山の斜面を緩やかに流れる川。その周りを取り囲むように、老舗の旅館や土産物屋が建ち並んでいる。
「はあー。やっぱり良い湯だったなぁ、有馬温泉・金の湯。日頃のストレスが洗い流される」
川に沿って舗装された道を、一人の優男が歩いていく。年は二十代の半ばほど。薄墨色の着流しに濃紺の羽織。彫りの深い顔立ちに色素の薄い瞳。ほのかに異国の血を思わせるその容姿は、周囲の観光客、特に女性客の注目の的である。
「えっ、やば。あの人めっちゃ格好良くない?」
「ハーフっぽいよね。誰か声掛けてみてよ」
「無理! あたし無理!」
にわかに黄色い声が上がり始めるが、当の本人は特に気にした様子もなく川の流れを眺めている。途中、朱塗りの手すりのある橋が架かっており、男は心底満足した様子でそこを渡っていった。
「お」
と、不意にスマホの着信音が響く。男が羽織の袂から取り出して見ると、画面には『璃子』の文字が表示されていた。これはもう見なかったことにするか、と再び袂の奥へ戻そうとしたが、男は暫し逡巡し、やがて溜息を吐きながら仕方なく応答ボタンを押す。
「いま無視しようとしたでしょう」
スピーカー越しに、恨めしげな声が飛んできた。まだ幼さの残る少女の声だったが、感情が滲み出てドスが利いている。
男は悪びれた様子もなく、
「なんでわかったんだ? そっちには見えてないはずなのに。もしかして俺、監視されてる?」
「あなたの反応なんて確認しなくても想像がつきます。それで単刀直入に聞きますが、今どこにいるんですか?」
「ええ……。それ答えなきゃダメか?」
「当たり前でしょう。ただでさえ行き先も告げずにふらふらと出歩かれて、私たちは迷惑してるんですよ」
男が押し黙っていると、ちょうど前を通りがかった店の中から従業員の声が響く。
「炭酸せんべい、いかがですかー!」
威勢の良い呼び込みの声は見事にスマホのスピーカーを通り抜けていった。
「炭酸せんべい? ということは、神戸の有馬温泉ですね。ちょうど良かった!」
銘菓の名前から居場所を把握し、途端に上機嫌になる璃子。男は嫌な予感がした。
「実はすぐに向かってほしい所があるんですよ。神戸の中心地の方なので、そこからでしたら電車で三十分ほどですね」
「断る権利は?」
「ないです。今回問題になっている人物の写真と名前、住所は後で送ります。ちなみに本日は二人一組となって行動していただきますので、詳しくはあの人に聞いてください」
「あの人?」
オウム返しに聞いた直後、男はある人物に思い当たって「まさか」と青ざめる。そんな彼には構わず、璃子はやけに優しげな声で激励を送った。
「名探偵の出番です。永久家の未来のためにも、しっかりと呪いを返してきてくださいね。天満さま」