「くそ。威力が足りてない……。おい兼嗣。そんな所で寝てないで加勢しろ! お前の撒いた種だろうが! 無駄にでっかい化け物を生み出しやがって」

 霧の向こうで転がっている彼に、天満は怒号を浴びせる。だが兼嗣は未だ失意の底にあり、目尻に溜まる涙を拭いもせずに言う。

「俺のことはもう放っといてくれ。あの呪いは、俺を殺せばそれで満足して消えるはずや。……俺は二十年前に死んでるはずやったんや。これ以上生き延びたところで、右京さんに申し訳が立たん」

「右京さんに申し訳ないってお前、それ本気で言ってるのか?」

 天満はつかつかと下駄を鳴らして彼の元へと歩み寄る。

「右京さんは、お前を守るために命を賭けたんだぞ。それでお前が自殺なんてしたら、右京さんはどう思うんだよ。それこそ時治の爺さんが言っていた『無駄死に』になるんじゃないのか!?」

 天満は兼嗣のそばで立ち止まると、今度は背後を振り返り、霧の向こうにいる時治を睨んだ。

「爺さん。あんたの本当の狙いは、兼嗣の命じゃない。あんたはただ……俺たちに真実を知ってほしかったんだろ? 二十年前になぜ右京さんが死んだのか。彼女が墓場まで持って行ったその秘密を、他の人間には悟られることなく、俺たちだけに伝えようとしたんだろ。それが、あんたが呪いを生み出した本当の理由だ」

 そんな天満の指摘に、老人は何も言わない。だが反論することもない。全てが想定通りだったと言わんばかりの目で、天満の推理を静かに見届ける。

「右京さんの死は、表向きには獅堂の呪いに巻き込まれた事故死として認識されてる。そうなるように右京さんが仕組んだからだ。でも、あんたはそれを良しとしなかった。彼女が本当に守ろうとしていたものを、誰も認識していない現状に納得がいっていなかったんだ。そして、このまま自分が寿命を迎えてしまえば、彼女の死の真相は永遠に闇へと葬り去られることになる。それを避けたかったあんたは、自分の死の間際に呪いを生み出した。血縁者の大半を昏睡状態にさせ、本家の情報網を混乱させた上で、俺たち二人だけをここへ誘き寄せた。生前の右京さんの意思を汲んで、本家の人間たちにはバレないように、俺たちだけに真実を伝えようとしたんだ」

 時治は「ふん」と鼻を鳴らして、その重い口をやっと開く。

「やはりお前をここへ連れて来て正解だったな。そこに転がっている武藤家の倅だけでは、ただ過去を悲観するばかりで儂の思惑など見抜けなかっただろう。ここで倅が死ねば、それこそ右京の死は無駄になる」

 未だ地面に横たわったままの兼嗣は、二人の会話を耳にしながら、頭の中で時治の言動を振り返っていた。

 ——右京はお前のために死んだ。それをお前は今までずっと知らなかった。知ろうともしなかった。目に見えるものだけを信じ、見えないものから目を逸らして、仮初の平穏に生きてきた。まことに愚かだとは思わんか?

 誰にも解けなかった右京の死の真相。それをこちらに伝えた上で、なおかつ兼嗣が自死を選ばない道。それこそが、時治の言う『右京の無駄死に』を回避する方法だったのだろうか。

「よくぞ見抜いたな、三男坊の天満よ。事と次第によっては、このままそこの倅も地獄へ連れていくつもりだったが、どうやらその必要はないようだ」

「あんたの娘が教えてくれたんだ。あんたは『だいこくさま』だって。出雲大社に祀られている大国主命は縁結びの神……目には見えない縁を結ぶ神様だ。今まで見えなかった右京さんと俺たちとの縁を、あんたは人生の最後に結びに来たんだろ」

 そこでやっと、兼嗣は上半身を起こした。半ば放心状態ではあるが、その瞳の奥には確かな自我を取り戻しつつある。

「爺さんは……俺と右京さんのために、呪いを生み出したってことなんか?」

「自惚れるな。何もお前のためにやったわけではない。儂はただ、何も知らないお前たちの愚かさを見兼ねて、最後に現実を突きつけてやろうと思っただけだ。お前が死を選ぶなら、共に地獄まで連れていくつもりだった」

「爺さん。あんたは本当にこれで良かったのか?」

 質問したのは天満だった。

「あんたは兼嗣や右京さんのためだけじゃなく、あの出雲の屋敷に住む血縁者たちのためにも、呪いを生み出したんだろ。今回の騒動はただ、爺さんの呪いに周りが巻き込まれただけ……そういうことにするつもりなんだろ。あの血縁者たちが本家から責められないように、爺さんは自分一人が罪を被って、あの世まで持っていく。……それで本当に良かったのか?」

 天満の問いに、老人は答えない。そこへ今度は地響きのごとく、低い唸り声が届く。天満たちが見ると、兼嗣の生み出した黒い怪物が、再び咆哮を上げていた。

「爺さんの呪いはもう収束してる。あとはあの呪詛を返り討ちにして、お前を現世に連れ戻すだけだ、兼嗣」