「え……?」

 突然の問いに、陽翔はきょとんとする。

「例えばやで。お前のクラスに可愛い女の子がおった。男子はみんなその子のことが好きや。全員がサターンの椅子に座って、その子と付き合えますようにって願った。この場合、女の子と付き合えるんは誰や? 一人しかおらんやろ。その一人を除いて、他の全員の願いは叶わんことになる。わかるか?」

「え、ええと……」

 陽翔は困惑している。小さな頭をフル回転させ、提示された難題を理解しようとしている。

「女の子と付き合えるんは、一人だけ……。ならやっぱり、あいつがその子と付き合うよ。ぼくらの願いは叶わんくて、あいつの願いだけは叶うんや」

 この期に及んで『あいつ』を絶対視する姿勢に、兼嗣はチッと舌打ちした。

「聞き分けのない奴やな。じゃあ、これならどうや? ……俺にはな、好きな人がおった。大人の女性や。俺はその人と付き合いたくて、サターンの椅子に願い事をした。でも、お前の嫌いな『あいつ』も同じ人を好きになって、同じように椅子に願った。この場合、大人の女性と付き合えるんは誰や?」

 大人の女性、というのがミソだった。子どもが大人の女性と付き合うなど、憧れはすれど現実的に考えることは少ないだろう。陽翔の瞳にも、あきらかな戸惑いの色が濃くなっていく。

「ええと、ええと……」

 その間にも、怪物は天満の血塗れの体を持ち上げてしげしげと眺めている。だらりと垂れ下がった四肢はぴくりとも動かないが、かすかな息遣いが部屋に響く。まだ事切れてはいないようだ。

「ええと……。あいつが大人の人と付き合うんは、難しいんとちゃうかな」

 陽翔が絞り出した答えに、兼嗣はニッと口角を上げる。

「そうや。『あいつ』の願いは叶わん。願い事はな、誰でも絶対に叶えられるわけやないんや。叶うか叶わんかは本人次第。絶対に叶えたるって思ってる奴が、自分の力でそのチャンスを掴むんや。お前だって、まだ死にたくはないやろ。生きたいって願うなら、そのチャンスはお前自身の手で掴むんや」

「ぼくが……自分で……」

 オオオオ、と怪物が雄叫びを上げ、天満の体を壁に投げつける。ぐしゃりと骨の砕けるような音がして、彼は再び床に転がった。
 まだ死ぬなよ、と兼嗣は内心穏やかではない。もしも天満がここで死んでしまったら、せっかく二人で黄泉の国へ来た意味がなくなる。

「なあ、陽翔。お前がほんまに死にたくないって思ってるなら、あの怪物をどうにかできるはずや。サターンの椅子は、お前に味方してくれる。お前が心の底から生きたいって願うなら、その願いは叶えられるはずや」

「ぼくが……」

 怪物は細長い両手で天満の体を持ち上げ、大きく開けた己の口元へと近づけていく。このまま食べるつもりだろうか。

「陽翔。お前はクラスメイトのクソガキの言葉を信じて、自分が死ぬと思い込んでた。その思い込みが願い事と一緒になって、あの怪物を生み出したんや。わかるか。あの怪物は、お前の心が生み出したもんや。つまり……本当にお前を殺そうとしてたんは、誰や?」

 少年は目の前の怪物を見上げる。

「ぼくを、殺そうとしてたのは」

 怪物の牙が天満の頭へ喰らいつかんとした、その刹那。少年は、怪物の正体を見破った。

「ぼくの、心」

 瞬間。
 怪物はぐにゃりと頭の部分を歪ませて、たちまち別人の顔へと変化した。細長い手足や頭の巨大さはそのままに、顔だけはひどく見覚えのあるものへと変貌を遂げる。
 生気のない虚ろな目。半開きになった唇の間からは長い長い溜息が漏れる。なんとも陰鬱な空気を醸し出すのその姿は、陽翔少年そのものだった。