*





 後から知った。
 俺と友華が付き合う前から、玲は友華から度を越えた『いじめ』を受けていたらしい。
 紫穂と海は気づいていて、何度も俺に言おうとしたが、玲がそれを頑なに止めたとか。

 玲が死んだ日_____。
 体調不良で保健室に向かっていた玲は、同じく体調不良で保健室に向かっていた友華と階段の踊り場で鉢合わせとなった。
 そしてそのまま口論。
 感情高ぶった友華が玲の肩を押し、玲はそのままバランスを崩して階段から落下。
 階段から落ちた際当たり所が悪く、玲はそのまま緊急搬送され_____死亡。

 友華は正当防衛を主張しながらも、結果として一人の人間を殺めてしまったことに対して強い自責感にかられ、気が付けば学校からいなくなっていた。

 俺はといえば、何とか生きてる―――――。
 そんなところだ。





 *





 「……真琴。長谷川先生、来たわよ」


 母親が、俺の部屋の外からできるだけ静かに、俺を刺激しないようにそう言うのが聞こえた。

 玲がこの世にいないと告げられてから3か月。
 俺は学校に行けずにいた。
 俺は今を生きるだけで精いっぱいだった。
 誰とも会いたくなかった。


 「お母さん、少し2人だけで話をさせてもらってもいいですか?」


 長谷川の声が聞こえる。
 その後、母親と思われる足音が遠くなっていく。


 「真琴、開けるぞ」


 そう言った瞬間、俺の許可も取らずに、部屋の扉が開かれる音が聞こえた。
 ベッドに横たわり、布団にくるまったままの俺。
 長谷川の足音が近づいてきた。


 「おいおいおい。ちゃんと日光浴びてたのか、この3か月」


 その声とともに、俺は勢いよく掛布団を剥がされる。

 抵抗することなどできず、とりあえず、ゆっくりとベッドから上半身を起こす。
 いつのまにか、床に長谷川が胡坐をかいて俺の部屋に座り込んでいた。


 「おー……。お前、玲のあと、追うつもりりだったのか?」


 そういう長谷川の視点は、俺の部屋のデスクに向いていた。
 そこには、大量の錠剤を出した殻と。
 殻から出された錠剤の山があった。
 声を出す気にもなれず、ただただ俺はうなずいた。


 「よく、耐えたな。お前なりに一人で戦ってたんだな」


 怒られると思った。
 何やってるんだって叱られると思った。
 何もなかった心に、長谷川の言葉が一滴落ちたようなそんな感覚だった。


 「ほら、ティッシュ。泣けるときは思いっきり泣いとけ」


 そういって、長谷川は俺の前にボックスのティッシュを差し出した。
 そこで気づいた。
 自分が泣いているということに。

 玲が死んだと知った日から泣けなかったのに。
 この人の前では自然と涙が出た。

 俺は差し出されたボックスからティッシュを数枚取り、流れた涙を拭った。


 「玲も安心してるさ、お前の泣き顔がやっと見られて」


 長谷川は俺が泣いているにも構わず、そう言ってがははと笑った。


 「……玲なら先生と一緒に絶対俺のこと馬鹿にしてくるし。……安心とかしねえし」


 気づけばそんな調子で言葉が出ていた。
 そんな自分にびっくりした。
 長谷川も、そんな俺を見て安心したのか、ふっと表情が柔らかくなった。


 「そうだな。お前らめちゃめちゃ仲悪そうで。仲良かったもんな」


 その言葉に俺は素直にうなづくことができた。
 長谷川の言葉を素直に聞くことができた。


 「_____過去に……。戻りたいと思うか?」


 一瞬、自分の耳を疑った。
 何を言っているんだと思って、顔を上げ長谷川の顔を見たが、その表情は真剣だった。
 だからこそ、戸惑った。


 「もう一回聞く。過去に戻りたいか?」


 そう聞く、長谷川に圧倒されるかのように、俺は気づけば首を縦に動かしていた。


 「……わかった。」

 「え?」

 「過去にタイムスリップできる方法を今から教える」

 「……は?」

 「だから、過去に……」

 「先生!」


 ここ最近で一番大きな声を出したと思う。
 久しぶりに出した大声は、自分が思っていたよりもずっとかすかすの声だった。


 「いいから、そんな嘘つかなくても」


 怒りを覚えた。
 さっきまで、この人なら信用できると思っていた自分が情けなかった。


 「帰って」


 不愉快だ。
 人の心を弄ぶ人とこれ以上一緒にいたくなかった。


 「悪かった。嘘をつくつもりは全くなくて。そうだよな、信じられないよな」


 そう言って、長谷川は立ち上がる。


 「もし、本当に過去に戻りたいと思ったら、明日の14時屋上に来い。この話をするのはこれで最後だから」


 そういって、長谷川は後ろを振り返ることもなく俺の部屋を出ていく。
 その後、一定のリズムで階段を下る音が聞こえた。


「……屋上」


 意味もなく、俺はそう言葉に出す。

 そこは、玲と最後に会った場所だ_________。





*





 「……お、来たな」


 日曜日の14時。
 学校には誰もおらず、秋の冷たい風の音が大きく感じた。
 すでにあれから季節は秋になり、校庭の木々の葉は赤または黄色く染まっていた。

 長谷川が帰ったあの後。
 怒りの熱が冷めてきた頃、長谷川なら騙されてもいいかな、そう思った。
 俺と海のお遊びに何の口も出さず、ただただ見守ってきてくれた担任。
 その担任が、たとえ嘘であっても、どこかのアニメのように、タイムスリップできると言ってくれるのであれば、形だけでも乗ってやっていいんじゃないか、と。

 数か月前は一息に上がれた屋上へ続く螺旋階段を、切れ切れの体力で一段ずつ上った先には、数か月前同様の見慣れた景色があった。
 秋の風にまじり、ギコギコと、長谷川の後ろの柵が鳴いている。
 長谷川は俺に気づくと、加えていた煙草を足元にあった水を張った缶の中へ投げ入れる。
 そして、ゆっくりと俺に近づいてきた。


 「どうだ、外に久しぶり出でた感想は」

 「……別に」

 「そうか。まあ、そんなことはどうでもいいよな」


 長谷川はそう言って、左手のワイシャツの裾をめくり、手首の裏を俺に見せつけてくる。
 そこには数字で「004」とタトゥーで彫ったかのようにはっきりと刻印されていた。


 「……で?」


 今更タトゥーを彫っていたこと暴露されても、長谷川のことだから驚きはしないし、どうでもいい。
 長谷川は、俺の様子を見て浅く息を吐き、右手で、髪をかき上げた。


 「もともとお前は察しが悪いとは思っていたけど、これほどとはな。そりゃ、玲も苦労するわ」

 「何が」

 「いいや、そんなお前には、口頭での説明より体感したほうが早い。ほら、俺と同じように左手出せ。お前右利きだったよな」

 「え」

 「ったく、いいからいいから」


 長谷川は、問答無用というように俺の左手首をつかみ、服の裾をあげた。
 そして自分の左手首裏と俺の手首の裏をぴったりと合わせた。

 その瞬間だった。


 「…った!」


 合わせた手首から、針を数百本一気に刺されたような痛みが走る。
 反射的にくっつけていた手首を離す。
 
 その様子を見た長谷川は、にやりと不穏な笑みを浮かべる。
 何が起きているのかわからない俺。
 とりあえず、先ほど長谷川と合わせていた手首のあたりを確認する。


 「……え!」


 驚きのあまり漏れた声。

 長谷川は、俺に見せつけていた手首の裏を、再度俺に見せつける。
 長谷川の手首にあった『004』の文字が、自分の手首に刻印された。
 そして、長谷川の手首から、先ほど刻印されていた『004』の刻印は消えていた。


 「まあ、パニックになっているところだと思うけど、説明するわ」


 そう言って、長谷川はその場で腰を下ろし、ポケットからいつぞやに買った缶コーヒーを2本取り出した。
 そしてそのうち1本を俺に投げてきて、反射でなんとかキャッチする。
 長谷川に続いて、俺もその場で腰を下ろした。


 「その数字は、こすってみると分かると思うけど、シールなんかじゃない。ただのタトゥーでもない。そこに刻んである数字は、過去に戻れる回数になってる」


 長谷川は、授業でもしているかように淡々と話し出した。


 「ある科学者が過去に戻れるシステムを開発をして、まあ、いろいろ縁あって俺が今まで持ってた。もともとは100まで数字があったんだが、俺が96回使用した。だからあと使える回数は4回まで。お前には4回のうち3回チャンスをやる。最後の1回は俺が使うから絶対に3回で俺に戻せ。いいな」

 「……たった3回?先生は90何回も使ってきたのに?」

 「ああ、これだけは絶対だ」


 ここまで淡々と話していた長谷川の声色が、この部分だけは強く、そして緊張感が走るような声色へと変化する。
 思わず自分の顔が引きつるのがわかった。


 「……っと、まあ概要はそんな感じ。どうだ、少しは信じられそうか」


 俺の表情を見てなのか、長谷川は意図的にそう話を切り替えた。


 「正直、まだ半々」

 「まあ、無理もないよな、俺もそうだったし」


 長谷川はそう言って、たばこを1本取り出し、慣れた手つきで火をつけ、一服を始める。
 秋の晴れた空を仰ぎ、煙を吐いた。
 俺もつられて空を仰ぐ。
 久しぶりに見た青空は、少し俺にはまぶしすぎた。


 「先生」

 「あ?」

 「……俺、生きていいのかな」

 「そんなん、知らねえよ。俺は神様じゃない。……ただ、生きててダメな理由はないんじゃね?」


 あまりにも、長谷川らしい答えに、少し肩の力が抜けたよな気がした。


 「あんま難しく考えるなよ、何事も。見習え、俺を」


 そう言って、長谷川はまた一息、白い煙を秋の空気の中に吐き出した。


 「……長谷川にはなりたくないかな」

 「俺になったらもっとモテすぎて大変だもんな」

 「俺の方がモテるし」


 秋空に響く、俺らの少しテンポがぎこちない会話と、風の音。
 不真面目な教師と、生徒の会話。
 俺には、それが嬉しくて、そして悲しくて、心地よくて、苦しかった。











 長谷川と会ったその翌日。
 20XX年9月20日。
 朝起きると、左手首に刻印された『004』が昨日のことが嘘ではないことを教えてくれた。

 俺は、数か月ぶりに部屋を片付けた。
 机の上に散乱した薬を片付けた。
 長い時間一緒にいた布団やシーツは洗濯した。
 床に置きっぱなしだった服もすべて片付けた。
 そして、伸び放題だった髪を数か月ぶりに切りに行った。

 急に俺が動き出したもんだから、両親からは少々心配された。
 自分の部屋と自分の身体を整え終わるのに1日費やし、あっという間に夜になった。

 落ち着いたところで、昨日長谷川から渡されたタイムトラベルの方法について書かれた用紙を取り出した。

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 【タイムトラベルについて】
 ⑴タイムトラベル出来るのは過去のみ。未来は不可。
 ⑵使用は3回のみ。残り1回になったら俺に絶対に返すこと。
 ⑶タイムトラベルで滞在できる時間は24時間のみ。当時の自分に入る形になるため、映画であるような過去の自分との遭遇はない。

 【タイムトラベルの方法】
 ⑴番号が書かれた手首の数字上に、もう片方の手のひらを乗せ、目をつむる。
 ⑵戻りたい瞬間の西暦年月日、時間を口に出す。
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 改めてみると、なんて雑な説明書なのだろうと思う。

 まあ、物は試しだ。
 ちらりと時計を確認する。
 現在の時刻は20時。

 俺は、説明書に視線を戻し、左手首の上に右手のひらを乗せ、目を閉じる。

 そして


 「20XX年5月20日の12時」


 本当に戻れるのであれば、迷わずこの日、この時間_____友華から告白を受けた時に戻る。