天満は兼嗣の二の腕を掴むと、力ずくで引っ張ってその場に立たせる。兼嗣は未だ肩を落としてはいたものの、その瞳には光を取り戻しつつあった。
オオオオ……と怪物が雄叫びを上げる。先ほどの天満の呪詛返しではやはり致命傷には至っていない。あの巨体を仕留めるには、二人がかりで立ち向かうしかない。
「準備はいいか。あの化け物は俺たち二人で倒すぞ。しくじるなよ、金ヅル」
「それはこっちのセリフや、天パ」
どうやら普段の調子を取り戻しつつあるらしい。憎らしい口を利く腹違いの兄に、天満はニッと口の端を上げる。
怪物は地面を揺らしながら一歩一歩こちらへと近づいてくる。そうして巨大な両手を頭上へ掲げたかと思うと、勢いをつけてそれをこちらへ振り下ろしてきた。
「あ。ちょっ……これはまずい!」
天満は慌てて逃げの姿勢になる。怪物の手は彼らの真上から迫り、このまま地面に叩きつけられれば二人の体はぺしゃんこになってしまう。
「よけろ!!」
兼嗣が叫び、彼らはそれぞれ反対の方向へ飛び退いた。空振りした手は地面を強打し、辺りに地響きを轟かせる。
「あっぶないな、ほんま。さすがにこんな化け物を相手に即死は避けろってのは難しいんとちゃうか?」
「泣き言を言ってても仕方ないだろ。ていうかお前が生み出したんだろーが!」
「うっさいな。無意識やったんやからしゃーないやろ!」
二人がギャーギャーやっている間にも、怪物は次の手を繰り出してくる。両手両足を巧みに使い、質量のある張り手や蹴りが次々に飛んでくる。二人は最初の内こそ上手くかわしていたが、やがて指先の爪が兼嗣の脇腹を掠った。
「ぐっ……!」
傷は浅く見えたが、真っ赤な血が彼のスーツを染める。
「兼嗣!」
それに気を取られた天満は、怪物のもう片方の手が背後から迫ってきているのに気づかなかった。背中側から衝撃を受けたと思った次の瞬間、巨大な指が彼の全身を絡め取る。
怪物は片手で天満の体を掴み、そのまま拳を握り込むようにして全身を締め付けた。
「が、あっ……!」
みしみしと全身の骨が軋む音がする。このまま複雑骨折を起こせば呪詛返しには丁度良いが、内臓までやられればこちらが即死する可能性もある。
「天満……!」
腹を負傷した兼嗣は満足に体を動かすことができず、同じように怪物の手に捕まった。そのまま高所まで持ち上げられ、それぞれの手の中で、二人は全身を締め付ける圧力に歯を食いしばる。
「くっ……。ちょうどええわ。この苦しみ、そっくりそのまま返したる……!」
額に脂汗を滲ませながら、兼嗣はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
やがて尋常ではない圧力に耐えかねた全身の骨が、次々に音を立てて折れ始めた。天満は激痛に耐えながら、その時を見極める。
「今だ。永久流……——」
「武藤流……——」
二人の声が、示し合わせたかのように重なる。
「呪詛返し!」
直後。青い光が放射されるのと同時に、激しい爆発が起こった。
辺り一面の霧を吹き飛ばすほどの爆風。時治は反射的に片手で顔を覆った。
やがて風が止み、舞い上がった砂煙が晴れる頃には、あの黒い怪物の姿はもうどこにもなかった。川のせせらぎだけが聞こえてくる河原の真ん中で、天満と兼嗣は傷一つない体でそこに立っていた。
「……終わったな。これで儂も、心置きなくあの世へといける」
どこか憑き物が落ちたような声で時治が言った。そんな彼に兼嗣は何かを言おうとして、しかし気まずそうに口を閉じる。その様子を見て、隣から天満が言った。
「現世での爺さんの体は、すでに臨終を迎えた。挨拶するならこれが最後の機会だぞ」
「わ、わかっとるわ」
兼嗣はポリポリと頭をかきながら、明後日の方角を向いて言う。
「爺さん、その……なんて言うか、世話になった」
「ふん」
老人は鼻を鳴らすと、くるりと背を向ける。そのままどこかへ去っていこうとする背中を、兼嗣は呆気に取られながら見つめた。
「ほんま、最後の最後まで愛想のない奴やな。……でもまあ、墓前に花ぐらいは供えたるわ」
互いに素直ではない血縁者たちを、天満は静かに見つめていた。
「さて。呪詛返しも終わったことやし、あとは俺らが現世に戻るだけか。お前とまた心中するってのは癪やけど、まあ仕方ない——」
そう言って天満の方へ体を向けた兼嗣は、不意に胸元を襲った鋭利な感触に意識を取られた。
「…………え?」
視線を下ろすと、彼の胸には深々と刃物が突き刺さっていた。