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「くっそおおおお! 間に合わなかった!」

 道後温泉・本館の手前で天満は叫んだ。
 午後十時半。すでに観光客の姿もほとんど見えなくなった頃、建物の入口前には『準備中』の札がかかっていた。隣にある受付では和装の従業員たちが申し訳なさそうに苦笑している。

「なんだよお。今日は一日がんばったのに。ちょっとぐらいご褒美があったっていいじゃないか」

 恨み言を口にしていると、羽織の袂からスマホが着信を知らせた。画面には予想通り『璃子』と表示されており、天満は不機嫌さを隠そうともせずに応じる。

「呪いならちゃんと返したぞ」

「終了報告はしてくださいって毎回言ってますよね。なんであなたはそういつもいつも私たちの手を煩わせるんですか」

 まるで小姑(こじゅうと)のごとくチクチクと棘を刺してくる少女の声に、天満も負けじと返す。

「あのな。前々から思っていたが、お前は分家の人間のわりに俺に対する態度がでかすぎやしないか? 俺を誰だと思ってる。由緒正しき永久本家の三男坊だぞ!」

「ええ、ええ。よーく存じ上げておりますとも。私たちのような血縁者が呪いを生み出す体質となった原因、その張本人をご先祖様に持つ永久本家のご子息様ですよね」

 その指摘に、「うっ」と天満は口籠る。

「今回の速水弥生も、気の毒なものですよねえ。遠縁とはいえ、永久家のご先祖様の血を継いでさえいなければ、今回のような呪詛に悩まされたりすることもなかったのに」

「いや、だから。呪いなら俺が何とかしてやっただろ」

「ご先祖様の直系の子孫として、本家のあなたが何とかするのは当たり前でしょう。だいたい、『呪詛返し』の力を持つのは本家の血筋だけなんですから。私たちのような分家の人間は、ただ呪いを生み出すだけで自分ではどうしようもありません。下手したら死ぬわけです。そんな運命を背負って生まれてくるよう、末代まで祟られたのは本家のご先祖様なんですから、その責任はあなたにもしっかり取ってもらいますよ」

「知らねえよ。三百年前のご先祖様なんて。写真すら残ってないのに、面倒な呪いだけ残していきやがって」

「ご先祖様の罪が遠縁の人間にはバレないよう、黙っててもらえているだけでも感謝してください。バレたらどんな非難を浴びせられるかわかりませんよ」

 そこまで一息に言い切ると、やっとスッキリしたと言わんばかりに璃子の声色は柔らかくなった。

「というわけで天満さま。明後日は北海道の方まで呪詛返しに行ってもらいます。明日には東京(こちら)まで戻って来られるよう、絶対に寄り道しないでくださいね」

 絶対に、と二度も釘を刺してから璃子は通話を切った。
 静かになった夜の景色の中で、天満はひとり空を仰ぐ。

 遠い昔に、ご先祖様が犯した罪。その罰として受けた呪いは、三百年経った今もなお子孫に受け継がれている。
 一族の血が絶えるまで。末代まで祟られたこの運命はきっと、天満が死んだ後もずっと続いていく。

「ま、嘆いても仕方ないか」

 人は理不尽な不幸に見舞われた時、何かのせいにせずにはいられない。何かを恨み、誰かを恨み、やがてそれは呪いへと繋がっていく。

「こういう時こそ、気晴らしに観光だよねえ。宇和島(うわじま)名物・鯛めしが食べられる店はまだ開いてるかなっと」

 スマホで検索をかけながら、下駄の音を響かせて、天満は寝静まった街へと消えていった。