*
「おいっ!真琴!」
昼休み、いつものように教室で4人で弁当を食べていた時、クラスメイトの1人に俺は突然呼ばれた。
なんだよ昼食中に、と思いながらも呼ばれたほうを見る。
どうやら俺のことを呼んでいるのはクラスメイトではなく、教室の扉のほうに立っている人のよう。
ちらりと、視界の端に玲の不機嫌な顔がちらついたが、立っている相手が誰かわかると、そんなことは一瞬で忘れた。
「おい、真琴あの方は……」
俺の隣にいた海が、持っていた焼きそばパンを落とした。
海が驚くのも無理はない。
俺を呼んでいたのは、この学校で一番の美人と称され、男性にとっては高嶺の花である迫田友華先輩だったから。
「なんで俺……?」
なんて言いながら鼻の下を伸ばしていると、「早くいってきなよ」と、玲がいつもの調子でバシッと俺の背中を強めに叩いた。
さっきまでの不機嫌な顔はどこ行ったんだよ、と言いたくなったがそれは後回し。
「海!」
「あいよ」
「歯」
「ベリグー!」
「髪」
「ベリグー!」
「今日の俺は?」
「ベリベリグー‼」
「っしゃ!」
海へ簡単に身なりの確認をとり、俺は意気揚々と先輩のもとへ向かった。
「あの……。何か俺に用ですか?」
第一声、声が裏返らないように気をつけた。
いつものおちゃらけた部分が出ないよう、真面目な後輩を頑張って演じる。
改めてこう間近で見てみると、容姿は完璧。これが容姿端麗ってやつかなんて、普段使わない四字熟語が頭に浮かぶ。
「あ、ここではなんだから、少し場所移らない?」
そう、恥ずかしそうに言うもんだから、俺は少し期待してしまう。
自分で言うのも何だが、俺は結構学年ではモテる。
海も俺に劣らずモテるが、多分数でいうと俺が上。この中性的な顔立ちが今の流行りの顔らしい。海は中性的というよりかは、The男!といった顔立ちで、「一昔前であれば……」なんて、海はいつも嘆いている。
ただ、海も俺も先輩にはあまりモテない。
理由は、毎日あんなくだらないいたずらをしているから、上級生は呆れているだろうと勝手に思っている。
「じゃあ、裏庭とかでいいですか?」
俺がそう言うと、迫田先輩は「うん、いいよ」と上目遣いでかわいらしく答えてくれるものだから、こちらとしても口角が上がってしょうがない。
裏庭まではこの教室から約2,3分ほど歩く位の距離。
普段なら、何とも思わないただの廊下でも隣に美人が一緒に歩いているとそこは俺にとってはレッドカーペットで、浮足立って歩いてしまう。
美人は正義だ!なんて、前に海が熱く語っていたけど、本当にその通りなんだと思う。
こんな美人を隣に連れて歩いていて、嬉しくない男はこの世にいないと思う。
きっと、迫田先輩は指先まで毎日ケアをして、玲とはかけ離れた生活を送っているのだろう。
と、考えている間に裏庭に到着。そして、人目につかない場所まで移動をした。
止まったと思ったら、迫田先輩の柔らかな髪が風になびき、その端正な顔立ち振り返って俺をじっと見てくる。
「ごめんね、いきなり呼び出しちゃって」
きれいな唇がそう動き、俺の方に身体ごと振り返った。
かすかな風に、胸のあたりまで伸ばした髪が揺れる。
「いや、気にしないで。大丈夫ですから」
なんて、久しぶりに使った敬語は自分でも恥ずかしいくらいにおぼつかない。
そして、こんなに周りは静かだったか、と思うくらいに彼女の声が耳に素直に入ってくるのがわかる。
「実は、私ね……真琴くんのことずっと前から気になってて…… 「え……!?」
思わず、彼女がすべて話し終わる前に声が漏れてしまう。
すかさず、「ごめん」というと、クスっと彼女は可愛らしく笑う。
「私と付き合ってくれませんか?」
彼女は何のためらいもなく、続けてそう言って笑った。
正直俺の頭は混乱していた。
こんな高嶺の花と俺が?そう思った。
俺は、告白されたことはあるが、付き合ったことはいまだかつて誰ともない。
果たして恋愛初心者である俺と、こんな美人が付き合っていいものなのだろうか。
「大丈夫だよ」
俺が悩んでいるのを察したのか、彼女は優しげな声でそう俺に話しかける。
「返事は、明日の昼休み。またこの場所で聞かせて」
彼女はそういって、その場を颯爽と去っていく。
後に残ったのは、俺の何とも言えない想いと、フローラル系の香水の匂い。
しばらく俺は、その場で立ち尽くすことしかできなかった________。
*
「おお、主役の登場じゃねえか。告白の返事はどうすんだよ、真琴」
休み時間終了10分前になんとか教室に戻り、俺は席に着く。
すると海は、俺の前の席の椅子をまたぐようにしてすわり、調子よく話しかけてくる。
玲も紫穂も、海の言葉を否定せず、俺の返答を待っているようだった。
え、ちょっと待て待て。
「なんでお前ら知ってんの?」
あの場には俺ら2人以外誰もいなかったはず。
「みんな知ってるよ、特に女子は。迫田先輩が真琴のこと好きなこと」
「え?」
玲が、食後のオレンジジュースだろうか。
飲みながら窓辺によしかかり偉そうにいう。
「俺もさっきお前が行った後、玲から聞いた。どうやら、お前結構前から迫田先輩に好かれているらしいぜ。玲に迫田先輩、かなりの頻度で詮索入れてたらしいし」
海は、そうあっけらかんと言う。
「海はだまって。で、どうなの。付き合うの?」
紫穂が俺の返答を急かす。
気のせいか、いつもの紫穂より、今の紫穂は威圧的に感じる。
そう聞かれても……。
どうすればいいのかわからない。それが今の率直な答えであった。
「付き合えよ、真琴」
海はそんな、俺の迷いを断ち切るかのように軽く言った。
「え?」
「そうだ、付き合え、真琴。おまえ、恋というものを迫田先輩に教えてもらえ」
海はまるで自分はいいことを言ったかのように、意気揚々と腕を組みながらそう話す。
すると紫穂は「だから黙ってって!」とイライラした口調で言いながら海の背中を強めにたたく。
正直、別に付き合ってみてもいいと思う。
ダメだったら別れればいい。
無責任かもしれないが、そんな付き合い方もあってもいいのではないか。
「な、玲。幼馴染代表として、ガツンと言ってやれよ」
海は紫穂の言うことを聞くことなく、近くにいた玲の背中を叩きながらそういった。
「痛いから」とか言いながら玲は、俺のほうを見て「好きにすれば?」なんて少し突き放した言葉をかけてくる。
なんだよ、と思うが本当にその通りで。この答えは他人が決めることじゃない。
「まあ、明日まで時間あるし、もうこの話はやめようぜ」
俺がそういうと、丁度授業開始のベルが鳴り、各自、席へとついた。
「……ねえ、真琴」
隣の席に座った玲が俺に話しかける。
「ん?」
俺がそういうと、玲は、何か言いたげだったが、口を閉ざして「何でもない」という。
そうして、今日という日は終わった。
*
「あ、真琴くん!」
音楽を聴きながら、登校していた時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
俺は、イヤフォンを外して、足を止める。
振り返ると、今ではもう見慣れた顔がそこにはあった。
「ああ、友華」
俺がそういうと、少しふくれっ面をする彼女。
そう、俺らは付き合った。
そしてもう付き合って、一か月がたつ。
友華と付き合ったときに咲いていたアジサイは、もうすでにひまわりへとバトンを渡し始めていた。
友華と付き合ってから、少し変わったことがある。
いいや、少しじゃない。だいぶ。
まず、玲は友華と俺が付き合った瞬間、俺とは口をきいてくれなくなった。
今まで家が隣通しだったから、玲が俺を迎えに来て、一緒に登校していたが、それもなくなった。
友華と付き合うことになったと報告したその日の夜に、『明日からは迎えに行かないから』とメッセージが急にきて、朝に俺の家のチャイムが鳴ることはなくなった。
最初は、なんだよこいつって思った。
だけど、玲なりに気を使っているのかと思うと、どうするのが正解かわからず、今に至る。
紫穂は基本的に玲と一緒にいるから、自然と紫穂とも話さなくなった。
海も変に気を利かせているのか、あの朝の校内放送をやろうと持ち掛けてくることもなくなった。
そうして、自然と俺と友華が一緒にいることが増えていった。
「_____真琴くん?」
友華の声で、ふと我に返る。
ああ、もう友華の教室の前か。
友華は俺のことを不思議そうな目で見てくる。
きっと、俺が上の空だったからだろう。
「ああ、わりい。少し考え事してた」
俺がそういって笑うと、友華も笑う。
「じゃあ、またな」
俺はそういって、自分の教室の方向へ向かう。
友華はいい彼女だと思う。
気が利くし。
きれいだし。
かわいいし。
俺はもったいないくらい。
だけど。
恋って、もっと楽しいもんだと思っていた。
日々がキラキラと充実感でいっぱいになると思っていた。
たまに思う。
なんで、俺はこんなにも『あの頃』に戻りたいと思っているのだろうと。
4人でいたあの頃に、戻りたいと思ってしまうときがある。
友華と付き合うと決めたのは俺で。
友華に落ち度はないわけで。
あるなら俺のほうで。
どうすればいいのかわからない。
俺は_____どうしたいのかわからない。
「なあ、真琴」
数学の授業中、そんなことをぐるぐると考えていたら、前の席の海が先生にばれない様にタイミングを見て俺に話しかけてくる。
「なんだよ」
先生にばれない程度で、こちらもそう答えると、「屋上にこい」と、小さな声で海は言い、そしてその場ですぐに立ち上がった。
「先生!俺、腹痛くてトイレ行ってきていいっすか!」
そういって、海は先生の返事を待たずに、教室を颯爽と出ていった。
なんだよ、と思いながら、久しぶりに海が何かしようとして、俺を誘ってくれたことがうれしかった。
「先生!俺、頭痛いんで、保健室行きます」
気づけば俺は席を立ち、海を追いかけるように教室を飛び出す。
教室を出ようとしていた時、先生が俺を止めようとしていることに気づいたが、それで止まる気になんてなれなかった。
*
俺は勢いよく、屋上へ続く扉を開ける。
その瞬間目を見開くのが自分でもよくわかった。
なぜなら、そこにいたのは海ではなくて―――――。
「玲……」
今日、体調不良で学校を休んでいると、朝のHRで長谷川が言っていた玲が俺の目の前にはいた。
いつも、長谷川がよしかかっているフェンスに、今日は玲が平然とした様子でよしかかっている。
そして玲は、俺を待っていたかのように、微笑んだ。
「驚いた?」
久々に、こうしてまともに会話をかわそうとしてくれる玲になぜか俺は心が安らいだ。
「……ああ、お前一人?」
自然と俺も笑みがこぼれて、玲にゆっくりと歩み寄る。
「うん。海は、多分もう教室に戻ってると思う」
「え、じゃあ海が俺を連れ出したのって……」
「うん、私が海に頼んだの。少し話したいことあったから」
「……」
久々に話すからか、それとも緊張しているからか。
なぜかうまく言葉がでなかった。
1か月前にはくだらないことで言い合いをしていた仲なのに、どうしても言葉が詰まる。
「迫田先輩とはどう?……付き合っていて楽しい?」
玲は、少し俯きがちに、そう俺に問いかける。
「ああ、まあ」
俺がそういうと、玲は、顔を上げて笑った。
「そっか……よかった。真琴、ごめんね、ずっとなんか避けるような態度とってて」
だけど、その笑顔はなぜが切なげで、今にも泣きそうで。
なんで、玲がそんな顔をしているのか俺にはわからなくて。
心が苦しくて。
____なんなんだろう。この感情は。
「ねえ、真琴」
だけど、玲はそんな俺にかまわず、会話を続ける。
「私ね……。今日真琴に報告したいことがあって」
「なんだよ急に……」
玲の言葉が、なんだかお別れの言葉のように聞こえてくるのはなぜだろう。
「まあ、そうだよね、こんなこと急に言われたらびっくりするよね。実はね、私。海と付き合うことになったの」
そう言って、笑った玲。
その顔はなんだか、穏やかで。
だけど、やっぱり泣きそうで。
なんでそんな表情なのか。
今の俺には見当もつかない。
「そうか……。よかったな。海、玲介さずに直接言えよな……」
そう言うしかなかった。
そうとしか言えなかった。
海が玲のことを好きなことは、なんとなく知っていた。
海を見ていればわかる。
いつも、4人で何かするときは玲の隣に行こうとしていた。
いつも海は玲を目で追っていた。
きっと、好きなんだろう。
気づいていたけど、言わなかった。
理由なんてなくて。
ただ、なんとなく____言わなかった。
そんな2人が今付き合った。
嬉しいことのはずなのに、なぜか今は素直に喜べない。
きっと、玲のこの表情のせいだ。
そう思った。
何がお前をそんな顔にさせるんだよ。
何がお前をそんなに強がらせてるんだよ。
だけど、それは今考えてもわからない。
きっと、今玲に聞いたところで玲は堅く口を閉ざすか、うまく俺を丸め込ませるだけだろう。
「海のことが好きなのか?」
試しにそう聞いてみる。
すると、玲はコクンと首を縦に動かした。
そう答えることはなんとなくわかっていた。
だけど、何か聞かずにはいられなくて。
この気まずい空気を沈黙できるほど、俺の心は強くなかった。
こんなにも、玲といることに緊張しているのは生まれて初めてだった。
「……真琴」
玲がそう、俺の聞き慣れた声で俺の名前を呼ぶ。
「……真琴にとって私ってどういう存在?」
そう、玲が言った瞬間だった。
ブワッと強い風が吹いて、辺りの色濃く緑に染まった木々がザワザワと音を立てた_____まるで俺の心の中のように。
今日の玲は変だ。
明らかに変だ。
何があったのか。
でも、さっきも考えたように、この場で聞いたって流されるだけだ。
とりあえず、今は玲に質問されたことに対してちゃんと答えよう。
そして、あとで海に色々聞こう。
それが一番早い。
そのためには今この場を_______やり過ごす必要がある。
「……いい幼馴染だと、俺は思ってるけど」
素直に答えた。
これ以上言うこともないと思った。
だけど、言い終わった後、玲の顔を見て失敗したと思った。
それは今まで一緒にいたからこそわかる『勘』。
玲の開きかけていた心の隙間がふっと閉ざられたような、そんな気がした。
「ふふ、そうだよね、ごめんね変なこと聞いて」
だけど、一瞬にしていつもの玲に戻る。
微動だにしない俺とは違って、玲はゆっくりと、いつもの感じで俺に近づいてきた。
「幼馴染だからさ、一番に伝えたかったの。ごめんね、変なことして。じゃ、私帰るから、海以外には私がここにいたこと誰にも言わないでね」
そう言って、玲は俺を通り過ぎ、そのまま屋上を出て行った。
それが、俺が玲を見た最後だった_____。