「まさかお前、母の情へ流されたのではあるまいな」
「違います!」
顔を上げ、陽織は即座に否定していた。だが、蒼い袴の女と視線が合うと、また俯き小さく呟く。
「違います、情へ流されてなど……私は育ての母として、日向をきちんと……」
「まるで言い訳のようだな」
紅い袴の言葉に陽織は三度黙った。台の下で拳を握り、表には出さないように努める……どれだけ隠せているかは分からなかったが。
「時が来ることは分かっていたろう。そして、時が来てからでは遅いということも十分に承知していたはずだ。人並み以上には動けるようだが、まだ、戦いの実力にはほど遠い」
蒼い袴の言葉は続く。鋭く言葉の切っ先を向ける。そして、陽織もまた攻められる訳を分かっていた。自身の罪も知っている。この十年、日向が大きくなるにつれその罪は大きくなり、自身から消えることはなかった。
「なるほど、平穏な幸せを願ったか」
ぐっと奥歯を噛み締める。反してはいけない。言ってはいけないと自らに言い聞かせる……が、抑えられぬ感情に陽織は思わず言葉を発していた。
「役目を忘れてはいません……ですが」
陽織は声に力を込め、顔を上げ蒼い袴の女を睨んだ。
「幸せを願うは当然でしょう。母であるならば尚更、子の幸せを、平凡な日常を願って何が悪いというのです。あの方もきっと同じお気持ちのはず……」
「我らにとっても恩ある人間の子だ。幸せを願うは同じ」
声を受け、視線を受けても蒼い袴の女が惑うことはない。怯むことなく、変わらぬ口調で陽織へと続けた。
「だが、全てを隠し、自らも偽ったまま生きるが果たして本当の幸せか。それが本当に日向の母が願ったことか」
「日常を残して置きたいのです。どんなになったとしても、普通の人間としての日常を」
「それはお前が決めることではない。日向が決めることだ」
蒼い袴の女は鋭く強く陽織の言葉を断ち切った。それでも、陽織は視線を外すことなく――蒼い袴の言葉が正しいと理解していても、更に続けた。