サァァァァ――――
遅咲きの山桜。月光照らす夜桜。
灯澄は縁側に座り散る花弁を見つめた。盆に在る酒を手に取り一口唇に湿らす。
――美味くはない。美味いと感じられなくなっている自身も知り、灯澄は鬱に沈む心から目を背けるように酒を置いた。いくら飲んでも酔いはしない。
美味い酒は一生飲めぬかもしれぬ――そう考えると、陰鬱にもなる。せっかくの月夜桜というのに、綺麗と愛で酔うこともできないとは。その弱き自身にも苛立ちが募る。
情けない――日向に出会い、余計な考えを与え、頭を下げ連れ出した。そうまでしたにも関わらず救える力を与えられず、そして今、帰そうとも考えている。何をしてきたのか、何をしているのか自分は――
「不味いな」
呟き分かっていても、なお手を伸ばし酒を口にした。酒に逃げようとしているわけではない。次を考えるため、自らを見つめるため酒とともに自身の苦味も内に入れる。
戦えるかどうか。この一点。日向は戦えるか――
サァァァ――
「――夜のお花見ですか?」
夜の風と花弁と共に、凛と鈴を鳴らすように、または歌が流れるように、澄んだ声が灯澄に届く。
「日向か」
視線を向け、一言名を呼んだ。起きてきたのか、それとも、眠れなかったのか、日向は静かに廊下を歩み、少しだけ灯澄から離れて立ち止まった。
寝装束の白き着物が蒼き月光に照らされ、風が日向の黒髪と袖を揺らし、薄紅の花弁が彩る。まるで――自分が言うはおかしいが、天女や妖のような幻想的な姿に灯澄はついと視線を逸らした。美しい日向の姿、それは否応なく日向の母のことを思い起こさせる。
「寝ておけ……明日もある」
それだけを呟き、灯澄は酒を口にした。自分の言葉に何がこもっていたかは自身でも分からない。日向にどう伝わったかも。
灯澄の言葉に、日向はそのまま立ち止まっていた。風に髪靡かせ、頬に触れる花弁に一度瞳を閉じ、そして、外の桜を見つめた。満開の山桜へ。
「――眠れぬのか?」
「はい」
「そうか」
こちらへと微笑み向ける日向に短く返し、灯澄もまた桜へと視線を向けた。
「月夜桜……ほんとうに綺麗」
「……そうだな」
短い言葉に、短く応じる。
サァァ、と静謐に風はそよぎ、少し寒く冷たい夜山に空気は冴え、空は澄んでいた。蒼月の閃光と薄紅桜の花弁だけが場を彩り、現世とは思えない艶やかさと麗しさを顕す。
月天諸天が舞い踊るかのような神の座――皮肉なようにも思える。神の血族たる我らが子が眠っている山ならば。