のところにかけてきて、思いっきりその筋肉質な腕で俺を抱きしめた。

 懐かしいにおいが鼻をかすめる。

 海の家の柔軟剤のにおいがする。

 海は、俺に何か言うでもなく、俺を離すまいと、がっちりホールドをしたまま、震えていた。

 泣いているのか、どうなのか。海の顔が見えないから判断ができない。


 「海……。真琴困ってるじゃん」


 いつの間にか、紫穂が俺の方まで来ていて、「おかえり」と、そう小さく苦笑しながら言った。


 「あー、わりわり。なんだかお前とはもう一生会えないんじゃないかと思ってて……縁起でもないこと言わないほうがいいな」


 海はそう言って、俺をゆっくりと離し、目元を拭うような仕草をした。


 「来て早々、真琴には悪いけど……少し話さない?」


 紫穂はそう言って、「ほら、海も」と、そのまま教室を出る。

 俺と海は、紫穂に続いて、教室を出た――――。





 *






 紫穂は俺らを屋上に連れて来るや否や、俺らのほうを振り返りはらはらと涙を流し始めた。

 分かりやすく戸惑う海。目を見開き、「え!?」と声を上げる。


 「……真琴のバカ」


 紫穂はそうこぼすように言葉を吐いた。

 あまりにも唐突すぎて、その場で立ち尽くすしかない俺。

 心当たりがありすぎて、まず何から謝ろうかと思っていた矢先だった。


 「真琴が元気じゃないと、私が玲に怒られるじゃん……」


 紫穂は、そんな俺の困惑にかまうことなく言葉を続ける。


 「ごめん」


 とりあえず、謝っておく。


 「謝って済むなら警察なんていらないだって、バカ!」


 ああ、これは口開いたらダメなやつだと察し、俺は頷くのみにしておく。


 さっきよりも、紫穂の涙の勢いは増す。


 「私らが真琴のこと、責めるわけないじゃん。見捨てるわけないじゃん。真琴のほうが死ぬほどつらかったんだから」


 紫穂には俺の考えていることがわかるのか、俺の頭の中に浮かんだ考えを否定してくる。


 「だから約束して、真琴」


 紫穂はそう言って、涙を無理やり拭い、その大きな瞳が俺をとらえた。


 「一人だと思わないで。一人で戦おうとしないで。……一人で戦って玲の二の舞になんてならないで」


 そう、力強く紫穂は言い切った。

 自然とうなづく俺。それを見た瞬間、紫穂の表情は若干和らいだ気がした。


 「おうおう……、話は終わったか~?」


 屋上の隅。校舎から続く入り口からは死角となる場所に、長谷川はいた。

 紙煙草に火をつけ、煙を一息に吐く。


 「……っ!先生いつから」


 海は長谷川を見つけるや否や、素早くそう問いかける。

 紫穂はといえば、俺と海の背中に素早く隠れた。


 「最初から」

 「マジかよ」


 海はそう言って頭を抱える。


 「まじまじ、青春じゃん」


 そう、からかうように、長谷川は笑う。


 「ってかお前ら、あと10分でチャイムなるから早く教室戻れよ」


 長谷川はそう言って、能天気にタバコをふかす。


 「先生は授業ないわけ?」


 俺がそう問いかけると、長谷川はにやりと笑って


 「あるけど、俺は先生だから少し遅れたっていいの。いろいろ準備とかあるからな」

 「うわ、ずる」


 俺が遠慮なしにそういうも、長谷川は悪びれもしない。


 「うらやましかったら早く大人になれ」


 長谷川はそう俺らに言い放ち、手の甲を見せ、前後に動かす。

 先生らしくない、いつもの調子の長谷川に安堵つつ、俺は長谷川に背を向ける。

 海も、そして紫穂も俺と同様、長谷川に背を向け、教室へ向かうために、屋上の出入り口に向かう。

 その途中だった。


 「あ、真琴」


 長谷川の声が背後から聞こえ、再び振り返る。


 「まだ言ってなかったなー―――お帰り」


 長谷川はそう煙草をふかしながら、少しうれしそうな表情で、俺にそう言った。


 「ああ、ただいま」












 *





 20XX年9月23日(土)。

 昨日は、俺が急に学校に行きだしたものだから、仕事から帰った両親は俺を見て腰を抜かす勢いで驚いた。こんな両親を見るのは前の世界でも見てきたため2回目だった。

 両親への申し訳無さを感じつつも、その翌日の今日。また俺は過去に戻ろうとしていた。

 昨夜、どうすれば玲を救い出せるのか、俺なりに考えた。

 前回は俺と友華が付き合ったから玲が亡くなった思った。

 しかし、それは、今回の件で違うことが証明された。俺と友華が付き合おうが付き合うまいが――――玲は死ぬ。

 だから、俺のいないところで玲と友華が合わないようすれば、玲は階段から落ちて頭を打つことはないと思った。

 戻る時間は決まっていた。

 俺は座っていた椅子に深く座りなおす。

 丁度朝日が昇ってきたところらしく、東の窓から日の光が差し込み、思わず目を細めた。

 左手首の上に、右の手のひらをそっと乗せ、俺はそのまま瞼を閉じる。


 「20XX年5月21日10時」


 俺が友華を振った翌日。

 2限目の授業の最中に戻る――――。