茶臼山から怪異捜査の連絡が入り打ち合わせとなったとき、蒼衣はいつもファイルに綴じられた書類を預かる。

 ファイルには怪異の詳しい内容が記され、事件と関係のある地図や写真なども貼られている。

 顔合わせや打ち合わせも部外者が入れない密室であれば別だが、今日のように人が多い場所では尚更、どこで誰が聞き耳を立てているか注意が必要だという茶臼山の考えもあり、怪異事件についての説明はなるべく口頭を避けていた。

「書類は茶臼山さんの指示で俺が作りました。質問があったらすぐに……あ、連絡先の交換、LINEでいいですか?」

 岸本が携帯を取り出して言った。

 蒼衣は頷いて岸本と連絡先の交換を済ませた。

「なぁ、岸本。あれはそんなに美味いのか?」

 茶臼山が言うアレとは、どうやらどのテーブルにも運ばれてくるプリン・ア・ラ・モードのことのようだ。

「ええ、ミントのプリンアラモードは今バズってますから」

「ばず? なんだそりゃ」

「注目されてる、みたいな意味ですよ」

「へぇ。蒼衣ちゃん、食べてみるかい?奢るよ、岸本が」

 えっ、という顔を向ける岸本に茶臼山は言った。

「プリンの一つや二つ奢ってやれよ」

「はぁ、そうですね。俺も食べたかったし、茶臼山さんの分も頼みましょうか」

「俺はいい。ああいうのは苦手だ」

 まるで苦いものでも口にしたような表情の茶臼山に岸本は微笑し、店員を呼んだ。

「ぁの、本当にいいんですか?」

「ああ、気にしなくていいから」

「ありがとうございます」

 蒼衣の笑顔に「なんか心をほんわかさせる子だなぁ」などと癒されていた次の瞬間、出入り口からの来店者に店内の空気がざわついた。

 否───凍り付いた。

 岸本はそんなふうに感じた。それは本当に一瞬だったが。

 店内にいたすべての人間が息を吞んだように思えた。

 音が遮断され、なぜか一瞬暗くなり、まるで陽が陰ったような錯覚。

 そして誰もがハッと我に返る。そして皆、彼に注目する。

 暗闇を纏ったかのようなその人物は数秒立ち止まり、店内を見渡した。

 襟を立てた黒いコートの首元からチラリと見えたのは詰襟だろうか。履いているスラックスもスニーカーも黒。そして背負っているのも黒いリュック。

 長身で緩く波打つ黒髪が額と肩にかかり、左耳に小さな黒石のピアス。
 顔立ちは女性に人気のアイドルグループ並みに整っている。───のだが、その眼差しの危うさに岸本はおもわず身構えた。

 不機嫌で冷たくて。見る者を刺すような眼。

(ヤバい。こいつマジほんとに……)

「あの、お客様」

 店員を無視し、彼はこちらに向かって歩いてくる。

 まるで暗闇を一緒に、連れ歩くみたいに。

 危険な予感しかなく、刑事として優先することなどが脳裏に浮かび、岸本は椅子から立ち上がろうとしたのだが。


「ぁ、璃空(りく)くん。来てくれたんだね」

 蒼衣の穏やかな声に緊張が解かれる

 りくくん⁉ これが?

 青年は蒼衣を見つめてから茶臼山と岸本を眺めた。

「体調は大丈夫? コートと荷物はここに置くといいよ」

 蒼衣が足元のカゴを指したが、青年は立ったまま蒼衣が手にしたファイルを取り上げて言った。

「話済んだなら帰ろう、蒼衣。これは後で読めばいい」

 青年はカゴの中から蒼衣の荷物を取り出した。

「え、でもあのね、プリン……」

「マジ気分わりぃ。吐きそう」

「ぇえっ⁉ そんなの大変っ。……ぁあの、すみません茶臼山さん、岸本さん。今日はこれで。あ、私のカフェオレ代金出します、プリンアラモードの分も。璃空くん、私の鞄かして」

 蒼衣は璃空から自分の鞄を受け取り、財布を出そうとしたのだが。

「いいんだよ、蒼衣ちゃん。こっちで出しとくから」

 茶臼山が言った。

「でもせっかく岸本さんが」

 岸本は声もなく、呆然と璃空を見上げたままだ。

「プリンも食っておくから気にするな」

「蒼衣、行くぞ」

 苛立ったような声で腕を掴まれ、蒼衣はグイグイと璃空に引っ張られながら店を出て行った。

 ほどなくして二人分のプリン・ア・ラ・モードがテーブルに運ばれた。


 ♢♢♢

「───なんですかあれ」

 蒼衣と璃空が出て行ってから、かなりの間を置いて岸本が声を出した。

 その間、何事もなかったかのように岸本はプリンアラモードを堪能していたわけだが。食べながら気持ちを落ち着かせようとしていたようにも見えた。

「あの二人がほんとに?」

 怪異事件を捜査する異能者なのかと言いたいのだろう。

「まだ子供じゃないですか」

 見た目が童顔の岸本では台詞も緊張感に欠ける気がした。

「蒼衣ちゃんは確か十六……春から高二だな」

「あの制服、櫻聖女学院ですよね。超お嬢様校じゃないですか」

「おまえ、制服で学校名を言えるのか」

「あの女子高の制服は男ウケすることでゆぅ……」

 有名なのだとでも言いたかったのだろうが、茶臼山の呆れた視線を前に言葉は途切れた。

「問題はあの青年ですよ。びっくりしましたよ、あんなヤバい目をした奴。刃物でも振り回しそうな雰囲気で……」

「あの子は蒼衣ちゃんより歳が二つ下だったか。春から中三になるな」

「ちゅうがくっ、アレが⁉ 冗談でなく? 彼女より年上かと思ってましたけど⁉」

 容姿から雰囲気から、とても中学生には見えない。

「岸本、そんな程度でいちいち驚くな。彼の名前は黒葛原(つづらはら) 璃空(りく)だ」

 茶臼山はメモ帳に漢字を書いて岸本に見せた。

「これで『つづらはら』って読むんですか。へぇ……。いや、でもまさか怪異の捜査人がJKと中坊コンビだとは思いませんでしたよ。茶臼山さんはこれまでも何度か彼等と?」

「あの子たちへの捜査依頼はまだ数少ないが。彼等は代々異能を継ぐ家系の生まれだ。俺はあの子たちより先代の奴らと仕事した回数のが多いな」

「それって、選ばれるんですか? 今回の事件はあの子たちに任せるとか。そもそも今回の事件が怪異だとなぜ判ったんです?」

「それはおまえ、怪異だと判断する異能者が上層部にいるからだ。それから、俺のところに持ち込まれる怪異にはいつも決まった特徴がある。事件に種類があるように怪異にも種類がある。そしてそれを解決する異能者にもまた種類があるんだ。まぁどんなかはそのうち判るが。───食い終わったらそろそろ出るぞ」

 ふと見れば茶臼山の前に置かれたはずのプリンアラモードはいつの間にか無くなっている。

「岸本の奢りだから食べてみたが。意外と美味いもんだな、プリンなんとかっていうのはよ」

 食わず嫌いですねと心の中で呟いて、岸本は最後に残しておいたプリンの欠片を口へ運んだ。